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39. 助っ人
しおりを挟む駆け込んだ庵の中、土間の向こうには仕切りがあった。
史織は躊躇いながら、その仕切りに手を掛ける。
「すみません!」
とは言え勢いに任せ開く事は出来ず、小さく隙間から中を覗き込む。
「どなたかいらっしゃいませんか?!」
懇願に似た思いで叫べば背後から手首をがしりと掴まれた。
「史織さん」
ぎくりと強張る身体に思考が追いつく。けれど、
昂良の声とは違うもの……
恐る恐る振り返れば、そこには深い皺の刻まれた厳つい顔に驚きを浮かべ。朔埜と似た瞳を持つ老人──彼の祖父、水葉が佇んでいた。
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「やあ、すまない。ご令嬢の手を不躾に掴んでしまって。……ただここは従業員は入らないようにしているものだから、あなたの服装を見てつい。気付いたのも横顔が目に入った瞬間で……」
あわあわと言い訳のように言い募る水葉に、史織はぱちくりと瞳を瞬いた。
「いえ、その……こちらこそすみません。許可なく入ってしまって……」
どこかほっと気持ちが軽くなる思いで、水葉に目を細める。
「いいんじゃよ、あんたなら……でもきっと朔埜が連れてくるんだろうと思っとったから、その予想は外れたかな。やっぱり儂に予言の才能は無いようじゃのう」
そう言って溜息を吐き、戸口に目を向ける。
「昂良よ、何故お前が史織さんを追いかけまわす。質の悪い考えは切り捨てよ」
戸口の影で誰かが身動ぐ気配がした。
「──人聞きが悪い。俺はただ、史織さんと話をしていただけですよ。話の途中で急に駆けて行ってしまったから、心配になって追っただけです」
そっと顔を覗かせれば、その柔和な面立ちには眉が顰められ、先程から僅かに余裕が削がれているように感じられた。
水葉に緊張しているようだ。
水葉は祖父より少し若いくらいだろうか。
そんな水葉の、まだ逞しさの残る身体の影に隠れ、史織は昂良からそっと視線を外した。
「私は……家に確認したいと言いました。お話を聞いて貰えないようでしたから、失礼させて頂いただけです……」
「話ならいくらでもしましょう、だからもっとちゃんと俺を見て下さい。俺はあなたにも自分を知って欲しい。同じ気持ちで思い合いたいのです」
「会ったばかりでそんな事を言われましても……」
この人は何を急いているのか。
自分を見て欲しいと言いながら、そんな時間を与えようとしない。
「昂良、人の物を欲しがるのは止めなさい」
ぴしゃりと告げる水葉に、昂良がぴくりと固まった。
「元々全部僕のだったものだ。僕が知る前に、あいつが……僕が欲しがるものばかり、先に手にしてったから……」
そう言ってジロリとこちらを睨む昂良に史織は肩を震わせた。
「今この人は歴としたおれの婚約者だ」
「私は……了承していません」
「……っ、何で! 何が不満なんだ! 僕とあいつの、何が違う!?」
「あいつって……」
今や第一印象の好青年はどこへやら。ぎらつく眼差しに史織は益々水葉の影に潜む。
「朔埜じゃよ」
そう言われて史織もはたと気付く。
昂良がムキになっているのは、どうやら朔埜への劣等感からのようだ。
「……お祖父様には関係ないでしょう」
「あるよ、儂はお前たちの祖父で四ノ宮の現当主やからな」
「そう言って、お祖父様は何でも兄にあげてしまうではないですか!」
激昂する昂良を気に留めず、水葉は冷えた眼差しで昂良を射抜いた。
「儂は元々お前の物を誰かにやるような事はしていない。千田との縁談も、朔埜が麻弥子さんと結婚すると言ったら、お前は彼女を選んだのか?」
「いいえ、お祖父様。俺は兄の婚約者も結婚相手も望んでいません……未来じゃない。俺が過去に得られる筈だったものを返して欲しいだけです」
「お前という奴は……」
話を聞いていても昂良が何を欲しているのか分からないが、返して欲しいとは何だろう。ともあれ自分とは関係無いと少し力が抜けた。
けれどその矢先に昂良からのじとりとした視線がこちらを射抜き、再び身が竦む。
