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終
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モーレスは真新しい墓標の前にしゃがみ込み、ワインの瓶を供えた。
墓標にはこう彫られている。
『アーミティッジ・ヘンリー』
"彼は私達に惜しみない知を与えた――この言葉の続きはいつか君の友が刻むだろう"
「よぅ、爺さん、シチリは行っちまったぜ……」
フッと鼻で笑い、
「そっちは、ローレンスとよろしくやってるか?」と、優しい声で語りかけるモーレス。
後ろでは、ヘンリーと親交のあった町の人達が黙祷を捧げていた。
モーレスはゆっくりと立ち上がり、丘の上から眼下の街並みを眺める。
強い風に吹かれ、菩提樹が葉音を立てた。
「あの子ら、元気にやってんのかねぇ……」
隣に来たミレイが腰に両手を当て、ため息交じりに言った。
「さぁな……まぁ、あいつらなら、上手くやるさ……」
「そうだね」とミレイは返し、短く笑う。
「マーカスは?」
「まだ見つからないね」
「そうか……」
「なぁに、あいつは簡単に死ぬような玉じゃないさ、そのうち何食わぬ顔して、いつもの席で酒でも飲んでるさ」
「くっくっく、違いねぇ……」
マーカスの捜索は続いていたが、行方はわからずじまいだった。
荒らされていた街外れの酒場でマーカスを見たという話もあったが、結局、有力な手がかりとはななり得なかった。
「大聖堂の連中は?」
「相変わらず使者は来てるみたいだね、何人か今回のことを聞かれたそうだよ」
「……大丈夫なのか?」
「問題ないよ、本当のことなんて誰にもわかりゃしないんだから。目の前で見た私達だってわかりゃしないだろ?」と、ミレイが笑う。
「フッ、それもそうだな……」
「で、あの子の家はどうするんだい?」
「ああ、一応、アンナに片付けてもらってるが……農園もあるし、俺が預かることにした」
「そうかい、ま、それがいいね」
モーレスは大袈裟なため息をつき、
「まったく、最後まで世話を焼かせやがってよぉ……」と空を見上げた。
「ふん、あんたも素直じゃないねぇ」
「うるせぇ」
「おーい、ふたりとも! サボってんじゃねぇぞー!」
酒盛りの準備をしていたバートン達から声がかかった。
「おぅ、すぐ行く」
「さ、浴びるほど飲んで、さっさと忘れちまいな!」
ミレイがモーレスの背をバチンと叩き、先にバートン達のところに向かう。
「いてて……ったく、加減しろって」
後に続くモーレスは、オネットの墓に目を向け、
「約束は守ったぜ」と、小さく呟いた。
*
パランティア・ウェストライトブリッジ――。
シクレッタからさらに西にある、小さな田舎町。
この町には最近できたばかりのハーブ店があった。
評判の看板娘の噂は、隣町まで聞こえるほどだ。
「じゃ、また来るねぇ」
「はーい、ありがとうございましたー」
エプロン姿のマイカが元気よくお辞儀をした。
「ふぅ……あ、そうだ、これも片付けなきゃ」
籠一杯に盛られた薬草を店の奥へ運び、その後は店先にある鉢植えに水をやる。
その様子を眺める近くの女店主達は、皆一様に目尻を下げていた。
『しかし、ほんとうに働き者だねぇ』
『ああ、賢くて器量もよし、言うことないよ……うちの孫のところに来てくれないもんかねぇ』
『無理無理、マイカちゃんはお爺ちゃんっ子だからねぇ、本当に偉いよ。店を切り盛りしながらちゃーんとお爺ちゃんの面倒までみてさぁ……それに比べてうちの馬鹿息子ときたら……』
『でも、なんだって、こんな辺鄙な田舎町に来たんだか……』
『そりゃあ、お爺ちゃんの療養のためでしょ~、ほんと泣けてくるわよねぇ』
女店主達が井戸端会議に花を咲かせていると、一人の若者がマイカのところにやって来た。
『ほら、また来たよ』
『あ~あ、花束なんか持っちゃって』
