182年の人生

山碕田鶴

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1913ー1940 小林建夫

16-(5/5)

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 ヤイを帰した後、私は僧侶に宮田が殉職したことと私の素性を語って聞かせた。機密に関わることを除き、吉澤識が知る宮田亨栄きょうえいの全てを伝えた。宮田はそれを見ているのだろう。

「吉澤様、生きている時に幽霊が視えない者は、死後も視えぬようです。亨栄は、ヤイのように強い力は持っておりませんが、幼い頃から何やら視えていたフシがあるのです。あれは吉澤様のお姿がずっと視えていたのでしょう」
「僧侶殿。私は小林ですよ。小林建夫たけおとして生きる者です」
「そう……でしたね。吉澤様は大陸で最期を迎えられた」

 一瞬の間があった。大陸で最期を迎えたのは宮田も同じだ。

「貴方様のお陰で私は亨栄に会えた。視えやしませんがね。でも、貴方様が死者と話がしたいと言ったからヤイを呼び、私は亨栄にこうして別れを言える。こんなにありがたいとことはありません」
「僧侶殿は視えずとも霊を信じますか」
「本当のところはわかりませんよ。でも……人を知るとは、その者が自分の内に存在するようになることです。たとえその人が亡くなろうとも、こちらの思いが消えてなくなるわけではない。亨栄を知る者が誰もいなくなった時、あれは真に消え去るのではないでしょうか。まあでも、信じるも何も今私がこうして吉澤様と話しているのだから、これが現実なのでしょう」

 虚ろに笑う僧侶は、私の頭上に宮田を探しているようだった。

「僧侶殿、今はまだ葬式を出すことさえ叶いませんが……ご子息の死は、いずれ明かされます。ご子息と同じ部署にいた男が、隠蔽を阻止してくれましたから」

 ザンッ!

 突然、目の前の障子が開いた。

「あ……」

 誰もいない。いや、宮田ならいる。

「亨栄か?   何を怒っておる?」
「僧侶殿、なぜ怒っているとわかります?」
「いや、お恥ずかしい。あれは昔から短気で激昂しやすいところがありましてな。早く葬式を出せということか? ここは寺だ。いくらでも供養はしてやるから大人しくしておれ。吉澤様? 何か他にお心当たりでも?」
「さて」

 そうか、お前は激情型か。取り澄ました顔の下に、ずっとそれを隠していたのか。
 私の破顔につられて僧侶も笑っていた。会うことの叶わない息子に、せめて声が届くとわかったことが慰めになっているようだ。
 宮田がここにいると意識した途端、私も僧侶も怪異を宮田に結びつけてしまう。なんとも単純であるな。
 今の現象が宮田の仕業であるならば、お前は加藤に怒っていたのか? 
 不意に加藤の赤い手を思い出し、身震いがした。肉体の記憶が魂にまで浸透して、心えぐられる恐怖を植えつけられてしまったのか。あんな狂気の快楽に愉悦する趣味はない。二度とごめんだ。
 まさか宮田は、幽霊の加藤を私のように導きながら地獄へ追いやったのではあるまいな。
 ごとで不快を拭い去りながら、この状況をあっさりと受け入れている僧侶の様子が気になった。

「僧侶殿は私が嘘をついているとはお考えになりませんか? ヤイと口裏を合わせて、ご子息が他界したと思わせているだけかもしれませんよ?」

 うはははは。意地の悪い問いを僧侶は一蹴した。

「坊主が人を信じなくてどうします? それにまず、貴方様が小林さんではないことは確かだ。小林さんは貴方様のように強くはなかった。貴方様が寺に運ばれてきた時、私は目の前の人間が誰なのかわからなかった。小林さんの姿をして小林と名乗ってはいるが、記憶の障害で人格まで変わるものかと驚きました。本人が小林と言い張るのだからやはり小林さんなのだろうと自分を納得させたものの、体が良くなって起き上がれば、たたずまいから違うのです。軍人になった亨栄とよく似ていると思いましたね。所作の一つ一つ、箸の持ち方からして美しく、もう全くの別人ですよ」
「え?」
「……小林さんは気の弱いお人でした。村のために尽くしたのは本当です。私欲がなくて村人から慕われたのも事実です。ただ、経営者には向かなかった。この県域は、養蚕、製糸業が広がっています。輸送のための鉄道が来て、石炭も届きやすい。この村はその中心から外れますが、それでも工場を作れば確実に豊かになれると言われてその気になった」
「斡旋の者に騙されたのか? あの古い器械では数が多くても十分な利益にはならないでしょう。帳簿を見たが、工員も多過ぎる」
「働く先のない子らを社員として引き取り、親のように面倒を見ていたのです。まあ、理想が高過ぎた。文明開化のきらびやかな話は村にも伝わってきましたから、夢を見過ぎたのです。もちろん己を犠牲にして限界まで力を尽くしてくれました。結局この世を諦めて、皆を置いて行ってしまった。そういうことです」

 このまま工場が潰れたとて、感謝こそすれ責める者はいなかっただろうに。
 独り言のようにつけ加えた僧侶の言葉には、哀れみが感じられた。
 小林は既にあの世か。仕方あるまい。ならば、私の好きにして良いということだ。

「……では、恩返しには名誉を。この身体をいただいたお礼に、きっと工場を再建してみせます。小林さんには報徳の聖者になってもらいましょう」

 それで村は豊かになるだろうか。宮田は安心できるだろうか。
 小林が見た夢を叶えることが、彼への供養になるであろうか。



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