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1913ー1940 小林建夫
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識殿は噂に違わぬ道楽者でした。
……違う。父が聞きたいのはそんなことではないはずだ。私が伝えておきたいのは、そんなことではない。
吉澤識は幸せだった。
好き勝手させてもらったことへの感謝を伝えたい。最期まで悔いなき人生であったことを伝えたい。
私をこの時代、父の元で生かしてくれたことに感謝していると知ってほしい。
いや、父ならばどれも知っているか。全てお見通しだったからな。
私は自然と顔をほころばせていたのだろう。小林の身体は、本当に感情が抑えられなくて困る。
父は何も言わず、ただ私を見ていた。
「識殿は常に楽しそうでした。日々悔いなく人生を楽しんでおられた」
私はこの世を楽しんでいた。見るもの聞くもの全てが喜びであった。だからこそ、こうして未練がましく生き続けているのだ。
「……そうですか」
父は控えの者を呼ぶと、一枚の紙を持って来させて私に見せた。出資の契約書だ。
「返済無用です。これはあなたへの投資とお考え下さい。これから、良きおつきあいをいただきますよう」
商談成立か。小林は父に信用されたらしい。小林は識を本当に知っている。そう受け取ってもらえたということだ。
父と握手をする。緊張で手が震えた。
「ところで小林さん。どこまで先をお考えか?」
柔らかな笑顔のまま、厳しい視線が私を射る。
「製糸はこれから確実に伸びます。ただし、五十年後の保証はありません」
「……でしょうな。貴方の未来展望に異論はないが、工場の計画が甘過ぎる。素人同然だ。及第点にも及ばない。よくもこんな程度で私に吹っかけてきたものだ」
父は楽しそうに笑っていた。
「小林さんの会社にすぐうちの者を差し向けます。工場と用地の確認ができ次第、計画は立て直してもらいますよ。器械の手配は即応できるが、小林組の工場をそのまま使えるかがわからない。周辺の工場と結社を作るのは賢明ですな。契約書類はこれから擦り合わせますが、まずは一筆いただけますかな」
製糸業に素人だったのはお互い様だが、父は既に専門の社員でも入れたのか。
今の私には、吉澤のような大きな名も地位も経験もない。情報を仕入れるのさえ難しい。小林はそれでも村のために工場を作ったのだ。十分過ぎるほどに立派な男であったな。
「あの、大変ありがたいお申し出ではございますが、なぜそこまでしていただけるのでしょうか」
私は恐縮して訊いた。吉澤弥彦は慈善事業などしない。及第点以下の私になぜ投資を決断したのか。
「勢いがある。未来が見えるからですよ。貴方の会社の製品をうちで流通させる。悪くはない。それに、育て甲斐がありそうだ。失礼ですが小林さん、貴方はどこかうちの愚息を思い出させる。何をしでかすやら、楽しみですな」
小林建夫。私は何度も模して習得した字を契約書に記した。
私は小林だ。小林建夫として、時代をこの目で見続けるのだ。
……違う。父が聞きたいのはそんなことではないはずだ。私が伝えておきたいのは、そんなことではない。
吉澤識は幸せだった。
好き勝手させてもらったことへの感謝を伝えたい。最期まで悔いなき人生であったことを伝えたい。
私をこの時代、父の元で生かしてくれたことに感謝していると知ってほしい。
いや、父ならばどれも知っているか。全てお見通しだったからな。
私は自然と顔をほころばせていたのだろう。小林の身体は、本当に感情が抑えられなくて困る。
父は何も言わず、ただ私を見ていた。
「識殿は常に楽しそうでした。日々悔いなく人生を楽しんでおられた」
私はこの世を楽しんでいた。見るもの聞くもの全てが喜びであった。だからこそ、こうして未練がましく生き続けているのだ。
「……そうですか」
父は控えの者を呼ぶと、一枚の紙を持って来させて私に見せた。出資の契約書だ。
「返済無用です。これはあなたへの投資とお考え下さい。これから、良きおつきあいをいただきますよう」
商談成立か。小林は父に信用されたらしい。小林は識を本当に知っている。そう受け取ってもらえたということだ。
父と握手をする。緊張で手が震えた。
「ところで小林さん。どこまで先をお考えか?」
柔らかな笑顔のまま、厳しい視線が私を射る。
「製糸はこれから確実に伸びます。ただし、五十年後の保証はありません」
「……でしょうな。貴方の未来展望に異論はないが、工場の計画が甘過ぎる。素人同然だ。及第点にも及ばない。よくもこんな程度で私に吹っかけてきたものだ」
父は楽しそうに笑っていた。
「小林さんの会社にすぐうちの者を差し向けます。工場と用地の確認ができ次第、計画は立て直してもらいますよ。器械の手配は即応できるが、小林組の工場をそのまま使えるかがわからない。周辺の工場と結社を作るのは賢明ですな。契約書類はこれから擦り合わせますが、まずは一筆いただけますかな」
製糸業に素人だったのはお互い様だが、父は既に専門の社員でも入れたのか。
今の私には、吉澤のような大きな名も地位も経験もない。情報を仕入れるのさえ難しい。小林はそれでも村のために工場を作ったのだ。十分過ぎるほどに立派な男であったな。
「あの、大変ありがたいお申し出ではございますが、なぜそこまでしていただけるのでしょうか」
私は恐縮して訊いた。吉澤弥彦は慈善事業などしない。及第点以下の私になぜ投資を決断したのか。
「勢いがある。未来が見えるからですよ。貴方の会社の製品をうちで流通させる。悪くはない。それに、育て甲斐がありそうだ。失礼ですが小林さん、貴方はどこかうちの愚息を思い出させる。何をしでかすやら、楽しみですな」
小林建夫。私は何度も模して習得した字を契約書に記した。
私は小林だ。小林建夫として、時代をこの目で見続けるのだ。
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