「史織さんは関係ないだろう。……全く、何不自由なく育てたというあやつらの価値観を、信じるべきでは無かったな……」
「お祖父様、そこをどいて下さい」
「どいたら儂は朔埜に叱られるじゃないか」
「……ほら。お祖父様だって、あいつの方が大事なんじゃないか。あなただってもう、朔埜のものだ」
「……」
……何だろうと思う。
何とも言えない顔の老人と、変わらずぎらつく眼差して史織を睨む昂良とを、交互に見る。
先程から昂良は朔埜の事ばかり気にしている。
兄弟間の事はよく分からないけれど、やはり兄へのコンプレックスが原因のようだ。
「あの……」
一見完璧な彼にどんな複雑な心境があるのかは分からない、分からないが。
「私はあなたと結婚するつもりはありませんが、もししたとしても、若旦那様は関係ありませんよ」
言っても伝わらないかもしれないが、史織が抵抗するとしたらこれくらいしかない。
「私は若旦那様のものなんて、何も持っておりませんから」
それに自分は朔埜の何でもない。
そう伝えたいけれど、言葉は重く、やっと言えた台詞は言い訳のような言い回し。
どこか驚いたような昂良から目を逸らす。
「……でも君は、兄が好きなんだろう?」
「なっ……」
わざと遠回しに伝えた意味を考えて欲しい。
多分赤らんだであろう史織を見て、昂良は口角を上げた。
「だったら分かる筈だ。好きなものを欲しいと、手を伸ばすのは人として当然だろう?」
あなたは私を好きではないでしょうと言いたい。
けれど一旦それは脇に置いておく。
「……ですが、それをすれば嫌がる相手もいるではありませんか。それは、気にならないんですか?」
眼裏に浮かぶのは、乃々夏さん。
例え史織が我を通したところで、朔埜に彼女がいる以上は無理だ。
だって自分の気持ちを優先して、思いだけでもと彼に伝えたら。応えられないけど、ありがとうと言われたら。
……きっと罪悪感が胸を軋ませる。
「言っただろう、俺が望むのは過去にあいつに掠め取られたものだ──史織さん」
再び紳士の仮面を着け、笑みを浮かべる。
「君が俺と結婚してくれる事は、今迄すり抜けていった全てのものよりも価値がある。俺にとって君は、それくらい貴重な存在なんだ」
甘い顔に笑みを浮かべて差し出された手。プロポーズの言葉のように聞こえなくもないが……
「……別の何かで埋め合わせ、という言葉は聞いたことがありますが……私はあなたの人生をひっくり返す程の価値を示せませんよ。私はあなたがよく分からないと思っていますが、そもそもあなた自身そう思っているんじゃありませんか? 私にはあなたが自分を見失っているように見えます」
ぴくりと指先が反応するのが見えた。
「落とし物に今迄気づかないくらい、恵まれていたんでしょう。私だったら大事なものを落としたら、すぐに探しに行きますよ」
だからあなたが今手を伸ばしているものは、決して大事なものじゃない。と、暗に示しておく。
けれど昂良は混乱を瞳に宿しながらも、史織を見る目に固執という力を込める。
「……気付かなかった事は謝るよ。僕の周りは常に人も物も溢れ返って飽和状態なんだ。でも、これからはちゃんと大切にするから」
水葉のをすり抜けて、昂良は史織の腕をがっと掴んだ。
「あっ、こら昂良!」
渋面の水葉をそのままに、昂良の元に引き寄せられ、その目を間近に見てしまう。
一体何を見ているのか。目が合っている筈なのに、もっと奥深くを探られるような、食い入るような眼差しに身体が強張る。
「やめ……」
怖い。
深く昏いこの人の目は、何も写さず飲み込んでいく、底無しの沼みたいだ。
「やめ、言うてるやろ──!」
ガッと鈍い音と共に昂良が横に弾かれた。
体制を崩す昂良から牽制するように、背中に史織を隠すように立ちはだかるのは朔埜だ。
ホッとして、思わず伸ばしそうになる手を握り込む。
「兄さん……何しに来てんだよ、乃々夏さんは?」
口の中を切ったらしい昂良が、苦い顔で朔埜を睨んだ。
「お前に関係ないやろ」
朔埜もまた昂良に歯を剥いて牽制した。
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