魔法の島の美容室 (少女と銀の魔女Ⅰ)

ikaru_sakae

文字の大きさ
3 / 14
第二章

シャルクレールの浜へ

しおりを挟む


 ニニには覚えられなかった長い長い名前の、ちいさな村のコテージで、ニニはいま、ベッドに横になっている。
 ルルディン渓谷。
 ディススの北にひろがるこの大きな谷間の土地。
 生気のない、緑よりは茶色に近い、いじけた草木がぱらぱら生えるだけの、おそろしく寒々とした場所だ。いまは夜中で、外ではなにか、みぞれがふっている(初夏なのに)。夜の鳥が、なにか奇妙な声で、ときどき思い出したように鳴く。
 暖房のない部屋の中はしんしんと寒く、毛布がニ枚あってもまだ足りない。 三枚目がほしいなとニニは思うけれど、またミスローダをおこすのも悪いと思ったから―― ニニはまだ少し、カタカタふるえながら、ニ枚の毛布にぎゅっとくるまって、なんとか眠ろうとしている。
 このあと夜が明けたら、ここからさらに北にすすみ、グイン山という、不吉な感じで北にそびえるとても大きな山を、ずっと西までまわりこみ――
そこの西の果てにある、なんとか海岸まで(これも長くて、ニニは名前が覚えられなかった)、ふたりこれから、旅をしていく。
 旅の理由―― 
 それはつまり、そこのはずれの浜に、先月、たくさんのヒトが―― どうやら異国のニンゲンらしい、おおぜいの水死人が、一度にたくさん流れついたからだ。

 当時は地元の村々で、とても大きなさわぎになったらしい。良くも悪くも、目新しい事件などめったにおきないその海辺の田舎で、いきなり大勢の、異国の遭難者。騒ぎにならないほうが、これは不思議というものだ。そしてその騒動が、幾人かの旅人や、行商人らの口づてに―― さいごはディススまで伝わって―― 最後の最後に、ミスローダの耳にも届いたというわけだ。
 とにかく日付け的に、とても近い。
 そう。非常に近い。ニニがここの島に流れついたのと――
 それがつまり、今回の旅のきっかけだった。

「行って確認するべきねそれは。それであなたの素性も、少しはわかるかもしれない」

 その日の夕食のテーブルで、ミスローダが最初にそう言った。
「えっと。。確認って、ん、えっと、わたし、なにすればいいんですか?」
 ニニはよくわからずに、迷いながらモゴモゴ言う。
「だから。直接行って確かめるのよ。ひょっとしたらあなたの姉さんも―― そのヒトもそこに―― いるかもしれないでしょ? ま、これはあまり良い話ではないけれど」
「つまり、もう死んで―― ってこと?」
 ニニはうつむき、テーブルの上に視線を落とす。
「ま、ひとつの可能性としてはね。そうじゃなかったとしても、なにかあなたの国の手がかりとか。思い出せることとか。きっとひとつやふたつくらいは、出てくるんじゃない?」
「そうね。うん―― そうかもしれない――」
 ニニはうなずき、しばらく何かを考えて――
 それから視線をあげ、つぶらな緑の瞳で、じっとミスローダを見た。
 まだ少し迷っているようだったが――
 うん、わかった。行ってみる。と、小さな声で決意を伝えた。
 
✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

 しかし実際、ディススを出てから今日ここの村のコテージに着くまでの道中は、それはそれは、かなり大変すごかった。とてもとてもキケンだった。おそらくニニがひとりで来たら、四度や五度は、簡単に死ねただろうと思う。
 まず最初にディススの門の外に出てから、キリム海岸という、荒涼とした海辺の岩場を長々と歩いた。そこでいきなり、またあのジオルグの群れの襲撃にあい―― それはミスローダが簡単に、氷の魔法で追い払ったが――
 そこから今度は北にむかい、何とかという危険な谷間を通った(ニニはもう、絶望的に、地名を覚えるのが苦手だ)。ここの何が危険かって、なにしろそこは―― もうこれ、ニンゲンよりもはるかに大きな、お化けみたいな岩サソリが平気でゾロゾロ歩いてる――

「ま、とは言え、べつに彼らはとくに好戦的ではないから。むしろ臆病なくらい。だからこちらから驚かせなければ大丈夫。ちょっとニニ、あなた何してるの? さ、はやく来なさいよ」
 ミスローダは平気でそう言って、見上げるほどの大サソリの足もとを、ほんとに平気で、ニニの手をひいて軽々と通り抜けた。ニニは震えて、膝がガクガク、もうほんとに歩けなくなりそうだったが――
 ようやくそこを過ぎ、その夜は何もない岩場の隅でキャンプ。翌日、やっとのことでその恐ろしいサソリ谷を抜けたかと思ったら、こんどはうってかわって、暗くあやしい谷間の森が広がって――

