マキノのカフェで、ヒトヤスミ ~Café Le Repos~

Repos

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36.痛いほど、後悔

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マキノから、こういう個人的に深い事を聞かれたのは働きだしてから初めてのことだ。
ここでバイトしている有希の兄の川村には話してあったけど、妹を介しての話だったから詳しい事は耳に届いていないんだろう。


・・この店は思っていたよりも居心地が良かった。
決まり事もあるにはあったが、基本は自由で、田舎だからもっとヒマなのかと思ったら意外と活気があった。
マキノからこと細かな理想とアバウトなイメージで自分なりの献立を考えるようにという難しい注文を出されて、それに応えるため試食を作るのが面白くもあった。
これまでの職場では、上から言われたことを時間通りにきっちりやりきることが求められた。もちろんそれはそれで自分の工夫も必要だったし大変ではあったが、今は自分の持っているもの教えろと言われることが多くて、教える事の責任も感じたし、それが自分にきちんと身についているかどうかの確認にもあって、思った以上に自分の勉強になった。


さっきマキノに聞かれて、ヒロトはつきあっていた女性二人のことを思い浮かべた。
こちらに来る直前までつきあっていたるり子と、1年前までつきあっていた美緒だ。
二股とか掛け持ちしていたわけではない。

マキノには、ただ「別れた」としか言わなかったけれども、その一言にはいろんな事情が絡まっていた。
美緒とは、専門学校の時代から、6年間もつきあっていた。ある日つまらない事で喧嘩してそれっきり会っていない。

美緒と喧嘩している時に、職場で知り合ったるり子という女の子が自分に近づいてきて食事をしたり遊びに行ったりするようになった。
愛想もよくていろいろ世話を焼いてくれてつきあいはじめてしまった。

調子に乗る・・とはあの頃の自分のことを言う。
頭のどこかに違和感があるのに、その場の雰囲気や流される方へ転がっていった。
るり子は人前で彼女を気取り、自分とツーショットの画像を撮りたがったし、おせっかいな友人たちはSNSなんかにタイムラインをどんどん投稿していく。

美緒にも友人を介してそんな情報が流れて行ったようで「彼女ができたんだってね。よかったね。」とメールが入っていた。・・・美緒は納得しているんだな・・・。
そこまできて、自分はもう、元には戻れないところまで来てしまったんだと、ようやく気づいた。
美緒のメールには、どんな言葉も返信することはできなかった。


るり子は、最初の頃こまごまとしたことを気配りしてくれる子だったし、今まで知らなかった価値観が新鮮でもあり盛り上がって楽しかった。
だが、半月もしないうちにもう、分かれたい気持ちがほとんどになってしまった。
・・メールやラインの返事をすぐにしないと怒りだしたり、男友達と飲みに行くだけでも拗ねるし、帰宅の時間も管理するようになり、買い物にもいちいちついてくるし、着る服や、聞く音楽すら干渉してくるようになった。

いいかげんにしてくれと強く言うとしくしくと泣き、おとなしくなったかと思えば、何かの拍子に豹変して怒りだすことの繰り返し。
職場には共通の友人もいて、世話好きなるり子のことをいい子だと思い込んでいるし、人間関係が気まずくなるのもいやで、いろいろ我慢して話し合ったり説得したりもした。

しかしもう・・るり子の感情の起伏に振り回されて心底疲れ果ててしまった。
この1年で別れ話を何度切りだしたかわからない。
申し訳ないけれど、好きだとか愛だとか、そんな感情があったのかどうかすらわからなくなり、それなのに、どうやっても逃れることができなくなっていた。

るり子は少しずつ自分の生活を侵食し、何もかもを管理し支配しようとした。
いつのまにかるり子の機嫌をうかがっている自分に気づいて、背筋が寒くなった。
このままでは自分の意志と違う方向に自分の人生が転がって行くような恐怖を感じる。

自分を取り戻すために、るり子を切り離そうと決心した。
あまりに支配され過ぎていて、るり子と一緒に今の生活全部ごっそり捨てなくてはならなかった。
今なら抵抗できる。考えることもできる。もがけるうちに、とにかく今の仕事をやめよう。
アパートも引き払って、姿を隠そう・・。


当時は情緒が不安定になっていたかもしれない。どんなふうに仕事をしていたのか・・職場で叱られることも多かった。時折愚痴を聞いてもらっていた同僚の川村から、「妹のバイト先で料理のできる男子を探してるって言ってたぞ。」という話しがあった。
最初に聞いた時は、ど田舎じゃねえか,たかが小さいカフェだし・・と思ったのだが、一人になれるなら都合良いかもしれないと思えてきた。


市内で転職しても、るり子がどこにいても追いかけてきそうな気がした。しばらく姿をくらますのには田舎に逃げ込んでいるのが最適ではないか。実家からならそれほど遠くもない。
姿を消してあきらめてくれればそれに越したことはないが・・。

