182年の人生

山碕田鶴

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1878ー1913 吉澤識

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 加藤の手がゆっくりと伸びてきて、私のランプを奪った。足元の後方に置いたのか、視界がかなり悪くなる。
 暗闇は恐怖を増大させる。お前は知ってやっている。
 背後から回った加藤の右手が胸元から迫り上がり、私の首を正面から押さえた。
 身体が加藤を恐れて震える。落ち着け。頭はまだ冷静だ。最善を考えろ。次善をみつけろ。
 手の力が強くなった。だが、加藤は首ではなく顎を押し上げ、私に天を仰がせた。喉元の指はなおもすぐに締められる位置にある。
 加藤は私の耳元に口を寄せて訊いた。

「なぜ逃げない?」

 この体勢で逃げられるわけがなかろう。
 加藤に押さえ込まれた私は、声を出すこともできなかった。

「宴席で老人に警告されただろう?  貴様は消される。第二部は貴様を見限った。誰も貴様を助けない」

 なんだ、お前はとうとう正体を明かすのか?  そして、私は用済みか。

「か……とう……」

 私は目を閉じて、かすれる息にようやく声を乗せた。
 この薄明かりで、お前からは私が良く見えているか?  加藤、私を見ろ。
 ワタシヲミロ。
 唇を動かすが、伝える言葉などない。ただ注意を引くだけだ。
 わずかに加藤の首が動いた。私の口元に視線をやるのがわかった。
 その一瞬の隙に、肘を振り上げた。

 ドッ

 加藤のみぞおちを思いきり突き、振り返りざま足を払って加藤から逃れた。
 加藤はよろめき姿勢を崩す。
 走りきる自信などない。だが、加藤の恐怖を払い、冷静な頭に戻れると確信した。
 厩舎からはわずかに離れた。屋敷には全く近づいていない。
 私はそれこそ一瞬で背後から組みつき倒された。
 ひんやりとした土からカビた匂いが広がる。

「クククッ。どうやったらお前のような馬鹿力になれるのだろうな?  全く理解に苦しむ」

 地に伏した私の背に、立ち上がった加藤の足が踏み下ろされた。

「がはっ……」

 肩甲骨の間を圧迫されて息ができない。
 すぐに足の力を抜いたのはわかったが、私は身動きが取れないままだった。加藤が体重をかければ、心臓と肺が押しつぶされるだろう。

「……加藤、愉快だな。それがお前の本性か?  そっちの方がいい。お前といて、こんなに愉快なのは初めてだ。……生きていると実感できる」

 私はなおも話し続けた。加藤の反応をうかがっていた。なぜこの状況になっているのかがわからない。

「そうだ。貴様は生きている。あれは死んだのにな」

 宮田のことか? それとも、同じ第二部に所属していた山本か……?
 加藤に向き直ろうと身体を動かした途端、加藤の足が私を強く押しつけた。

「うぐっ……」
「貴様がいくら探っても、あれの死は表に出ない。真相は残されない」

 加藤は怒っている。
 私に怒っているのだ。宮田たちの件だ。
 何を……私の何を怒っている?

「お前は……何を知っているのだ?」

 加藤が足を上げた。

「あがっ!……」

 再度踏みつけられた瞬間、喉の奥に衝撃が走った。
 加藤はこれでも手加減しているに違いない。背に足が当たったと同時に、動きを止めたのがわかる。息の根を止めるまでの衝動に駆られるのを理性で抑えつけているのがわかる。
 遠くに揺れるランプの灯りを見ながら、遠ざかる意識を必死にとどめた。

「宮田は、現地協力者を守ろうとして山本と口論になった」
「現地協力者……」
「山本は、宮田が南京の活動拠点を探し当てたことに驚いていたようだぞ。情報提供者を割り出して消そうと考えたらしい。宮田はそれを阻止しようと説得を試みた」

 宮田の死の原因は私だというのか?
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