101 / 200
1974ー2039 大村修一
51-(2/3)
しおりを挟む
「息……していなかったんです」
「そうか……いよいよお終いか。どうりで死神が優しかったわけだ」
相馬の顔は真っ青だった。
「私はまだ生きているよ。ああ、君が人工呼吸をしてくれたのか」
「していませんって」
すう、と深呼吸をした。
自然な死を迎えるのは初めてで、どうしたらよいのか勝手がわからないな。
「イオンを……君に託さないといけないな。この身体は、本当にもうダメそうだ」
「……教授、すみません。出入り禁止になったのに来てしまいました。このまま、朝までここに置いて下さい。今日だけで……いいんです。どうか……」
相馬はそれこそ覚悟を決めたように、私をまっすぐ見つめた。最期を見届ける気なのだろうか。
「そんな不安そうな君を追い出せるほど私は頑固ではないよ。隣に居てくれ」
はい、と返事をしても笑顔にはならない。空気が重い。
「相馬君、そんな怖い顔をされても困る」
「あ……」
気づいていなかったのか。本当に私はお終いのようだな。
相馬は私の横に倒れ込むと、顔を伏せたまま訊いてきた。
「身体から魂が抜けるって、どんな感じですか?」
「そうだなあ。私はいつも切羽詰まっていて、じっくり観察している場合ではなかったからね。勢いで出てしまったようなものだな。怖くはない。ふわりと軽くなって……何やら心もとない感じだった。薄い膜がこの世と私とを隔てているような、ぼんやりとした感覚……見えるし聞こえるが、遠い……遠くて、孤独だ」
「孤独、ですか」
「目の前に変わらぬ日常があるのに、私だけがすっぽりと抜け落ちている。それが当然であるかのように皆がふるまう。私の未来、いや、現在の私の存在そのものが完全に消えたのだと悟る瞬間だ。まあ、私の場合は人生が偽りだらけだったから、寂しさなどたかが知れている。そのまま生に執着しなければ、自然に天まで浮かび上がれたはずなのだ」
「死んでもこの世をさまようと聞きますが」
「お別れというか、気持ちに区切りをつけるための時間だったような気がしたよ。最初に死んだ時は、会社のその後や実家の様子など色々見て回って、過去も未来も覗いたものだ。あの世とやらにすぐ向かっても構わないようだがね。四十九日の間はフラフラできるらしい。それからあの世でしばらく過ごした後、別の、元々我々がいたところへ帰るそうだ」
「……また生まれて来ることはできますか?」
「この世は一度きりではない、望めばまた来ることができる。死神はそう言っていた。どれくらい間を置けば来られるのかはわからない。人間の肉体を持つ死神は、死の直後に別の人間として生まれていた。まあ、あれは特例だろう。我々は、また生まれることができても前の記憶は持っていないだろうしな」
「僕は忘れたくない。教授も、イオンも。僕はあなたを絶対に忘れない……シキ……」
相馬は静かに私を見ていた。
こんなに幸せそうな顔を見たことはなかった。こんなに嬉しそうな泣き顔は見たことがなかった。
「シキ。僕は、絶対に忘れない。僕はきっとあなたに会うために、あなたと『魂の器』を作るためにこの時代に生まれたんだ。あなたに出会って、僕は生きていることを強く意識した。生きていることを実感した。今だってこんなに心が震えている。シキ、僕はあなたの存在を愛している。あなたがこの世に生み出したイオンを、あなたがいるこの世界を愛している」
相馬の両手がそっと私の手を包んだ。温かさに想いがにじむ。
「ずいぶんと情熱的な告白だな。……私も君に出会えて嬉しいよ。長生きはするものだ。だが……私は運命を信じない。全ては自己選択の積み重ねと偶然の結果だろう。どういう人生をたどろうと、出会いは皆奇跡だ」
「ああ、運命よりも結果論の方が確率を計算できて説得力がありそうだから、なんだか特別な絆感が増しますね」
「そうかね? 君は案外ロマンチストだな。そして、もの好きだ」
「ふふっ、アンドロイドを研究しようなんて人間はみんなロマンチストですよ。それに、僕が老け専なのは本当です。大村教授はドストライクだったけれど、シキはその倍も年上だった! そんなのを目の前にしたらヤバ過ぎて理性も吹っ飛びますって」
場違いなほどにはしゃぐ相馬は、しかし、もう笑ってはいなかった。感情が高ぶっているのは確かだろう。ずっと指先が震えている。
「……ねえシキ。どうか僕の願いを聞いて欲しいんです。どうか、僕のわがままを受け入れて欲しい」
私の手を大事そうに包んだまま、相馬は正面から私を見据えた。
「シキ。どうか僕として、相馬智律として生きて欲しい」
「……なに……を?」
相馬智律として、生きる?
