【完結】京都若旦那の恋愛事情〜四年ですっかり拗らせてしまったようです〜

藍生蕗

文字の大きさ
40 / 49

38. 待ち合わせ

しおりを挟む

「あら、おいでやす乃々夏はん。どうしました?」

 いつものように文机に座り、書き物をしているこの旅館の仲居頭の三芳。乃々夏はいつものように、にこりと微笑んだ。
 けれど、どこか三芳は気付いているのだろう。気まずげに視線を逸らし、一つ息を吐いた。

 ……きっとここにもう、乃々夏の居場所は無いのだ。
 分かっていたような、知りたくなかったような、そんな事。
 
 ◇

『四ノ宮家の息子はハズレだった』
 乃々夏が十歳の時、父がそんな事を言っていた。
『もう落ち目やありまへんの? あの家も。いい加減東郷家が目を掛ける必要もありまへんわ』
 着物の袖口で口元を隠し、母が眉間に皺を寄せる。

『眉唾ですわ、予言だか占いだかに縋るなんて。乃々夏も良かった事。これでもっと将来性のある人のところに嫁げますわ』
 ほっと息を吐く母に対し、今度は父が眉間に皺を寄せた。

『しかしあの家と縁が切れるんはよくない』
『まあ、あなたはあんな胡散臭い家にまだ未練があるんですの?』
『……お前に東郷家の何が分かる』
『またそうやって家を盾に私を追い払おうとして!』
『歩み寄ろうとせんのは、そっちやろ』
『家門と家族とどっちが大事なんです!』
『何でそうなるんや!』

『……お嬢様』
 いつものように始まった夫婦喧嘩を乃々夏は息を殺して聞いていた。その場から離れ、部屋に逃げ込んでも、きっと母が押し入って来るだろう。そうなってしまうとその場で一人、母が父を詰る言葉を聞かなくてはならない。
 それよりは、ここで二人の話に耳を傾けて、やがて自分に矛が向いた時、父がそれを払ってくれる事を期待した方がいい。

 いずれにしても母が落ち着くまで一人にはならない方がいい。
 乃々夏はそっと声を掛けてきた従者の青年を振り仰いだ。

 まだ十八歳と年若い彼は四ノ宮家の代々の側仕えで、今代も東郷と四ノ宮の関係が揺るぎないものである事の証となり、東郷家に奉公に上がっている。

『何、辻口』
 令嬢として、乃々夏は旧華族の夫人に礼儀を躾けられた。だからどんな時でもたおやかに。目の前で父母の口論が繰り広げられようと平静で。
 そんな乃々夏を辻口は痛ましそうな眼差しを向けた。

『席を外しますか?』
 その言葉に首を横に振る。
 そんな事をすれば母は辻口を責めるだろう。四ノ宮を嫌う母は、当然その家から寄越された彼の事もよく思っていない。手近にいる、四ノ宮の使用人は、母にとって一番都合のいい目の敵なのだ。

 ……せめて父が母をもう少し慮ってくれたなら。母もこれ程ヒステリックな怒りを見せないだろうに。

 乃々夏は別に気にならない。
 二人の口論は乃々夏の為でもせいでも、事でも無いからだ。
 けれど聞いていないと叱られる。関心を示していないと失望される。
 乃々夏はこの家の一人娘で、東郷家をついでいく唯一の存在だから。
『大丈夫よ』
 そう言えば辻口はいつものように乃々夏の背後で静かに佇んでいてくれた。
 
 十五歳の時、朔埜を四ノ宮家の現当主が引き取り、その可能性を見い出した。それに父は喜び、母は怒りを見せた。
『あんな外腹の子に乃々夏をやれ言うんですか!』
『東郷家が長年待っていた、正当な次期当主や』
『何が正当なんです! 卑しい女から産まれた汚らしい子や!』
『……言葉が過ぎる。お前の考えと口の方が余程汚らしい』
『なっ、あ、あなた……何て事を……』
『この件に関してはお前の言う事を一切聞く気はない。気に入らんなら東郷家を出て行け』
『まさか、警察庁幹部のあなたが離婚なんて……』
『東郷がずっと大事にしてきたもんや、お前に何が分かる』
『またそれですか! ええ、ええ、分かりまへんとも!』


