182年の人生

山碕田鶴

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2043ー2057 高瀬邦彦

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 病院を半ば強制退院した高瀬は、すぐには研究施設に向かわなかった。

「ここから研究施設まで四百キロ以上あるのですよ? さすがに一度くらい家に帰ります」

 病院はNH社の本社にほど近かった。
 そもそも高瀬は本社勤務である。自宅は本社から徒歩圏内の、都心にあって自然あふれる高級マンション上階だという。
 威圧的で貫禄があり外見も雰囲気も隙のない紳士は、いかにもというマンションの部屋に私を案内した。必要最低限の物しか置かず、きちんと整えられたシンプルでモノトーンの空間に意外性は皆無だ。
 高瀬に寄生している私は強制的に連れて来られただけだが、意識の中で「ようこそ」と挨拶され、室内にスーツ姿の女性まで待機していて訳もなく緊張した。

「お帰りなさいませ、本部長。全て整っておりますが、不足があればいつでもご連絡下さい」

 どこから見ても完璧な美女は、深々とお辞儀をして出て行った。
 なんだ、仕事関係か。

「試作品ですよ」

 ……しかも、アンドロイドか。

「マンションのコンシェルジュです。部屋の立ち入りを許可すれば、仕出し弁当の配達でも部屋の換気でも、部屋ごとのニーズに合わせて対応可能です。NH社製で試運転中なので、自宅でも私は『本部長』ですが」

 邦彦様。

「あなたが呼ぶ必要はない」

 高瀬は窓のカーテンをわずかに開けて、眼下に広がるビルだらけの街並みを私に見せた。街路樹があるだけで自然豊かな環境になるのか。
 国全体で人口減少が進み、居住区域は都心にほぼ集約されている。高齢化率が急上昇するのに伴う介助アンドロイドの普及などにより社会は破綻せずに維持されているが、街には活気が全く感じられない。
 過疎地の研究施設にこもり、年を取らないイオンと共に何十年も過ごしてきた私は、浦島太郎になった気分だ。もはや時空を超えて異国に立っているのと同じであった。
 これが輝かしい未来か。高度経済成長期を知る身には寂しい限りだ。

「明日は本社に顔を出します。その足でNH社の施設をいくつか回ります。イオンに会うのはそれからです」

 お前、体調が良くないだろう? 普通の怪我ではないのだぞ。もっとしっかり休まないと後まで響くぞ。

「あなたは実戦経験がおありか」

 ……対露戦争の頃から軍人だ。

「感覚を共有しているのだから、本当に危険そうになったら教えて下さい」

 私は撃たれて負傷したことなどないぞ。

 ジー……ジ、ジー……

 相変わらず高瀬からノイズが出ている。
 おい、これは……。言いかけてやめた。
 既に高瀬は、書斎で卓上のモニターに映し出された連絡事項や資料諸々に目を通していた。国外企業へのアンドロイド技術提供に関する法規確認か。
 NH社の製品はほぼ全てが軍民双方に利用可能な二重用途物品だ。輸出は厳格に管理されている。迂回輸出疑惑が常にささやかれるが摘発されたことはない。今見ているデータに名前が載っている福祉用品メーカーの先には軍需産業が繋がっている。
 国でも企業でも、どこかにワンクッションおけば武器輸出違反には当たらない。法的基準と倫理基準は別物だ。ルールは何通りでもある。正義は語る口の数だけある。この世に唯一の絶対はない。吉澤が政商であった頃からそれは変わらない。
 だが、私の存在が許されるルールだけは、いくら探してもないのであろうな。

「シキ……」

 突然羽交締めにされて、肩の傷痕を吸われた。私の肉体は意識の中で再現された幻影だ。たぶん吉澤識に近い。
 いつの間に高瀬は眠ったのか。意識の空間に高瀬が姿を現すのは、眠るか意識を失うかした時だけだ。

「お前、寝落ちしたのではないか? 具合が悪そうだ」
「すぐに目覚める。じっとしていろ」

 乱暴に私のエネルギーを奪い続ける高瀬は、見る限り生活の全てが仕事だ。
 NH社のアンドロイドはイオン型だけではない。それぞれの特徴や開発状況、問題点を把握し、部分的に応用して商売に繋げている。
 そんな中でもイオンにあれだけ詳しかったのは、執着する相馬が入社してイオンに関わったからなのか。
 相馬が生き続けていたら、いずれこの男を過労死させたかもしれないな。
 今は私が過労死しかけている。



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