「ん?」

 ミスローダが足をとめ、さっと耳をすませた。
 ニニも何かと思って、聞こえてくる音に集中する。

 ドン… ドン…

 森の奥から、なにか太鼓の音、だろうか。
 なにかそういうものが、ニニにもきこえた気がする。
 そのあとしばらくして――

 ザク、ザク、
 ザク、ザク…

 誰かが土を踏む足音。
 その足音はどんどん近づいてきて、
 どんどん数も増えていき――

 ニニにも、もう、それが見えた。暗い木々の迷路のむこう。
 木々のあいだから、ずしずし足音をたてて近づいて来るのは、
 おそろしく背丈と肩幅のある、ニンゲンのようで、ニンゲンでない――
 とてつもない巨体をほこる、異形のモノたち。
 手に手に、鉄製の巨大なメイスや斧をたずさえて―― 
 その数は、ここから見えるだけもニ十を超える。
 皮膚は赤茶けて、耳は鋭くとがり、鼻は、まるで豚のように前に突き出している。唇の両側からは上にむかって突き出たニ本の大きな牙。体には動物の皮でつくった粗末な胸当てと、ボロボロの布服――
「グード、か」
 ミスローダが、ちっ、と舌うちした。
 
「ニニ。ちょっと下がってなさい」
「え?」
「いいから下がって。あれは話が通じる相手ではない。戦闘になるわ」
「え、で、でも――」
「いいから下がりなさい。じゃないと、あなたもケガする――」
 言いながら、ミスローダの腕はたちまち白く明るく発光、
 パリパリと、細い小さな雷を集めた。
 先頭のグード兵が、こちらに腕をつきだし、ゴワゥ! とするどく叫んだ。それを合図に、数匹のグードが、いっせいにこちらにむかって突進。ニニの背丈ほどもあるメイスをふりかざし、ドンドン地響きをたてて殺到し――
 
 カッ!!

 いきなり轟く光と音。ニニはその場でへたりこむ。
 カミナリ、だ。
 ミスローダが放った雷撃。
 目の前で、小山のようなグード兵が、一瞬で生きた火柱に変わった。
 白い炎をふきあげて、一匹のグードが完全に炭と化し、ドッ、と音をたてて地面に崩れた。

 そのあとつづけてニ体、三体、四体、五体――
 たてつづけに雷撃が炸裂。グードたちが、白い炎をあげてバタバタと炭になっていく。それを見たうしろのグードたちは、ヒイヒイ、キィキィ、おびえた金切り声を発して、じりじりと後退―― 
 一歩、また一歩、ミスローダとニニから遠ざかり――
「命が惜しければ去れ。最後の警告だ。おまえたち、歓迎のしかたを完全に間違えたな。ん? なに? ニンゲンの言葉がわからない? ならばこの、雷のコトバならばわかるのか?」
 ミスローダが真顔で言って、パリパリ無数の小さな雷をまとった右腕を高く頭の上にかかげた。グードの群れが、また、怯えきったように悲鳴をあげた。
 しかし、いまそこで動揺したのはグードだけではない。彼らの恐怖はニニにも伝染した。胸が早鐘のように打つ。息が苦しい。
 なにしろその目―― そばに立つミスローダの、その、輝く銀の瞳からほとばしる―― 
 そこからあふれる、まがまがしいまでの殺意。ニニは、ミスローダの目を見あげた瞬間、いきなりグサッと心をナイフでつかれた気がした。口の中が一瞬でカラカラになった。
 恐怖。
 ニニが感じたのは、ほかの何物でもない、ただただ本物の恐怖だ。
 目の前に立つこのモノ―― 
 この、美しい女のふりをした、とてつもない虐殺者に対する――

✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

 ちりぢりばらばらになって、もう全力でグードたちが逃げ去ったあとの森。
 あとには、放心したように地面にへたったニニだけが残された。
「さ、いいかげんあなたも立ちなさい。いつまでもそこ、座ってないで」
 ミスローダがしずかに言って、右手をニニにさしだした。

「いやっ! こ、ころさないで! おねがい!」

 ニニが地面の上を這ってあとずさり、本気の涙目でミスローダに訴えた。
「なによそれ? あなたを殺す? ばか。殺さないわよ。冗談はよしてよ」
 やれやれ、と首を左右にふって、ミスローダは深く長くため息をつく。
 だいぶ乱れた長い銀髪を、いつものように、まっすぐきれいに整え、
 それから服についた土や枯れ枝を、ぽたぱた、両手ではたき落した。
 ミスローダのまわりでは、まだいくつもの、炭化した屍――
 ぷすぷす、ぷすぷす、不吉な炎の舌を出して、グードがそこで燃えている。
焼けた肉の臭いが、周囲の森をつつみこみ――
「い、い、いまの、ななな、何だったの?」
 ニニが、ふるえる声で、ようやく言葉を発した。
「いちいち解説しなきゃダメってわけ? めんどくさい子ね。じゃ、言っとくと、今のはラグタードルド。破壊魔法の中級編、ってところかしら? わたしわりと好きなのよ、雷撃系。集中も簡単だし、たいして魔力は消費しない。適当に撃ってもよく当たるし―― あと言えば、雷撃耐性の魔獣だのバケモノなんてのは、じっさいこの島にもあまり多くない。だからとても汎用性が高い―― …っていっても、ま、こんなのはあまり、やたらめったらに使わない方がもちろんいいんだけどね――」
「え、え、でもそれ、ぜんぜん美容師じゃなーい! もうそれ完全に破壊魔じゃないですか~! 大魔王クラスですよあんなの! みんなもう一瞬で死んじゃったよぅ! どこのどのへんが美容師さん??」

