砂になる

富山晴京

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砂になる

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 テレビを見ながら、菓子の入っている袋に手を入れる。手探りで菓子を指でつまむと、僕はそのお菓子を口に頬張った。ばりばりと、砂を噛むような触感を感じた。ざらざらとした触感が口の中に広がる。僕は水道へと走っていき、水で口をすすいだ。口の中から出てきたのは、大量の砂だった。僕は口の中からあらかた砂を追い出すと、菓子の袋を点検し始めた。しかし袋の中には砂など入ってはいない。お菓子に隠れて見えないのだろうかと思い、袋から菓子を出そうと手で菓子をつまんだ。菓子を持ち上げた時、その菓子が指の間で崩れた。そして砂となって、机の上に落ちた。
 僕はしばらく何も考えることができず、机の上の砂を見つめていた。指はしばらく、宙をさまよっていた。やがて僕は指で机の上に落ちたものを触った。間違いなく砂だ。僕はもう一度、菓子を指でつまんだ。すると菓子はほんの少し間をおいてから砂になった。
初めに考えたのは、これが夢ではないかというものであった。すると不思議なもので、夢に違いないという気がしてくる。手の中のものが砂になるなどという奇天烈なことが起こるのは夢以外にあり得ない。
もういっそ今日は寝てしまおうと思った。夢の中でさらに寝ることを考えるのも妙な気がしたけれど、夢なのだからそんなことがあってもおかしくはないだろうと思えた。そして僕は眠った。
 翌日、朝起きてみると、布団が何かで溶かされでもしたみたいに一部分が消失していた。さらに自分の服の腹のあたりが破けてしまっているのを見つけた。
まだ夢から覚め切っていないのか、と思い、いやついさっき夢から覚めたではないかと思い直した。今までムカデに追われる夢を見ていたはずなのだ。あれが現実だとはさすがに思えない。夢の中では、僕が海の中へ泳いで行って、ムカデまで海を泳いでいたのだ。ムカデが海を泳ぐこともあり得ないし、海からいきなりベッドに移動しているのもあり得ない。
 しかし布団が砂になるのがあり得るのかといえば、あり得ないように思えた。僕はここで初めて、自分の頬をつねってみた。すると現実と同等ぐらいには痛い。してみるとこれは夢ではない。現実だ。
 布団や菓子が砂になったということが現実だと知るにあたって、僕はいよいよ狂乱の極みに達した。僕は念のため、勉強机に触った。ところが砂にならない。次に爪切りに触った。しかし砂にはならない。僕はほっとしたものの、念のためもう一つ触ってみることにした。そこでティッシュに触ってみた。するとティッシュは指の間で砂になってしまった。
 僕はしばらく体を硬直させていた。それから地面が揺れたような気分になってよろめいた。誰かに相談しなければならない。とっさに階段を駆け下りた。親に相談しようとしたのだ。しかし途中で足を止めた。親に相談したところでどうなるというのだろう?手に触れたお菓子や爪切りが砂になったという話を誰が信じるというのか。いや、実際に見せつけてやればいい。いくらなんでも、僕が目の前でそれをして見せれば、信じざるを得ないはずだ。
 また足を進めかけて、僕はまた足を止めた。両親に僕が布団を砂にしてしまったと言って、いったいどうしてくれるというのだろうか?その疑問は、両親を僕の両親としてではなく、一人の人間としてみる機会を与えた。両親がもし、このような問題にぶつかった場合、その時果たして、両親は何というのだろうか。その時僕は、どう控えめに考えても何か具体的な解決策を考えだしてくれるようには思えなかった。むしろいたずらに混乱させるだけのように思われた。それどころか、混乱した両親はきっと、しまいには面倒を起こした僕を恨むような気がした。僕の起こす不可解な現象を嫌悪し、僕を憎み始めるだろうと思われてくるのだった。それを悟った僕は体をひるがえし、部屋へと戻った。
 僕はどうしたらいいのか。そしてまず砂になってしまった布団のことを隠さなくてはならないことに思い至った。僕は破けた布団や服をベッドの下に押し込んだ。
