先行投資

槇村香月

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先行投資・俺だけの人。

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「蒼真、…もう…、帰らなくては…」

帰りたくない。樹のいない部屋になんか帰りたくない。
でも…このままでもいられない。
玄関に向かう私に、蒼真は腕を伸ばし、手を掴む。

「帰したくないって、言ったら…」

背後から抱きしめる蒼真。
熱い息が耳元にかかった。

「…蒼真、」
「わりぃ…もう無理強いしないって言ったばかりなのにな…」

ふぅ、っとため息をついて、ガシガシと頭をかく蒼真。
蒼真もきっとわかっているんだ。私が家に帰りたがっていない事。

「…なぁ、蒼真」

じ、と蒼真を見据える。
きっと、私は残酷なことをいおうとしている。
自分を守る為に


「なんだ…」

それを敏感に悟ったのか、蒼真はいやに真剣な顔で私を見つめた。

「もう少し…一緒に、いていいか」
「え…」
「卑怯なのは、わかっているんだ。我儘も今日で終わりにするから…だから、今日だけ」

今日だけは…家に帰りたくない。
樹がいない家には…帰れない。

「今日だけ…、か」
「ああ」
「もう、樹は二十歳になったし、親の責任もなくなる…から。だから…」
「仕方ネェ…な…。でも、なんにもしねぇよ。誓っていい」

蒼真はにっこりと笑って、私の手にキスをする。
恭しく口づけられたそこは、かっと熱を帯びていた。
嗚呼、なんて、私は、卑怯者。


*
次の日の朝。
蒼真に車で家の近くまで送ってもらった。
蒼真は宣言通り、私に手を出さなかった。
私にベッドを譲り、自分は丈夫だから…とソファーで横になっていた。
蒼真には本当に悪い事をした。いつか、蒼真にこの礼が返せればいいと思う。

樹とのこれから…どうなるかわからない。
でも、最悪別れることになれば家には居づらくなるかもしれない。
蒼真は、それを聞くと笑って、『もめたら俺の家にきてもいい』といってくれた。

俺を逃げ場所にしてもいい、と。
蒼真の優しさには、本当に甘えてしまっている気がする。
蒼真にはいくら感謝しても足りないくらいだ。
かといって、まだ恋愛感情はないけれど…
でも…

これから、どうなるかはわからない。
もしも、樹が私に別れを告げて、私が一人になったら。
いつの日か、私は蒼真を好きになるかもしれない。

(それが…何年先になるかわからないけど…)
いつの日か…私が樹から完全に親離れできたら…。
いつの日かそんな日がくるのだろうか。


「あれ…?」

マンションのドアの前。確かに鍵を閉めたはずなのに錠が開いていた。
樹が帰ってきたんだろうか。
しかし、先ほど外から部屋を見上げたとき、電気などついていなかった。
不審に思いながらも、そのままドアに手をかけて、ノブを回す。

「樹…?」
暗い暗闇が広がり、辺りはしんとしている。
とりあえず、壁についている廊下の電気のスイッチを入れて…息を飲む。

「…なに…これ…」
廊下…まるで、空き巣でもあったかのように、物が無造作に散らばっていた。
それは、部屋の中に入れば入るほど、酷くなっていく。

台所につくと、私が用意していたご馳走やケーキも、地面に落ち、皿は数枚割れていた。

なにが…あったんだ…?
空き巣…?

恐怖心から、ぶるりと体が震える。
とりあえず、全ての部屋を見なくては…。
きゅ、と腹に力を入れて、私は他の部屋を散策し始めた。

どこもかしこも、まるで暴れたように、物が錯乱している。
歩くのがやっとなほどだ。どうして…こんな…?

一通り、全ての部屋を回り…最後に樹の部屋へ足を向ける。

「樹…、」
もぞもぞ、と樹のベッドの上で動く影。
まさか…泥棒…。

臨戦態勢を取りながら、電気のスイッチを入れる。
すると…
「樹…お前…」

そこには、布団に丸まった樹の姿があった。

「いつき…、」
「どこ、いっていたの…?」

弱々しい口調。
ゆらり…、と樹はベッドから降りて、私を見つめる。

泣いたのか、目元は真っ赤に染まっていた。

「公久さん…」
どこか生気がないその表情。
氷のように冷たいその表情に、冷たいものが背筋を伝う。


「俺、誕生日は一緒にいてって、いったよね。
なのに、なんで…」
「それ…は…」
「浮気、していたの…?」
「…、」

浮気…。
どうしてそんな…。
そういえば、樹は進藤君に私が蒼真とキスしたことを知らされていたな…。

まさか…。
まさか、だが…樹は帰って私がいないことに激怒してモノにあたっていた…?