「美容師が破壊魔法をつかったらダメ、などという法は、ダスフォラス島にはない。ディスス市にもない。ずいぶん失礼ねあなた。命の恩人に、しかもいままたここでも助けてもらって、なのにわたしのこと、破壊魔よばわり?」
「ご、ごめん。けど、めちゃくちゃ怖かったよミスローダの顔! もう完全にあれ、あのヒトたち、ぜんぶ皆殺しにしちゃう勢いで! ひとりも生きて返さないって感じで――」
「でも結果、ぜんぶは殺さなかったでしょ? 一部は逃がしてやった。まあ別に、あんなのはすべて百体くらい殺したって誰も何も傷まない。むしろあとあとここを通る旅人のために、少しでも数を減らしておくほうが――」
「だ、だめですよぅ、そんな、そんな、ひどい殺しは!」
「身をまもるための殺しは正当よ。あれはだいたい、慈悲をかけるような相手ではない。言葉さえ通じないバケモノなのよ?」
「で、でもでもっ、すごくこわがってたよ! 痛がって、おびえてたよ! ミスローダのこと、すごくすごく怖がって――」
「まったく。あなたほんとにバカね。じゃあなに? グードの気持ちになって、やさしくしなさいって言いたいの? バカバカしい。そしたらこっちが殺されるわよ。ったく。底抜けのバカという言葉があるけれど、あなたさらにその底より下をいってる――」
 ミスローダは大きく息を吐き、それから――
「やれやれ。そういえば、あの子もむかしそんなこと、言ってたわね」
 急に肩をおとし、またひとつ、ことさら深いため息をついた。
「まったくなんなのよ。変な所で、あなたあの子に、似てるんだから――」
「…えっと。それって、誰の話、なの?」
 ニニは、話の流れがわからずに、不思議そうにミスローダにききかえす。
「ん? ああ、別に」
 ミスローダがめんどくさそうに、首を小さく左右にふった。
「昔、ちょっぴりあなたに似た妹がいてね。ヨルフェっていって―― その子のことをね。ちょっとだけ思い出した。ま、でもそれはまた、どうでもいい話。さ、行くわよ。ほら、」
「な、なんです?? その手は??」
「さっさと立ちなさいって言ってるの。この程度で驚いているようじゃ、とてもあなた、このダスフォラスでは生きてはいけないわ」
「………。。」 




 ニ日後。風の強い、くもりの日の夕方。
 ふたりはようやく、シャルクレールという、その目的の、海辺の小さな村についた。村につくとまず、ミスローダは村の広場の露店で、なにやらよくわからない小さな買い物をした。買ったのは、何だか妙な魔法の道具のようなものや、何かの目玉や干し肝など、なにかそういう、怪しげなものばかり。
 それ何に使うの? と、ニニはききたかったのだが、答えを聞くのも少し怖いので、あえてはきかないことにした。 

「ダルムロッグ?」

 うしろをふりかえったミスローダが、いきなり男に声をかけた。
「おや? そこにいらっしゃるのは、ミスローダ殿?」
 広場にいた男が、意外そうに、じっとミスローダを見返した。
 ニニは、その男が近づいてくるのを見て、とっさに少し警戒した。
なぜならその男の外観が、少しばかり普通でなかったから。
 黒一色。アタマの上から下まで、すべて黒。
 まるでこれは喪服みたいだ、とニニは思う。足まで届きそうな長い陰気な黒マントの下には、やけに細い、でも、いかにも上質そうな光沢ある黒ズボン。体の線にぴったり張りつくような黒のベスト、その上から、これまた漆黒の、上品だがやけに古風な上着―― なんとなくそれは、非常に格式高い夜会服を思わせけれど、ニニは彼が、そのパーティーで楽しそうに踊っている姿を、なぜかまったく想像することができない。むしろそれは、大きなお通夜とか、その手のイベントにふさわしのでは? と思えた。
 男の年齢はよくわからない。けれど、おそらくビューター年齢でいえば五十よりは上だろう。白髪がだいぶまじった灰色髪は、長すぎず、短かすぎず。くせ毛が多いたちらしく、無理やりそれを油でなでつけてしずめた感じだ。
「いや、まさかこのような所で。いやはや、奇遇ですな。なんです、いったいいつこちらへ? まさかわたしの知らぬ間に、こちら方面にお引越しを?」
「いいえ。普段はここじゃないわ。住居はあのあと変わってない。今はちょっと、ささやかな旅行中。ほんのちょっと、私用でね」

