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序
3、蜂宿
しおりを挟むあんなに気持ちの良い夏晴れだった空が、今はもう裾からどろどろと赤く暮れなずんでいっている。
俺は息を切らしながら、畦道を駆け降りていた。 足元の影はもうかなり長く伸びていて、じきに地面の凹凸もよく見えなくなるだろう。
田舎は街灯が殆んどないから、陽が沈んだら完全に真っ暗になってしまう。
そうなってしまう前に帰らなければ。
「今すぐこの村から出ていけ」
そう言って、今日初めて会ったばかりの双子の弟は俺のことを突き放した。
なんでそんなことを言われたんだろう?
知らないうちに何か怒らせるようなことでもしてしまったんだろうか?全く身に覚えはないんだけど……。
しばらくショックで呆然としてしまって、ようやく我に返った頃にはもうどこにも小宵の姿はなかった。
小宵を追いかけようと、俺は急いで石畳の坂を下った。
来るときは登ってきたんだから、とにかく下に降りればそのうち見覚えのある道に着くはずだと思ったんだ。
でも、どの家も似たような茅葺き屋根だから見分けがつかなくて、おまけにどの表札を見ても『翠蛾』と書いてある。
というか、そもそも降りている途中でどこかで道を間違ってしまったのかもしれない。
だって、もう来た時よりももっと長い時間歩いているはずなのに、おばあちゃんの家どころかまだ畦道にすら辿り着いてないのだから。
完全に迷子だ。
小宵に置き去りにされた俺は、帰りの道のりがわからなくなっていた。
「……っ、はぁ、」
足を止め、膝に手をつき前のめりになって肺に酸素を取り込む。
もう恥ずかしいとか言ってる場合じゃないので、次に行き着いた民家に助けを求めようって随分降りてきたつもりなんだけど……こう決めた途端にあの似たり寄ったりの茅葺き屋根が見当たらない。
むしろ徐々に山側に入り込んでしまっているというか、進むたびに緑が鬱蒼としてきているような。
辺りも薄暗くなってきたことだし、どうしようか、いっそ一旦引き返して大紫麻さんのところまで戻ってしまおうか。
そんな風に考えていると、密集した橘の葉の向こうにぼんやりとした橙色の明かりを見つけた。
引き寄せられるようにそちらに向かうと、途中で簡素な柵に行き当たる。
少し迷ったけど、俺は柵を乗り越えて明かりの元へと向かうことに。
すると、少し拓けた場所にポツンと建つ一軒の土蔵に辿り着いた。
明かりはその土蔵の格子窓から洩れている。
「あの、すみません。誰かいますか?道に迷ってしまって」
窓に向かって呼び掛けると、中から微かにひとの息遣いが聞こえた。
もう一度「すみません」と呼び掛けてみる。
ややあって、格子の隙間からひょこっと白い顔の男の子がこちらを覗き込んできた。
「あ、えっと」
……驚いた。
その男の子は髪も肌も白くて、目がウサギみたいに真っ赤だったから。
歳は俺と同じか、もう少し下くらいだろうか。
真っ白な姿は中性的、いや、むしろ神秘的だ。
畏れ多さがあるとでもいうべきか。
こんな逢魔が時に出逢ったものだから、あまりの現実感のなさに、一瞬妖怪とでも遭遇したのかと思ってしまった。
固まってる俺を見てどう思ったのか、男の子はこてんと不思議そうに小首を傾げる。
あどけない仕草にハッと目的を思い出し、俺は男の子に話し掛けた。
「勝手に入ってごめんなさい。俺はこの村に住む翠蛾テフの孫の蝶野朝陽といいます。慣れない道で迷ってしまって、祖母の家へはどう行けばいいでしょうか?」
男の子は霜柱みたいな睫毛をしばたたかせ、今度は反対側にこてんと首を傾ける。
そして、格子の隙間からひとさし指を差し出し俺の鼻先に突き付けた。
「ちょーの」
「えっ……?は、はい、蝶野です」
頷けば、男の子は次に自分を指差す。
「すがり」
「すがり……?ひょっとして、君の名前がスガリってこと?」
名を呼ばれたのがよほど嬉しかったのか、スガリは丸い歯を見せてニコニコと愛らしく笑った。
なんだか五歳くらいの幼児の相手をしてるみたいな感覚だ。
続けざまに、他にひとはいないかとか、ここは村のどの辺りなのかとか、俺はどうにかスガリと対話を試みようとした。
でも当のスガリは何を言われても「ちょーの」と「すがり」を繰り返すばかりで、まともな会話にはならなかった。
うーん、からかわれてるという感じでもなさそうなんだけど……。
でもこれじゃ埒が明かないので、やっぱり急いで大紫麻邸に引き返そうかと思った、その瞬間、
「何をしている!」
パッと懐中電灯の光を顔に当てられて、眩しさに目が眩んで俺は怯んでしまう。
すかさず駆け寄ってきた細身の男が、俺の肩を掴んで強引に格子窓から引き離した。
「お前、翠蛾のところのガキだな!?お前みたいな翠蛾の不信心者がスガリに何の用だ!」
「ぐえぇっ!?」
男は目を吊り上げて俺の胸ぐらに掴みかかり、そのままがくがくと強めに揺すってきた。
ふ、ふしんじんしゃ?いきなりなんだこのひと!
