19 / 200
1878ー1913 吉澤識
10-(2/2)
しおりを挟む
骨董商には、数日待合で遊んだ後に江西までの道中を遊び尽くして帰ってもらうことになっている。それでも礼には足りないほどだが、商売取引を融通することはない。
私と彼は、あくまで道楽友達だ。いつ縁が切れても互いに困らない。だから、いつ会っても最後と思い、別れを惜しみ礼を尽くす。
誰に対しても、別れを惜しまずとも常に最後のつもりでいる。
だが、宮田にはどうであったか。
別れの挨拶を失念していたな。失態だ。
夜も更けてひとり待合を出ると、何やら店先がうるさかった。声を荒らげる現地人の横に本国人の警察官や軍人らしき者がいる。事態は収拾したのか、引き揚げて行くようだ。
馬車の扉を開けて待つ加藤の頰と左腕に目が行った。
「……何があった?」
「何も」
私が睨むのをちらりと見て、加藤は不機嫌そうに答えた。
「馬が盗まれそうになりました」
ああ、それで警察か。それでお前は左腕を汚し、頰まで傷つけたか。
薄い切り傷に、血を拭った跡が残る。
「それだけか?」
「それだけです」
お前がわずかとはいえ傷を負い、「それだけ」か。
馬車自体に損傷はない。馬も穏やかだ。過去には、馬車に細工をして走行中の事故を装うものと、馬車に潜み私が乗り込んできたところを襲撃するものがあったが、今回は後者でも狙ったか。
何者かが骨董商のあとをつけてきた可能性は十分に考えられた。骨董商は誰にも味方せず、対価を出した分の情報をいつでも誰にでも提供する。私に警告を発してくれたのは、破格の大盤振る舞いといえた。
「お疲れ様でございました」
加藤は、何事もなかったように言った。宴席が終わったことへの挨拶か。
何がお疲れ様だ。これは完全に私的な遊びの宴だ。私が宮田のことを探っているのをお前はどうせ知っている。私が宮田にいつまでもこだわるから、こんな事態まで招いたと思っているのだろう。
ああ、お前は宮田が死んだことを既に知っていたのだな。お前には第二部との間に独自の情報網があるはずだ。今日こうして私が骨董商から事実を聞かされることもわかっていた。それでお疲れ様か。
加藤のいちいちが気に障った。
加藤を無視して馬車に乗り込む。
「深入りなどするから、心を残すのです」
捨てゼリフのような一言とともに扉が閉まった。
加藤! お前はどこまで人の気を逆なでたら気が済むのだ?
加藤に殴りかかりたい衝動を馬車に押し込められたまま、苛立ちが溢れた。
心を残す? 私が? 誰に?
もはやこの世にいない者に心を残してどうなる……。
ふと窓の外を見れば、闇夜に明るい星が見えた。
異国に倒れても、宮田の魂は故郷に帰れたであろうか。確か、信州の山奥の出だと言っていたな。
自然に湧き立った思いに、自分も本国人であることを強く意識した。
私は怪談の類に興味はない。信心深いということもなく、死者の霊魂など見たことがない。人情噺のように来世に望みを繋げるなど、くだらないとさえ考える。
死後にあの世へ旅立つのも盆に帰って来るのも、遺された者の慰めだ。
宮田はもういない。
私は、なぜいないのかが知りたい。
ただ、それだけだ。
私と彼は、あくまで道楽友達だ。いつ縁が切れても互いに困らない。だから、いつ会っても最後と思い、別れを惜しみ礼を尽くす。
誰に対しても、別れを惜しまずとも常に最後のつもりでいる。
だが、宮田にはどうであったか。
別れの挨拶を失念していたな。失態だ。
夜も更けてひとり待合を出ると、何やら店先がうるさかった。声を荒らげる現地人の横に本国人の警察官や軍人らしき者がいる。事態は収拾したのか、引き揚げて行くようだ。
馬車の扉を開けて待つ加藤の頰と左腕に目が行った。
「……何があった?」
「何も」
私が睨むのをちらりと見て、加藤は不機嫌そうに答えた。
「馬が盗まれそうになりました」
ああ、それで警察か。それでお前は左腕を汚し、頰まで傷つけたか。
薄い切り傷に、血を拭った跡が残る。
「それだけか?」
「それだけです」
お前がわずかとはいえ傷を負い、「それだけ」か。
馬車自体に損傷はない。馬も穏やかだ。過去には、馬車に細工をして走行中の事故を装うものと、馬車に潜み私が乗り込んできたところを襲撃するものがあったが、今回は後者でも狙ったか。
何者かが骨董商のあとをつけてきた可能性は十分に考えられた。骨董商は誰にも味方せず、対価を出した分の情報をいつでも誰にでも提供する。私に警告を発してくれたのは、破格の大盤振る舞いといえた。
「お疲れ様でございました」
加藤は、何事もなかったように言った。宴席が終わったことへの挨拶か。
何がお疲れ様だ。これは完全に私的な遊びの宴だ。私が宮田のことを探っているのをお前はどうせ知っている。私が宮田にいつまでもこだわるから、こんな事態まで招いたと思っているのだろう。
ああ、お前は宮田が死んだことを既に知っていたのだな。お前には第二部との間に独自の情報網があるはずだ。今日こうして私が骨董商から事実を聞かされることもわかっていた。それでお疲れ様か。
加藤のいちいちが気に障った。
加藤を無視して馬車に乗り込む。
「深入りなどするから、心を残すのです」
捨てゼリフのような一言とともに扉が閉まった。
加藤! お前はどこまで人の気を逆なでたら気が済むのだ?
