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41. 四ノ宮 昂良④
「婚約者を蔑ろにするような人ですよ、史織さん。そんな奴の背後に隠れているあなたも、卑怯ですね」
ぎくっと身体が強張る。
「おい──」
「本当の事ですよ、決まった相手がいるのに違う人に粉を掛けるのは不貞と言うんです。史織さん、あなたは僕の婚約者なんですよ、いい加減我儘を言うのは止めて下さい」
手を伸ばす昂良が目に入り、朔埜の背中で嫌々と首を横に振る。
「……お前が俺の周りを何か探ってんのは知ってたけどな。史織にちょっかいを出すような真似をしてくるとは思わんかったわ」
「僕が誰を手にしようと兄さんには関係ないでしょう。あなたは今迄のように与えられたものをありがたがっていればいいんです」
「お前は馬鹿か」
そう言われて初めて昂良はやっと朔埜に目を合わせた。
「俺は別にここにいたい訳やない。用が無いなら今からでも出て行く」
その言葉に昂良は目を剥いているが、いつの間にか上り框に腰掛けていた水葉は空を仰いでいた。
「ここにあるもんが全部お前のもんやと言うなら好きにすればいいやろ。けど史織は違う。こいつを見つけたんは俺や」
いつの間にか、ぎゅっと手を掴まれて、こんな時なのに胸がじいんと疼いてしまう。
「嘘だ! 捨てられる筈がないだろう! お前は……帰る場所も無くなるんだぞ……それでも……」
「それでも史織を盗られるよりましや」
ばっさりと言い切る朔埜に昂良は表情を無くし固まってし、それを見届けた朔埜が踵を返す。
掴まれた手を引かれるままに。史織は朔埜と共に庵を出た。
◇
「……他人に敵視されるのが好きか、昂良」
そう言われて昂良ははた、と声の主に目を向けた。
迫っていた女は兄に連れ去られた。
……いつもこうだ。
今度こそ本物だと喜べど、手に入れば形を変え輝きを失ってしまう。手に入れても込み上げる喪失感。
けれど今度は昂良は指先にすら触れられ無かった。
手を伸ばして届かなかったのは、やはり初めてだ。
昂良が望めば誰でも最後には振り返ったから。
きっと彼女も、そうだけど。
でも今回は兄がいたから、そうしたいと思った──
だから、
「兄さんだけが、ずっと僕に存在意義をくれたんです」
自分の本心に眉を顰める。
その吐露を引き出し、聞き耳を立てるのが祖父だというのも気に入らない──それなのに、溢れ出した思いは言葉になって留まらない。
望んで、足掻いて、渇望した。
本当は周りが思っている程、何でも持っている訳ではない。それに気付かせてくれた、恩人で、略奪者な兄。そんな彼に抱くのは感謝と憎悪。
同じ思いを彼も抱けばいいと思った。
不幸を望んだのではない。
ただそれで対等になれると思ったから……
「儂が思っていたのとは違うんじゃなあ」
静かに頷く祖父に昂良は顔を上げた。
祖父は自分に何の関心も持たないと、それは子供の時に体感済みだ。
それなのに、彼が今更昂良に何を思うというのか……
「後ろめたかったんじゃろ、お前は。誰に対しても」
その言葉に昂良はぴくりと反応した。
裕福な家庭に恵まれた容姿、秀逸な頭脳に不思議と人を惹きつける人柄。
全部持っているから当然なんだと、言われてきた。
「……何を、言ってるんですか」
最初は羨む者たちに自分を知って欲しかった。自分だって悩みくらいある。皆と同じ、ごく普通の存在なんだと。
けれど次第に、寄り添っても縮まらない距離に虚しさを覚えた。
やがて年頃になると、好きだと熱心に告げてくる女子が増えた。もしかしたら付き合う恋人なら分かってくれるかもしれない。
けれどそうやって彼女たちを受け入れても、いつも満たされて幸せなのは相手だけだった。
自分はこれが楽しいのか分からない。
一緒にいる相手に喜んで欲しいと思う。けれどお前は、笑っていればそれでいいのだと言うように。皆それだけしか許してくれない。
