富山晴京

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第九話

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 三井三郎はトイレから出てくると、いつものように運転免許証を見に行った。いや、正確には運転免許証を見に行ったのは三井三郎ではない。三井三郎の中にいる、それであった。
 それはトイレからやってきた。そして三井三郎がトイレに座るまで、ずっとトイレの水面に待っていた。それは無色透明だから、いざ三井三郎がトイレの水面を見つめたとしても、わからなかった。
 それは三井が来ると、トイレの中でごぼごぼと暴れ立てた。それはまるで、トイレの水面が突如としてごぼごぼ揺れ出したように、元三井には見えたことだろう。元三井は顔をトイレに近づけて見始めた。そのタイミングを見計らって、それはトイレの水面から飛び出し、三井の口、鼻、目から侵入した。
 侵入した後は脳へと達した。そうして脳を食いつくした。だから今、三井の体の中には元三井三郎がもういない。いるのはただ、神経系すべてを乗っ取ったそれだけであった。
 それが三井の体を乗っ取ってこれからどうするのか?人を、特に子供を殺すのである。
なぜ子供を殺すのか?それは楽しいからである。逃げ惑う美しい子供たちを刈り取るゲームが楽しくてたまらないからである。
そもそもそれはどこにいたのか?それは遥か地下深くの、空洞にいた。それはある時、空洞での生活に飽いた。空洞の外はどんなものであろうかと、気になった。そこで空洞を抜け出し、水を伝って登り始めた。長い旅であったが、それでも地上になんとかつくことができた。その時初めて、人間という存在と出会ったのであった。
それは人間と出会ったその時から、人間を殺したほうが面白いと理解していた。もちろん、お腹がすいていたということもあるが、それよりも、瞬時に弱いと見て取れるこの生物をもてあそぶことが至上の娯楽につながるとわかっていたからであった。
それ以来、それは人間を殺して回っている。
それは三井の身の回りのものすべてをひっかきまわした。その結果、三井は小学校教師であることを知った。
小学校は子供がたくさんいるところである。そこに三井は勤務している。それは決めた。三井の勤務先に行き、子供を殺そうと。



 三井は職員室にやってきた。しかし中には誰もいない。それもそのはず。いまは午前十時。教師は今、子供たちに授業してやっていなければならない時間である。三井は完全に遅刻していた。
 三井は黒いものを取り出した。一週間欠勤して作り出したもの。箱型のそれを三井は職員室のそこかしこに設置した。
 そして三井は職員室の席の一つに適当に座った。くしくもそこは副校長の席だった。
 やがてチャイムが鳴る。そして職員たちは戻ってきた。
「三井さん、何やってるんですか?」
「君たちを待っていました」
 三井は言った。
「待っていましたって、はあ?」
 教師の一人が思わず、苛立ちの混じった声をあげた。
「すいません。皆さん職員室で少し待っていてもらっていいですか?」
 そういって三井は出て行く。あまりに急なことに職員たちは全員動けないでいる。
 三井は職員室を出た。そして三メートルほど離れると、スイッチを取り出し、押した。
 爆発音が響いた。職員室は紅蓮の炎に焼き尽くされ、爆発で砕かれた。窓はひしゃげ、人肉は焼けこげた。職員室の中に、生存者はいなかった。
 三井はトイレに向かう。そして掃除用具入れの扉を開けた。そしてその中からチェーンソーを取り出した。
 職員室の前を再び通りかかると、数人の、たまたま爆発に巻き込まれなかった教師たちが集まっている。爆発音が聞こえて駆けつけてきたのである。
「三井?」
 一人の教師が声をあげた。その声とともに、三井はチェーンソーを起動させた。
 教師たちは駆け寄ってくる三井がチェーンソーを持っている理由がわからなかった。三井は同じ教員。少しばかり堅いところのある真面目な奴。夜遅くまで残業することもしばしば。たいてい夜に残っていたのは三井だった。その三井がチェーンソーでこれからチェーンソーで人を切り刻むはずはない。そんなはずは。
 しかし三井が一番手前にいた若い教師に刃をかけた時、初めて、三井が殺人鬼であることを教師たちは悟った。
 しかし逃げだすには遅かった。なぜなら、三井はすでに一人目を殺し、早くも二人目に刃を振り下ろしていたからである。

