182年の人生

山碕田鶴

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2043ー2057 高瀬邦彦

73

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「なあ高瀬。この病院にアンドロイドの医療スタッフは置いていないのか? 全員人間とは、今時珍しいのではないか?」
「シキ、あなたはすっかり馴れ馴れしくなりましたね。非常に不快だ」
「お前にイオンの計画書を出しに行っていた頃から不快は変わっていないだろう?」
「あれを相馬だと信じていた自分が情けない。この病院もほぼアンドロイドナースですよ。特別室だけは、人間を揃えている」

 高瀬は、床に仰向けに寝そべって天を仰いでいた。私はそのすぐ横でごろごろと転がりながら、やはり寝そべっている。
 明るいだけの何もない空間。高瀬の意識の中だ。
 ここから見る天は眩しい光に覆われていて、その先を覗くことはできない。遥か向こうを意識するのは、この世を去る日が近い者だけか。
 高瀬の抑圧された感情を放出させてからというもの、私は高瀬の気安い同居人となるべくふるまっている。他人行儀のままでは先々ストレスが溜まる一方であろう。
 高瀬が仕事口調なのは、ある意味気持ちに余裕がある証拠だ。元々生真面目なのか私を警戒してか、相変わらずぎこちないがそこは無視することにした。私から見れば孫の孫ほども年下のまだまだ子どもだ。
 さんざん酷い目にあったせいか、居候の肩身の狭さは消えていた。肉体を持たないのに身体中が痛むのもおかしなものだが、高瀬の意識の中で自他の境界を区切り自分を保つには肉体をイメージするしかないようだ。

「お前と逢瀬を楽しめるのは、肉体が眠っている間だけだな」

 いまだ入院中の高瀬ではあるが、昼夜を問わず容赦なく膨大な仕事が押し寄せ、起きている間は私が話しかける暇もない。
 夢の中ともいえるこの瞬間だけがゆっくりくつろげるはずであるのに、高瀬はなおも背広姿である。

「あなたはとりあえずシーツでも巻いて身体を隠したか。もっとどうにかならないのか?」

 高瀬はそう言いながら私に巻きつく白布をぐ。

「こら、めくるな。私は吉澤識であった記憶が古過ぎて自分をイメージできないのだ」

 肉体を離れて魂だけで百年もすれば、自分を保てずに消えてなくなる。
 死神の言うとおりであろうな。
 私は高瀬に寄生してから、死神の名を意識の外へ追いやっていた。下手に名を呼んでここに来られては、ややこしくてかなわない。今はそれどころではない。

「なあ、高瀬。脱がせたいなら初めからお前の趣味で服を用意してくれて構わないが?」
「あなたは財閥の御曹司なのだろう? なぜこうも品性下劣なのか理解できない」
「吉澤が財閥になったのは、死後の話だ。それでも歴史研究会か?」

 高瀬には私の経歴を一通り話してある。自己申告で身辺調査になるのか不明だが、高瀬はそれで納得した。高瀬も勝手に自己紹介してきて、相馬と同じ大学の同じサークル出身だと言った。相馬へのこだわりは筋金入りか。

「歴史、クイズ、研究会ですよ。だいたい、相馬と一緒にしないでいただきたい。あれは別格です。ただの暇つぶしで毎回優勝などと……。私ごときは足元にも及ばない……」

 高瀬はまた挫折したような顔になる。神童とあだ名されるほど学業成績にプライドを持ち、負けなしで国の最高学府に余裕で入ったという秀才を完膚なきまでに打ちのめした相馬は、周囲の人間をくまなく地獄に叩き落とす極悪人だな。

「なぜそうも天才の変人と優劣を競う? お前は変人の秀才だ。我が道を進めば良い。だいたい、生真面目で頭が硬い。もっと遊べ。待合まちあいでも芸者でも……今はクラブとか言うのか? 旨い物でも酒でも骨董でも、何でも教えてやるぞ? まあ、知識は古いが応用は利くであろう」

 突然高瀬に引き寄せられ、私は高瀬と密着した。

「混ざることはないが、これは相当に毒ですね。遊ぶなら、私はコレで十分だ」

 魂が直接触れ合う快楽に身を委ねて、高瀬は目を閉じた。私の腕を無理やり掴み、自分がつけた傷痕を舐めて吸う。
 要は私のエネルギーを奪っているのだ。この男も相当に疲れているであろうに、いっさい顔に出さず意識の中でさえ背広姿の仕事モードだ。
 勤勉実直の原点が相馬への対抗心とは、気の毒な限りだな。

「お前は気を張り過ぎだ。少しくらいダラダラしろ」
「……今している」
「そうか」
「……私は一生あいつには勝てない。あなたが将来の勝機を奪ってしまったのだ」
「そうか……」

 高瀬は目を閉じたまま独り言のように私を責めた。
 お前はそうして生涯相馬に囚われ、相馬の記憶と共に生きることを選んだのか。
 秀才の変人はどこまでも生真面目で一途だ。



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