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『蜂』
17、十一日目
しおりを挟む明日からようやくバスの運行が再開だ!
まだ油断は禁物だけど、でも気持ちが浮き立つのを抑えられない。
「やっと、やっと家に帰れる……!」
「あさひ、かえれる?」
俺の独り言に、無垢な赤目がきゅるきゅるとこちらを見上げてくる。
「そうだよ、俺帰れるんだ」
「あさひ、かえれる!えへへ」
完全に受かれてる俺の様子に、明日は何か楽しいことでもあると思ったのか、スガリもきゃっきゃと機嫌良くはしゃいでた。
明日にはお別れだってこと、スガリはよくわかってないのかな?
だとすると、ちょっと心苦しい気もするけど……。
でも、スガリにはスガレさんがいるんだから何の心配もいらないか。
「なあ、スガリ。もし蜂宿の人たちが村から自由に出られるようになったらさ、スガリも俺の住んでるところに遊びにおいで。色んなところ案内してやるよ」
「?」
スガリは子どもっぽいから、遊園地とか連れてってあげたらすごい喜びそうだな。
あとは、山奥育ちだからおっきい魚のいる水族館とかも楽しめそう。
……だめだ、スガリと過ごす最後の夜だから、俺の方がちょっとしんみりしちゃってる。
せっかくスガレさんが「朝陽くんさえ良ければ」って言ってくれて、今夜はスガリの土蔵にお泊まりだってのに。
土蔵の中は意外と寒く、夏なのに掛け布団がないと身体が冷えてしまう。
俺は寝返りをうち、すぐ隣にくっついているスガリの頭を撫でる。
「今夜は眠くなるまでいっぱいおしゃべりしような」
スガリは猫みたいにぐりぐりと俺の手に顔を押し付けて、それから両手でキュッと俺の指先を握った。
「あさひ、だいすき」
「ん、俺もスガリがすきだよ」
俺たちは同じ布団をわけあいながら寄り添って、取り留めのない囁きと笑い声を交わし合う。
喋り疲れたスガリが眠ったあと、俺も畳んだ腕を枕にうとうとと眠りの浅瀬を揺蕩っていた。
蜂宿邸に滞在中、食事は災害用の備蓄として用意していたペットボトルの水と湯煎して食べられる袋の非常食みたいなのをわけてもらっていた。
村の水に抵抗があった俺のことを慮ってか、スガレさんは「定期的に消費してストックを交換してるものだから気にしないで」と言ってくれていたけど、やっぱり申し訳なさすぎだったので帰ったらネット通販でお返しを送らなきゃな。
あと、約二週間も食糧をわけてもらってた身でこんなことを思っちゃうのは本当にわがままだと自覚してるんだけど……すっっっ、ごい物足りなかった!
ああいう非常食って便利だしそれなりにはおいしいんだけど、量が少なくて全然お腹膨れなくて、それに食感も全部似たり寄ったりのどろどろなおかずだったからもう揚げ物が恋しくて恋しくて!
だから、麓に降りたら絶対最初に揚げ物食べるって決めてるんだ。
唐揚げもいいけど、やっぱ豚カツかな。
なんかサクサクしたやつが食べたい口なんだ。
ああ~、想像してたら食べたくなってきちゃった!
