海線丘線

葦原蒼市

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1.復活

黄昏と記念館

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 山地の間を縫うように光が射し込んできて、まばらな人影のその影を伸ばしていく。土地の人間よりは観光客の方が多いのが常だが、それでも数える程である。なだらかな坂道を滑るように黄昏が下りる頃、当地では数少ない子供たちが記念館を通りがかる。これも日常の一である。
 「館長さん、今日はまだ開いてる?」
 「これからお買い物?」
 子供たちが頷くと、館長さんは優しく声をかける。
 「半分開けとくから、買い物済んだらいらっしゃいな。気を付けてね」
 こんなちょっとしたやりとりが道行く人の笑みを誘い、坂を上る人と下る人とが微笑み交わすきっかけになることもある。小春の黄昏は暖色を伴い、人影を包む。自身の影もまだ暫くその仄かな暖かさに投じていたかったが、区切りを付けるように、かつての待合室の戸をゆっくりと締め始める館長さんであった。
 半分締めたところで、坂の下から声が聞こえた。
 「佐良さよさーん!」
 この人物が現れるのは不定期ではあるが、想定内ではある。だが、今日は例会の予定が入っていた訳ではないので、些か不意を衝かれた格好になる。
 「あら、ハセショーさん、急用か何か?」
 「朗報です、朗報。ハーハァ……」
 「まだお若いのに、やぁね。まぁ中へどうぞ」

 記念館は三階建てになっている。一階が駅事務室と広めの待合室、二階はかつて駅長室や貴賓室などいくつかの部屋があったが、それらがそのまま展示室になり、駅名標、時刻表、制帽、手旗、日誌、年表など往年の鉄道資料やパネル写真が配されている。即ち実質的な記念館に当たる階である。三階は展示替えに備えた品々を保管する倉庫が主だが、一角に資料閲覧用の席が設えてあって、一部愛好者の好評を得ている。
 佐良がこの記念館の館長を務めるようになって、二十年余りが経っていた。隣接する平屋で一人慎ましく暮らしているが、専ら記念館に居て、事務室で入館者の対応をするか、待合室と館外を行ったり来たりしては、町の人々の世話を焼くのが長年の慣わしになっている。今日もいつもと同じように閉館時間を迎えた訳だが、朗報とやらが飛び込んでくる、というのはそうそうないことだ。
 「で、どうなさったの? 新しく温泉でも湧いたとか?」
 「いえ、で、電車……」
 ハセショーこと、長谷田庄は当地で福祉の仕事をする傍ら、かつての沿線の景観保全を担う市民団体の事務局長をしている。その団体の資料の一部は、この記念館の事務室の一隅に置いてあって、団体の例会も、ここの待合室で行うのがお決まりとなっている。庄は、言うなれば常連さんである。
 呼吸が整わないそんな常連さんを座らせて、佐良は茶を取りに行く。例会の時もそうだが、客が来るとつい気忙しく動いてしまう。庄が言葉を継ごうとする時にはすでに姿が見えなくなっていた。
 茶を一口啜り、満を持して朗報を語ろうとしたその時、半開きの戸を大きく開けて、また一人の常連客が現れた。
 「おさよさん、聞いたか? 復活だ復活!」
 「何よ、アナタいつも元気じゃない?」
 「違うよ、で、電、ン、ウゥ……」
 初老の哀しさか、思わず咽てしまった。この少々武骨な男、名は若杉徳久とくひさと云う。
 「やれやれ、人が話す手前で割り込んでくるから。佐良さん、わかったよね。電車が復活」
 「はぁ、復活……」
 「とりあえず会長が来たから、やるとするか」
 「あら、緊急集会?」
 「えぇ、これから集めます。空いてます、よね?」
 「子供たちが来ると思うけど、ま、大丈夫でしょ」

