182年の人生

山碕田鶴

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1913ー1940 小林建夫

18-(2/2)

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 識殿は噂にたがわぬ道楽者でした。
   ……違う。父が聞きたいのはそんなことではないはずだ。私が伝えておきたいのは、そんなことではない。
   吉澤識は幸せだった。
 好き勝手させてもらったことへの感謝を伝えたい。最期まで悔いなき人生であったことを伝えたい。
 私をこの時代、父の元で生かしてくれたことに感謝していると知ってほしい。
 いや、父ならばどれも知っているか。全てお見通しだったからな。
 私は自然と顔をほころばせていたのだろう。小林の身体は、本当に感情が抑えられなくて困る。
 父は何も言わず、ただ私を見ていた。

「識殿は常に楽しそうでした。日々悔いなく人生を楽しんでおられた」

 私はこの世を楽しんでいた。見るもの聞くもの全てが喜びであった。だからこそ、こうして未練がましく生き続けているのだ。

「……そうですか」

 父は控えの者を呼ぶと、一枚の紙を持って来させて私に見せた。出資の契約書だ。

「返済無用です。これはあなたへの投資とお考え下さい。これから、良きおつきあいをいただきますよう」

 商談成立か。小林は父に信用されたらしい。小林は識を本当に知っている。そう受け取ってもらえたということだ。
 父と握手をする。緊張で手が震えた。

「ところで小林さん。どこまで先をお考えか?」

 柔らかな笑顔のまま、厳しい視線が私を射る。

「製糸はこれから確実に伸びます。ただし、五十年後の保証はありません」
「……でしょうな。貴方の未来展望に異論はないが、工場の計画が甘過ぎる。素人同然だ。及第点にも及ばない。よくもこんな程度で私に吹っかけてきたものだ」

 父は楽しそうに笑っていた。

「小林さんの会社にすぐうちの者を差し向けます。工場と用地の確認ができ次第、計画は立て直してもらいますよ。器械の手配は即応できるが、小林組の工場をそのまま使えるかがわからない。周辺の工場と結社を作るのは賢明ですな。契約書類はこれから擦り合わせますが、まずは一筆いただけますかな」

 製糸業に素人だったのはお互い様だが、父は既に専門の社員でも入れたのか。
 今の私には、吉澤のような大きな名も地位も経験もない。情報を仕入れるのさえ難しい。小林はそれでも村のために工場を作ったのだ。十分過ぎるほどに立派な男であったな。

「あの、大変ありがたいお申し出ではございますが、なぜそこまでしていただけるのでしょうか」

 私は恐縮して訊いた。吉澤弥彦は慈善事業などしない。及第点以下の私になぜ投資を決断したのか。

「勢いがある。未来が見えるからですよ。貴方の会社の製品をうちで流通させる。悪くはない。それに、育て甲斐がありそうだ。失礼ですが小林さん、貴方はどこかうちの愚息を思い出させる。何をしでかすやら、楽しみですな」

 小林建夫。私は何度も模して習得した字を契約書に記した。
 私は小林だ。小林建夫として、時代をこの目で見続けるのだ。



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