誰も自分の葛藤に気付かない。
両親の思考が理解できず苦しくても、裕福だから。彼女と上手くいかなくても、見目がいいから。試験勉強を頑張ったんだと言っても、頭がいいから。
誰かと縁を切っても──あいつは自分たちとは住む世界が違うから。
誰からも目を背けられているようだった。
それが辛くて、やがて……ごめんなさいと。
僕は狡いんだと。
だから、
もっと人として、受け入れて欲しい。
本当の僕は、こんなに醜い──
「自分の代わりにお前を嫌ってくれる人が欲しかったか……大事にされるのは、そんなに苦痛か。いや……お前の悩みは飽和したお前の環境か」
「……」
ぎり、と歯軋りをする。
「昂良や。儂が朔埜を引き取ったのは、まだ一人で生きていけない子供だったからではない。……家の為だ。あやつはここを継ぐ可能性があったから」
悔しい。
「誰の為でも無く、儂の為じゃ。乃々夏さんと婚約を結ばせたのも、それが良いだろうと、儂がそう思ったからだ。……昂良」
何故この人は、この人の言葉は。
「お前が望むなら、しがらみを捨てる事を誰も咎めない。本当に史織さんが欲しいなら、誰かを通して見るのは止めなさい。そうじゃなければ、ずっと。自分で自分を歪みに縛りつける事になる」
固辞した自分の心を簡単に暴くのか。
一度会っただけの癖に──
「堕ちないと……分からないと思ったから……」
声が震えた。
それは、兄に向けたものとは違う喜びからだ。だって、
「誰も、分かってくれないと……」
大きな家は寂しかった。
沢山の人に囲まれながら一人でいるみたいに感じていた。それを埋めるものが欲しかったのだ。
こんな風に声を掛けて欲しかった。
祖父の手が肩に置かれた。
重い、けれど温かい。
顔が歪む。
それ以外誰も許してくれなかった、自分の心が表に現れる。けど、
「お前を否定する資格など、他の誰にもない。幸せになりたいのなら、もっと自分を愛する事を学びなさい。言いたい奴には言わせておけ。それで例え手を取りあえなくとも、いつか違う形となってお前に残る。だからもう、誰かの為に理想を背負い込むのは止めなさい」
「……僕の事なんて、何も知らないくせに」
祖父の言葉に項垂れる自分がいる。
それと同時に今迄築き、根付いた価値観が、昂良の根底で争い始める。
理想を、綺麗事も、通用しなかったじゃないかと。
「知らん事はない。お前も勘付いているように、四ノ宮の当主は情報戦のエキスパートじゃ。そんな中でお前の事は、……孫の成長は、有り難かったぞ」
「……え」
驚きに顔を上げる。
自分に関心など無いと思っていたのに。
「お前は儂の生き甲斐じゃ。四ノ宮をやる事は出来んが、立派に育ってくれて儂は嬉しい」
「嘘、だ」
興味なんて無いくせに。
そんな素振り見せなかったくせに。
それなのに。歯を食いしばって耐えても、頬を伝うものは止められなかった。そんな言葉で簡単に絆される自分が悔しくて恥ずかしくて。そうして俯けばその頭にも大きな掌が乗せられた。
「僕は立派じゃ、ない……」
「そう思っているのはお前だけじゃ。気付かなかったと言うのなら、これからゆっくり知れば良い。お前に人が集うのは、お前に魅力があるからじゃ。そこにお前自身が気付いていないのは、儂からしてみれば意外でしかないぞ。……それでもお前が自分に納得が出来ず、厳しい環境を望むなら、儂がここで躾けてやる。どうだ?」
わしわしと頭の上を動く手をそのままに、昂良はこくりと頷いた。
けれど同時に反発心もむくりと湧く。
「どうせなら、綺麗な女の人に言って欲しかった」
「……厳ついじじいで悪かったな」
思わず吹き出せば、不思議と心も軽くなる。
望んでいた事の一つ……誰かに手を引いて歩いて欲しかった。
背中を押されるのではなくて。
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