相馬の言うことが理解できなかった。相馬は何を言っている?
「そうか……いよいよお終いか。どうりで死神が優しかったわけだ」
相馬の顔は真っ青だった。
「私はまだ生きているよ。ああ、君が人工呼吸をしてくれたのか」
「していませんって」
すう、と深呼吸をした。
自然な死を迎えるのは初めてで、どうしたらよいのか勝手がわからないな。
「イオンを……君に託さないといけないな。この身体は、本当にもうダメそうだ」
「……教授、すみません。出入り禁止になったのに来てしまいました。このまま、朝までここに置いて下さい。今日だけで……いいんです。どうか……」
相馬はそれこそ覚悟を決めたように、私をまっすぐ見つめた。最期を見届ける気なのだろうか。
「そんな不安そうな君を追い出せるほど私は頑固ではないよ。隣に居てくれ」
はい、と返事をしても笑顔にはならない。空気が重い。
「相馬君、そんな怖い顔をされても困る」
「あ……」
気づいていなかったのか。本当に私はお終いのようだな。
相馬は私の横に倒れ込むと、顔を伏せたまま訊いてきた。
「身体から魂が抜けるって、どんな感じですか?」
「そうだなあ。私はいつも切羽詰まっていて、じっくり観察している場合ではなかったからね。勢いで出てしまったようなものだな。怖くはない。ふわりと軽くなって……何やら心もとない感じだった。薄い膜がこの世と私とを隔てているような、ぼんやりとした感覚……見えるし聞こえるが、遠い……遠くて、孤独だ」
「孤独、ですか」
「目の前に変わらぬ日常があるのに、私だけがすっぽりと抜け落ちている。それが当然であるかのように皆がふるまう。私の未来、いや、現在の私の存在そのものが完全に消えたのだと悟る瞬間だ。まあ、私の場合は人生が偽りだらけだったから、寂しさなどたかが知れている。そのまま生に執着しなければ、自然に天まで浮かび上がれたはずなのだ」
「死んでもこの世をさまようと聞きますが」
「お別れというか、気持ちに区切りをつけるための時間だったような気がしたよ。最初に死んだ時は、会社のその後や実家の様子など色々見て回って、過去も未来も覗いたものだ。あの世とやらにすぐ向かっても構わないようだがね。四十九日の間はフラフラできるらしい。それからあの世でしばらく過ごした後、別の、元々我々がいたところへ帰るそうだ」
「……また生まれて来ることはできますか?」
「この世は一度きりではない、望めばまた来ることができる。死神はそう言っていた。どれくらい間を置けば来られるのかはわからない。人間の肉体を持つ死神は、死の直後に別の人間として生まれていた。まあ、あれは特例だろう。我々は、また生まれることができても前の記憶は持っていないだろうしな」
「僕は忘れたくない。教授も、イオンも。僕はあなたを絶対に忘れない……シキ……」
相馬は静かに私を見ていた。
こんなに幸せそうな顔を見たことはなかった。こんなに嬉しそうな泣き顔は見たことがなかった。
「シキ。僕は、絶対に忘れない。僕はきっとあなたに会うために、あなたと『魂の器』を作るためにこの時代に生まれたんだ。あなたに出会って、僕は生きていることを強く意識した。生きていることを実感した。今だってこんなに心が震えている。シキ、僕はあなたの存在を愛している。あなたがこの世に生み出したイオンを、あなたがいるこの世界を愛している」
相馬の両手がそっと私の手を包んだ。温かさに想いがにじむ。
「ずいぶんと情熱的な告白だな。……私も君に出会えて嬉しいよ。長生きはするものだ。だが……私は運命を信じない。全ては自己選択の積み重ねと偶然の結果だろう。どういう人生をたどろうと、出会いは皆奇跡だ」