 会合ができるように常時セッティングしてある訳ではないが、枕木を再利用して作ったメインテーブルが常設してあるため、丸イスを適宜並べればそれで準備は整う。社会福祉協議会から譲り受けたホワイトボードなどの会議用品が揃っているのも心強い。ここは待合室 兼 会議室なのである。
 携帯電話で面々に連絡を取り始める庄を横目に、徳久は佐良を席に着かせ、したり顔で話し始める。
 「これで晴れて沿線協議会のようなものに格上げだ。これまでやってきたことが報われそうだよ」
 まだいま一つピンと来ていない佐良である。朗報なのはわからなくはないが、何がどうしてそうなったかが見えていない。
 「アナタ方がずっとやってきたことはわかるけど、復活させるのが目的だったの?」
 「成り行きっていうのかなぁ。やってたら、そういう話になったってことさ」
 「このご時勢におめでたいことね」
 お茶出ししようとする佐良だったが、徳久は引き止め、話を続ける。
 「まぁまぁ、そこで早速ご相談、て訳だ」
 「何かまだ話がよくわからないけど……」
 早々と連絡をとり終えた庄が、見計らったようにボードに曲線を描き出した。どうやら路線図のようである。
 「徳さん、まずは決まった話からしてあげなきゃ。佐良さん、ターミナルが新しくなるってのは聞いてますよね?」
 「国鉄のな」
 徳久が一言挟むが、
 「JRでしょ。用地買収が進んでるってのは聞いてたけど」
 すかさず佐良が切り返す。曲線の中間点で筆を止めていた庄は、含み笑い一つ、そこから横に交わる線を引き、さらにその交点を詳しく図解し始めた。
 「今はまだホームも線路も地面に接してる訳ですが、これが高架になる。その下を車も人も行き来できるようになる、で、そのついでに電車も、ってことです」
 「踏切がなくなるんで、南北間の移動が円滑になる。ま、地域活性化の一環ってやつだな」
 「活性化ねぇ。でも踏切は当然として、もしかして歩道橋も?」
 庄は描きにくそうにしながらも、その緩やかなアーチ式の歩道橋を高架の線路に重なる位置に描き加えた。
 「それなりに高さがありますからね。それにかれこれ三十年経つでしょ。今回の計画では撤去ってことになりますね」
 「そう……」
 例会の面々がチラホラと集まってきた。賑やかになる傍らで、佐良はその話し声をどこか遠くに聞いている。茶を出すでもなく、勿論立ち上がることもない。
 徳久が声をかけてきたのはしばらくしてからだった。
 「ま、とにかく風向きが変わったってことだよ、おさよさん。工事ついでってのはあるにせよ、時代が路面電車を求めるようになった」
 「また徳さん、古いな。今度のは路面電車って言っても、LRTだって」
 「そうそう、エルアール、えっとライトレールトラベル、いや」
 「トランジットですよ」
 「七見ちゃんから聞いたわ。欧米の路面電車の言い回しでしょ?」
 庄は相槌を打って、さらなる解説を加えようとするも、話の先を急ぐ徳久に制されてしまうのだった。
 「ターミナル本体は、国鉄が主に負担することになる訳だが、連続立体化云々てなると自治体も相応の負担をすることになる。幸い新年度の予算の補正が通って、事業費が上乗せされた」
 「ライトレールの分もメドが立った、ってことです」
 「じゃあ、電車は公営になるってこと?」
 佐良の発した問いは思いがけないものではあったが、徳久にとっては好都合だった。
 「まだ確定じゃないんだが、新会社をつくって、民営にする線が濃厚だ。天下り会社になったりしなきゃこっちとしてはとやかく言う心算はない。だが、人事ってのは予断ならない」
 「その会社にアナタ方は?」
 「経営のプロじゃないですからね。やはり沿線協議会どまりでしょう。側面支援です」
 庄はこう言うと茶を一口含み、小休止に入った。本題は徳久に委ねる按配らしい。
 「そこで、おさよさんなんだよ。丘線を代表して、経営陣に加わるってのはどうだい?ってこと」
 「ゆっくり走る乗り物の話にしちゃ、何だかせっかちねぇ」
 卓を囲む一同は、朗報に包まれている折、終始朗らかではあったが、これでまた一段の笑いが起こる。徳久は苦笑気味だが、笑顔であることに違いはない。複雑な表情をしているのは佐良ただ一人である。
 「経営ってのはねぇ……。私は父みたいになりたくないし、なれないし。とにかくお偉いさんに加わる気はないわ」
 「ま、今決めるもんでもないから、な」
 「私はこの記念館とイベント列車が残ってくれるならそれで。あとはまぁ、社長さんが決まってから、かしら」
 これを聞くや、庄は再びボードの前に立った。そして曲線の先に何かを書き足し始めるのだった。
 「そのイベント列車なんですが、実は新しい構想があるんですよ」
 「あら、いったいどんな?」
 「イベント列車用の引込線を旅客化して、温泉の入口まで延伸。ただ、駅は……。駅名はそのまま、丸町まるちょうでいいんでしょうけど、記念館を改装するか、新しい駅舎を造るか、そんな話になると思います」
 買い物帰りにひと休みしに来た子供たちが戸を開ける。大声が響いたのは、館長を呼ぼうとしたその時のことだった。
 「えっ! もうそこまで話が?」