「おや? そちらは?」
「いま家にいる居候。ま、いちおう、店の助手ってことにはなってるけど」
「ふむ、なかなかに綺麗なお嬢様ですね。肌も髪もじつに美しい」
「なに、これが気にいったの? 生き血を抜いてバラバラにして、あなたの大好きな邪神にささげたい?」
「ははは、まさかそのような。あいかわらずわたくしの職務のことを色々と誤解なさっているようで」
「冗談よ。で、ここで何を? と、言いたいところだけれど。じっさい、言わなくてもわかったわ。遭難者がらみね?」
「ふふ、参りましたな。ま、しかし、お察しのとおり」
「多忙のあなたがわざわざこんな辺境の浜まで出向いてきた。なら、理由はひとつしかない。絶好の獲物、というか、『材料』だったかしら?」
「ま、それを言われますと。正確には《素材》でしょうな。ふだん城下の墓地からとるものより、はるかに鮮度が高い―― おや、そんな嫌な顔をなさらないでください。これも、ま、わたくしの大事な仕事のうちですから―― しかし、そういうあなた様こそ、なにゆえにこのような辺境へ?」
「詳しくは省く。しいて言えば、この居候の家族探し、かしら」
「ほう。なかなか興味ぶかい」
「なにか遺留品や、手がかりになるもの、または――」
 ミスローダはそこで、急に言葉をとめた。
「ダルムロッグ、まさかおまえ、もう仕事を?」
「いえ、まさか。わたくしもいま着いたばかり。これからですよ。今夜、さっそく、これはひとつ、じっくりと――」
「そう。なら、よかった。先に、少しだけ時間が欲しい」
「と、申されますと?」
「この娘の身内が、その浜にいるのかどうか。もっと直接的に言えば、あそこの浜の水死人の中に、その者が、いるのかどうか。それだけ確認したい。それさえ終われば、あとはどのように作業してもらっても結構」
「ま、無論、その程度のことであれば―― しかしなんですか? このお嬢様が、なにか、そんなにも、ミスローダ殿にとって重要な方なので?」
「そういうことでもない」
 ミスローダは首を横にふり、わずかに苦笑する。
「ま、ひとつのなりゆき、よね。なりゆき上、あの子に多少の助力をした方がいいかなと。その程度のものよ。半分はわたしの気まぐれみたいなものだから。おまえ、何時に始めるつもり?」
「三ノ刻には」
「では、その前にやらせてもらう。三ノ刻までには終わらせる。それでいいか?」
「結構。いささか興味があります。わたくしも、ミスローダどのの作業に、立ち会わせていただいてもかまいませんか? もちろん、見るだけで、いっさいの邪魔立てはいたしません」
「かまわない。ではニノ刻に、あの浜で会おう」
「しかし、かえすがえすも惜しいですな」
「何が?」
「あなた様ほどの人材が、ですよ。あのようなディススの路地裏で眠ってらっしゃるとは。これはもう、全ダスフォラス的な損失です」
「べつに眠ってるつもりはない。あれはあれで、それなりに真面目にやってる仕事よ」
「ま、そうおっしゃるのならば。しかしやはり惜しいことに変わりはない。どうです、もういちどわれらと前線に立たれるお気持ちは――」
「その話はしない。そのような気持ちはない。以前にもはっきりそれは皆に伝えたはず」
「…これは失礼。終わった話をむしかえしてしまいましたかな」
 黒一色の男は、にやりと、あまり良い感じのしない笑いをもらした。
「ま、しかし、ご依頼の件、承知いたしました。このような形で、今夜ふたたびミスローダ殿と貴重な時間を共にできること。これはじつに、身にあまる光栄に存じます」
「…つまらない社交辞令。やめなさい、何の意味もない。そういうところが好きじゃないわ、ダルムロッグは」
「これはまた嫌われましたな。ではともかく。あらためてニノ刻に。わたしくはこれで失礼をば。そちらのお嬢様も、夜までご機嫌よう」


 男と別れ、その村の広場を離れ―― 
 ふたりは、その、おおぜいの異国人が漂着したという浜をめざし、てくてく、てくてく、ならんで歩いた。陰気くさい曇りの天気だった。ときおり弱く、しぐれ雨がふった。風はとても冷たかった。
「ねえミスローダ、」
「ん?」
「さっきのヒトは?」
「何?」
「あのヒト、だれだったんですか?」
「むかしの知り合い。同僚だった、ってところかな」
「なんかちょっと、怖い感じのヒトでしたね」
「怖い?」
「うん、なにか、あのヒトのまわりだけ、空気が重いっていうか――」
「そう? わたしは別に何も思わなかったけど」
「前線って」
「ん?」
「あのヒト、前線って言ってた」
「そう?」
「うん。言ってた。それってなにか、戦争とか、そういうのと関係ある?」
「…かもね。でも、もう忘れたわ。あまりたいした過去でもないし――」
「でもでも、あのヒトの仕事って、いったい――」
「あまり知らない方がいい」
「え?」
「きいてそれほど愉快な話でもない。あの男のことはもう、忘れなさい―― と言っても、そうか、どうせ今夜また、あれと顔を合わすものね。じゃ、そのときに嫌でもわかるでしょう。ともかく今はこの話はおわり。おしまい」

✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

 海まで出ると、風はさらに強くなり、ニニの長い髪は、海風の運んでくる塩で、すっかりベタベタ重くなってしまった。
 でも、その海の匂いのする風は――
 ニニにとっては、なんだかとてもなつかしい感じがした。
 さびしい海辺の、さびしい夕方だったけれど――
 でもなぜかいま、その鈍色の海が、とてもなにか、親密に感じられ――
 なぜそう思うのか、ニニは自分でもわからなかったが――
 そしてニ人は、その、目的の浜についた。
 だだっぴろい、ほんとに何もない、寂しい砂浜だった。
 砂の色は灰色と茶色のあいだ。
 風がほんとにつよくて、ニニの髪が、ぐるんぐるん揺れた。
 海の上には、何もない。島のかげひとつ見えない。
 広い広い、ここの砂の色とあまり変わらない、さえない色の水の広がりが、こちらも冴えない、雲におおわれた薄暗い夕空の下で――

「どうやらあそこね」

 ミスローダが指さした。
 浜から少し山側にのぼった、草のしげるゆるい斜面の上。
 そこには、たくさんの―― ひどく不自然な、砂の盛り上がりがあった。海辺の草地の、その草を、そこだけわざわざはぎとって、そこだけ変に、わざわざ、砂で盛り上げて―― それがいくつも列になって――
 数でいうと、五十以上。
 ニニはとつぜんその意味を理解して、ハッと息をつめた。
「やれやれ。ほんとのやっつけ仕事ね。ほんとにただ埋めただけ、か――」
 ミスローダが、感情のない声で言った。
 海風が、うなりをあげ、ミスローダの銀の髪を、ぶわっと上に舞い上げた。
 ミスローダはそれをまた、感情のこもらない手つきで、無言でもとに戻した。
「これ全部… お墓、なのね?」
「そのようね。どうやら」
「じゃ、このどれかに、もしかしたら、わたしの――」
「あなたの姉さんが、眠っているのかも、ね。あくまで可能性のひとつにすぎないけれど」
 ミスローダが言った。その言葉をきいて、ニニの胸の中で―― 
 心臓が、トクトク、音をたてて打ちはじめた。なんだか急に、目まいがした。吐き気もする。アタマがきゅうに痛みはじめた。頭痛はどんどん強くなり、なんだか立っているのもつらいくらいに――
「ね、ミスローダ、まさかまさか、」
「ん?」
「掘る、の? いま? これを?」
「掘るって?」
 ミスローダが、なにか不思議なモノを見るようにニニを見た。
「なに? あなた掘りたいの?」
「い、嫌だよそんなの! ぜったい嫌! そんなのそんなの――」
「そんなに取り乱すことはない。別に掘れと言ってるわけじゃない。わたしもやりたくないわね、そういう、あまり賢くない手作業は」
「でも、じゃあ、どうやって?」
「安心しなさい。方法はある。今はちょっと、下見に来ただけ。夜中にもういちど、ここに来ましょう。いまは少し明るすぎて、やると人目についてしまう。夜中のほうが、いろいろ、ここでやりやすい」
「いろいろって―― なに、するの?」
「そのときわかるわ」
 ミスローダは髪を手でおさえて、それからしばらく、ひとりでなにか、考えていた。そうやってなにか考えてるミスローダは、とても綺麗で、とても冷たくて、とても無感情で―― とても孤独な、寂しい感じがして――
 ニニはなにか急に、ミスローダに何か声をかけてあげたいような、そんな切ない気持ちになった。何かぜったい言ってあげなきゃ、と。
 けれど、ニニのくもったアタマには、その場にふさわしい良い言葉がぜんぜん浮かばなくて―― 浮かばなくて――
 ニニは、だまって、風にひるがえるドレスのスカートをおさえ、それから髪も、手でおさえて―― そのままそこで、じっと立っていた。なにも言えなかった。もうだいぶ、あたりは暗くなりかけていた。





 その夜は風がつよく、宿の雨戸が、ばたんばたん、ずっと音をたてていた。うるさくてニニは寝つけなかった。外ではまた少し雨が降り、ばらばらと屋根をたたく雨音がしばらくきこえていた。そのあとようやく少し眠れたと思ったら、すぐにミスローダに起こされた。 

「さ、行きましょう。たしかめに行くわよ」

 ふたりでこっそり、明りの消えた宿の調理場をとおり、裏の小さな戸口からこっそり外に出た。
「でも、どうしてこんな夜中なの?」
「だから言ったでしょ。人目があるとやりにくいの。それに、この手のことは、夜中にやるのが定石。やるには今くらいの時間がいちばんいい」
「やっぱり掘るってこと?」
「掘らない。くどいわね、あなたも。いいから黙ってついてきなさい」

 村のはずれの木立ちを通りぬけ、急な坂になっている岩場を、なんどかすべって尻もちをつきながら、ニニはそれでも、なんとか下までおりた。そのあと海のそばを通る暗い小道を、ミスローダのうしろを追いかけて―― あたりは真っ暗で、海鳴りがすごくて、風もだいぶ吹き、空には星も月も見えない。

 着いた。
 日暮れ前、いちど下見にきた、あの同じ場所。浜辺の草地の上には、前に見たのと同じ、あの、たくさんの盛り土――
「ねえミスローダ、これから何を?」
 どんどんひとりで歩いていくミスローダを、ニニが呼び止めた。