 結局乃々夏は父に従った。
 そうせざるを得なかったからだ。
 母の実家も名家の一つではあるけれど、それでも父に異を唱えられる程の力はで無かった。

『ねえ乃々夏、この方はどう?』
 次第に母に、これと決めた男性と引き合わされるようになった。
 やんわりと断っても、泣かれるか、怒り出すか……しかしやがてどんな良縁でも頷かない乃々夏に母は焦れ、強行手段を取られるようになった。


『──いいこと、乃々夏。これはあなたの為なのよ』
 そう言って、何度も乃々夏との縁を望む輩と、無理をさせてきた。
『子供が出来ればあの人だって無視はできないもの。いい事、何度も言うけれどこれはあなたの為なの』

 逃げ去る母の捨て台詞。
 そんな母の愛は、娘が見知らぬ男に組み敷かれる事を良しとする事なのか……
 どんな顔をしていいか分からない乃々夏と違い、男は喜びと興奮を抑えられない顔をしていた。


 そんな男の頭を撃ち、昏倒させ辻口が乃々夏をベッドから引き上げ、苦々しく告げる。

『抵抗して下さい』
『……何に? お父様もお母様も家の為、私の為に尽くしているのよ。それなのに片方の言葉だけ聞くのは、おかしいじゃない……』
 乃々夏に縋る母の顔が頭から離れない。
 それでいて覆る筈もない、父の決定に抗えない自分がいる。

『あなたの気持ちを優先して下さい』
『そんなもの、誰も必要としていないわ……』
 父も、母も、大旦那様も、朔埜だって……

 必要なのは、東郷の一人娘で……

『あなたが必要なものを選んで下さい』
 その言葉にはたと顔を上げる。
『あたしが……?』
 そう呟くと辻口は迷いなく頷いた。
『誰か、ではなく、自分の心に委ねるのです。それに反するものは、捨てていいのですよ』
 乃々夏は首を横に振った。

『でも、あたしは東郷家の一人娘なの……』
『はい、大事なお嬢様です。だからこそ、私はあなたの護衛であり、味方であるとご理解下さい。あなたを守る事は確かに四ノ宮の命令です。ですが、身体に傷が無ければ問題ないという事はないのです』
『……守ってくれる?』
『はい、我が身に代えても』
 戦慄く口元をぎゅっと引き結んだ。

 ──そうね

 ずっとあなたは私を守ってくれたものね。
 気付きたく無かったけれど……
 だって、あなたを一番にしてしまったら、あたしはどうしたらいいの?
 必死に繋ぎ止めて来た家族の絆が、きっと解けてしまうだろう。
 自分の存在意義も、無くなってしまうかもしれない。そうしたら結果、……あなたに守って貰う価値が、無くなってしまうというのに。

『あたし、朔埜と結婚するわ』

 その言葉に辻口は表情も無いまま頷いた。

『あたしが東郷の娘を全うする限り、お母様もその母親であるのだから……』

『はい。お言葉、確かに承りました』

 静かに口にする男に乃々夏はゆるりと頷いた。
 彼もまた、家に縛られているのかもしれない。けれど──その心はきっと、その使命とかけ離れたものでは無いのだろう。

『あの人を誘惑すればいいのよね、望む事だって何でもしてあげる。……好きになって貰うよう、努力するわ』
『はい……』

 そっとその様子を窺えば、辻口は静かな瞳で乃々夏の話に耳を傾けていた。ただ、それだけだった。

『聞いて辻口! 朔埜ったら誘惑しても、はぐらかされちゃうの~!』
『……そうですか』
『ちょっと挑発したら子供作るか、なんて押し倒して来たくせに! やっぱもっとおっぱい大きくなってからとか言われた~!』
『…………そうですか』

 淡々と、辻口は朔埜のそんな顔を思い浮かべながら返事をしていた。
 朔埜も乃々夏の事情を知っている。
 相手にしない訳にはいかないのは、お互いの利害が一致しているからだ。
 ……けれど婚約期間を設け時間を掛けるほど、頭と気持ちは乖離して、自身の感情は追いついていかない。それもお互い、一緒のようだった。

 もし彼が本気で結婚を決めたなら、乃々夏の母の説得とて容易いだろうに。
 それが出来ないのは、自身の境遇から救ってくれた祖父への恩と、消せない気持ちの間で葛藤を抱えているから。
 
 ◇

 家というのは厄介だと思う。
 見切りをつけるには余程の理由と決断がいるし、家にいる誰かの為に自己を犠牲にする事も否めない。そしてやがてその部分すら自分の一部になっていく。

 そうして選んだものがその人の選択ならば、きっと後悔は無いのだろうけれど。

 どうしてか、痛ましいと思ってしまう。
 どうしてか、それでいいのかと思ってしまう。
 どうしてだろう。あたしは自分で選んだのに……
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!

ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。 相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。 結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。 現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう… その時に前世の記憶を取り戻すのだった… 「悪役令嬢の兄の婚約者って…」 なんとも微妙なポジション。 しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。

行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました

鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。 けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。 そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。 シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。 困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。 夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。 そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。 ※他投稿サイトにも掲載中

有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
お気に入り1000ありがとうございます!! お礼SS追加決定のため終了取下げいたします。 皆様、お気に入り登録ありがとうございました。 現在、お礼SSの準備中です。少々お待ちください。 辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

セイレーンの家

まへばらよし
恋愛
 病気のせいで結婚を諦めていた桐島柊子は、叔母の紹介で建築士の松井卓朗とお見合いをすることになった。卓朗は柊子の憧れの人物であり、柊子は彼に会えると喜ぶも、緊張でお見合いは微妙な雰囲気で終えてしまう。一方で卓朗もまた柊子に惹かれていく。ぎこちなくも順調に交際を重ね、二人は見合いから半年後に結婚をする。しかし、お互いに抱えていた傷と葛藤のせいで、結婚生活は微妙にすれ違っていく。

王宮地味女官、只者じゃねぇ

宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。 しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!? 王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。 訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ―― さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。 「おら、案内させてもらいますけんの」 その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。 王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」 副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」 ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」 そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」 けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。 王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。 訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る―― これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。 ★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。

愛のない結婚をした継母に転生したようなので、天使のような息子を溺愛します

美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
目が覚めると私は昔読んでいた本の中の登場人物、公爵家の後妻となった元王女ビオラに転生していた。 人嫌いの公爵は、王家によって組まれた前妻もビオラのことも毛嫌いしており、何をするのも全て別。二人の結婚には愛情の欠片もなく、ビオラは使用人たちにすら相手にされぬ生活を送っていた。 それでもめげずにこの家にしがみついていたのは、ビオラが公爵のことが本当に好きだったから。しかしその想いは報われることなどなく彼女は消え、私がこの体に入ってしまったらしい。 嫌われ者のビオラに転生し、この先どうしようかと考えあぐねていると、この物語の主人公であるルカが声をかけてきた。物語の中で悲惨な幼少期を過ごし、闇落ち予定のルカは純粋なまなざしで自分を見ている。天使のような可愛らしさと優しさに、気づけば彼を救って本物の家族になりたいと考える様に。 二人一緒ならばもう孤独ではないと、私はルカとの絆を深めていく。 するといつしか私を取り巻く周りの人々の目も、変わり始めるのだったーー

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

処理中です...