11 / 28
前編
10. 手遅れになる前に
しおりを挟む
「ソアルジュ殿下!」
引きずられるように歩きながら、ロシェルダは声を張って彼の名を呼んだ。
全く反応が無かったその呼びかけに、ソアルジュはようやっと気づき、はっと身を竦めた。そのままどことなく気まずそうにロシェルダに視線を落とし、ぎょっと目を見開いた。
「なんだその格好は?」
「はあ?」
あまりの言いようにロシェルダは間の抜けた声を出す。
そもそもロシェルダは、ソアルジュが勘違いをしているのだと考えていた。
あの場では、見ようによってはオランジュがロシェルダに暴力を振るったと……そう思ってしまったのも無理が無いのかもしれないと、急いでソアルジュの誤解を解こうとしていたのに。
「君をそんな目に合わせた奴には必ず罰を与える」
据わらせた眼差しでソアルジュは口にした。
「いえ……それは、オランジュ様が……」
続きの言葉を紡ぐ前に、ソアルジュはロシェルダの顎を荒々しく掴み、叫んだ。
「その名を口にするな!」
◇
どうして! どうして!! どうして!!!
もう二度と会わないように遠く離れた領地と小さな爵位を与えてやった。
余計な真似をしたあいつ。
彼女から恋心を奪って行った。
自覚した途端にこれだ。リサのせいか、彼女を罰するべきか。
どうして? 自分とあいつの何が違う?
同じ病に罹り、同じ場所で会って、身分だって同じ貴族だ。
どうして……まだあいつをあんな目で見るんだ。
あいつは温厚なだけの甘ちゃんで、他に取り柄なんてない。自分で蒔いた種を自分で刈る事も出来なかった。見る目だって無い。なのに……
今まで抱いた事が無い、こちらを見ない者に対する憤り。
目眩が起こりそうな程腹が立っているのに、どうして胸の内だけはこんなに苦いんだ……
◇
自室に戻ればリサが血相を変えて近寄ってきて、ソアルジュの腕からロシェルダを攫い、あれこれ世話を焼いている。
改めて見ると彼女は酷い有り様だった。
後ろ盾の無い平民を城に放り込めばこんな事になるのか。
ソアルジュは唇を噛んだ。
上等な部屋を与えたつもりだった。そしてそれを彼女が喜ぶ筈だとも。だからこそ護衛なんて気が回らなかった。
そもそも何でもないと、あの時父に告げた自分の言葉に偽りは無かった。気づかなかっただけで。
「ロシェルダ……」
途方に暮れた思いで名前を呼べば、怯えたようにその肩が強張った。
リサがそっと肩を撫で、ロシェルダを宥める。
恐る恐る振り返るその顔は、眼差しは、先程従兄に見せたものとはまるで違う。先程の憤りはどこへ行ったのか、ソアルジュの心は暗く沈んだ。
……あの時、全てが無くなった。
積み上げて来たもの、与えられてきた幸運。
最後にそれら全てを取り上げられ、全く顧みられない、唾棄される存在に成り果てた。そしてそのまま閉じる筈だった自分の人生。
走馬灯のように流れるそれらの記憶の中で、触れた事の無いそれが自分を救った。
「もう大丈夫ですよ。私があなたを治します」
黒く染まった、元の姿など見る影もない自分の身体に、その人は恐れる事なく触れて来た。
そうして温かい手で、慈愛の眼差しで、懸命な処置で、自分は救われた。
(救われたんだ……)
暗闇から引き上げられたのは、身体だけでは無かった。
光に触れたのは心の方だった。
気づかなかった従兄は馬鹿な奴だ。
けれど感謝もしている。彼女を自分に引き合わせてくれたから。
もう自分が闇に囚われるのも、光の祝福を受けるのも、彼女次第。けれど……
「すまなかった」
ソアルジュは儚げに微笑んだ。
「勘違いしたんだ」
その言葉にロシェルダは僅かに身動ぎした。
「君が……怪我をしているようにも見えたけど、オランジュに掴まれていただろう? 困らされているのかと思った」
ロシェルダは少しだけ瞳を揺らし、思い当たるように顔を俯けた。
「でも……蹴らなくても……」
「走った勢いで足が出ただけだ」
ケロリと口にすれば、従者の親子が何とも言えないような顔で口を引き結んでいる。
「後で謝るよ」
そう口にすれば、ロシェルダはホッと息を吐いて表情を緩めた。
ソアルジュは意を決してロシェルダに近づく。
