182年の人生

山碕田鶴

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2039ー2043 相馬智律

69-(4/4)

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 駐車場で待っていた車に私一人で戻ると、リツを乗せたであろう照陽グループの車は既になかった。
 運転手に促されて後部席に入る。なぜか高瀬が中にいた。

「わざわざお見送りですか。研究棟へは戻らないのでしょう? 私はこれからどこへ行くのですか?」

 高瀬はちらりと私を見ただけで返事をしなかった。
 車が走り出しても無言の高瀬を仕方なく無視して窓の外を眺める。
 空が赤く染まっていた。
 ここは大陸ではないはずだがな。見覚えのある光景に溜息が出た。

「この先で車を乗り換えていただきます。私がつきあうのはそこまでです」

 しばらく車が走ってから、高瀬は無表情に言った。

「そうですか。高瀬さん、お世話になりました。どうぞお元気で」

 意外だという顔で私を見る高瀬に笑顔を向けると、明らかな動揺が伝わってきた。

「おかしいですか? 別れの挨拶はしておかないと心が残って困りますよ?」

 ククッ、この男は面白いな。表面的には全く動じることなく貫禄で人を圧倒しているのに、もはや戻れぬこの状況で相馬を案じるのか。
 甘いな。それほど相馬が気になるか。
 高瀬の緊張が伝わってくる。
 嫌な懐かしさだ。リツが私をシキと呼ぶから、遠い記憶がよみがえったのかもしれない。
 永劫回帰。まさしくそれだ。私は常に新たな未来へ進みたいというのに、なぜかふり出しに戻されようとする。
 NH社の敷地はどこまで広いのか。建物ひとつ見えない雑木林の前で車は止まった。
 林の奥に黒塗りの車が見える。
 後部席のドアが開けられ、運転手が外に出るよう促してきた。
 私が立ち上がろうとしたその時、座面に置いていた手に突然高瀬の手が重なった。指先を強く握る高瀬は温かかった。
 言葉はない。

「高瀬さん、さようなら」

 高瀬を見ることなく車を出た。
 悪いが、人違いだ。
 お前が案じる相馬はここにはいない。
 私は林の奥に向かってゆっくりと歩いた。
 乗り換えろと指示された車の運転手が外に出て私を待っている。後部席から私を見る年配の女がいる。
 あれは、照陽の人間か? それとも隣国の見届け人か?
 他にも視線を感じる。林のさらに奥に、黒塗りの車が見える。
 幽霊になった私をあの世へ強制送還できる霊能者でも乗っていそうだな。
 死神は、照陽を使って私の肉体を奪い取り、魂をこの世から強引に排除することにしたのか? あの世へ向かうのは自由意志で、強制できなかったはずではないのか?  ああ、お前が手を下さなければアリなのか。都合がいいな。
 鬱蒼と広がる木々の葉が私の頭上だけぽっかりと抜けていた。夕闇が迫る赤紫の空が見える。
 カイ、今も私を見ているのだろう?

「カイ……」

 小さなつぶやきと、林に響いた銃声と。
 私はその瞬間、もう一つの声を聞いた。

「相馬!」

 私を撃った運転手が再びこちらに銃口を向けた。
 振り向くよりも先に崩れ落ちる相馬の身体の中から、私に走り寄る高瀬が見えた。
 高瀬!  馬鹿、伏せろ!

 パンッ、パンッ。

 高瀬が意識を失う直前、はっきりと私たちの目が合った。

 高瀬!

 声にならない叫びを高瀬は聞き取ったはずだ。
 相馬の肉体から離れる感触は覚えていない。
 手を伸ばした。私に向かってくる高瀬に体当たりするように飛びついた。
 そのまま高瀬を押し倒して地に伏せさせ、身を守る体勢を取った。
 撃たれたな。腕が熱い。
 耳の奥から激しく心拍が響く。
 草と鉄錆の匂い。地を這う苦痛の吐息。
 周囲の音が消えた。
 あとは静寂だった。
 ああ、相馬が、目の前に倒れている。
 相馬の命が赤く広がり失われていくのが見える。
 相馬。お前からもらった大切な肉体を私は壊してしまったのか。
 今私が感じる痛みくらいでは、全く罰にならない。相馬……相馬……。
 赦せ、相馬……。

「話が違いますよ、高瀬さん」

 地に伏したままの私の前に、紺色のスーツ姿のヒミコが立っていた。いつの間にか照陽グループの車が数台周囲に停まっている。

「……」

 ぼんやりとヒミコを眺める高瀬をヒミコは冷たく見下ろしていた。
 ヒミコ、無駄だ。高瀬は気を失っている。罵倒しても聞こえないぞ。高瀬に押し入った私がなんとか高瀬の身体を動かして致命傷は避けたはずだが、弾は受けてしまっている。
 私は高瀬の魂を追い出してはいない。今、高瀬の身体には二つの魂が入った状態だ。
 熱い……この身体から、赤い熱がどんどん溢れ出している。手当てしてやらないと高瀬が危ないぞ。
 ヒミコは黙って高瀬を見ていた。
 そんな呑気にしている場合か? これも殺す気か?

「……まだ死なれては困ります。救護要請をします。高瀬さん、あなたは人質に取られましたね」

 ヒミコは私にはいっさい声をかけずに車へ戻って行った。
 高瀬の身体に私が入っていることは承知だろう。私の心の声は届いたらしい。

「シキ⁉︎ シキ!」

 リツの叫び声が聞こえた。倒れている相馬の前で膝をつき、何度も呼び続けていた。
 リツはヒミコの車に乗せられて一緒にここへ来たのか。
 笠原が死んだ時も、お前はそうしていたな。また、ひとり残された気にさせてしまったか?
 リツ……。
 リツ……私はここにいる。わかるか? 私は、まだ存在している。

 リツ……。

 はっと振り向いたリツが高瀬を見た。
 そうだ。ここだ、リツ。泣くな。私は生きている。ああ、お前に涙はなかったな。
 リツはわずかにうなずいた。はっきりと、高瀬の内にいる私を見ていた。
 照陽の関係者に促されて車へ戻って行く。
 それでいい。
 お前は自分で望むだけ生き延びろ。相馬は自分の選んだ未来を絶対に後悔しない。
 リツとして生きればいいのだ。



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