「ああ、運命よりも結果論の方が確率を計算できて説得力がありそうだから、なんだか特別な絆感が増しますね」
「そうかね? 君は案外ロマンチストだな。そして、もの好きだ」
「ふふっ、アンドロイドを研究しようなんて人間はみんなロマンチストですよ。それに、僕が老け専なのは本当です。大村教授はドストライクだったけれど、シキはその倍も年上だった! そんなのを目の前にしたらヤバ過ぎて理性も吹っ飛びますって」
場違いなほどにはしゃぐ相馬は、しかし、もう笑ってはいなかった。感情が高ぶっているのは確かだろう。ずっと指先が震えている。
「……ねえシキ。どうか僕の願いを聞いて欲しいんです。どうか、僕のわがままを受け入れて欲しい」
私の手を大事そうに包んだまま、相馬は正面から私を見据えた。
「シキ。どうか僕として、相馬智律として生きて欲しい」
「……なに……を?」
相馬智律として、生きる?
相馬の言うことが理解できなかった。相馬は何を言っている?
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日当たりの良い借家には、花の精が憑いていました⁉︎
山碕田鶴
ライト文芸
大学生になった河西一郎が入居したボロ借家は、日当たり良好、広い庭、縁側が魅力だが、なぜか庭には黒衣のおかっぱ美少女と作業着姿の爽やかお兄さんたちが居ついていた。彼らを花の精だと説明する大家の孫、二宮誠。銀髪長身で綿毛タンポポのような超絶美形の青年は、花の精が現れた経緯を知っているようだが……。
(表紙絵/山碕田鶴)
神スキル【絶対育成】で追放令嬢を餌付けしたら国ができた
黒崎隼人
ファンタジー
過労死した植物研究者が転生したのは、貧しい開拓村の少年アランだった。彼に与えられたのは、あらゆる植物を意のままに操る神スキル【絶対育成】だった。
そんな彼の元に、ある日、王都から追放されてきた「悪役令嬢」セラフィーナがやってくる。
「私があなたの知識となり、盾となりましょう。その代わり、この村を豊かにする力を貸してください」
前世の知識とチートスキルを持つ少年と、気高く理知的な元公爵令嬢。
二人が手を取り合った時、飢えた辺境の村は、やがて世界が羨む豊かで平和な楽園へと姿を変えていく。
辺境から始まる、農業革命ファンタジー&国家創成譚が、ここに開幕する。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
アララギ兄妹の現代怪異事件簿
鳥谷綾斗(とやあやと)
ホラー
「令和のお化け退治って、そんな感じなの?」
2020年、春。世界中が感染症の危機に晒されていた。
日本の高校生の工藤(くどう)直歩(なほ)は、ある日、弟の歩望(あゆむ)と動画を見ていると怪異に取り憑かれてしまった。
『ぱぱぱぱぱぱ』と鳴き続ける怪異は、どうにかして直歩の家に入り込もうとする。
直歩は同級生、塔(あららぎ)桃吾(とうご)にビデオ通話で助けを求める。
彼は高校生でありながら、心霊現象を調査し、怪異と対峙・退治する〈拝み屋〉だった。
どうにか除霊をお願いするが、感染症のせいで外出できない。
そこで桃吾はなんと〈オンライン除霊〉なるものを提案するが――彼の妹、李夢(りゆ)が反対する。
もしかしてこの兄妹、仲が悪い?
黒髪眼鏡の真面目系男子の高校生兄と最強最恐な武士系ガールの小学生妹が
『現代』にアップグレードした怪異と戦う、テンション高めライトホラー!!!
✧
表紙使用イラスト……シルエットメーカーさま、シルエットメーカー2さま
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる