忘れられた聖女とひとりぼっちの薬師 ~薬草農家を営んでいた僕が、禁忌の森で出会った記憶喪失少女と共同生活する話~

雉子鳥 幸太郎

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 持って来た麻袋に、集めたラクテウスブルーを詰めていく。

「こんなにあるなんて……」

 あまりの質の良さに、僕はすっかり夢中になっていた。
 いつも見ている花より大振りで蒼が深い。薬効もかなり期待出来そうだ……。

 見ると、他にも見たことのない野草がある。
 全部持ち帰って効能を調べたいところだが、そろそろ戻らないと……。

 ぽつん、と額に雨粒が落ちる。

 空を見上げると、あれほど澄み渡っていた空がどんよりと曇っていた。
 父のお陰だなと、手早く背嚢から雨用のローブを取り出し羽織る。

 雷鳴が轟いたかと思うと、あっという間に大粒の雨が降り始めた。

 かなり雨の勢いが強い――。
 すぐ近くの大きな木の下に入り、僕は呆然と雨を見つめた。

「まずいな……」

 この勢いで降られると、沢を渡れなくなってしまうかも知れない。
 本当なら止むのを待つべきだけど……仕方がない。

 僕はしっかりと靴紐を結び直した後、麻袋を背嚢に縛り付けた。
 そして、えいっと木陰から飛び出し、沢に向かって駆けだした。

 早くも地面がぬかるんでいる。気を抜くと足を滑らせそうだ。
 慎重に足場を選んで進んでいると、ふいに違和感を覚えた。

 ――今、何かなかったか?
 立ち止まり、僕は少し来た道を戻る。

 そして、茂みの隙間に顔を突っ込んで目を凝らした。

「あれは……」

 そこには大きな建物があった。
 一見するとただの森の風景にしか見えない。

 だが、よく目を凝らして見ると……間違いない。
 蔦の緑が保護色になっていてわかりづらいが、そこには確かに建物があった。

 雨に打たれながら、じっと建物を見つめる。

 あれは……何だろう?

 禁域に誰かが住んでいるとは考えにくい。
 でも、野盗や山賊は禁域に身を隠している、なんて噂話も聞くし、もしかすると悪い人達の隠れ家かも知れない。

 気にはなるが、今は急がなければ――。
 僕は再び沢に向かって走った。


    *


 あれほど穏やかだった沢は、荒れ狂う濁流へ姿を変えていた。
 うっかり足を滑らせでもしたら……。

「……」

 僕はブルッと身を震わせる。
 とてもじゃないが、渡るのは無理そうだ。

 どこかで雨が上がるのを待つしかないか……。
 仕方なく森へ引き返し、僕はさっき見た緑の建物を調べてみることにした。

 もし、誰もいないようなら服を乾かしたいのだが……。
 周りに誰もいないことを確認した後、小走りで建物の側に寄り窓を探しながら、蔦に覆われた建物の周囲をぐるっと見て回った。

 風化が激しく、一部壁が崩れているところもある。
 廃墟かな……。

 かつては、この場所も禁域指定されていない時代があったはずだ。恐らくその時代の建物なのだろう。
 見ると、隙間から窓枠が見えている場所があった。

 緊張しながら、僕はそっと蔦の葉を手で避けて中を覗いた。

 余計な物が何も無い。
 簡素な造りの部屋だ。

 動物に荒らされた様子はなく、椅子や机がそのまま残っている。
 壁の棚には聖母像が置かれ、何枚か写真もあるようだ。

 野盗の隠れ家というよりは、町で見た修道院に似ている気がする……。昔の教会とか修道院とか、そういった施設だったのかも。

 入り口を探すと、裏手に回ったところにそれらしき扉があった。
 そっと手を伸ばしかけて、ハッと気付く。

 何で把手の部分だけ蔦が無いんだ……?
 腰に手を回し、採取用のナイフを握る。

 沢近くの岩場までの道順を頭の中で思い返し、最悪の場合の逃走経路を再確認した。

 意を決して、僕は扉を開いた。
 雨音のお陰で、扉を開く音は掻き消されている。
 入ってすぐ、奥に祀られた大きな聖母像が目に飛び込んできた。

 礼拝堂か……。
 聖母像を囲むように、等間隔に長椅子が置かれている。

 忍び足で中へ進む。
 礼拝堂の左右の壁には扉があった。

 いくつかの扉は開いたままだ。
 まず一番近くの左手前の扉をそっと開けてみた。

 見ると、外から覗いた部屋だった。

 壁の棚の聖母像、そして写真……。
 写真には修道服を着た年配のシスターと貴族風の男性、そして、可愛らしい子供達がたくさん映っていた。

 やはり、ここは修道院だったのかな……。

 ――くしゅんっ!
 駄目だ、ひとまず人がいないことを確認して、服を乾かそう。

 礼拝堂に出て、残りの部屋もチェックしていく。
 特に変わった様子はない。

 だが、最後の部屋を覗こうとして、僕は固まってしまった。
 開かれた扉、その向こうにある部屋のソファに、誰かが座っていたからだ。

「ひっ……」

 思わず漏れ出た声に、その誰かが振り返った。
 が、あまりに想像と違うそれに僕は拍子抜けした声を出した。

「――え?」

 銀髪の可憐な少女だった。
 うっすらと燐光を帯びているような……見ていると、何もかもがどうでも良くなってしまうような……冗談抜きに、彼女さえいればどうでもいいやと無条件に思ってしまいそうなほど美しかった。

「き、君は……」

 話しかけながら、僕は慌ててボサボサの髪を手櫛で整えた。

「あなたは?」
「あ、ああ、えっと……僕はシチリ、この近くで薬師をしてる……」

「シチリ……」と、少女は呟く。
「そう、シチリ。君は……何て言うの?」

「私? 私は……誰だっけ?」

 少女がきょとんとしたまま小首を傾げた。

「え……」

 少女は言葉こそ通じるが、洋服もボロボロで記憶も曖昧、自分の名前すら思い出せないようだ。
 一体、いつからここに居るのだろうか……。

 それに、この辺りで銀髪というのも珍しい。
 まてよ……これだけ美人なら、悪い奴らに攫われた可能性も高い。

 もしかすると、襲われたショックで記憶が不鮮明になっているのかも……。
 どっちにしろ、こんな場所に彼女を置いてはいけない。

「あの、ここは禁忌の森といって、本当は入ってはいけない場所なんだ。君がここにいる理由はわからないけど……ここは危険だ、僕と一緒に森を出よう」
「……」

 彼女は無言で僕を見つめ、静かに頷いた。
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