ろくな言い訳も出来ずに揺さぶられる俺の傍らで、スガリが泣きそうな顔で「くぼ、やめて」と格子に縋りついている。
「こら珠沙人、スガリが怯えてるだろう」
細身の男のあとから遅れてもうひとり、優しげな声質の男性が現れた。
三十代半ばくらいでがっちりした体格のその男性は、俺の襟を掴んでいた細身の男の手をやんわりと引き離す。
解放されゲホゲホと咳き込む俺の背を、男性は優しく擦ってくれた。
「君は……見たことがない子だね。どこの家の子かな?ここは蜂宿の家の敷地内なんだが」
「は、はちやど……?翠蛾じゃなくて……?」
喉仏を擦りながら、俺は男に夏休み中に祖母の家に帰省しに来たことをかいつまんで話した。
男は拳を口元に当てて興味深そうに俺のことを観察していたが、迷子になった一連の事情を聞くなり「なるほど」と微笑んだ。
「私は蜂宿スガレ。そこにいるスガリの兄だ。翠蛾村の一角で養蜂を営んでいる。そしてこっちは私のパートナーの珠沙人。珠沙人、まずは掴みかかったことを蝶野くんに謝りなさい」
三歩ほど離れた場所でずっと腕を組んでそっぽを向いていた珠沙人さんだったが、蜂宿さんに窘められて歯切れ悪く「悪かった」と一言呟く。
こういうのちょっと性格きつめの、男の美人っていうのかな?
シワのないシャツをきっちり台襟まで留めている佇まいは、彼の神経質な性格をそっくりそのまま物語っているようだ。
対して蜂宿さんは、彫りが深い顔立ちをしていていかにもハンサムだ。
一見おおらかそうだけど、彼の落ち着いた物言いに有無を言わせぬ響きがある。
あの声で命令されたらついなんでも従ってしまいそうで、ちょっと側にいると落ち着かないかも。
「俺の方こそ、知らなかったとはいえ私有地に勝手に入ってごめんなさい」
「構わないさ。下手に蜂箱に触れて怪我をする前でよかった。この村では大紫麻家と数軒の蜂宿家以外はみんな翠蛾という苗字だから、大方表札を見ただけじゃ家がどこが君のおばあさまの家なのかわからなかったんだろう?」
「……おっしゃる通りです」
素直に頷くと、蜂宿さんは「はははっ」と爽やかな笑い声を立てた。
「送っていってあげたいのはやまやまなんだか、これから私と珠沙人は養蜂場に夜の見回りをし行かなきゃいけなくてね。この道をもう少し降りた先に駐在所があるから、そこの駐在員を頼るといい。彼ならきっとどこの翠蛾がどの家か把握してるだろうから」
「あ……!ありがとうございます!」
良かった!これでどうにか家に帰れそうだ。
俺はもう一回ずつ蜂宿さんと気まずげに俯く珠沙人さんに頭を下げた。
それから最後にスガリの方を見る。
「ほら、スガリ。ばいばいって」
笑顔の兄に促されると、スガリははにかみながら「ばいばい」と小さく手を振ってくれた。
俺もスガリに手を振り返して、蜂宿さんに教わった通りに石畳の道を小走りで降りていく。
「またね、朝陽くん」
聞こえるか聞こえないかくらいの、蜂宿さんの意味深な囁きの真意にも気付かずに。
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