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6. 逃亡

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 街外れに山道への入り口があった。
 セラはそこに足を運び、歩いていた。
 けれど暗闇に苦心して、木の根に腰を掛けて休んでいると、雲間から月が顔を出した。

 月明かりに照らされ、自分の身体がよく見える。
 包帯と絆創膏だらけの身体。
 泣きそうになる。
 女将たちは一生懸命手当してくれた。
 せめてそれだけでもという思いが見て取れた。

 だからセラはあの場を去った。
 好きだったから。
 彼らの事が。
 迷惑を掛けられなかった。

 だからまた違う街に行こう。
 今度こそ貴族に見つからず、静かに暮らすのだ。

 もう、レイのような人に会ってはいけない。
 レイに会ってはいけない。

 セラは魔族なのに、彼を誰かから奪い取ることは出来ないと思った。
 きっとレイは傷つく。
 振り切った者たちに心を痛める。

 けれどセラは一人だ。
 誰かに割く心はレイ程多くはなく、また、レイのような人なんて……
 きっといないのだから。

 身体を震わせて泣くセラは、近くで土を踏む音に顔を跳ね上げた。

「セラ……」

「レイ……」

 そこには息を切らしたレイがいた。
 それはずっと走った印。
 セラを探してくれた証……

 セラは顔をくしゃりと歪めた。
 レイはセラに近づき、ぎゅっと抱きしめた。
 その動作にセラは驚く。

 いつも目を細めて笑ってくれていた。
 頭を撫でてくれていた。
 けれど今は……セラはおずおずとレイの背中に手を伸ばした。

「一緒に逃げるか?」

 その言葉にセラは固まる。
 いつか聞いたものと似たそれ。
 一緒に
 ずっと一緒に……

「いても、いいの?」

 レイの背中に腕を回し、縋った。
 泣きながら問うセラに、レイはきつく抱きしめる事で返した。


 ◇


 そこからひたすら山道を歩いた。
 また貴族から逃げる為。
 二人でいられる場所に辿り着く為。

 けれど山道を抜けて街道に着いた先で、囲まれてしまった。

 そこにいたのはアンソレオ侯爵家の者だった。


 ◇


「レイディ。一体何をしてるんだ」

 拘束された状態で伯父に引き合わされた。
 セラとは途中で引き離され、レイは苛立っていた。

「聞いてるのか。イオル伯爵家とは今後良い関係を築きたいと思っていると言うのに。お前にはしっかりしてもらわないと困るんだ。……遊びたいなら、せめて結婚してからにしろ」

 その言葉にレイは眉を顰める。

「ふざけないで頂きたい。どこの世に遊びの女と駆け落ちする男がいると言うのです?」

 侯爵は、ふんと息を吐いた。

「本気と言うなら尚質の悪い事だ」

 レイは口元を歪めて笑った。

「ロイーズを気に入っているようですよ。それ程あの貴族との縁が大事というならば、詫びの品としてあいつを婿に差し出せばいいじゃないですか」

「……分かっていて言ってるのだろう? ロイーズの婚約者は由緒正しい公爵家の令嬢だ。そんな真似出来る筈は無い。……それに、詫びなら既にしてある」

 淡々と話す伯父にレイは嫌な予感がする。

「セラは……伯父上、セラはどうしたのです?!」

 侯爵はレイを一瞥した。

「お前は私の仕事を知っている筈だったが?」

 その言葉にレイは息を飲んだ。
 レイの反応に侯爵はため息を吐く。

「全く。お前はつくづく弟に似ていない。私の元できちんと教育しておくべきだった」

「彼女は……」

 侯爵はレイに向き直り、言い聞かせるように口にした。

「あの娘は隣国へ返す手配をした。魔性だそうだな? お前の疑惑を払拭する為に、聖職者に多額の寄付金を支払う事になった。もう諦めろ」

 レイの瞳は慟哭を表すように、大きく見開かれた。
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