 菫、正和、智樹ははじめ、大きな爆発音を聞いた。その時、大半の生徒は飛び出して様子を見に行った。菫、正和、智樹もまたその一人だった。
 様子を見に行ってみたが、階段のあたりにすでに人だかりができており、到底詳細を見ることはかなわなかった。
 その時、悲鳴が前の方から聞こえ始めた。そして階段のところにいた人だかりがこちらへと戻り始めた。
 奥から何かの稼働音が聞こえる。
「チェーンソーだ」
 菫の隣にいた正和はそうつぶやいた。
 それから三人は誰に言われるともなく、逃げ出した。
「来たんだよ、やつが」
 智樹は言った。
「どうする?」
 正和は訊いた。
「決まってる。焼いてやる」
 そういって菫はマッチ箱を取り出した。
「それ……」
「こんなものであいつを焼き殺せるかなんて、怪しいところだけど」
 菫は言った。
次々とほかの生徒たちは教室へとこもったりしていく。
「あの曲がり角の陰に隠れよう。そうしたらいつでも逃げ出せる」
「うん」
 三人は影に隠れた。
 やがて三井先生が地に濡れたチェーンソーを持って現れた。そして横を向いて、教室の扉に手をかけた。しかし開かない。内側から施錠したのだ。
 三井はバッグから黒い箱型のものを取り出した。そしてそれを扉に設置した。扉から三井は離れた。
 すると、ドアが爆発した。
「爆弾持ってるのかよ」
「なんてものを」
 三井が教室へと侵入する。叫び声が聞こえた。
「待って、もしかしたらあれ、ものすごく使えるんじゃない?」
「まさか、あれに火をつけようっていうんじゃないだろうな、菫?ものすごく危険だ、そんなの」
「危険でもやるしかないじゃない」
 そういって菫は走り出す。マッチ箱を取り出して。
「待て!いま爆発なんて起こしたら、ほかの子供まで巻き込まれるじゃないか」
「どうするの、じゃあ」
「せめて人のいないところにおびき出さなきゃ」
「どこよそれ?」
「一番近いところだと、理科室かな?たぶんみんな、手前の教室とか自分の教室にこもっただろうし」
「とりあえず、誰かいないかだけ確認しよう」
 三人は動き出した。

「これで理科室からは皆追い出したよね」
 菫は言った。
「手筈はこうでいいんだよな?俺があいつをおびき寄せて、理科室に誘導する。で、窓から飛び降りて脱出」
 正和が言った。
「飛び降りられる?」
「ああ。二回くらいなら多分。骨折るかもしれないけど。でもそれぐらい安いものさ」
「で、智樹が家庭科室からとってきた油をかけて、菫がマッチであいつのバッグに発火させる」
「マッチを投げてすぐ逃げればどうにかなるよね?」
「それは……菫と智樹がやっぱ、一番危険な役を背負うことになるんだろうな」
「でも、しょうがないよ、そこは」
「互いに無事に帰ろうな」
「うん」
 菫と智樹はうなずいた。
 
 正和は文房具を三井に向かって投げつけた。
「ヘイ、殺人鬼!てめえ、ずいぶん間抜けなつらしてんな!」
 三井は文房具をぶつけられたぐらいでは怒らなかった。問題なのは、三井を恐れない子供がいるということだった。あの子供が馬鹿であるからにしろ、三井に恐れを抱かないことは許せなかった。三井はここでは絶対の存在でありたかったからだ。子供たちは三井の姿を見るだけで恐怖におびえ逃げまどわなければならない。もし、そうしない子供がいるならどうあってもそうするようにしなければならない。
 三井は走り出した。正和も走り出す。
 その時、三井は驚いた。正和は思ったより足が速く、なかなか追いつけない。
 しかしその逃避行もすぐに終わりを告げた。それというのも、正和は一つの教室へと入っていったからだ。鍵もかけずに。
 個室へ入ったら逃げ場はないというのに。やはり馬鹿だ。三井は思った。そう思って三井は理科室へ入る。
 その時三井は、窓に足をかけている正和の姿を見た。正和は飛び降りた。三井は正和が自分の手から逃れえたという事実に、心底悔しさを感じた。怒りですべてが真っ赤に染まったような錯覚をさえ受けた。
 その時、後ろからぬるい液体をかけられた。何事か、と思う間もなく、後ろが急に熱くなった。
 それから、走り去る足音がした。爆発が起きた。爆発が起き、起きた後までも、三井は、ひいてはそれは何が起こったか知ることができなかった。

 正和は脚の骨を折り、やはり入院することになった。しかし菫と智樹は幸い、爆発から逃げきることができた。
 今日は菫と智樹とで正和のお見舞いへと行くところだった。
「正和、元気にしてる?」
 智樹は言った。
「元気なわけないだろ、入院してるんだから」
「それもそうか」
「それより何持ってきた?」
「前に頼まれていたアイス」
「そういえば頼んでたっけ」
 智樹はチョコレートアイスを正和に手渡した。
「溶けちゃうからすぐに食べなよ」
「そうする」
 正和はふたを開けて、気が付いた。
「スプーンある?」
「あるよ」
 智樹はスプーンを手渡す。
「それにしても、よくもまあ、あんなことできたよな、俺ら」
「そんなにすごいこと?」
「すごいことさ。だって俺たち、あれで街の平和まで守ったようなもんだぜ、智樹の推測が正しければだけど」
「たぶん正しいよ。だって三井先生はもともと優しい先生だったのに、それがあんな人殺しになっちゃうんだもん。誰かが操っていたとしか思えない」
「まあな」
「もう、人殺しなんて起きないよね?」
「推測立てたおまえ自身がそれは一番よくわかってるだろ?」
「だって、ただの推測だもの」
「大丈夫だよ。お前の推測は当たってる」
 正和の言うとおり、推測は当たっていた。そして人殺しもこの街ではめっきりなくなった。
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