布団を隠してから、僕は自分の手のことについて考え始めた。何も触れずに生活するわけにもいかない。そうだ、手袋だ。手袋をすれば……。いやいや、手袋だって砂になってしまったらどうしようもないじゃないか。
 そういえば砂になるものとならないものとが、今のところあるようである。菓子やティッシュ、それから布団は砂になるようだ。ところが爪切りや机は砂にならないらしい。僕はそこで部屋にあるありとあらゆるものに触ってみた。そしていくつかの法則を見つけた。
 まずプラスチック製品は砂にならないということである。それからビニールも砂にならないようだった。
 そして大きなものは砂になりづらいということであった。棚など大きなものに触れていると、初めのうちは何ら変化を及ぼさないことが分かった。しかししばらく触れていると、少しずつ触れているところから砂になり始めていた。
 それから砂は砂にした物質によって性質が違うということであった。例えば紙なんかを砂にした時は、軽い砂になる。しかし鉄を砂にしたりするとえらく重くなる。
 それら三つのことが分かった僕は、ひとまず、この手に常にビニール手袋をはめておく必要があるという結論に達した。そしてもしどうしても脱がざるを得ない状況が来たとしても、大きいものだけに触れるようにするということにした。
 僕は食事もとらず、家にあったビニール手袋をつけて学校に行った。なぜ食事をしなかったかと言って、親に何か言われたりするのが嫌だったからである。
 学校に行くと、友達からどうしてビニール手袋をつけているのかと聞かれた。掌じゅうにじんましんができて、ろくに何かに触れることもできないからビニール手袋をつけている、そう答えた。友達はそれを聞いて納得した様子もなかったけれども、それ以上は聞かないでいてくれた。代わりに、医者みたいだとか清掃員みたいだとかと言われてからかわれた。
 しばらくして先生がやってきた。幸い、そのときはほとんど手を机の下に隠していられたから、特に見とがめられることもなかった。
 そのあと一時間目の授業が始まった。ここにきて、僕はどうあっても教科書のページを手で開かなくてはならなくなった。僕は、もしかしたら手袋ぐらい何事もなかったかのように見逃してくれるかもしれない、と思いつつ机の上に手を出した。
 すると教科書をろくにめくりもしないうちから
「おい、なんで手袋なんかつけてるんだ」
 と声がした。
「いや、あの、じんましんが手のひら中に広がっていまして。かゆくて仕方ないから手袋をつけているんです」
「病院に入ったのか?」
「いえ、それは行ってないです」
「行かなかったのか?」
「まあ、はい」
 先生は僕の方へ向かって歩いてきた。
「手を見せて見ろ」
「いや、本当に手袋がないとまずいんです」
 先生は僕の言うことなど聞かずに手袋を外してしまった。先生の掌が僕の掌に触れた。いや、ふれたどころではない。べたべたと、僕の手を調べるみたいに触っているのだ。
 僕は手を引っ込めようとした。けれども先生の力強くて振り切ることができない。
「んん?」
 先生の唇の間から声が漏れた。
「先生、手を離して」
 僕は先生の手を凝視していた。いつ、砂になってしまうかわからなくて恐ろしかったのだ。 
 しかし数秒ほど触れていても、先生は何ともなかった。もしかしたら、人間は砂にならないのかもしれない、僕はそう思った。
 先生が手を離したときだった。先生の腕の形が崩れ始めた。そして腕から先がまるごと、ぼたりと落ちた。地面に落ちた先生の腕は、もはや人の肉ではなくなっていた。赤い泥と化していた。先生の腕から血がほとばしる。血が僕の顔にまともに当たった。血が飛んでくるために目をしっかりとは開けていられなかったけれども、薄目を開けて、先生に起こっていることは見ることができた。先生の体は腕だけでなく、肩や体までもどんどん泥と化していた。そしていつしか先生はその場から消えていた。あるのは、大量の血と赤い泥だけだった。
 教室がいやにしんとしているように感じられた。体中の血が冷たくなってしまったように感じられ、頭がしびれたような、じいんとした気分になっていた。目の前の先生だったものを見てもなお、どうにかなるのではないか、これは何かの間違いなのではないかと僕は必死にその可能性を探した。それでもどうしようもないとわかった時、自分の周りのありとあらゆるものが黒い闇によって閉ざされてしまったような、そんな絶望感を感じた。
やがて僕は周りの人たちのことへ頭がいった。周りの人たちは僕を見つめていた。見つめているだけではなかった。身を固め、誰も身動き一つしない。周りの人たちが僕のことを恐れていて、そして嫌悪しているのだと悟った時、僕は立ち上がった。僕は教室から逃げ去った。その時、僕がそばを通った人は身をすくませ、僕から遠ざかろうとした。僕は触れようともしなかったのに。
 僕は学校から出た。別にどこへ逃げるという考えはなかった。ただ、とにかく走った。ひたすら真っすぐに。
 僕は走りながら、どこへ逃げようものか考えた。それからふと、神社の拝殿にでも潜むのがいいと思った。まさかそう言ったところに入る罰当たりがいるとはあまり考える人もいないだろう。それにあそこなら人気もそんなにないからそこへ隠れるところを誰かに見つかる気遣いもない。
 僕は神社の拝殿に入った。そこに入っていてしばらくは、外の音が気になって仕方なかった。誰か追ってきているかも知れないという恐怖で心臓が跳ね回って仕方がなかった。しかし誰の足音も聞こえなかったし、誰かが騒ぐ声も聞こえなかった。
 僕は人心地が付くと、これからのことを考え始めた。と言っても、これからなど僕にありはしなかった。刑務所に送られて、そこで死を待つばかりの人生になるとしか、僕には思えなかった。
 選択肢は限られていた。刑務所で生きながらえて、死刑になるか、さもなければ自分で死ぬか。
 逃げ延びることなどできるはずはなかった。先生も殺したことだし、この奇怪で恐ろしい手のこともある。まさか殺されもしないが、見逃されることもないだろう。僕は何が何でも社会にとらわれ、そして刑務所なりどこかの施設なりに送られるに違いないのだ。死刑になりはしないにしても、自由は永遠に失われる。しかしそれが嫌だからと言って、自殺することも怖くてできない。これから先のことを決めかねて、僕は爪を噛んだ。
 外でじゃりじゃりという音がした。それは人が歩く音に違いなかった。誰かがここへ来たのだ。僕を捕まえに来た警察官かも知れなかった。そうかと思うと、僕は何も考えられなくなってしまった。体の震えさえも制御できなくなり、ただ足音を聞いているばかりになってしまった。
 もはやこれまでだ。僕は警察に捕まり、刑務所に送られる。そして先生を殺した罪で死刑になるのだ。
 とても、怖い。
 扉が開いた。外から朝日の光が差し込む。僕はその人の顔が見えないうちから、前へ駆け出していた。そしてその人の顔に手を押し付けた。掌はその人の顔に見事に触れた、僕はその人の頭をがっしりつかんだ。するとその人の頭は手の中で崩れた。僕は後ろへ後ずさった。
 目の前の人は頭を失った後も泥になり続けた。そして後には山吹色のTシャツとジーンズだけが残った。
 殺してしまった。
 その時、ふと天啓のごとくこんな考えがひらめいた。
僕はもう人殺しなのだ。先生を殺し、今度は殺意をもって目の前にいる、名前も知らない人間を殺した。今更何人殺したって変わりやしない。
 僕は誰にも負けやしない。手で触れさえすれば、目の前のやつを跡形もなく泥にしてしまえるのだから。
 刑務所に行って死刑になりたくなければ、やることは一つしかない。捕まえに来るやつを殺すことだ。
 僕はその時初めて、逃げるという選択肢を、自由に生きるという選択肢を得ることができた。その選択肢を得た時、僕は身のひりつくような思いを感じた。本当にそんなことをしてしまっていいのだろうかと思った。けれども僕にはそうするよりほかの選択肢は思いつかなかった。僕は自由に生きたかったし、死にたくなかったのだ。
 人を殺してでも生き残ろう。そう思った時、僕は肩にかかっていた重いものがすーっとなくなっていくのを感じた。それはこのうえもない快感だった。
 それからの僕は神社を出た。そして服を草むらに隠し、泥を掃除した。手で地面に捨て、足ですりつぶすと、案外目立たなくなった。
 僕はそれから、ひたすら歩き続けた。とにかく学校から遠ざかるように、歩いて行った。
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