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Ep.1 革命の足音

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「……燃えろ」

 一人の兵士の喉元に赤い炎が瞬時に咲き、その場で灼熱の渦が巻き起こった。悲鳴と怒号が響き渡る。

 ラナと男はくるりと背を向けて走り出した。

「水だ、水魔石を出せ!」

「光精霊殿所属はいるか!」

「三人いる! 一人ここに残す!」

「竜騎士団よ、此方第二警邏隊! 各地排水路点検道路の入り口にて待機を要請する!」

 後ろで繰り広げられる混乱に向かって、隣を走る男が何かを投げる。一瞬の後に爆発音が響き渡った。篭手に装着された弓は出しっ放しだ。

 どうしてこんなことになったのだろう、そう感じたラナの視界が突如滲んだ。だがしかし、転んではいけない。躓いてもいけない。だけど足がもつれそうになる。追ってきているのは死だった。

 導くのは、たった今彼女の手首を掴んだ男しかいない。

「出来るだけ足を動かせ」

 ラナが返事をする前に、ヴン、と魔石動力の起動する音が聞こえ、突如美しい翠の光が目の前に展開した。同時に凄まじい勢いで手首が引っ張られ、言われた通りに必死で足を動かす。もう何処を走っているかはわからなくなっていた。
男を見ると、その筋肉質な両脚には翠の光を放つシヴォライト鋼製の流麗な装甲が填められているのが、視界が滲んでいても理解できた。

「――後少しだ、気分の悪い臭いだが、耐えろ」

 前を見据えたままの彼に言われても、ただ手を引かれるだけのラナにはわからない。ただ、息遣いの他に水の音が聞こえた。

 幾つもの角を右や左に曲がり、小さな水路を何度も飛び越える。どれだけ時間が経っただろう、今は何の刻だろう。それすらも今のラナにとっては曖昧だった。

 どうしてこんなことになったのだろう。どうして誰かもわからない男と走っているのだろう。どうして帝国兵から逃げているのだろう。

 どうして。

 ラナは気付いたら口にしていた。

「貴方は誰」

「俺か」

 口の中で、見えた、と呟いたティルクが、自身の太腿に装着されている装甲に手を伸ばす。再び、ヴン、という音が鳴ると同時に、太い腕がラナの腰に回された。抱き締められたと思った瞬間に、腕は離れていた。

「……動力を切ったから、お前が前方に飛んでいって悲惨なことになった筈だ、ラナ」

 男は黒い外套の内側で何かを操作しながら、フェークライト鋼製の壁を指さしてそう言った。その壁には『南街区第二城壁内排水路点検道路』という文字が、大陸共通語とイェーリュフ語で彫り込まれている。その彫刻の上に、火魔石の小さな灯りが一つだけ煌々と揺らめいていた。脇には同じくフェークライト製の梯子、少し離れた所に大人数用の昇降機が設置されている。

 名前を呼ばれたことに気が付くくらいにラナは冷静になっていた。そして、その蒼い瞳が「竜の角」の地下で自分をじっと見つめていたことも、思い出した。

「貴方、よく「竜の角」に来ていた……どうして私の名前を知っているの」

「……お前は覚えていないか、俺と一緒に住んでいたことも」

 腕をとられてラナは震えた。肩からしっかり抱え込まれ、身動きが取れない。

「その腕輪はティリア……俺の姉のものだった、いつも左腕に付けていたから」

 大きな両手が頬を包み込み、赤い炎に揺らめく青の瞳がラナを射抜いた。親指は目元をぐい、と優しく拭っていく。その硬そうな口元が柔らかく微笑み、ぎゅっと抱き締められた。

「ティリアにそっくりだ……俺達が住んでいたところからある日突然ティリアとお前が消えて、何処へ行ったかもわからなくて、俺は住処を離れて、お前達が消えた原因を作った帝国を解体させることを誓い、アルジョスタに所属しながら、北街区から虱潰しに……何年も、十年以上経っても、ずっと探していた……数か月前にやっとここに辿り着いた、俺のことは覚えていないか?」

