上 下
7 / 35

7. ラッセラード男爵家③

しおりを挟む

「イーライ、久しぶりだ。少し寄っていきなさい」
 話し合いが無事に終わり、男爵はイーライ神官に声を掛けた。
 気に入らないところでもあっただろうか、なんて僅かにどきりと胸が跳ねるものの、家族なのだ。何も言わずに帰ってしまうのも、そっけない。

「兄上、今日私はレキシー様をエスコートしているのですが……」
「いいえ! イーライ神官様、久しぶりだと仰っていらっしゃいましたじゃないですか! 私は一人で帰れますから、どうぞご家族の方とお過ごし下さい」
 ここは私が押さないと。

「……はあ」
 何だか気のない言葉を返すイーライ神官の背中を物理的にも押し、私は男爵に視線を送った。
「レキシー様もそう仰って下さっている。少しくらい家族に顔を見せてくれ」
「分かりました……ではせめて玄関まで送らせて下さい」
「あ、はい。ありがとうございます……あの、男爵様。実はフェンリー様にお願いがあるのですが……」

 言い出すタイミングが分からず、帰り間際になってしまったけれど。婚約者を探すに当たり、どうしても把握しておきたいのがフェンリー様の事だ。
 その為には男爵だけでなく、フェンリー様にも許可して欲しい事がある。

「……いいですよ。ではそれは後ほどフェンリーに確認させましょう」 
 ホッと息をつくとイーライ神官が続きを引き取ってくれた。
「そちらは私が間に入ります、レキシー様」
「ありがとうございます」

 少しばかり頼みにくい事なのでありがたい。黙って見守る男爵もまた、自分に任せる心づもりでいるようで、喜びがじわりと湧き上がる。
 男爵にはきっと、沢山ある交渉の一つでしか無いのだろうけれど。何かを成し遂げたこの瞬間は、いつも嬉しい。

「この度は誠にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い致します」
 私は深く頭を下げて、男爵へ謝意を示した。
 励ますように背中を支えるイーライ神官の手が温かくて、気持ちと共に頬も緩む。

 呆れたような男爵の顔が視界の端を掠め、込み上げた羞恥を隠すべく。私は平静を装いカーテシーで礼を尽くした。


 その後はなんかもうあまり覚えていない。
 玄関で居並ぶ使用人の皆さんが気になってしまい、イーライ神官の言葉は気もそぞろだったし、もう集中力が切れた。……流石先代の叙爵に一役買った実力者。人並みの私の胆力では厳しかったらしい。

「イーライ神官様、本日は本当にありがとうございました」
 改めてお礼を言うと、イーライ神官はいつものようににっこりと笑ってみせた。

「いえ、レキシー様のお力になれて嬉しい限りです。何かありましたら直ぐ私に言って下さいね」
「ええ……」
 出来れば自分だけで解決したいところだが、厚意を無下に出来るような立場でもない。
「ありがとうございます」
 素直に従って礼を取り、身を翻そうとしたところで、ぐっと腕と腰を取られた。

「ではまた」
 耳に直接送り込まれた声に硬直していると、顔を赤らめる使用人たちと何故か共に並ぶフェンリー様が目に入り、羞恥に目の前がチカチカした。
 何故今このタイミングで──っ

「おや、何だかお顔が赤いようですが、やはりお送りしましょうか?」
「はいっ? いいえ、要りませんっ! お構いなくー!!」
 ばりっと音がしそうな勢いで、我が身を色気を撒き散らす神職から引き離す。そしてとにかくもう急いで馬車へと駆け込んだ。


「うわあああー……!」
「お、お嬢様? どうしました? 交渉が上手くいきませんでしたか?」
 バタンと馬車のドアが閉まると同時に席にくずおれる私に、馬車で待機していたマリーがぎょっと目を剥いていて立ち上がった。

「いいえ、マリー。交渉は上手くいったわ。……そうよ、今日私は頑張り過ぎたのだわ。だからあんな変な妄想を最後に見たのよ。そうだ、そうだわ……て、私ってばそんな妄想を真昼間から──はしたなくないっ?!」
 じたばたと悶える私に何かを察したのか、マリーは、ああと呟いてから、私の背中をぽんぽんと叩いた。

「……大丈夫ですよお嬢様。人間疲れていれば馬鹿な妄想もしますから。頭の中の話なら何が起こってもはしたなくなんてありませんよ」
「そ……そう、よね──そうよね??」
 うんうんそうだ。

「だからうずくまってないで、きちんと座って下さいな。帰りましょう。今日上手くいったとて、これからフェンリー様の婚約者候補の交渉をしなくてはならないんでしょう? これで終わりでは無いんですから」
 その言葉にがばりと身を起こす。

「そうよね、そうだったわっ。これからよ!」
 ──そして
 あれは、何でもない事。
 私が慣れてないから、意識してしまっているだけの事なのだわ……

 私は急いで意識を現実に呼び戻し、どきどきする胸を何とか落ち着かせようと息を整えた。

「さあ、では帰るわよ! 次の仕事が待ってるわ!」
「……はい」
 くすりと漏らすマリーの笑みが、車窓の外に向けられると共に抜け落ちたように表情を無くす。
 けれどそんな様子は燃え上がるレキシーには映らない。マリーもまたいつものように優秀な侍女として、表情を戻し、前を見据えた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

錬金術師の性奴隷 ──不老不死なのでハーレムを作って暇つぶしします──

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:411pt お気に入り:1,372

夫の浮気相手と一緒に暮らすなんて無理です!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,611pt お気に入り:2,711

真面目だと思っていた幼馴染は変態かもしれない

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:603pt お気に入り:373

9歳の彼を9年後に私の夫にするために私がするべきこと

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,507pt お気に入り:105

桜天女

恋愛 / 完結 24h.ポイント:667pt お気に入り:1

中学生の弟が好きすぎて襲ったつもりが鳴かされる俳優兄

BL / 連載中 24h.ポイント:418pt お気に入り:152

処理中です...