「再生の儀式ですよ」

 かわりに答えたのは、男の声だった。

「え?」
 ふりかえるとそこに、あの男がいた。
 黒ずくめの男。ニニが少し怖いと感じた、あの昼間の――
「ミスローダ殿は、いまから死者の心を、ここに短時間、再生させるのです。ひとつひとつ掘り出すよりもよほど単純で確実な方法ですから。通常は、死後時間が経過し、形のくずれた死者の身元照会に用いられる技法です。ディススの検視官が、好んでこの術を使います。これはひとつ、暗黒魔法の――」
「しゃべりすぎよダルムロッグ」
 ミスローダが、むこうの草地からこっちをふりむいて言った。
「これはミスローダ殿。今宵も銀の髪がお美しく」
「くだらない挨拶は良い。さっそく始める」
「何かお手伝いは、いりますかな?」
「不用。おまえはそこで見ていればよい」
「わかりました。では、ここから見学させて頂きます」
「ニニ。あなたはこっちに来なさい」
「え?」
「あなたの姉さんでしょ? あなたがここで、自分の目で確認するのよ。わたしはちょっと手助けをするだけだから」
「えっと、じゃ、わたしはどうすれば――」
「ひとまずだまって。さっさと来なさい。こっちに立って」
 ニニは言われたとおり、まだ少し戸惑いながら、草の斜面をのぼり、ミスローダのそばに立った。ミスローダは小さな黒い袋をとりだすと、それをひらき、逆さまにした。袋の口から、ドサドサッ、と何かが落ちた。
 ニニはちょっと見て、さっとそこから目をそむけた。袋から出てきたのは、なにかの目玉とか、妙な形をした肉の切れ端みたいなもの、なにかトカゲを干したようなモノ、などなど―― なんだか気持ちも悪いものばかりだ。
「ひとまず供物としてはこの程度。あとは――」
 ミスローダは、服のどこかから、小さな銀のナイフをとりだした。
それをいきなり、自分の指に――
「あ! なにするのミスローダ」
 ミスローダの白い指先から、
 血のしずくが、一滴、ニ滴、ポタポタっと地面におちた。

「さて、はじめましょうか」
 ミスローダはその傷を気にする様子もなく、少し足を開いてまっすぐに立つ。
 それから右手を―― さっき自分で切った方の手を―― 
 前方の闇の中に、しずかにかざした。

「暗闇を統べる邪神マグ・ヴドール、
 遠き彼の地の至高神たる汝に、われ、ミスローダは語らう。
 わが供物と血を、いまここに受け取れ。
 それによりわがささやかなる願い、いまここにきけ。
 ここに埋もれし死者どもの心、
 地の表に返すことはあたわずと言われども、
 せめて一時、その輝けるときの名残り、
 いま汝の力によりて、この地の表によびさませ。
 われ心より汝の力を信ずること、ここに固く誓い――
 ゆえに汝、その誓いの対価、いまここに、」

 海風が、さっきより急に強くなり、
 なにか気温が、ぐっと下がったように感じられ――
 ミスローダが、まだ血の流れているその手のひらを、
 おごそかに黒い土の上に、ぴたりとつけた。
  
「示せ!」 

 ミスローダが叫ぶと同時に、
 いきなり地面が光った。
 青の光。
 ぬくもりをいっさい感じさせない青の輝き――
 その、おそろしいまでに怜悧で暗い地の光は、
 ミスローダが手で触れた地面から次々と湧きおこり、
 周囲の地面一帯にまたたくまに伝染し、
 夜の底を、なにやら不吉な青の光で染めあげた。

「あ??」

 ニニは、おもわず声を出した。
 地面から、次々と、浮かびあがってくる。
 冷たく青く光る、人々の群れが――
「ミ、ミスローダ! これは何??」
「さて。いるかしらね、ここにあなたの姉さん?」
 地面に手のひらをつけたまま、ミスローダが何でもないことのように言った。
「べつに驚くことはない。ここに埋められた死者たちの魂のかけらを、わずかの時間、ここに再生した… って感じかしら。あなたにもわかるように言えば」
「タマシイの、かけら――」
「もう少し正確に言うなら、魂の残像の、そのまた残像、くらいかしらね。暗黒魔法の光が、もとあった彼らの形を、一瞬だけ、いまここに見せてくれている。さ、あまり長くはもたないと思うから。そばに行って、見てみて」
「見てみて、って。えっと、わたしはいったい――」
「鈍いわね、あなたも」
 ミスローダが、地面につけてない方の手で、ニニの背中をポンッと押した。
 おされて何歩か、ニニははそっちによろめいた。
 そっち―― 地面から現れ出た、ぼんやりと光る青白い人影のあいだに。
「さあ。それくらいの距離なら、顔まではっきり見えるでしょ。よく見て確認するのよ。あなたの知ったヒトが―― もし、あなたの姉さんがここに埋められたなら、その中に、きっと彼女いるでしょう。それを確認しろと言っているの」
「で、でも、でも、あの、この人たち―― ほんとに大丈夫? その、危険とか――」
「こわがる必要はない。それはね、単純に、絵みたいものよ」
「絵?」
「そう。ただの絵よ。かつてそこにあったはずの絵を、ちょっとのあいだ見せてくれているだけ。絵は、とくに自分から何かをすることはできない。意志があるわけでもない。単なる形。残像に過ぎない。さ、はやくして。わたしもこれを長く続けるのはけっこうしんどいんだから」