『この辺じゃ見かけない顔だね』
噂をされているとも知らずに、若者は顔を真っ赤にしながらマイカに声をかけた。
「あの……! す、すみません!」
「はい、いらっしゃいませ」
マイカは、にこっと微笑んで若者を出迎えた。
若者の顔がさらに赤くなる。
「い、いえ、僕は客ではなくてですね……いや、客でもありますが、厳密にはその……」
若者はぶるぶるっと顔を振り、仕切り直すように花束をマイカに差し出した。
「マイカさん! は、初めて見た時から好きになりました! あ、あなたはこの花よりもうつくしい! どうか、僕とお付き合いしていただけませんかっ!」
「ごめんなさい」
ほんの一瞬の間も無くマイカは答える。
「そ、そうですよね……マイカさんのように素敵な方が僕なんかと……」
若者はどんよりと今にも泣き出しそうな顔で呟く。
「いえ、違います」
またも即答するマイカ。
「え?」
若者が困惑した表情を浮かべる。
「私には決めた人がいます。それはもう、ずっと変わることはないんです。だから、決してあなたが嫌だからとか、そういうことじゃないんです」
「あ……あはは、なんだ、そっか、なるほど。はは、いやぁ~そうじゃないかと思ってたんです。はっきり言ってくれて良かった、うん。そっかそっか、お仕事の邪魔をしてすみませんでした、では――」
若者は花束を握り絞めて走り去って行った。
マイカが若者が落としていった一輪の花を拾い上げようとすると、花は風に吹かれ、空に舞い上がった。
*
「ただいま~」
私は玄関から中に向かって声をかけた。
リビングに入り、カーテンを閉めようとして手をとめる。
白い灯台の周りを飛ぶ海鳥を眺めて、私は昔のことを思い出していた。
最初にシチリとふたりで選んだのは、海が見下ろせる高台に建つ小さな家。
赤い屋根が可愛くて、私は一目見て気に入ってしまった。
しかも馬小屋もついていて、まさに私達を待っていたかのような物件だったのだ。
シクレッタでの生活はとても情熱的だった。
夏は浜辺に降りて夕陽を眺めたり、冬は暖炉の前で遅くまで語り合って過ごした。
喧嘩なんてする暇がないくらい、常にお互いの好きをぶつけ合うのに夢中だった。
次に選んだのは山間にあるロッジ風の家。
シチリの実家に似ていて、とても落ち着ける家だった。
私はシチリに教わった薬を作り、シチリは猟師のように狩りをして暮らしていた。
夜は本を読んだり、ふたりで星を観に行ったり、時にはテントを張って外で過ごしたこともあった。
ふたりだけの、とても濃密で、ゆっくりとした時間に幸せを感じた。
でも、何度目かの冬に……ピウスが旅立ってしまった。
とても、とても哀しかったけど、二人でピウスを弔ってあげた。
墓標に『世界一、速い馬』ってシチリが彫ろうとしたのを必死でとめたっけ……ふふふ。
結局、色々と相談して『ふたりの最愛の友、ここに眠る』と彫った。
私はピウスに、彼をちゃんと迎えに来てあげてねってお願いをした。
きっと私にはできないことだから……。
それからシチリと相談して、また海の近くに引っ越すことにした。
それが今住んでいるこの家だ。
たぶん、この家が、最後の家になると思う。
私はリビングを出て、シチリの部屋に向かう。
少しだけ開いた扉から、オレンジ色の灯りが漏れている。
ドアをノックしながら、ベッドで眠るシチリに声をかけた。
「ただいま、具合はどうですか?」
「あ……あぁ、おかえり」
シチリが起き上がろうとする。
私は慌てて側に駆け寄って体を支えた。
「無理に起きなくて大丈夫ですよ」
「うん……大丈夫、今日は何だか調子が良いんだよ」と、シチリが微笑む。
「そっか、よかったです」
ベッドの脇に座り、シチリに寄り添った。
いつものように、そっと優しく、私の頭を撫でてくれる。
気付いたのはいつだったかな……。
シチリの顔に小さな皺が目立ち始めた頃?
それとも、シチリが良く休むようになった頃?
