182年の人生

山碕田鶴

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1878ー1913 吉澤識

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 吉澤識の人生は終わった。
 私は父の自慢であり誇りである。
 十分過ぎるはなむけではないか。
 ふわりと漂うように私はさまよっていた。心が軽くなると、この世のことわりから解き放たれて大地に縛られなくなるのかもしれない。
 怪談どおりの幽霊だ。幽霊が見える生者は昔から本当にいたらしいな。あるいは私の意識が怪談話に引きずられて、この形を成しているのか。
 こうして執着を手放し軽くなって天へ昇れば、あの世に着くだろうか……。
 過去を覗くのには飽きていた。温故知新をもはや実践できない私が見て、今さら何になるというのだ。
 未来を覗くのにもうんざりしていた。どうせ私は干渉できない。いっさい無縁の明日に未練が増すだけではないか。
 そう、私は今を生きたいのだ。
 もはや叶わぬ望みと知りながら、現実を全く受け入れられずにいることに気づく。
 肉体が死して後まで、なぜ意識があり続ける? なぜ役にも立たない過去や未来を見て回れる? この世を諦めるための、拷問の如き試練だとでもいうのか。
 モヤモヤと渦が巻く。考えるほどに鬱々と、この世への執着が増していく。
 自分の心を落ち着かせるために、合理的な仮説を立ててみる。
 私は、人ならざる大きな存在あるいは大きな仕組みが保持する記録に触れることができている。そして、私が見た未来は、あくまでも現時点での予測値だ。現在のあらゆる状況に照らして推測できる可能性に過ぎない。
 水面に雨が一粒でも落ちれば波紋が際限なく広がるように、わずかな行為によってさえ状況は広範に影響し、未来は刻々と変化し続ける。
 全人類が個々に動けば、それこそ豪雨の如き変化が起きる。未来は予定調和などではない。常に流動的なのだ。神の活動写真などどこにもないし、ある時点で見た未来が次の瞬間に変わっても、我々は誰も当初の予測値を知らないから変化に気づく必要などない。
 要は、何も決まっていないのだ。今日の状況が明日を作る。それだけだ。
 そういえば、けいの妻の実家には占い師が出入りしていると聞いたことがある。政財界の人間にはお抱え占い師がいるという噂は本当かもしれないな。彼らはこの世にいながら今の私のように予測値の未来が見えるのであろうか。
 父は商売のためにあらゆる情報を集めて常に先読みをしていたが、それも立派な占いではないのか。
 ……ああ、またこの世に意識が向いている。
 霊魂が存在する理由も時間の流れから離脱できる原理も、この世に縛られる限り想像すらできなさそうだ。
 いつのまにか私は地面に立っていた。生への執着があの世を遠くしたのか。
 私は愚かだ。これでは孤独にさまよい続けるだけだろう。
 私が消えても吉澤組に支障はない。大陸駐在所の連中、こと責任者たる副所長の経は全く動揺しなかった。
 あれは表面的に平静を装っていたわけではあるまい。こうなることがわかっていたのだ。
 経は私と第二部との関係を知らないはずだ。第二部の大陸部署とて、吉澤の内情、経の外戚の動きまでは知らないだろう。
 知らない者どうしが、私が邪魔だという一点で繋がったのか?
 常に疑え。仲間こそ疑え。兄弟こそを……己の判断こそ疑えば良かったというのか。
   ……いや。この世は、もはや私とは関わりのない世界だ。この先は成るように成る。考えても仕方あるまい。
   ほんのわずかに浮く感覚があった。寂しさを涙で落とせば天に近づけるであろうか。   
   涙の重さも感触も思い出せない。私はもう泣くことすらできないのだ。



 どれくらい時が過ぎたのか。
 気づくと私は見知らぬ森にいた。
 ふわふわと漂ううちにこんな山奥に流されたのか。本国であることは確かなようだ。
 死後の景色は、どれも薄かった。生前と変わらずはっきりと見えてはいるが、薄い膜を一枚通したような感じであった。光も音も、どこか遠いものに思えて寂しさが募る。
 頭の中もぼんやりともやがかかったような状態になってきていた。
 あたりを見回すと、川辺に男が一人立っていた。
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