るり子は今、ホテルのシェフの自分に執着しているのだと思う。実際はただの見習いでも、かっこよく見えると言っていたことがある。もし田舎で働いているところを見つかっても、収入が減って実家からダサい田舎へと働きに出ている自分が、今より落ちぶれていれば・・実情はどうあれ、るり子の目にそんな風に映れば、気持ちも落ち着くのではないだろうか。

ひどい言い方だが、自分を取り戻すには、るり子だけは目の前から消してしまう必要があると思っていた。



引っ越しの日はるり子には知らせず、半日で荷物を運び出した。
使っていた家具や電化製品は全部処分した。
まるで夜逃げでもするように。

るり子が悪かったわけじゃない。
自分が、何の考えもなく軽はずみなことをした。
それがすべての元凶だ。


るり子は、今頃、突然いなくなった自分を恨んで激怒しているんだろうか、それとも寂しがって泣いているのだろうか? 申し訳ないことをしたと思う。でももう、どう思われても、自分はあの場所にいたくない。


・・・バカすぎる。
取り返しのつかないことをした。

るり子に対しても、美緒に対しても、自分は浅かった。誠意もなかった。



本当は・・本当は、喧嘩したあの時から、ずっと美緒に謝りたいと思っていた。
喧嘩した理由さえ思い出せないぐらい些細な事だったのに、6年間も自分と美緒が積み重ねてきた日々を、何もかもを、なんで自分はああもあっさり手放してしまったのか。
情けなくて、情けなくて、自分に腹が立って、吐き気がするほど、後悔していた。


土下座して謝っても許されないぐらい、美緒を傷つけた。
わかっている。

わかっているけど、今は、美緒ともう一度会いたかった。
会ってどうする?
そんなこと考えてはいない。
いくらオレがバカでも、会いたいと思うことすら虫がよすぎる話だってことも、わかる。

もう会えない。

二度と会うことはない。
そう思いながらも、やっぱり会いたいのは美緒だった・・。





またマキノが話しかけてきた。
「ヒロトくん。本当にやりたいことってないのかなぁ。」
「やりたいことですか?」

マキノは
「ヒロトオリジナルはどうなってる?」
「ああ・・いやぁ,まだ。マキノさん、オレの事,買いかぶってるから。」
「人間、期待されてこそだよ?応えようと思って伸びるんだよ。決して私が楽したいわけじゃないからね。」
ははは・・とマキノが笑った。

「ボクとしては、得意なのはやっぱり和食だから・・マキノさんが思うように使ってくれればいいと思うんだけどな。」
「和食?今考えてるよ?私の望みを聞くの?今考えてるのはね、お年寄り向け及び糖尿の人用のお弁当。カロリー抑えめで良質のたんぱく質とビタミンカルシウムミネラル豊富でそして満足感がえられるようなものを。お安く。週替わりで。」
「無理です。」
「もうっ。即答しないでよ。一瞬でも考えてみてくれればいいのにぃ。・・私なんて栄養学をまともに学んでないからさ。PCとかで、どういうのがいいとか調べるしかないんだよ。」


「マキノさんの注文ほど難しいものはないな。」
「きっとやりがいあるよ~。だからヒロトもさ、ここでやりたいことをね。何か考えたらいいんだよ。あ、お寿司なんてどう?お弁当に。ナマモノ厳しければ巻とかちらしとか、押しずしもいいじゃない。和食じゃなかったら、パンとか、ピザとか、スイーツもあるんだけどなぁ。あ、和菓子はどう?」
「よくそんなに次から次へと・・。」
「ふふ・・。」

機嫌よくしゃべっていたかと思ったマキノが、一瞬顔をしかめて、気分の悪そうな顔をした。

「あれ?マキノさんまだ具合が悪いんですか?」
「えへへ。違うよ。できちゃったかなーって。」
「あっ、それは・・おめでとうございます。」
「だからしばらく迷惑かけるかもだけど・・よろしくなの。」
「無理しないでくださいね。」
「うん。ありがとう。」


・・・。

マキノという人は優しい人だ。
考えてそうしているのか、自然としているのか知らないが、同じことを言われても他人にプレッシャーを与えるという事がない。表情や声の調子で、上からな空気が緩和されるのだろう。
ああもちろん・・課題を与えられるのは違う意味でプレッシャーだが、前向きな気持ちでかかれる。

最初は、頭をからっぽにして働けるだけでもありがたかった。
今は、いいものを何か考えなければと思って、この店に自分のPCまで持ち込んでいる。
調べて、考えて、作って。
・・自分が試作すると、マキノをはじめとしてここの人達がみな、とても喜ぶ。
それが嬉しくて楽しい。


食べることを楽しむ・・・.
そんなシンプルなことを忘れそうになっていた自分に、ヒロトはやっと気が付いた。

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