「あさひ、あさひ、」
「んがっ、ぁ?スガリ?」
豚カツの夢から俺を呼び覚ましたのは、泣きそうな顔のスガリだった。
「どうした?怖い夢でも見たのか?」
「おしっこぉ」
スガリは俺の服の裾を摘まみながら、もじもじと恥ずかしそうに内股を擦り合わせている。
そういやここってトイレは家の外に個別で設置されてるんだった。
この蔵からだと暗い中をちょっと歩かないといけないから、足の悪いスガリは不便だよな。
「おいで。一緒に行こう」
俺はスガリの抜けるように白い手を取り、スマホのライトで足元を照らしながらそっと蔵を抜け出した。
田舎の夜は人家の明かりが少ない分、月明かりが鮮明なので思いのほか足元が見える。
織るように絶え間なく鳴く夏夜たちの歌会を横切って、俺たちは本邸の傍に建つトイレ小屋に向かった。
先にスガリを済ませ、ついでに俺も用を足す。
蜂宿邸の裏手の立水栓で手を洗って、すっきりしたのでさあ土蔵に帰ろうとした、その時だった。
「……、」
それは確かにひとの声だった。
押し殺したような、啜り泣くような響きを帯びた呻き声だった。
なんだ、今の。蜂宿邸のリビングから聞こえたような。
我知らずスガリの手を握る手に力が籠る。
「あさひ?」
「しっ」
お口チャックの合図をすると、スガリはあわわと片手で口元を抑えた。
身を屈めて息を殺し、なるべく音を立てないようにリビングの窓に近付く。
今この家にはスガレさんと珠沙人さんしかいない筈だ。
第三者がいるのだとしたら、それは泥棒か、はたまたスガレさんに敵意を持った誰かか。
もしそんな輩が家に押し入ってきたのだとしたら、なんとしてでもふたりを助け出さなければならない。
そんなのは考えすぎの被害妄想で、気のせいであるならそれでもいい、むしろ気のせいであってくれ。
そう強く念じながら、俺は固唾を飲んで窓から暗いリビングを覗き込んだ。
すると……
「っ、い、いやだ……」
「嫌じゃないだろう?珠沙人、ちゃんと言いなさい」
暗がりの中から聞こえてきたのは、スガレさんと珠沙人さんの声だった。
強盗じゃなくて一安心するも、リビングで明かりも点けずにふたりで何やってるんだろう?ともっとよく目を凝らす。
よく見えないけど、テーブルの傍で立ったままふたりでくっついて何かゴソゴソやってるみたいだ。
「しっ、つこい!」
「君が意地を張るからだ。ここをこんなにベタベタにしておいて……」
「うぅ……!」
「言いなさい、珠沙人。何が欲しいんだ?」
「……っ!ほ、ほしい、お前が……」
「ふっ、いい子だ。ご褒美をあげよう」
「っあ、ああ……!」
ぎゃッ!思いっきりヤッてる!
いや確かに言ってたけどパートナーだって!でも滞在中に俺の目の前でふたりがそういう空気出したことなんかなかったからさぁ!あ、改めてそういう場面に出くわすと、ちょっとさぁ!
俺が勝手に色めき立っている間に、リビングでふたりの影が重なり生々しい水音やらなんやらが聞こえてくる。
「だめっ、だめぇ……いや、あっ、ぁあ!」
「イイ、の間違いだろう?ほら、君のここが、私のを締め付けて離してくれない。可愛いな珠沙人」
しかも窓が網戸になってるからモロに声とか音が外に洩れて丸聞こえだ……!
「にいさん?」
「……ッ!こッ、子どもは見ちゃだめだあ!」
リビングを覗き込むスガリの両目を目隠しして、俺は必死の思いで窓から離れた。
「ほ、ほら!いい子だからもう寝ようね!」
「やっ、あさひ、やぁ~」
ジタバタと暴れるスガリを引きずって、俺はなんとか土蔵へと逃げ帰る。
扉を閉めると、ホッと一安心だ。
……はぁ~、びっくりした!まだ心臓がバクバクいってるよ。
思わぬタイミングでふたりのパートナーとしての側面を知ってしまった俺は、明日の朝ふたりにどうやって顔を合わせようかと、火照った首から上をパタパタと手で仰いで冷ます。
この時の俺は完全に取り乱していて、冷静じゃなかった。
だから、スガリの身に起こった異変にすぐに気付くことができなかったんだ。
「あさひ、あさひぃ」
「わっ、どうした」
突然スガリが俺に抱きついてきた。
すりすりと嬉しそうに俺に顔を押し付けてきて、なんだかマタタビに酔った猫の姿を彷彿とさせる。
「あさひぃ……」
とろん、と蕩けたような上目遣いの赤が、媚びるみたいに俺を見詰めていた。
そこでようやくスガリの様子がおかしいことに気付いて、俺は腰に回った白い腕を外そうとする。
が、スガリの力が強くて振りほどけない。
「スガ、うわっ」
蔵の床に引き倒され、上から覆い被さるように抱き直される。
太ももの間にスガリのほっそりした足がねじ込まれて、股が密着した。
……寝間着浴衣の下にごりっと硬いものが当たっていた。
男なら誰でも覚えがある海綿体が膨らんだ肉特有の硬さだった。
頭の中に大紫麻邸で監禁されていた時の記憶が蘇って、全身の産毛が逆立った。
これまで無垢だと思っていたスガリが一気に汚いもののように感じて、気付けば俺は彼を蹴飛ばすように振り払っていた。
加減なしの抵抗に、スガリの軽い身体は狭い蔵の壁に当たる。
「あ゛ーー!あ゛ーー!」
どこかぶつけたのか、スガリは声をあげて泣きじゃくる。
でももうそれを可哀想って気持ちよりも、自分に性欲が向けられている嫌悪感の方がどうしても勝ってしまっていて、俺は彼を助け起こそうという気にはなれなかった。
「うぅ、あ゛さひぃ、あさひぃ」
「ひッ!」
スガリが両手を伸ばし、ゾンビ映画のゾンビみたいに俺を求めてくる。
俺は手探りでスマホを掴んで、土蔵の出入り口へと走った。
内鍵を外して扉を開けて、裸足のまままろび出るように外に飛び出す。
「まっ、てぇ」
掴まり立ちで追いかけてきたスガリが恐ろしくて、靴を取りに戻る間もなく俺はその場から走って逃げ出した。
どうしよう、どこに逃げればいいんだ?
