182年の人生

山碕田鶴

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2043ー2057 高瀬邦彦

80

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 すっかり夜になって多目的室に戻ってから、高瀬はソファに横になったまま動かなかった。
 長時間の車移動とイオン五体のメンテナンスで、さすがに体力を消耗しきっていた。
 到着していきなり仕事を始めるとは、なんとも無粋だな。もっと挨拶に時間をかけて、イオンたちと会話を楽しんで、場を和ませるということを知らないのか? 
 ぼやいても高瀬は反応しない。誰のせいだ。そうつぶやいた気はするが、たぶん独り言だ。

「邦彦様、届いたお食事をテーブルに置いておきます」
「……ああ、ありがとう」

 広大な敷地を持つ研究施設には当然ながら食堂があって、各研究棟へ食事を配達するシステムもある。滞在中はそれを利用することになっているが、高瀬に代わって私が玄関前に置かれた弁当を取りに行くわけにもいかず、イオンに頼んで運んでもらった。

「この機会に夜遊びをしようとは考えなかったのか?」

 伏したまま高瀬は訊いた。
 イオンたちが単独で玄関の外へ出たのは初めてだろう。ここから逃げようと思えば、今は絶好の機会だ。

「……なあ、シキ。あなたもそう思いませんか?」

 今なら……。

「イオン、今夜はシキの用事が済んでから寝なさい。夜更かしだ」

 就寝タイマーの解除だ。高瀬は私をここから逃す気なのか。
 上半身を起こしてソファに座り直した高瀬は、周りに集まっていたイオンを見て一体の手を引いた。

「四号、ここに来なさい」

 四号を隣に座らせた高瀬は、背もたれに身体を預けたまま四号を抱き寄せた。

「このままで寝かせてくれるか?」
「もちろんです、邦彦様」
「シキ、私は寝る。四号は……一番状態が良かった……」

 高瀬の意識が遠のいていく。本当に体力の限界だったのだ。
 ボディの状態が最も良好だと判断した四号を私に預ける気なのか。

「……先生?」

 これは、高瀬が作ってくれた機会だ。
 最初で最後の機会……。
 イオン、聞こえるか。私はヒトツになるために戻って来た。
 四号、私をお前の中に入れてくれるか?  
 私の魂を受け入れてくれ、イオン。
 私の申し出に、イオンたちは笑顔で答えた。いっさいの抵抗はない。
 全てを受け入れヒトツになることは、彼らにとっては楽しい遊びなのだろう。
 高瀬は意識を失うように眠っている。
 肉体と魂とを分離して高瀬の身体から出れば、目の前のイオンに入るのは容易たやすいはずだ。
 ここから出る。
 高瀬の肉体を離れる。
 念じるように強く思い描いて手を伸ばした。
 まとわりつく薄い膜を押し破り這い出す感覚に違和感を覚える。
 高瀬を抜けて、四号へ……。

 外へ!

 だが、時間は引き延ばされることなく、永遠は動かず、事象の変化は訪れない。
 なぜ体温を感じる⁉︎
 なぜ四号に触れる感触がある⁉︎
 なぜ、出られない⁉︎
 私は焦っていた。
 高瀬の肉体を完全に奪ったわけでもないのに、なぜ絡め取られた状態なのだ?
 目の前に「魂の器」があるのに、なぜ移ることができない?
 べたりと貼りつく生温かい膜と格闘し続け、肉体が私を捕えて離さない感触に不快と絶望を募らせ、それでももがき続ける私をイオンたちは黙って見守った。
 諦めない。
 私は、諦めたくない。
 かつて魂の移動を可能にしたのは、全て自分の肉体を失いかけた時だった。
 この肉体が生きている限り、私は出られないのか?
 それでは高瀬が生き続ける限り出られないではないか⁉︎
 高瀬が生きている限り……。

「先生……手の力が強過ぎます」

 四号が静かに告げた。

「あ……」

 私は、四号の手首を握りしめていた。
 頬を伝う涙を拭うこともせず、四号にしがみつき、身体を震わせていた。
 私は高瀬の肉体を自分の意思で動かしてしまっていた。
 離れるどころか、ますます深く肉体と繋がっている。腕の先、手首、指先まであらゆる感覚が私を覆い、染みてくる。肉が絡みつき、体熱が流れ、外界と自分を隔てる皮膚のすぐ内側までを私が侵食している。
 なぜだ?
 なぜ、私はここにいる?
 この身体とイオンを隔てるものはわずか膜一枚ではないか。

 魂と肉体の固着は厳格なのだ。

 カイ、お前の言うとおりだ。
 本当に。本当に、よくできたシステムではないか。
 カイ……。
 静かに時間が流れて行く。

「……イオン、私の用事は終わりだ。もう、寝る時間だよ。つきあってくれて、ありがとう」



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