 おそるおそる、
 ニニは、その、力なくたたずむヒトビトの列のあいだを、
 ゆっくり、一歩一歩、歩いた。
 そのヒトビトの形は、夜の地面の上、
 わずかに地面から浮いた形で、本当に、何をするでもなく、
 ただぼんやりと、漠然と前を見て、青い光をわずかに放ちながら、
 ただそこに、ひたすらに立っていた。
 女もいた。男もいた。
 兵士のようなな格好の者も、何か職人や商人のような者も――
 若く見える者も、あるいは年寄もいて、子供も何人かいた。
 彼らは、特に悲しそうでもなく、苦しんでいるようでもなく、
 かといって、特にうれしそうでもなく――
 ほんとうに何もなく、ただただ空虚に、前だけを見ていた。
 焦点のあわない目で、目の前にひろがる、暗い夜の海をひたすらに――
 
――あれ?
 
 なにかが変だとニニは感じる。
 そこに立つヒトビトの群れは、全体に背が低く、顔つきも―― 
 あとは、耳のカタチ――

 ニニやミスローダの属するビューター族とは、どうも少し、違うようだ。
 彼らは一様に小柄で、耳はとがって、
 男たちはみな長いヒゲをはやし、眉もこく、髪はぐるぐるに縮れて――
 
 ドクン。

 心臓が、一度、強く打った。
 あれ? と、ニニは思う。
 なんだか、アタマが、白く――
 白――
 あれ? なんだろう、この――

 ドクン。ドクン。

 ゴミ、ども、が――
 この、ゴミ、ども――

 なにかの声が、
 声が、どこからか、
 どこか深いところから、きこえてくる――
 ああ、だけど白い―― なにもかもが白く――

 ゆるさ、な――
 まえら、ぜったい、ゆ、さ、な――
 ゴミ、ども――
 ぜったいに、ゆるさ―― 

 ドクン。
 ドクン。ドクン。

 もうなにも―― なにも見えなく――
 わたしは―― わたし――
 わた―― 

 ドサッ。

 ニニの記憶はそこで途切れる。
 あとには白い虚無だけが残った。

✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

 気がついたときには、もうそこでは、何もかもが終わったあとだった。
 そこにはただ、暗い草地があって、盛り上がった砂の墓標がいくつもならび、ただひたすらに波の音がして―― 風がまだ強く、夜の闇は、さきほどよりさらに深く――
「よかったニニ。気がついたのね」
 ミスローダが言った。声が少し、つらそうだ。
 ミスローダは草の上にしゃがみこみ、はあ、はあ、と、息をしていた。
「ミスローダ?」
 ニニが、ぼんやりした声で言う。
「ん、いったいこれは、なに――」
 ニニはふらふらと、そこに立とうとして、ドサッと地面に尻もちをついた。
 なにか体の力が、あまり入らない。何だか頭がふわふわしている。
「おどろいたわ。いきなり倒れるものだから」
「わたし―― どうなって――」
「わからない。でもなにか、あなたの中で、なにかが――」
 ミスローダはニニの体をかるく両手で抱き、自分の胸に密着させた。まるでニニを自分の体温で暖めるかのように、そのまましばらく、動かずにいた。
「ミスローダのほうは大丈夫? 声、すごく疲れてるけど?」
 ニニがミスローダの肩を、つんつん、と叩いた。
「ま、じっさい、ちょっとバテたわね。暗黒魔法のあと、慣れない気づけの回復魔法を使ったから。わたし正直、回復系はあまり得意じゃないのよね――」
 ミスローダは何度も深く息を吸い、息を吐き、それからようやく、ニニの体をはなした。
「で? どうだった? 何か見た? あなたの姉さんの手がかりになりそうなこと?」
「いいえ。とくには、なにも」
 ニニは足もとの草に目をおとし、それを指でぷちぷちとニ、三本ちぎり、力なく首を横にふった。
「見た中で、このヒトと思えるような誰かは、たぶんあそこにはいなかった――」
「ま、でも、そうよね。わたしもちらっと見たけど、あれはどうも、ぜんぶノアルブ」
「ノアルブ?」
「ええ。背丈の低い、手先の器用さが売りの山の民、みたいな感じかしら。あまりこの島では多くは見かけない。対岸のドマ大陸でも、とてもめずらしい少数種族って感じになっている。それがあんなにまとめて、海で遭難―― どうにも解せないわね。あなたのことといい、あの晩のここの沖では、いったい何が――」