 「館長さー……ん」
 ひと呼吸おいて、子供たちは小声で呼びかける。
 「あらあら、ごめんなさい。驚かしちゃったわね」
 我に返ったように佐良は、甲斐甲斐しく動き始めた。そして、来館者全員に飲み物を振る舞うのだった。
 「ハセショーさんから少しは聞いてたけど、随分と進んでたのねぇ」
 「なーに、これまで温めてた話さ。本決まりになったところで、一気に開花っていうか、パァーって、な」
 「これだから大人の決めることは……でも、ちょうどよかったわ」
 いつものように談笑する子供たちに目配せすると、佐良はこう問いかけるのだった。
 「みんな、路面電車、乗ってみたい?」
 顔を見合わせつつも、一様に首を下げ、子供たちは賛意を示す。二階で時々目にしているし、館長から昔話も聞いている。ただ、なじみはあっても、想像に過ぎなかったのが彼らにとっての路面電車だ。
 「子供たちが賛成してくれるんなら、いいんじゃない?」
 急な招集だった割には集まりがいい例会である。議案書などがない中ではあるが、至って議論は活発だ。そんなざっくばらんな場であるなら、子供の意見を聞く場面があってもいいだろうに、佐良はそんな風に思いつつ、子供たちの輪の中でしばし過ごすのだった。
 気が付くと日はとうに暮れて、外から寒気が伝わる時分になっていた。突然の話で面食らったせいもあるだろう。佐良は体がだるく感じられるようになってきた。子供たちを見送ると佐良は会の一同に静かに声をかける。
 「ごめんなさいね、ちょっと失礼するわ」
 「おさよさん、晩飯は?」
 「残り物があるから、宅で食べるわ。戸締り、消灯、よろしくね」

 ターミナル駅の南口からしばらく平野を走り、小高くなった田園地帯を抜け、山麓の温泉街の手前までを結ぶごく小さな電車があった。終点の町の名をとって、正式名称を丸町観光鉄道と言ったが、沿線住民は親しみを込めて丘線と呼んでいた。もっとも、観光と称するだけの要素がないことを土地の人間は承知していたので、正式な名で呼びたくなかった、という事情もあった。
 丸町は、なだらかな坂が織り成す景観美と随所に伝統的な家屋群が残ることで、今となっては観光地としての名目も立つに至っている。古風かつ豪壮な旧駅舎、即ち鉄道記念館も名所の一つであり、廃線跡もちょっとした話題になっている。温泉に近い、ということも追い風だ。電車復活に向けての素地が少なからずあったことは確かなのである。
 だが、人通りを見る限り、どこか機が熟していない観は残る。記念館がいくら切り盛りしたところで、然るべき観光案内施設が整っていない限り、客足は知れている。否、案内所云々ではない。何かが欠けているから、人を呼び込めないのではないか。そんな認識を持つ者は決して少なくはない。だが、電車を作れば客は来る、いや客が来そうだから電車を作る、といった議論にいつしかすり替わり、その議論すらまだ途上である中、今回の復活話が持ち上がってきた。
 佐良が居たたまれなかった理由はいくつかあるが、丸町が抱える課題がもしあるとしたら、その解決策が見つからないうちは電車復活も何もない、というのもあった。
 「いったい何のための復活なのかしら?」
 食事をしながら、思いを巡らせると考えもまとまってくる。気分が優れないのは変わらないが、妙な昂揚感とともに、顔の火照りを感じるのだった。
 佐良が眠りについて随分と経ってから、会合は散会となった。かつて丸町駅に最終電車が入ってきたくらいの頃合である。記念館周辺は今はただひっそりとしている。
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