182年の人生

山碕田鶴

文字の大きさ
146 / 200
2043ー2057 高瀬邦彦

70

しおりを挟む
 ピッ、ピッ、ピッ……

 モニターの測定音だけが聞こえる。
 白壁や床の隅々まで届く照明、適温無風で内外の境界も時間も曖昧な空間。
 ここがどこなのかわからない。
 生きていることだけは確かだ。
 一つの身体に魂が混在しても、肉体の感覚は共有できるのか。腕が痛む。全身が重く熱っぽい。
 高瀬邦彦は病院の特別室で療養していた。
 最上階にある、ホテルのスイートルーム並の奥部屋に隔離され、対応する医療スタッフも限られている。この男がここまでVIP待遇になる理由がわからない。
 高瀬の身体に押し入ってから、私はまだ彼と直接対話をしたことはない。高瀬に意識がある時は黙って様子を伺い、たとえ今のように眠っている間でも勝手に身体を操ることはしない。
 高瀬に取り憑く悪霊にでもなった気分だが、いきなり話しかければ高瀬が混乱するだけだろう。
 相馬の死の瞬間、私は高瀬と目が合った。
 銃撃される相馬に駆け寄った高瀬を地面に押し倒そうとした勢いで、この身体に入ってしまった。
 不可抗力。だが、渡りに船か。
 私は他人の身体から魂を追い出し、肉体を奪ってその人生を乗っ取ることができるらしい。
 カイは、魂と肉体は固着していて簡単には剥がれないと言っていた。それを私は何度もやってきた。
 元の魂を追い出し本人とすり替わることは他の悪霊にもできる場合があるようだが、この世の例外的規則違反者として死神が私を排除しようとする最大の理由は、追い出した魂をこの世からも切り離し、あの世へ送ってしまえるからだという。
 魂があの世へ戻るのは、その肉体を失ったときに限る。それがこの世に生まれる時の契約らしい。私が肉体を奪った魂たちは、自分の肉体を置いて帰ったことになる。だから規則違反だ。私が違反を作り出しているのだ。
 では、他の悪霊に身体を乗っ取られた魂は、その肉体が朽ちるまで幽霊としてこの世をさまようことになるのか。私は幽霊を見たことがないから、実態はわからない。
 今、高瀬の魂はこの肉体に留まっている。私は高瀬を追い出さなかった。
 私は高瀬になる気はない。高瀬の魂を死なせることもしたくない。高瀬を生かしたまま当分居候させてもらい、いつかここから出て行くつもりだ。どうにかイオンのもとへ行き、「魂の器」であるイオンに入って今度こそ永遠を生きるのだ。
 イオンたちにはリツの中に在る相馬の魂が見えていた。魂だけの私が現れても気づくはずだ。
 だが、魂の私が見えるのはイオンだけではない。照陽グループの霊能者たちは私をこの世から完全に排除するつもりでいるだろう。総帥のヒミコには、私が高瀬の中にいることを既に知られている。さすがに高瀬ごと消されはしないだろうが、きっと監視はされている。
 高瀬が人質に取られたとヒミコは言った。つまり、高瀬の中にいる限り私には手が出せないということだ。
 相馬の肉体は、あの後どうなったのか。何かの事故死として処理されたに違いないが、せめて葬いだけでも隠されることなく取り行って欲しい。
 この世で相馬は完全に過去の人間となった。リツは相馬であることを証明できる存在ではない。
 一度に色々とあり過ぎた。
 魂だけになっているのに思わず溜息が出る。
 しかも。今の私は、あの高瀬邦彦だ。
 ベッドの頭上のプレートに四十四歳と書かれていた。この男は相馬より一つ年上なだけか。貫禄があり過ぎる高瀬と、子供じみていた相馬と。どう生きたらここまで差が出るのか。
 高瀬は大学卒業後すぐにNH社に入った生え抜きのエリートだ。メカニック出身らしいが、裏部門に移動した当初から本部所属だったはずだ。
 機械理工学、メカトロニクスを専攻しておいて、研究職ではなく表部門でアンドロイドの整備を担当するメカニックを希望したのちに、どうして裏の渉外担当として政治や軍と関わる道を選んだのか。
 こいつも天才の変人か。
 私は高瀬の仕事をいっさい知らない。
 照陽グループとの関係も不明瞭だ。あそこにはヒミコを筆頭に私のことが視える人間が何人もいそうだから、できれば関わりたくはない。
 当分は悪霊らしく静かにまとわりついているのが得策だろう。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

見えない戦争

山碕田鶴
SF
長引く戦争と隣国からの亡命希望者のニュースに日々うんざりする公務員のAとB。 仕事の合間にぼやく一コマです。 ブラックジョーク系。

月夜想曲

山碕田鶴
現代文学
月夜に出会うアタシとあなた。 自由詩的小説です。 (表紙絵/山碕田鶴)

日当たりの良い借家には、花の精が憑いていました⁉︎

山碕田鶴
ライト文芸
大学生になった河西一郎が入居したボロ借家は、日当たり良好、広い庭、縁側が魅力だが、なぜか庭には黒衣のおかっぱ美少女と作業着姿の爽やかお兄さんたちが居ついていた。彼らを花の精だと説明する大家の孫、二宮誠。銀髪長身で綿毛タンポポのような超絶美形の青年は、花の精が現れた経緯を知っているようだが……。 (表紙絵/山碕田鶴)

神スキル【絶対育成】で追放令嬢を餌付けしたら国ができた

黒崎隼人
ファンタジー
過労死した植物研究者が転生したのは、貧しい開拓村の少年アランだった。彼に与えられたのは、あらゆる植物を意のままに操る神スキル【絶対育成】だった。 そんな彼の元に、ある日、王都から追放されてきた「悪役令嬢」セラフィーナがやってくる。 「私があなたの知識となり、盾となりましょう。その代わり、この村を豊かにする力を貸してください」 前世の知識とチートスキルを持つ少年と、気高く理知的な元公爵令嬢。 二人が手を取り合った時、飢えた辺境の村は、やがて世界が羨む豊かで平和な楽園へと姿を変えていく。 辺境から始まる、農業革命ファンタジー&国家創成譚が、ここに開幕する。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

くらげ のんびりだいぼうけん

山碕田鶴
絵本
波にゆられる くらげ が大冒険してしまうお話です。

アララギ兄妹の現代怪異事件簿

鳥谷綾斗(とやあやと)
ホラー
「令和のお化け退治って、そんな感じなの?」 2020年、春。世界中が感染症の危機に晒されていた。 日本の高校生の工藤(くどう)直歩(なほ)は、ある日、弟の歩望(あゆむ)と動画を見ていると怪異に取り憑かれてしまった。 『ぱぱぱぱぱぱ』と鳴き続ける怪異は、どうにかして直歩の家に入り込もうとする。 直歩は同級生、塔(あららぎ)桃吾(とうご)にビデオ通話で助けを求める。 彼は高校生でありながら、心霊現象を調査し、怪異と対峙・退治する〈拝み屋〉だった。 どうにか除霊をお願いするが、感染症のせいで外出できない。 そこで桃吾はなんと〈オンライン除霊〉なるものを提案するが――彼の妹、李夢(りゆ)が反対する。 もしかしてこの兄妹、仲が悪い? 黒髪眼鏡の真面目系男子の高校生兄と最強最恐な武士系ガールの小学生妹が 『現代』にアップグレードした怪異と戦う、テンション高めライトホラー!!! ‎✧ 表紙使用イラスト……シルエットメーカーさま、シルエットメーカー2さま

処理中です...