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20.電池切れハナハダシイ

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居間で6時半の目覚ましが鳴った。マキノはまだ寝ている。
多少眠くはあったが、春樹はさっと起きて、昨日マキノが持って帰った材料で食事の用意をはじめた。
さて、起こしてみようか。

寝室の戸を開けて、声をかけた。
「マキノおはよう。」
「げ?」
オレが元の位置に戻しておいた目覚まし時計を見て、マキノは目をぱちくりとしている。
戸を開けたままキッチンに戻って、トースターのタイマーをひねった。
「食パン焼くよ。」
「あ・・・はい。」
ムクリと起きたものの、マキノはベッドに座ってまだ、ぼーっとしているようだ。
「マキノ。疲れてるんじゃないか?やっぱり。」
「・・・・・。」
否定しないところを見ると、多少は自覚があるのかな?
「敏ちゃんのシフトを無視するからだよ。」
「・・だってぇ。・・あっ、まずい。朝市だ。」
がばっとベッドから飛び降りた。
「パン?春樹さんが朝ごはんしてるの?私、寝坊したの?」

だんだん脳が動き出したようだな。
「目覚まし、オレが勝手に止めたよ。」
「洗濯できないじゃない~。」
「オレがやっとくよ。」
「え~・・・。」
マキノにはマキノなりの理想があるらしかったが、なにもかも一人で抱え込んでしまうものではないだろう。オレだって一人暮らし長いんだよ?一通りのことはできる。
マキノが洗面台の前で鏡に向かって、寝ぐせを押さえてみてやっぱりシャワーしよう・・と風呂場に駆け込んだ。マキノがシャワーをしている間に、春樹はフライパンに卵を割ってごく普通の目玉を焼いてそれを皿に乗せて出した。
マキノは、戻ってくるとあきらめたように
「まぁいいか・・。」
とつぶやいて、食卓に座った。

「オレが家事するのは、そんなに気に入らないの?」
「・・・・。」

何を考えているのか、何も考えていないのか、マキノはぽーっとしてしばらく黙っていたが、朝食を終えると、オレが車で送ると言うのを断った。
先々週ぐらいに、オレが洗ってやってきれいになった黒のVTRにまたがって、マキノは走って行った。

オレはそれを見送りつつみぞおちのあたりを押さえた。マキノがバイクに乗るのを見ると、やっぱりどうもみぞおちのあたりがシクッとくる。
気にしなくていいんだけど、どうしても体が反応するんだな。

でも、・・思い出の場所だって何度も行けば、特定の思い出ではなくなる。
話した言葉も、着る服も、聞いた音楽も。特別な思い出なんて消えていく。
今マキノと生活していることで、痛みを伴う記憶は減っていく。
バイクが何だ。ただバイクと言うだけじゃないか・・・。
そうだ。うん、たまにはバイクに乗るのもいいな。

オレも今日はバイクに乗ろう。
今度いっしょにツーリングに行こうとマキノを誘おう。


マキノが仕事に出てから洗濯機を回して、その間にゆっくりとシャワーを浴びて、朝食に使った食器を片づけた。
昨日洗って乾いた洗濯物を取り入れたものが、かごに積んである。
それも一つづつ畳んでかたづけて、今度は洗濯が終わったのでそれを干していく。
自分と結婚して、マキノは負担が増えてるんじゃないのかな。
休めないのは性分だろうか。カラダも大事にして欲しいんだけどなぁ。


遊がどうなるかはわからんが、いずれにせよ学校へは行ってもらう気でいるから、この先お店での仕事量は必ず増えてくるはずだ。
マキノはいったいどれだけ抱え込む気でいるのか・・。



土曜日の午前9時半からは、カヌークラブの活動に参加することにした。
ゆるいクラブだ。子どものお守りとお手伝いと称して、艇を借りて自分も去年からやり始めた。
クラブの方針どおりに自分もゆるくやっている。
春樹は、沈したときのための着替えとペットボトルのスポドリだけ持って、バイクでカヌー広場まで走った。
艇も道具も借りられるので何もいらない。