そうだスガレさん、スガレさんならなんとかしてくれるかもしれない……!
スガレさんに助けを求めたい一心で、俺の足は自然と蜂宿邸の方角に向かおうとしていた。
だから、蜂宿邸に着くよりも先に彼の姿が見えた瞬間、俺はつい気を弛めてしまったんだ。
「スガレさん!」
勢い余って駆け寄る俺を、スガレさんは受け止めてくれた。
「どうしたんだい?朝陽くん。こんな夜中に靴も履かずにそんなに慌てて」
「助けてください!スガリが……!」
スガリの豹変を訴えようと顔を上げた瞬間、俺は再び言葉を失った。
俺の両手首をしっかりと捕まえたスガレさん表情が、とてもとても嬉しそうな、場違いなほどの満面の笑顔だったから。
「……す、スガレ、さん?あの、」
「駄目じゃないか、朝陽くん。逃げ出したりなんかしたら、スガリが傷付いてしまうよ。あの子は君のことが好きなんだから」
「は、」
スガレさんの手は逞しくて力強い。
俺の力じゃどう頑張っても振りほどけない。
傍らには珠沙人さんが控えていた。
乱れた寝間着姿の彼は、こちらと目を合わせようとはせず下唇を噛みながら俯いている。
「私はね、一生にただひとりだけを愛し、その相手だけと愛の結晶を結ぶことこそが何よりも素晴らしいと考えている。私にとって珠沙人がそうであるように、あの子にもいつかそういう相手が現れてくれたらいいなと、ずっとそう願っていたんだ。そうしたら、君が現れた」
頬を紅潮させ、恍惚といってもいいような調子で、彼はうっとりと冷や汗みずくで震える俺を見下ろしている。
呼吸、苦しいっ。息、あがって、
「今夜、あの子は蜂宿の本能に目覚めて初めて君という喜母を生殖相手に選んだんだ。あんなに幼かった弟が、今まさに大人の男になろうとしている。兄としてこんなに喜ばしいこと他にあるだろうか」
「っハァッ、ハァッ、ハァッ」
俺はなんて馬鹿なんだ。
前回喜母ってだけであんなに酷いことをされたってのに、なんでよりにもよって蜂宿の人間なんか信じちゃったんだ。
「さあ、朝陽くん。これより始まるのはスガリの成人の儀式だ。共に彼を立派な大人へと導いてやろうじゃないか」
思えば最初から全部おかしかった。
俺が吊り橋の前でへたりこんでた時、どうして蜂宿の人間が都合良くあんな場所に現れたんだ?
そんなのは決まっている。
備品の防火斧を使って吊り橋を落としたのは、秦巡査じゃなくて蜂宿スガレそのひとにほかならない。
あの時あの場所で出会ったのは偶然なんかじゃなかった。
あの男は逃げ道を求めてやって来た俺が、罠にかかるのをあの場所で悠々と待ち構えていたんだ。
馬鹿な俺はそんなことすら思い当たらず、相手の耳障りのいい言葉に上手く丸め込まれて……。
この男は最初から村の外に繋がる道を塞ぎ、スガリのための卵床として俺を蜂宿邸に囲い込む気だったんだ。
逃げられない!俺はもう、ここから逃げられない……!
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