まさか…。
でも、部屋には樹しかいない。

この物を錯乱させた状況にできるのは樹だけなのだ。


「どうして…進藤くんか…」
「髪…切ったんだね…。明るくなった」

樹は私の正面に立ち、短く切られた私の髪を一房つまむ。

「公久さんじゃなくなったみたいだ…」

さらさら、と樹の手から毀れる私の髪。
樹はただ何の感情もなく、それを見ていた。

「いつき…」
「さっきの…誰…」
「え…?」
「さっきの…。公久さんを送った人、誰なの…」
「送った…ひと…?」
「今日、百貨店にいたよね。今も車で送られてた…こんな時間に…」「…っ!」

見られていた…?樹に…?
いつから…
いつから見られていたんだ…


「お前には関係ない」
「関係ない…」
「お前には…もう…」

関係ないんだ。
だって、樹だって進藤君と一緒にいたじゃないか!
誕生日だって進藤君といたんだろう!

そう叫べば、樹はかっと瞳を開き

「いたっ…」

私の腕を取った。
凄い力で…。

「樹…?」
「……」
「離せ、樹…」
「嫌だよ…離さない。離すもんか…」


樹は口を歪ませて、淡々と言う。
いつもにこにこしていた樹には、似合わない、その表情。
まるで心底怒りを孕んだそれに小さく震える。


樹は、「俺ね…」といいながら冷たい表情のまま私に顔を近づけた。

「俺ね、今まで、ずっと不安だった。

公久さんがいつか俺の元から去るんじゃないかって。俺を置いて、どこかへいってしまうんじゃないかって。


俺ばかりが好きなんじゃないかって。公久さんは俺に引きずられて好きになったんだって。


それでも良かった、同情でも無理やりでも公久さんが傍にいれば。


公久さんさえ、俺の傍にいてくれたら。


だから、俺いい子にしていたよ…」

「なに…」

「なんでもいう事きくいい子にしてた…公久さんが好きだから。公久さんが大好きだったから。

公久さんと離れたくなかったから


だから溟のいうことだって信じてなかった…」

痛々しい、樹の口調。
いい子にしていた?違う、樹はもともといい子で…
本当に…いい子で…。


「樹、」
「公久さんに、捨てられたく、なかったから…。

捨てられたく…なかった…」

俯き、小さく震える樹。
泣き出しそうな、その表情。

こんな表情をさせているのは…私…



「樹…」

捨てられたくなかった?
でも進藤君は。

私を思ってくれていた?樹は変わらず私を思っていた…?

尋ねようと口を開く。
しかし、さっと顔をあげた樹は…先ほどまでの泣きそうな顔から一転、ぞっとするほどの笑みを浮かべていた。

何かに捕らわれたような…そんな、表情。

「でも、公久さんは俺を捨てるっていうんだね…。誰か別のやつと一緒になるんだね…」

「なに…」

「許さない…」

「いつ…」

「許せるわけ…ない…」

「いつ…んっぅ…」


樹は荒々しく、私の口にキスをする。

逃げようとしても、樹がしっかりと私の後頭部に手を回しているため、それは叶わない。

深く深く、舌まで絡むほどの、キス。
口内を荒らしていく、舌。
それはまるで、全てを壊そうとするかのようなキスだった。


「んっんっ…んー」

―カリッ。
下唇を、思いっきり噛まれた。血がにじむ。
痛い…。

樹は、唇を離すと、私の唇をゆっくりとなぞり…、ふふ、と口角をあげる。

誰だ…これは…。
こんなの…樹じゃない。
こんな樹知らない。

怯えた私が樹の瞳に映る。


咄嗟に逃げる私を、樹は無理やりベッドへ引きずりこむ。

「やめ…樹…」
「俺から逃げる事は許さないよ…。公久さん…」
「樹…」
「馬鹿だなぁ…、なんでもっと早く気づかなかったんだろう…。
捨てられるくらいなら、俺が縛れば良かったんだ。

捨てられないように。
公久さんが他の誰もみないように」

「樹…」

「俺って、馬鹿だなぁ…。はは…
でもね、公久さん、もう俺間違えないよ」

樹はそういって、私の首筋に舌を這わせる。

ゾワリ…ゾワリ。
樹から与えられる感覚に鳥肌が立つ。

なにを…されるんだ…



「樹…」
助けを求めるように見上げれば

「もう逃がさない…」

そういって、樹は黒く笑った。


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