軽く体操をして、子ども達が艇に乗り込むのを手伝ったりしてから、自分もレーシング艇に乗り込んだ。
レーシングの艇は非常に不安定だ。
子どものほうがよほどバランス感覚をつかむのは早かった。自分は今でもビクビクしながら乗っている。

「佐藤先生、だいぶ上手くなりましたね。」
カヌー部の岡本先生から声がかかった。
彼は、50代という年の割に鍛えていて無駄な贅肉が皆無。そして子ども達に対しては厳しさが皆無。とにかく温厚な人だ。
子ども達がサボっても、保護者たちが非協力的でも、あまり自分のモチベーションには関係ないようで、湖に入れない冬の間でも、カヌーの為にずっとトレーニングをしている。
自作のカヌーまで作ったりして、高校の教師をしているくせに趣味に生きているように思う。
うらやましい性格だ。好きなんだな。カヌーが。

岡本先生が「堰堤のそばの桟橋まで行くよ~。」と声をかけると、みんなが一斉に漕ぎ始めた。直線距離にして500mぐらいだろうか。それが結構遠く感じる。
子ども達と競争し、体力を使い果たし、悪いことに、気を抜いている時に風にあおられて、何人かの子ども達と一緒に途中で沈してしまった。
艇庫の下までカヌーを引っ張って泳がないといけないかなーと思ったら、岡本先生が戻って来て岸まで引っ張ってくれた。余分な世話をかけてしまった。申し訳ないことだ。
岡本先生は、どんなに世話がかかっても、カヌー人口が増えるのが単純に嬉しいようで、ハプニング一つでも楽しそうにしている。

マキノもやってみるか、今度聞いてやろう。
なんでも一度はかじってみたい性格だから、きっとよろこぶと思う。
カヌーは隔週だから、再来週の土曜日は朝市も休めるように敏ちゃんに頼んでみようか。
オレって・・何をしていてもマキノのことばかり考えてるかぁ。・・・

湖にはまってずぶぬれになったウエアを着替えながら、春樹は頭を掻いた。


昼めしは何か作ろうかなとちらっと考えたが、面倒になってコンビニで適当なものを買って食べた。
午後は,家に帰って車を洗って、そのあとは夕方まで授業の準備と学級通信の文章でも作っておこうかと思ったところで、3時過ぎにマキノから電話がかかって来た。
めずらしいな、こんな時間に。

「すみません、調子が悪いので迎えに来てください。」
「わかった。」



春樹が店に行くと、お客さんは数人座敷でゆっくりしていて、カウンターの中には遊と有希ちゃんがいた。
「マキノは?」
「下で休んでるって。」
黙ってふむとうなずいて、車を裏庭に回した。裏口の横には今朝マキノが乗って行ったVTRが停まっている。
裏口から入ると、エアコンの入ってない暑い部屋に、敷布団を一枚ぺろんと敷いて、マキノが転がっていた。

またこれだ・・・。

不謹慎ながら、弱ってころがっているマキノは・・とても可愛いと思ってしまうんだが、まぁ・・見ようと思えばいつでも見れるから心を鬼にして起こしてしまう。

「マキノ、起きてる?」
「ううう・・・」

「調子悪いってどうなの?」
「のどが痛い。頭も痛い。そして何よりも眠い。」
「熱は?」
「測ってない。ないと思う。強いて言えば動けない・・。」
春樹がおでこにさわると少し熱っぽいがたいしたことなさそうに思えた。
「微熱はありそうだよ。病院行く?」
「ううん。お昼食べてからちょっとお客さん途絶えて、うとうとして、その後どうしても動けなくて。」
「・・電池切れも甚だしいよ。マキノ。だから疲れてるんじゃないかって言ったのに。」
「あいすいません。」

「店はどうするの?」
「う・・・・閉めようかな。」
「閉めるの? このまま遊にやらせてみたら?」
「んー・・・。」
「聞いてきてやるよ。」


中の階段を上がると店の座敷を通らないと行けないので、春樹は一旦外に出て玄関へと回った。

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