加藤に殴りかかりたい衝動を馬車に押し込められたまま、苛立ちが溢れた。
心を残す? 私が? 誰に?
もはやこの世にいない者に心を残してどうなる……。
ふと窓の外を見れば、闇夜に明るい星が見えた。
異国に倒れても、宮田の魂は故郷に帰れたであろうか。確か、信州の山奥の出だと言っていたな。
自然に湧き立った思いに、自分も本国人であることを強く意識した。
私は怪談の類に興味はない。信心深いということもなく、死者の霊魂など見たことがない。人情噺のように来世に望みを繋げるなど、くだらないとさえ考える。
死後にあの世へ旅立つのも盆に帰って来るのも、遺された者の慰めだ。
宮田はもういない。
私は、なぜいないのかが知りたい。
ただ、それだけだ。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日当たりの良い借家には、花の精が憑いていました⁉︎
山碕田鶴
ライト文芸
大学生になった河西一郎が入居したボロ借家は、日当たり良好、広い庭、縁側が魅力だが、なぜか庭には黒衣のおかっぱ美少女と作業着姿の爽やかお兄さんたちが居ついていた。彼らを花の精だと説明する大家の孫、二宮誠。銀髪長身で綿毛タンポポのような超絶美形の青年は、花の精が現れた経緯を知っているようだが……。
(表紙絵/山碕田鶴)
神スキル【絶対育成】で追放令嬢を餌付けしたら国ができた
黒崎隼人
ファンタジー
過労死した植物研究者が転生したのは、貧しい開拓村の少年アランだった。彼に与えられたのは、あらゆる植物を意のままに操る神スキル【絶対育成】だった。
そんな彼の元に、ある日、王都から追放されてきた「悪役令嬢」セラフィーナがやってくる。
「私があなたの知識となり、盾となりましょう。その代わり、この村を豊かにする力を貸してください」
前世の知識とチートスキルを持つ少年と、気高く理知的な元公爵令嬢。
二人が手を取り合った時、飢えた辺境の村は、やがて世界が羨む豊かで平和な楽園へと姿を変えていく。
辺境から始まる、農業革命ファンタジー&国家創成譚が、ここに開幕する。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
アララギ兄妹の現代怪異事件簿
鳥谷綾斗(とやあやと)
ホラー
「令和のお化け退治って、そんな感じなの?」
2020年、春。世界中が感染症の危機に晒されていた。
日本の高校生の工藤(くどう)直歩(なほ)は、ある日、弟の歩望(あゆむ)と動画を見ていると怪異に取り憑かれてしまった。
『ぱぱぱぱぱぱ』と鳴き続ける怪異は、どうにかして直歩の家に入り込もうとする。
直歩は同級生、塔(あららぎ)桃吾(とうご)にビデオ通話で助けを求める。
彼は高校生でありながら、心霊現象を調査し、怪異と対峙・退治する〈拝み屋〉だった。
どうにか除霊をお願いするが、感染症のせいで外出できない。
そこで桃吾はなんと〈オンライン除霊〉なるものを提案するが――彼の妹、李夢(りゆ)が反対する。
もしかしてこの兄妹、仲が悪い?
黒髪眼鏡の真面目系男子の高校生兄と最強最恐な武士系ガールの小学生妹が
『現代』にアップグレードした怪異と戦う、テンション高めライトホラー!!!
✧
表紙使用イラスト……シルエットメーカーさま、シルエットメーカー2さま
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる