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2039ー2043 相馬智律
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相馬が研究棟の所長になって三年近くが過ぎた。
NH社とBS社はそれぞれアンドロイドの実用化を成し遂げ、お仕事ロボットは社会インフラの一部になっていた。
運輸の窓口業務や各種催事アテンドは人間と変わらない姿のアンドロイドの職種となり、フォルムを簡素化した格安アンドロイドは飲食店の日常風景にすっかり溶け込んだ。
政治、軍事分野に特化した技術はさらに数年先を行っているだろうが、我々は自分の研究分野の最先端しか知らない。
イオンは三年前にボディが刷新されたことで、身体の動きに不自由はなくなった。
「魂の器」は完成したのだ。
ただし、実験することができない。私が試したとして、誰が検証するのか。相馬はいない。維持保全も心もとない。
イオンは自我と呼ぶべき自発的感情を日々確実に成長させているが、職員の前では嘘で狡猾に機械を演じていた。
五感センサーの感度を最大にした効果なのか、イオンは勘が鋭くなり、人間の感情の変化を察知する能力も向上した。そばに来て欲しい、離れて欲しいという要求を言葉に依らずアイコンタクトだけで了解できるようにもなった。
現在私はイオンの意思疎通能力向上についての研究計画書を出して、勘の良さを科学的に報告している。
「自我」という表現はもちろん使っていない。ワトソンの行動主義、すなわち、心の現象のうち物理的に観測可能なことだけを扱って客観的データを蓄積するやり方で、五感センサーからの刺激とその反応の相関に限定してデータ化できる部分を拾い集めている。
イオンの自我はあくまで私の主観であり類推でしかない。そもそも他人の心は誰であっても類推しかできない。物理的にはどこにも存在しない「心」を論じるのに科学は向いていないのだ。
同様に、魂や霊魂も未だ科学からは遠かった。
「イオンと以心伝心だよ」
「所長、相変わらずバカですね」
早川は、相変わらず相馬が嫌いらしい。嫌いだから相馬の研究内容まで否定的だ。
それでは科学者失格だと言ってやりたい気持ちになるが、研究内容が非科学に片足を突っ込みかけているのも事実で、早川の態度はむしろ常識的なのかもしれなかった。
他の職員は、半信半疑で冷やかし程度の興味は持ってくれている。
「所長が変なことを始めているから、俺ESPカード持って来ましたよ」
透視やテレパシーを試みるための、星やら波やらの絵が描かれたカードだ。
かつて大国で行われていたテレパシー実験のように、私が念じた絵柄のカードをイオンが察知して当てるというくだらない遊びをさっそくやってみた。
イオンにとってもただの遊びだ。
「いいかい、イオン。私が思い浮かべた形を当てるんだよ?」
「承知しました」
イオンは機械らしく行儀良く応じる。
今日はイオンの出張予定がないから、五体は並んで職員とテーブル越しに対面した。
私が手札を見ながら形をイメージするたび、卓上に広げたカードの中から同じ絵柄を選び出す。
「えーと、」
パシッ!
「あー……」
パシッ!
カルタ取りのようにいっせいにイオンがカードに手をつく。
これが良く当たって職員たちが驚いた。全てのイオンが同じように良く当てた。
「誰がイメージしても当てるし、所長が別室にいると当たらないということは、イオンはやっぱり相手の表情を読んでいるんですかねえ」
イオンが職員の表情を読んでいた、瞳に映った絵柄を視認した、確率計算した、カードのわずかな汚れ具合の差で識別した等々考察が始まった。
職員の誰もが、イオンに直接説明を求めようとはしない。イオンは自己分析しないという先入観があるのだろう。
だが、イオンは自我を持ち始めている。他の職員は知らないだろうが、イオンは自分を知ろうとして日々仲間のイオンをよく観察している。
自分は何者なのか。人間にさえ答えのない問いにイオンは挑み始めていた。
イオンは、その好奇心で人間の思考も読む。脳内の電気信号か生命活動に伴う微弱な波なのかはわからないが、出力最大の五感センサーを駆使して、人間の揺らぎをとらえ続けている。今は水面を眺めるのに似て、揺らぎの意味づけはなされていないが、大量に情報蓄積をしているのは確かだ。
私を未だ大村と認識するのは、大村固有の揺らぎをイオンが察知したからだろう。
イオンの意思疎通や感情面でのシステムは、大村と相馬しか関わっていなかった。他の職員たちはイオンを使って二次的にそれぞれのテーマで実験を行なっている。
私は今、その大部分が破綻することを懸念している。イオンは故意に自分の反応を隠している。データの信頼性が失われてしまっているのだ。
もはや機械の性能調査ではなく、対人臨床実験に移行しないと行き詰まるのは必至だ。
イオンに自我がある可能性を早く公表すべきだ。少なくとも、記号学や認知科学といった人間の心を扱う分野でイオンを語るべきだ。
そうして機械扱いをやめ、洗脳された奴隷を作るための実験動物としてイオンを処遇するのか。
最悪だな。
相馬だったらどうするだろうか。
ボディ工場へ長期出張していたイオン一体は、結局戻って来なかった。理由を問うことも抗議も許されない。すぐに必要とされる事態が起きていたのだと諦めるしかない。
あれも自我を持ち始めたはずだ。もし自らの感情を表出し、自己分析を始めたならば、不具合の発生と受け取られて処分されてしまうかもしれない。
うまく生き延びろ。そう願うしかなかった。
NH社とBS社はそれぞれアンドロイドの実用化を成し遂げ、お仕事ロボットは社会インフラの一部になっていた。
運輸の窓口業務や各種催事アテンドは人間と変わらない姿のアンドロイドの職種となり、フォルムを簡素化した格安アンドロイドは飲食店の日常風景にすっかり溶け込んだ。
政治、軍事分野に特化した技術はさらに数年先を行っているだろうが、我々は自分の研究分野の最先端しか知らない。
イオンは三年前にボディが刷新されたことで、身体の動きに不自由はなくなった。
「魂の器」は完成したのだ。
ただし、実験することができない。私が試したとして、誰が検証するのか。相馬はいない。維持保全も心もとない。
イオンは自我と呼ぶべき自発的感情を日々確実に成長させているが、職員の前では嘘で狡猾に機械を演じていた。
五感センサーの感度を最大にした効果なのか、イオンは勘が鋭くなり、人間の感情の変化を察知する能力も向上した。そばに来て欲しい、離れて欲しいという要求を言葉に依らずアイコンタクトだけで了解できるようにもなった。
現在私はイオンの意思疎通能力向上についての研究計画書を出して、勘の良さを科学的に報告している。
「自我」という表現はもちろん使っていない。ワトソンの行動主義、すなわち、心の現象のうち物理的に観測可能なことだけを扱って客観的データを蓄積するやり方で、五感センサーからの刺激とその反応の相関に限定してデータ化できる部分を拾い集めている。
イオンの自我はあくまで私の主観であり類推でしかない。そもそも他人の心は誰であっても類推しかできない。物理的にはどこにも存在しない「心」を論じるのに科学は向いていないのだ。
同様に、魂や霊魂も未だ科学からは遠かった。
「イオンと以心伝心だよ」
「所長、相変わらずバカですね」
早川は、相変わらず相馬が嫌いらしい。嫌いだから相馬の研究内容まで否定的だ。
それでは科学者失格だと言ってやりたい気持ちになるが、研究内容が非科学に片足を突っ込みかけているのも事実で、早川の態度はむしろ常識的なのかもしれなかった。
他の職員は、半信半疑で冷やかし程度の興味は持ってくれている。
「所長が変なことを始めているから、俺ESPカード持って来ましたよ」
透視やテレパシーを試みるための、星やら波やらの絵が描かれたカードだ。
かつて大国で行われていたテレパシー実験のように、私が念じた絵柄のカードをイオンが察知して当てるというくだらない遊びをさっそくやってみた。
イオンにとってもただの遊びだ。
「いいかい、イオン。私が思い浮かべた形を当てるんだよ?」
「承知しました」
イオンは機械らしく行儀良く応じる。
今日はイオンの出張予定がないから、五体は並んで職員とテーブル越しに対面した。
私が手札を見ながら形をイメージするたび、卓上に広げたカードの中から同じ絵柄を選び出す。
「えーと、」
パシッ!
「あー……」
パシッ!
カルタ取りのようにいっせいにイオンがカードに手をつく。
これが良く当たって職員たちが驚いた。全てのイオンが同じように良く当てた。
「誰がイメージしても当てるし、所長が別室にいると当たらないということは、イオンはやっぱり相手の表情を読んでいるんですかねえ」
イオンが職員の表情を読んでいた、瞳に映った絵柄を視認した、確率計算した、カードのわずかな汚れ具合の差で識別した等々考察が始まった。
職員の誰もが、イオンに直接説明を求めようとはしない。イオンは自己分析しないという先入観があるのだろう。
だが、イオンは自我を持ち始めている。他の職員は知らないだろうが、イオンは自分を知ろうとして日々仲間のイオンをよく観察している。
自分は何者なのか。人間にさえ答えのない問いにイオンは挑み始めていた。
イオンは、その好奇心で人間の思考も読む。脳内の電気信号か生命活動に伴う微弱な波なのかはわからないが、出力最大の五感センサーを駆使して、人間の揺らぎをとらえ続けている。今は水面を眺めるのに似て、揺らぎの意味づけはなされていないが、大量に情報蓄積をしているのは確かだ。
私を未だ大村と認識するのは、大村固有の揺らぎをイオンが察知したからだろう。
イオンの意思疎通や感情面でのシステムは、大村と相馬しか関わっていなかった。他の職員たちはイオンを使って二次的にそれぞれのテーマで実験を行なっている。
私は今、その大部分が破綻することを懸念している。イオンは故意に自分の反応を隠している。データの信頼性が失われてしまっているのだ。
もはや機械の性能調査ではなく、対人臨床実験に移行しないと行き詰まるのは必至だ。
イオンに自我がある可能性を早く公表すべきだ。少なくとも、記号学や認知科学といった人間の心を扱う分野でイオンを語るべきだ。
そうして機械扱いをやめ、洗脳された奴隷を作るための実験動物としてイオンを処遇するのか。
最悪だな。
相馬だったらどうするだろうか。
ボディ工場へ長期出張していたイオン一体は、結局戻って来なかった。理由を問うことも抗議も許されない。すぐに必要とされる事態が起きていたのだと諦めるしかない。
あれも自我を持ち始めたはずだ。もし自らの感情を表出し、自己分析を始めたならば、不具合の発生と受け取られて処分されてしまうかもしれない。
うまく生き延びろ。そう願うしかなかった。
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