 ラナは温かい腕の中で首を振ったが、その瞬間に、自身を抱き締める少年がよく見る夢の中にいたことを思い出した。

「……ねえ、ずうっと前に、私を抱き締めてくれたことがあった?」

「何度もある、小さい頃か?」

「うん、十歳ぐらいの男の子だった……兄さんがいるのかな、って」

「……覚えている、俺だ……改めて言っておこう、俺はティルク、兄ではないが、お前のおじだ」

「おじさん」

 そう言いながら、ラナはその背にそうっと腕を回す。思い描いていた人は、兄ではなく、おじだった。イークに向かって、兄がいるかもしれない、と零した何日も前の出来事を彼女は思い出し、あの青年に二度と会えないかもしれない、ということにも気が付いた。

「おじさん」

 腕に力を入れてもう一度言えば、ティルクが少し居心地悪そうに身じろぐ。

「……名前の方で呼んでくれ」

「でも、どうして私を連れてきたの」

 逞しい胸元から誰かの声が歪に聞こえる。この場にいない誰かがティルク、と呼んでいた。それに気付いたティルクは抱擁を解いて小さくて四角い機械を取り出し、それに向かって突如、邪魔するな、と怒りを露わにした。それから、今上に向かう、もう一人いる、と告げる。

「お前の保護は既に俺が取り付けて許可を取ってある。心配することはない、一緒に行くぞ、ラナ」

 話し掛けていたものはどうやら無線機であったようだ。彼は胸元に仕込まれたポケットにそれを仕舞い込み、じっとラナを見つめてきた。

「……どうしても行かなきゃいけないの?」

「それ以外に行く当てがあるのか、竜の角はもう駄目だろう……あそこは今頃帝国兵の監視下に置かれている筈だ、俺が出入りし始めてから数カ月でわかったことだが、お前と顔馴染の客もかなり多いな……俺達と前から繋がっていた、なんて疑いを掛けられて連行されるのが目に見えている……先程も、あの場で俺が抱え込まなければ、あの美しい金髪の娘と同じように犯されていただろう……それか、命を奪われていたかもしれない」

 ラナは息を呑んだ。逡巡さえ許されていなかった。ティルクに連れ出された瞬間から、おそらくこうなる運命だったのだ。

 彼は続ける。

「それと、貴族の若い男を連れてきただろう、ラナ……あれに随行していた兵士はサフィとかいう一人だけじゃない、何人もいた……体格のいい男は偵察の兵士だった、そうして、出入りする俺達の尻尾を掴んだ……だから、あの酒場はやられた」

 淡々と響く声が、ラナの一番柔らかい所に、深く、深く突き刺さった。

 見つめ返した彼の瞳は驚くほどに真っ直ぐで、澄んでいた。

「……だが、何より、俺はここにたどり着いて、お前のその腕輪を見て、お前が誰なのかわかった……酒場の者に聞いて、ティリアが死んだことも知った……その瞬間に、俺が責任を取らなければ、俺がお前を守らなければ、と思った……この夜だけで、古い仲間も新しい仲間も、何人も死んだ、だが……だがな、帝国によって故郷が焼かれた俺にとっては、もうたった一人の家族だから、ラナ」

 ティルクはまるで身体中に走る痛みを全て飲み込んだかのように、目を細めてそう言い、ラナの身体を包み込むようにぎゅっと力を入れて抱き締めてきた。最後の方は少し震えた声だった。それから抱擁を解いて、彼は再び無線機を取り出し、それに向かって悪態をつきながら二言三言を預ける。

 たった今貰ったばかりのものをラナは噛み締めた。自分のせいで「竜の角」の人が沢山傷つき、死んだ、ずっと、自分と母のことを探していた人がいた。

「家族……」

 分かっていたけど傍にいるのが辛かった、愛している。母はただ、息を引き取る直前にそう言っただけで、父がどういう人物なのか、況してやその母に弟がいたことなんて、ラナには教えてくれなかった。物心がついてから十数年にわたる彼女の記憶は、酒場と南街区の噴水や通り、馴染みの客やナグラスとフローリシェ、サイア、母で埋め尽くされている。

 自らが傷付けた人達で、埋め尽くされている。

 ――信じていいのだろうか、守ると言ったこの人の、この温かい腕を。目の前にいる男はまだ二十を半ばほど超えたあたりの青年に違いないが、その目蓋や眉間、口元からは、積み重ねてきた苦労や越えてきた死線の数々が伺い知れた。

「――もうすぐ迎えが来る、この上は第二城壁だ。昇るぞ」

 彼は昇降機を無視した。何もかも失う直前に突然出現した頼れる腕が梯子の方へとラナを誘う。たったひとつだけ輝いている火魔石の照明に小さな人のような形をした精霊が一匹だけふわふわと纏わりつきながら、此方を監視するかのように赤い双眸を煌めかせて見ている。彼女がふと目を離した瞬間に、火精霊はいなくなっていた。

「後から来い、俺が術受けに立つ……お前を、必ず守る、ラナ」

 ティルクが梯子に手を掛けて言った。ラナはただ、頷いた。

 下水の臭いを嗅ぎながら梯子に手を掛け、昇る。術受けに先を行くティルクが音を立てずに水路の蓋を少しだけ開けたのが空気の流れで分かった。

 細かいことが感じられるぐらいには、ラナは冷静になってきていた。次いで、月光の下を滑るように出ていった大きな影が手を差し伸べ、天井に辿り着いた彼女がその手を取れば、安心感のある強い力で引っ張り上げた。

 ティルクは音を立てずに水路の蓋を閉め、息だけを吐く。

「そのまま真っ直ぐ第二城壁まで行くと城壁内に入る扉がある――行くぞ」

 言うが早いか再び手首を掴まれた。ヴン、という音を聞いた瞬間、腕がちぎれそうなほどの勢いで引っ張られ、ラナは叫んだ。急停止したティルクのせいで路地に投げ出され、とっさに受け身を取った瞬間に石畳へ肩から叩きつけられる。
彼女は呻いた。

「――すまん、ラナ」

 焦りを孕んだ声は申し訳なさそうに囁き、抱き起こす手は至極優しい。ラナは首を振った。

「大丈夫」

「……もう魔石装甲は使わないから」

 ティルクが気まずそうにそう言った瞬間、俄かに辺りの空気が騒めいた。

 二人は弾かれたように顔を上げた。シヴォライト鋼と石畳が打ち合う音が近付いてきている。

「――まずい、走るぞ」

 瞬時に立たされて伸びた背を支えられ、脚をもつれさせながらラナは走る。城壁まで辿り着いた瞬間に怒号が聞こえた。

「捕らえろ!」

「竜騎士団に無線を送れ! 第二城壁内、南街区排水路点検道路付近、地上!」

「女もいるぞ!」

「対象は城壁を昇り逃亡を図る模様!」

「同じだ、アルジョスタは捕らえろ!」

 第二城壁の内側をぐるりと一周する大通りの南街区側には徐々に飛べない帝国兵達が集まってきていた――此方に気付いている!

「入れ、速く!」

 城壁の番人しか所持していない認証カードを翳す必要のある扉を、ティルクがいつの間にか開けていた。フェークライト鋼の丈夫なそれは下から上にズルズルと音を立てて黒い穴を生み、闇の先に階段への道を示す火魔石の灯りが一斉に灯る。

 ラナはそこに飛び込んで階段を駆け上がった。

「サヴォラ! 何機だ!」

 振り返ると、ティルクが何かに向かって叫びながら腰のあたりを探っているのが見えた。

「すぐ飛べるか、動力機を起動させろ!」

「ティルク!」

「すぐ行く! 止まるな!」

 言うが早いかティルクが何かを投げ、その先で凄まじい爆発音が轟き、悲鳴や水音が石畳や壁に散って跳ねた。彼は三段飛ばしで階段を駆け上がってきてあっという間にラナと並ぶ。

「速く、出迎えも焦っている!」

「本当にいるの?」

「間違いない――俺に抱き着け、ラナ!」

 ヴン、という音が聞こえ、ラナは反射的にティルクの腰に抱き着いた。力強い腕が腰に回ったかと思うと、言い表しようのない浮遊感が胃に襲い掛かってくる。浮いていると思った瞬間に固いものを蹴り付ける衝撃が、おじの腕からどん、どん、と拍子を取って伝わってきた。

 怒号を遠く下に置き去りにして、高い城壁の上まで、ラナはティルクに抱えられていく。

 いつだったか、城壁の上に行きたいと竜の角で働く従業員のうちの一人が言い出して、それならば皆で行ってみようと城壁の番人に掛け合ったことがあった。酒場の同僚は皆気さくで、集まるのを好み、高いところや開けたところではしゃぐのを楽しむ連中だった。

 だが、城壁の上行きに許可は出なかった。番人でないと立ち入ることは出来ないとの回答を持ってきたのは、交渉役に丁度良いと出されていたサイアだった。

「耐えろ、あと少しだ」

 ラナは浮遊感と衝撃の合間に揺られながらそんなことを思い出していた。おそらく、同僚達の中で最初に城壁の上まで行ったのは――行くのは、彼女だけだ。他の皆はもういない。彼女は思う、自分の手で、壊してしまった。

 やがて、開け放たれた城壁の上への出口が薄い星光を迎え入れ輝いているのを見たティルクが八段飛ばしで階段を踏破した瞬間に脚部装甲の動力を止め、ふたりは夜空の下へ飛び出し、襲撃の宵闇に不釣り合いな程の明るい声で誰かが叫んだ。

「元気そうだね、ティルク!」

「アーフェルズ、お前こそ!」

 その場にへたり込むラナを強い力で引っ張りながらティルクが尖った声で叫んだ時、ラナは目の前にサヴォラが二機停泊していることに気付き、次いで、おじが呼んだ名前を知っている、ということに気付いた。

「無事も何も、私は牽引しながら飛んで城壁に来ただけだよ、ティルク……さあ、さっさとお暇しよう」

「ああ、下に帝国兵がうようよしている、お前もいるし、じきに竜騎士が来る、まずい……ずらかるぞ、アーフェルズ……ラナ、これをつけろ」

 アーフェルズ。そう言ったか?

 ティルクが何かを差し出しているらしいのを無視して、ラナはその名を持つ筈の者の方を振り仰いだ。アーフェルズは死んでしまったの?

 闇夜に紛れる黒に塗られた流線型の機体を持つサヴォラに乗り込んでいる人影が、顔の上部を覆う透明なグランス鋼の奥から此方を急かすような目つきで見ていた。見える上半身や腕はしなやかで張りのある筋肉に覆われ、月のない夜でも髪の色はわかった、星光に煌めく美しい金が癖もなく真っ直ぐ伸びているのを後頭部でひとつに纏めている。

「……アーフェルズ」

「……どうした、ラナ」

 ラナは妙な既視感に喘ぎ、ティルクがぎょっとした表情で振り返った。
夢の最後に泣く幼子の声が彼女の耳の奥に蘇る。アーフェルズは死んでしまったの?

「……アーフェルズは生きていたの?」

 僅かに震えるティルクの吐息が聞こえたのと同時に、サヴォラに乗り込んでいる人影がよく通る小さな声で断ずるように言った。

「その話は後にしようか」

 今はここから発つことが最優先だからね、と言うが早いか、彼が右手を翳してサヴォラ内部の何かを押し、動力機がヴン、と大きな羽虫の如き音を立てた。

 瞬間、黒い機体の側面から突き出す噴出口から、雨季のシルディアナで水滴を弾いて濡れ光る美しい緑葉の如く翠の閃光が術式発動音とともに迸り、風の精霊達が歓喜の声を上げて方々から生まれ、あっという間に集る。ティルクが茫然として動かないラナの身体を抱え上げていささか手荒にもう一機のサヴォラの後部座席へ押し込み、グランス鋼の覆いを彼女の頭から力任せに通して、自身もひらりと背凭れのない前座席に飛び乗る。

「行くぞ、ティルク!」

「俺の腰に掴まれ、今すぐだ、ラナ!」

 頭から被せられたものは何だという質問を噛み殺し無我夢中で筋肉の詰まった逞しい胴にしがみついた途端、動力機の起動音と術式発動音が聞こえ――臓腑がふわりと浮く奇妙な感覚がラナの身体中を支配した。

 精霊達の楽しげな笑い声が鼓膜から脳に木霊し、薄く目蓋を開けば、透明なグランス鋼の向こうに翠光が眩く煌めいている。

 ラナは、飛んでいた。

 尖塔の立ち並ぶ星光鈍き真夜中の薄明かりが広がる藍色の空と、頬を叩き掠めていく風の塊。髪は全て後ろへなびき、言い表しようのない高揚感がその身体を満たす。

 地平には美しく水魔石や火魔石の光に輝く白石の路地と、その周囲で駆け回る帝国兵の小隊が次々と現れては消え、を繰り返していた。何処まで行っても彼女は落ちなかった。彼女は翠に光る翼を持つサヴォラの上に、体勢を崩すこともなく、いた。

 これが夢ではないことをラナは知っている。何故なら、彼女の腕はたった一人の血を分けた家族を抱き、他ならぬ彼の温もりに導かれていることを実感していたからだ。

 自分の手で傷付けた酒場の同僚達や、行方の知れないナグラスやフローリシェの笑顔が頭の中でぐるぐる回って、涙となって溢れた。

 取ることのなかったサヴォラ免許のことが頭の隅を掠めて、涙と一緒に飛んで消えた。

 楽しそうな笑い声が響いてふと横を見れば、ひときわ美しく豪奢な翠色の髪を靡かせる精霊が、にっこりと親しげな笑みを浮かべた。宝飾を一切纏わず、衣は薄く柔らかく、力強くしなやかな若木の如し肢体は男のもので、大人になりきっていないその笑顔に、ラナは見惚れた。

「――精霊王フェーレス」

 風使いでもないのにどうして、と、ティルクの零した驚愕の声がひどくはっきりと聞こえる。次いで、その低い調べが精霊王への祈りの聖句を奏でて加護を求め、ラナも同調し、歌った。

  ――風よ
  古を駆ける旅人よ
  遠くいのち巡りて記憶辿る――

 聖句の途中にもかかわらず、フェーレスは微かに頷き、人に近しい翠の双眸をきらきらと輝かせながら二人の乗るサヴォラに向け、目を細めながら唇を開き――突如、何かに吸い込まれるように掻き消えた。

「まずい!」

 ティルクが叫んだ。どうしたティルク、という無線機の微かな声がラナの耳に届く。

「フェーレスと出くわしたが、加護を得る前に誰かに召喚された!」

 微かな機械音は、そのまま最大出力で西へ行け、と寄越してきた。

 聞こえる魔石動力の音が増えた。ちらりと後方を振り返れば、竜翼を展開するサヴォラが二機、術式強化の為のレファンティアングを高速で回しながら迫ってきている。その白銀の機体、月夜に光る金はロウゼルと竜の紋――帝国軍機だ。

「ティルク!」

「どうした!」

 ラナは叫んだ。すぐに返事がきた。

「軍のサヴォラ!」

 ティルクが魔石動力の出力を上げたのがわかった。しかし、二機は安全距離を保ったまま追従してくる。ラナは知っている、中等学舎をやめる直前に学んだ――お尋ね者がサヴォラに乗っている場合は追突事故を起こさないように一定の距離を保って動力源である風魔石が尽きるまで竜翼展開のまま延々と追い回す、ということを。

「まだ駄目、ずっとついてくる!」

「ラナ!」

 ラナは叫んだ。すぐに返事が来た。

 縋る背中はただ一つ。

 夢かと思えども夢ではない、ラナはティルクと共にいる。叫び声に応えるよう、がっしりした胴に回している腕に力を入れた。

「そのまましっかり掴まっていろ!」

 その言葉が聞こえた直後、微かに耳に機械音が届き、次いで翠光が砂漠燕を模った巨大な翼へと形を変えたのが見える。美しい流線型をした魔力の流れが風精霊を歓喜させた――ラナはこれから何が起こるのかを唐突に悟り、かたく目を瞑った。

 それは突然だった。

 臓腑が反転し、感覚が弾け飛ぶ。その時、突如誰かもわからない女の声が体の中心から響きわたり、思わず開いた目の前で光が弾け、記憶の奔流に飲み込まれたラナの胸が、どくりと一度、脈打った――
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