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オルディナの路地裏で、青年が黒い鍔の大きな帽子を被った男と向かい合っていた。
「ほ、本当に……それだけでいいのですか?」
男は張り付いたような笑みを浮かべたまま、
「ええ、本当です」と、掛けていた黒縁メガネの位置を直した。
「……し、死んだりしませんよね?」
「ええ、もちろん。少し気を失うだけ……心配なさらずとも大丈夫です。これは『大いなる救済』の一端、いわば世界樹を形成する落葉の一枚とでもいいましょうか。この行動には意味があります。ですが、それら全てを理解する必要はありません」
「……」
「大聖堂を信じてください。我々はいつもあなた達と共にあります」
青年は顎を手で覆い、思い詰めた表情を浮かべていた。
「そういえば……新しい街道が整備されましたね」
「――⁉」
青年は反射的に顔を上げた。
男はゆっくりと青年の隣に回りこみながら、まるで独り言を言うように話を続ける。
「これから渡し船は大変でしょう……。あの場所だと、遠回りになってしまう」
「くっ……」
「となると、報酬だけではあなた達夫婦の救いにはなりませんね……。おぉ、そうだ。我々の祭司達は修行の一環として、敢えて険しい山道を選ぶことがあるのですよ」
青年が男に不思議そうな目を向ける。
「新しい街道は便利で安全です。ですが、修行という面ではよろしくありません。渡し船を使うよう、私から指導しましょう」
「ほ、本当ですか⁉」
「ええ、簡単なことです。ですが……まだ未熟な祭司達が押し寄せてしまうと、かなり騒がせることになると思いますが……」
「か、構いません! お願いします! 私に出来ることなら何でもやりますから! どうか、どうかお力添えを……!」
青年は男の脚にすがりついて懇願した。
男はゆっくりと帽子を取り、青年の頭にそっと手を置いた。
「……安心なさい、言ったでしょう。大聖堂はあなた達と共にある、と――」
*
ヘンリーさんから貰った本を大事そうに抱きしめながら、マイカはご満悦の様子だ。
本のタイトルは『双子のドリアード』。
主人公が生き別れた双子の弟を探して旅に出る話だ。
ずっとひとり語りで綴られているのだが、実は弟の墓標の前で語っていたというオチがある。
「劇場に行きそびれちゃったね」
「そうですね、でも……ヘンリーさんも無事でしたし、こんなに面白そうな本もいただけました!」
にひっと笑みを向けるマイカ。
思いっきり抱きしめたい衝動を理性で抑えつつ、
「そ、そっか。まぁ、劇場は次のお楽しみにしようね」と答える。
「はい! へへ、楽しみです」
家に戻り、二人でゆっくりとした時間を過ごした。
マイカはリビングのソファに座って、ヘンリーさんから貰った本を読んでいる。
僕はその姿を眺めながら、薬のレシピや、製作スケジュールを書き起こしていた。
んーっと、カンゾウの在庫は……。
あれ? ど忘れしちゃったな。
「マイカ、ちょっと納屋にいってくるね」
「あ、はい、何かお手伝いしますか?」
「ううん、大丈夫だよ。在庫を調べるだけだから、ゆっくりしてて」
起き上がりそうになったマイカに両手を向け、納屋へ向かった。
在庫をチェックしていると違和感を覚えた。
「あれ……? ここに置いたっけ?」
周りを見ると、特に変わりはないように思えるが、微妙に置き場所や数が記憶と食い違っている。
慌ててランプで床を照らすと、僕とマイカのものではない足跡らしきものが見て取れた。
「――⁉」
泥棒?
いや、仮にこの材料を盗んだとしても、オルディナ以外で捌かないと足が付く。
それに、他の街に運ぶ手間を考えると割に合わないはずだ。
いったい、誰が……。
念のため、畑やピウスの小屋も見て回る。
畑の薬草は少量だが、採取された跡があった。
しかも、目立たない箇所の葉や茎を人為的に選んだとしか思えない採取の仕方だ。
――胸がざわつく。
何だ? 何が起こってるんだ……。
ソファで穏やかに本を読むマイカの姿が脳裏に浮かぶ。
ピウスの小屋に入ると、気配に気付いたピウスが鼻を鳴らした。
『ブルル……』
「ごめん、起こしちゃったね……」
僕はピウスの背中を撫でながら、気持ちを落ち着けようとした。
不安が伝わったのか、ピウスは心配そうに僕に鼻をくっつけてくる。
「ありがとう、ふふ……くすぐったいよ」
と、その時、小屋の外で物音が聞こえた。
「だ、誰だ⁉」
僕は慌てて外に飛び出して、辺りを見回した。
いま、確かに物音が……。
耳を澄ますと、遠ざかっていく足音らしき音が聞こえた。
――あっちか!
考えるより先に駆けだしていた。
途中、丸腰だと気付いたが、音の主を確かめたい気持ちが勝っていた。
「はぁ……はぁ……」
かなり森の奥にまで来てしまった。
既に足音は消えている。
確かに何かがいた。
僕の中にあった疑いは、確信に変わっていた。
納屋や畑から薬や薬草を盗んだ奴がいる。
そうだ! マイカ……!
急いで来た道を引き返す。
くそっ、僕は馬鹿だ! マイカをひとりにしてしまった!
何事もなければいいが……。
不安に押しつぶされそうになりながら、僕は暗い森の中を必死で走った。
遠くに家の灯りが見えた。
張り裂けてしまいそうな心臓の痛みに耐えながら、がむしゃらに走る。
一瞬でも力を抜いてしまえば、それが命取りになると思った。
速く、一秒でも速く。
マイカの笑顔が見たい。
彼女をこの手で抱きしめたい。
その想いだけが、鉛のような脚を動かす原動力となっていた。
家に着き、玄関に続く階段を駆け上る。
「マイカ!」
勢いよくリビングに飛び込むと、目をまん丸にしたマイカの姿があった。
「シ、シチリ⁉ な、何事でしょう……?」
「あぁ……マ、マイカ……良かった……」
僕は息も絶え絶えに、そのままマイカをそっと抱きしめた。
破裂しそうな心臓の鼓動が、マイカの華奢な体に伝わり共鳴する。
「シチリ⁉ え? あ、その……え? え?」
「マイカ……どこにも行かないで」
「どうしたのですか、シチリ? 私はどこにも行きませんよ? す、すごい汗です……大丈夫ですか?」
「うん……ごめん」
マイカがそっと僕の背中を撫でてくれる。
「シチリ……大丈夫ですよ。何も心配はいりません」
「うん……」
「ゆっくり息を整えてくださいね」
「うん……」
守らなきゃ。
何が起きているのかわからないけど……僕が必ずマイカを守るんだ。
この腕の中にある温もりを。
――絶対に。
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