けれど一瞬見せた彼女の怯えるような表情は面白く無くて。
そのままロシェルダの元で跪けば、更に困惑も加わり彼女の顔は益々強張った。けれど今は……
「本当は君を庇ってくれたんだろう? 自分の従兄の事なのに頭に血が上って分からなかったんだ。君にも迷惑を掛けて申し訳なかった」
「え、ええ……」
そう言うと彼女は少しだけ意外そうに首を傾げ、小さく笑った。
今はまず信頼を得ないとならない。手遅れになる前に。
受けいる事しかして来なかった自分が、初めて歩み寄りたいと思った人。警戒を解いて、気を緩ませ、自分に向ける眼差しをあれ以上のものにしたい。
「良かった。ありがとうございます殿下」
そう言って笑うロシェルダの目元が優しげに細まり、ソアルジュもまた嬉しくなって笑った。
引きずられるように歩きながら、ロシェルダは声を張って彼の名を呼んだ。
全く反応が無かったその呼びかけに、ソアルジュはようやっと気づき、はっと身を竦めた。そのままどことなく気まずそうにロシェルダに視線を落とし、ぎょっと目を見開いた。
「なんだその格好は?」
「はあ?」
あまりの言いようにロシェルダは間の抜けた声を出す。
そもそもロシェルダは、ソアルジュが勘違いをしているのだと考えていた。
あの場では、見ようによってはオランジュがロシェルダに暴力を振るったと……そう思ってしまったのも無理が無いのかもしれないと、急いでソアルジュの誤解を解こうとしていたのに。
「君をそんな目に合わせた奴には必ず罰を与える」
据わらせた眼差しでソアルジュは口にした。
「いえ……それは、オランジュ様が……」
続きの言葉を紡ぐ前に、ソアルジュはロシェルダの顎を荒々しく掴み、叫んだ。
「その名を口にするな!」
◇
どうして! どうして!! どうして!!!
もう二度と会わないように遠く離れた領地と小さな爵位を与えてやった。
余計な真似をしたあいつ。
彼女から恋心を奪って行った。
自覚した途端にこれだ。リサのせいか、彼女を罰するべきか。
どうして? 自分とあいつの何が違う?
同じ病に罹り、同じ場所で会って、身分だって同じ貴族だ。
どうして……まだあいつをあんな目で見るんだ。
あいつは温厚なだけの甘ちゃんで、他に取り柄なんてない。自分で蒔いた種を自分で刈る事も出来なかった。見る目だって無い。なのに……
今まで抱いた事が無い、こちらを見ない者に対する憤り。
目眩が起こりそうな程腹が立っているのに、どうして胸の内だけはこんなに苦いんだ……
◇
自室に戻ればリサが血相を変えて近寄ってきて、ソアルジュの腕からロシェルダを攫い、あれこれ世話を焼いている。
改めて見ると彼女は酷い有り様だった。
後ろ盾の無い平民を城に放り込めばこんな事になるのか。
ソアルジュは唇を噛んだ。
上等な部屋を与えたつもりだった。そしてそれを彼女が喜ぶ筈だとも。だからこそ護衛なんて気が回らなかった。
そもそも何でもないと、あの時父に告げた自分の言葉に偽りは無かった。気づかなかっただけで。
「ロシェルダ……」
途方に暮れた思いで名前を呼べば、怯えたようにその肩が強張った。
リサがそっと肩を撫で、ロシェルダを宥める。
恐る恐る振り返るその顔は、眼差しは、先程従兄に見せたものとはまるで違う。先程の憤りはどこへ行ったのか、ソアルジュの心は暗く沈んだ。
……あの時、全てが無くなった。
積み上げて来たもの、与えられてきた幸運。
最後にそれら全てを取り上げられ、全く顧みられない、唾棄される存在に成り果てた。そしてそのまま閉じる筈だった自分の人生。
走馬灯のように流れるそれらの記憶の中で、触れた事の無いそれが自分を救った。
「もう大丈夫ですよ。私があなたを治します」
黒く染まった、元の姿など見る影もない自分の身体に、その人は恐れる事なく触れて来た。
そうして温かい手で、慈愛の眼差しで、懸命な処置で、自分は救われた。
(救われたんだ……)
暗闇から引き上げられたのは、身体だけでは無かった。
光に触れたのは心の方だった。
気づかなかった従兄は馬鹿な奴だ。
けれど感謝もしている。彼女を自分に引き合わせてくれたから。
もう自分が闇に囚われるのも、光の祝福を受けるのも、彼女次第。けれど……