私だけがあの頃のままだった。
シチリは歳を重ねた。
私も同じように老いていくんだとばかり思ってた。
何も疑いもしなかった。
でも、私だけが……あの頃のままだった。
「マイカ、風邪をひくよ……」
「ううん、大丈夫です。もう少しだけ……」
シチリの手に頬を当てる。
猫みたいに、すりすりと何度も頬ずりをした。
ふと気付くと、外は真っ暗だった。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「あ、ごめんなさい、シチリ――」
見ると、シチリは気持ちよさそうに寝息を立てていた。
私はシチリの額にキスをした。
「おやすみなさい、いい夢を見てくださいね」
そう囁いたあと、毛布をかけ直して部屋の灯りを消した。
*
次の日の朝、部屋に行くとシチリが苦しそうに咳き込んでいた。
「ゴホゴホッ! ゴホッ!」
「大丈夫ですか⁉ い、いま、お薬持ってきますから!」
すぐに私はリビングに走った。
その辺が散らかるのも構わず、薬箱をひっくり返し、目当ての薬を握り絞めて部屋に戻った。
「シチリ! ほら、お薬ですよ、飲めますか?」
「……」
無言で頷くシチリ。
私はシチリを抱き起こして、薬を飲ませた。
「ゴホッ! ゴホゴホッ!」
いつもよりもひどい発作だ。
とても苦しそうにして、真っ赤になった顔を歪めている。
見ているのが辛い。
何もしてあげられないのが苦しい。
胸が張り裂けそうになる。
変わってあげられたら……せめて半分でも痛みを分けて欲しかった。
「シチリ……お願いですぅ……シチリぃ……」
いつの間にか、私の視界は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
必死で背中をさすりながら、いつの間にこんなに痩せ細ってしまったのだろうと胸が痛んだ。
私をひょいと持ち上げていた逞しい腕は、今では私よりも細い……。
「マイカ……」
「シチリ⁉ なんですかっ? ここにいますよ⁉」
「君は……な、泣いても……き、綺麗だね……」
震える手で私の涙を拭う。
「も、もう! シチリったら……こ、こんなときに……」
「あぁ、楽になってきた……」
シチリが水を飲む。
「久しぶりにこんなに水を飲んだな……何だか、生き返ったみたいだ……」
「よかった……咳がとまりましたね……」
コップを受け取って、サイドテーブルに置く。
「ねぇ、マイカ」
「ん?」
――えっ?
振り返ると、あの頃のシチリがいた。
が、次の瞬間、それは錯覚だったと気付く。
「僕は……変わってしまったかい?」
「う、ううん、そんなことない! シチリは、ずっとシチリです!」
嗄れた声、白くなってしまった髪、でも……何も、何も変わってない。
いつも優しくて、私を一番に想ってくれて、楽しくて、かっこよくて、ちょっとだけえっちで……。
シチリは……シチリは……。
「いいんだ、でも……これだけは言っておきたくて」
「い、いやです! そんなの元気になったらいつでも聞きますから!」
涙を堪えて私が俯くと、シチリがそっと私の手を握った。
「マイカ……君への気持ちは、流星を見たあの夜から何も変わっちゃいない……。汽車に乗った時も、二人で初めて家を選んだ時も、こうしている今も、ずっと君を愛し続けてる……それが、僕のたったひとつの自慢なんだ……マイカ……」
「シチリ……シチリ……シチリぃ……だめ……だめです、許しません……許しませんよ!」
「……」
シチリが私に倒れかかってくる。
私はシチリをぎゅっと力一杯抱きしめた。
「シチリぃ……」
悲しみが込み上げる。
抑えきれない感情が堰を切ったようにあふれ出す。
「う……うわぁああああーーーーん、うわあああああーーーー!」
叫んだ。
泣いて、泣いて、泣き叫んだ。
狂ってしまえれば……どんなに楽だろう。
「うわあああああーーーー!」
彼のことを忘れられれば、どんなに楽だろう……。
「あああああぁーーーー!」
シチリの中には、もう誰もいなかった。
行ってしまった。
「うぅ……うぅわあああーーーん!」
ピウスは来てくれた?
私は……私のことは誰が迎えに来てくれるの?
シチリ……逢いたいです。
*
『一番海が綺麗に見える場所なんだよ』
シチリはそう言っていた。
ちょっと得意そうな、あの笑顔が忘れられない。
世界にはまだ、シチリが見たかった素晴らしい景色があるはずだ。
色んな場所へ行こう。
色んな景色を見よう。
色んな人に会って、色んな経験をしよう。
お気に入りの白いブラウスと青いスカート。
旅行鞄には、彼に貰った小さな鉄製の熊を入れて。
私は店の扉の前に立ち、掛け札を『CLOSE』にする。
静かに目を瞑り、そっと扉に手を触れた。
シチリとの思い出が脳裏に流れていく。
すべてが夢のようだった。
『――行こう、マイカ』
風に乗って、シチリの声が聞こえた気がした。
小さく頷いて、足を一歩踏み出す。
私は旅に出る。
いつか彼が迎えに来る日まで……。
完
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