「ミスローダ殿。いかがです? 少しはマナは戻りましたか?」 

 黒ずくめの男がこちらに近づいてきた。
「ええ。たいしたことはない。もう少し休めば全快する」
 ミスローダが立ちあがり、スカートについた枯草を両手でぱたぱた払った。
「それよりあなた仕事は? あまりのんびりしていると、もうじき夜が明けてきてしまうわよ?」
「む、それはまあ、その通りですな」
 男がちらりと暗い海を見た。それから空を見た。
「では、ミスローダ殿さえよければ、今からわたくし、自分の仕事にかからせて頂こうと思いますが」
 男がぐるりと墓標の草地をみまわす。
「しかし本当にお加減はよろしいので? なにか回復のお手伝いが必要であれば――」
「けっこうよ。こっちは別に気にしなくて」
「どうされます? このままここで立ち会われますか?」
「いいえ。この子がいるし。とくにあまり見せたい作業でもないしね」
「それはたしかに。それよりもなによりも、あなたのお体のことが気がかりです。はやく帰ってゆっくり休まれる方がよい」
「おまえに心配されるなんて、ミスローダもずいぶん落ちたものね」
「そのようなことを仰らないでください。わたくしは昔から、あなたさまのことは、深く案じておりましたよ」
「なに? それって遅ればせながらの告白?」
「ふ、告白というほどでもありません。じっさいわたくし以外にも、当時のあの仲間うちで、いまでも隠れミスローダファンは多いと思いますよ」
「やめてやめて。寒気がするわ、そんなの言われると」
「ははは、冗談です。ま、じっさいわたくしも、真面目にあなた様との交際を考えるなどという、愚かな命知らずではありませんからね」
「なによ? たまには言うわねあなた。じゃ、わたしは何だって言うのよ。死神かなにかなの? ま、でも、ほんとに長引かせて悪かったわダルムロッグ。わたしたちはもう行く。あとはゆっくりどうぞ」

 
 宿のニ階の小部屋に戻ると、ミスローダはほんとうに疲れきった感じで毛布にくるまり、両腕で、自分自身の体を抱きしめるように―― 悪寒がするのか、それとも何か別に、どこか具合が悪いのか――
「でも、ミスローダはあれ、見なくてよかったの?」
「見なくて? それは何?」
「あの、黒服の人の仕事。あそこに一緒にいなくても――」
「あなた見たかった?」
「ってわけじゃないけど、ちょっと、何をするかは気になった――」
 ニニは、小さく寝返りをうった。もう明け方に近い時間だが、外はまだ暗かった。バタバタとうるさかった雨戸の音は、今はあまりしなくなった。風もだいぶおさまってきたらしい。

「死体を回収するのよ」

「え?」
 ニニは、自分の耳の間違いかと思い、思わずききなおした。
「だから死体よ。死体回収」
「したい――?」
「あのヒトは、あそこに死体をとりにきたの。彼の仕事の材料に使うためにね」
「そ、それって墓あばき、ってこと??」
「そうね。簡単に言えばそういうことになる」
 ミスローダは、たいして興味もない口調で、さばさばと言った。
「あれはネクロマンサーっていうの。つまり死人使いね。あれが扱うのは、死者の肉体。とはいっても、魂まで回収してどうこうやるわけではない。だからま、土や泥を扱うのと同じよ。死んで土に埋まったら、もう、そのへんのモノとたいして変わらない」
「…掘るの?」
「いいえ。掘らない。ネクロマンサーはわざわざそんな無駄な作業はしない。いろいろ、やり方があるのよ。ま、あまり詳しくは言わないわ。それほど話して気分の良いものでもないし」
「で、でも。。それって、いいの?」
「いい、とは? その質問の意味は?」
「死者を、その―― 回収するとか――」
「何か問題が?」
「え、だって、だって――」
「あそこに埋葬されたのは、もう誰も素性を知らぬ身よりのない異国の遭難者。あなたの姉も、たぶんあそこにはいなかった。じゃ、あとは誰がそれを気にする? 誰も気にはしない。夜が明けて、ほんの少しあそこの墓穴の盛り土が低くなっていたとして―― たぶん誰も気がつきもしないわ」
 ミスローダはひとつ、おおきなあくびをした。
「じゃ、もういいからこの話は終わり。あなたもう、だまって寝なさい。朝までもう、あまり時間がない。ちょっとでも寝ておかないと、明日の―― というか、今日の昼間がね。とてもつらくなる」
「う、うん――」
 ニニは、まだあまり納得できなかったが、それでもとりあえず、今は黙っておくことにした。ニニは寝返りをうって、ミスローダとは反対のほう、壁のほうをみた。そのまま黙って目をとじる。
「ま、でも。さっきので、少なくともちょっとは希望がもてたんじゃない?」
「え? きぼ、う?」
「生きてるかもしれないという、ちょっとした希望。それくらいは、得られた、かも―― あなたの姉さんの―― 話――」
 そのままミスローダは、すう、すう、軽い寝息をたてて寝てしまった。


 浅い夜明けの眠りの中で、
 ニニは、暗闇の中をのぼっていく小さな無数の泡と、
 それから、なにか、沈んでいく大きなもの――
 暗い水底をうずをまいて流れる、遠い遠い、ゆっくりとした何かの流れ―― 
 そこでしずかにうごめく、巨大な何か――
 
 とても暗い、ひどくひっそりとしたその場所の夢を見た。
 それがどこなのかニニにはわからなかったが、
 そこはとてもなつかしく、とても暗くて、あたたかだった。
 ニニはその暗いぬくもりにつつまれて、深く、深く、眠りの底、
 どこまでも深く、落ちこんでいった。どこまでも―― 
 
 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

処理中です...