「すまなかった」
ソアルジュは儚げに微笑んだ。
「勘違いしたんだ」
その言葉にロシェルダは僅かに身動ぎした。
「君が……怪我をしているようにも見えたけど、オランジュに掴まれていただろう? 困らされているのかと思った」
ロシェルダは少しだけ瞳を揺らし、思い当たるように顔を俯けた。
「でも……蹴らなくても……」
「走った勢いで足が出ただけだ」
ケロリと口にすれば、従者の親子が何とも言えないような顔で口を引き結んでいる。
「後で謝るよ」
そう口にすれば、ロシェルダはホッと息を吐いて表情を緩めた。
ソアルジュは意を決してロシェルダに近づく。
けれど一瞬見せた彼女の怯えるような表情は面白く無くて。
そのままロシェルダの元で跪けば、更に困惑も加わり彼女の顔は益々強張った。けれど今は……
「本当は君を庇ってくれたんだろう? 自分の従兄の事なのに頭に血が上って分からなかったんだ。君にも迷惑を掛けて申し訳なかった」
「え、ええ……」
そう言うと彼女は少しだけ意外そうに首を傾げ、小さく笑った。
今はまず信頼を得ないとならない。手遅れになる前に。
受けいる事しかして来なかった自分が、初めて歩み寄りたいと思った人。警戒を解いて、気を緩ませ、自分に向ける眼差しをあれ以上のものにしたい。
「良かった。ありがとうございます殿下」
そう言って笑うロシェルダの目元が優しげに細まり、ソアルジュもまた嬉しくなって笑った。
13
あなたにおすすめの小説
『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!
aozora
恋愛
『時代遅れの飾り人形』――。
そう罵られ、公衆の面前でエリート婚約者に婚約を破棄された子爵令嬢セラフィナ。家からも見放され、全てを失った彼女には、しかし誰にも知られていない秘密の顔があった。
それは、世界の常識すら書き換える、禁断の魔導技術《エーテル織演算》を操る天才技術者としての顔。
淑女の仮面を捨て、一人の職人として再起を誓った彼女の前に現れたのは、革新派を率いる『冷徹公爵』セバスチャン。彼は、誰もが気づかなかった彼女の才能にいち早く価値を見出し、その最大の理解者となる。
古いしがらみが支配する王都で、二人は小さなアトリエから、やがて王国の流行と常識を覆す壮大な革命を巻き起こしていく。
知性と技術だけを武器に、彼女を奈落に突き落とした者たちへ、最も華麗で痛快な復讐を果たすことはできるのか。
これは、絶望の淵から這い上がった天才令嬢が、運命のパートナーと共に自らの手で輝かしい未来を掴む、愛と革命の物語。
【完結】公爵令嬢に転生したので両親の決めた相手と結婚して幸せになります!
永倉伊織
恋愛
ヘンリー・フォルティエス公爵の二女として生まれたフィオナ(14歳)は、両親が決めた相手
ルーファウス・ブルーム公爵と結婚する事になった。
だがしかし
フィオナには『昭和・平成・令和』の3つの時代を生きた日本人だった前世の記憶があった。
貴族の両親に逆らっても良い事が無いと悟ったフィオナは、前世の記憶を駆使してルーファウスとの幸せな結婚生活を模索する。
元平民だった侯爵令嬢の、たった一つの願い
雲乃琳雨
恋愛
バートン侯爵家の跡取りだった父を持つニナリアは、潜伏先の家から祖父に連れ去られ、侯爵家でメイドとして働いていた。18歳になったニナリアは、祖父の命令で従姉の代わりに元平民の騎士、アレン・ラディー子爵に嫁ぐことになる。
ニナリアは母のもとに戻りたいので、アレンと離婚したくて仕方がなかったが、結婚は国王の命令でもあったので、アレンが離婚に応じるはずもなかった。アレンが初めから溺愛してきたので、ニナリアは戸惑う。ニナリアは、自分の目的を果たすことができるのか?
元平民の侯爵令嬢が、自分の人生を取り戻す、溺愛から始まる物語。
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
元婚約者からの嫌がらせでわたくしと結婚させられた彼が、ざまぁしたら優しくなりました。ですが新婚時代に受けた扱いを忘れてはおりませんよ?
3333(トリささみ)
恋愛
貴族令嬢だが自他ともに認める醜女のマルフィナは、あるとき王命により結婚することになった。
相手は王女エンジェに婚約破棄をされたことで有名な、若き公爵テオバルト。
あまりにも不釣り合いなその結婚は、エンジェによるテオバルトへの嫌がらせだった。
それを知ったマルフィナはテオバルトに同情し、少しでも彼が報われるよう努力する。
だがテオバルトはそんなマルフィナを、徹底的に冷たくあしらった。
その後あるキッカケで美しくなったマルフィナによりエンジェは自滅。
その日からテオバルトは手のひらを返したように優しくなる。
だがマルフィナが新婚時代に受けた仕打ちを、忘れることはなかった。
竜帝に捨てられ病気で死んで転生したのに、生まれ変わっても竜帝に気に入られそうです
みゅー
恋愛
シーディは前世の記憶を持っていた。前世では奉公に出された家で竜帝に気に入られ寵姫となるが、竜帝は豪族と婚約すると噂され同時にシーディの部屋へ通うことが減っていった。そんな時に病気になり、シーディは後宮を出ると一人寂しく息を引き取った。
時は流れ、シーディはある村外れの貧しいながらも優しい両親の元に生まれ変わっていた。そんなある日村に竜帝が訪れ、竜帝に見つかるがシーディの生まれ変わりだと気づかれずにすむ。
数日後、運命の乙女を探すためにの同じ年、同じ日に生まれた数人の乙女たちが後宮に召集され、シーディも後宮に呼ばれてしまう。
自分が運命の乙女ではないとわかっているシーディは、とにかく何事もなく村へ帰ることだけを目標に過ごすが……。
はたして本当にシーディは運命の乙女ではないのか、今度の人生で幸せをつかむことができるのか。
短編:竜帝の花嫁 誰にも愛されずに死んだと思ってたのに、生まれ変わったら溺愛されてました
を長編にしたものです。
駆け落ちした姉に代わって、悪辣公爵のもとへ嫁ぎましたところ 〜えっ?姉が帰ってきた?こっちは幸せに暮らしているので、お構いなく!〜
あーもんど
恋愛
『私は恋に生きるから、探さないでそっとしておいてほしい』
という置き手紙を残して、駆け落ちした姉のクラリス。
それにより、主人公のレイチェルは姉の婚約者────“悪辣公爵”と呼ばれるヘレスと結婚することに。
そうして、始まった新婚生活はやはり前途多難で……。
まず、夫が会いに来ない。
次に、使用人が仕事をしてくれない。
なので、レイチェル自ら家事などをしないといけず……とても大変。
でも────自由気ままに一人で過ごせる生活は、案外悪くなく……?
そんな時、夫が現れて使用人達の職務放棄を知る。
すると、まさかの大激怒!?
あっという間に使用人達を懲らしめ、それからはレイチェルとの時間も持つように。
────もっと残忍で冷酷な方かと思ったけど、結構優しいわね。
と夫を見直すようになった頃、姉が帰ってきて……?
善意の押し付けとでも言うべきか、「あんな男とは、離婚しなさい!」と迫ってきた。
────いやいや!こっちは幸せに暮らしているので、放っておいてください!
◆小説家になろう様でも、公開中◆
聖女は王子たちを完全スルーして、呪われ大公に強引求婚します!
葵 すみれ
恋愛
今宵の舞踏会は、聖女シルヴィアが二人の王子のどちらに薔薇を捧げるのかで盛り上がっていた。
薔薇を捧げるのは求婚の証。彼女が選んだ王子が、王位争いの勝者となるだろうと人々は囁き交わす。
しかし、シルヴィアは薔薇を持ったまま、自信満々な第一王子も、気取った第二王子も素通りしてしまう。
彼女が薔薇を捧げたのは、呪われ大公と恐れられ、蔑まれるマテウスだった。
拒絶されるも、シルヴィアはめげない。
壁ドンで追い詰めると、強引に薔薇を握らせて宣言する。
「わたくし、絶対にあなたさまを幸せにしてみせますわ! 絶対に、絶対にです!」
ぐいぐい押していくシルヴィアと、たじたじなマテウス。
二人のラブコメディが始まる。
※他サイトにも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる