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70.除夜の鐘と初詣
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マキノは、おせちオードブルを何軒かに配り、イズミさんのお宅に届けて今年最後の配達を終えた。
「あらーきれい。立派ねぇ。」
「でしょう?」
「さすがヒロト君ね。マキノちゃん、明日は春ちゃんと一緒にお雑煮食べにくるのでしょ。」
元旦の朝は、去年まで春樹がそうしていたように、お兄さんの家族とともに新年をお祝いするのだ。
「はい。ありがとうございます。春樹さんから聞いてました。毎年おじゃましてたって。」
「そうなのよ。どうぞいらっしゃい。毎年おせちは達彦さんと私と共同で作るのよ。」
「わぁいいですね。いつも思うけど達彦さんって、できる人ですよねぇ。」
「そう、悔しいぐらいにね。おおむねありがたいけどね。」
「何時ぐらいに伺ったらいいですか?」
「10時頃かな。遅い?」
「いえいえ。元旦ぐらいゆっくりで。じゃあ明日また。イズミさ・・お姉さん、よいお年を。」
「ええ。よいお年を。」
ヒロトに連絡すると、どのお客様も早々に引き取りに来て、仕事のカタはすべてついていた。
「ちゃんと片付けときますから大丈夫ですよ。」
「工房も大丈夫かな?」
「施錠したし、ガスも水道も止めたし、凍結の心配がないように水も抜いたし・・大丈夫です。責任持てます。」
「うん、ありがとう。じゃあ気をつけて帰って。ゆっくり休んでね。美緒ちゃんによろしく。さっきも言ったけどよいお年を。」
「はい、ありがとうございます。また来年4日からよろしくお願いします。」
マキノは、自宅に戻ってまたお掃除の続きをしながら夕食の用意だ。
大晦日の夕ご飯は、ニシンの甘露煮が載った年越しそば。茹で卵と小口ネギとかまぼこ、おぼろを載せてみた。おそばだけでは寂しいので、だし巻卵も焼いて、残りごはんでおむすびを作った。
春樹さんから、あと台所だけでいいと言われただけのに、冷蔵庫の中や食品庫と食器棚の整理までしているとなかなか進まず、あちこちゴソゴソと掃除をしていた。
リビングも、寝室もすっきりしているのに、台所だけ終わらないっ・・と焦っていると、春樹さんが笑い出した。
「もう諦めたら?何を極めようとしているのか知らないけど、いつもどおりで充分だよ。」
それもそうか・・と思って、早めにお風呂もすませて、何もすることがなくなったので、リビングでTVを見ながらくつろいでいると、いつものくせでだんだん眠くなってきた。
「神社・・本当に行くの?」と聞かれたような気がするが、頭の中では「行く。がんばる。」という意思を表明したかったのだが返事できたかどうか記憶がはっきりしない。
いつの間にか毛布がかぶせられていて、春樹さんの胸にもたれてしばらく眠ったようだった。
頭を撫でられていたような感覚がかすかにあった。
春樹さんに起こされて神社へと、向かう。
近所ではあるが、車で駐車場まで行って、そこから歩いてお詣りをする。
春樹さんがマキノの手を取った。
手袋は履いていなかったが、あったかいダウンを着ているから寒くはなかった。
どこか遠くでゴーンという音がする。
除夜の鐘が鳴り始めたようだ。
「初めてのデートの時も、手をつないだね。」
マキノが言うと、春樹さんは、何も言わずにあの時と同じようにつないだままの手を自分のポケットに突っ込んだ。
「でもオレ、近所では面が割れてるから。」
「春樹さんの職業って、公衆の面前で手をつなぐのには向いてないかもね。」
「オレが気にしなくても、気にする人がいるらしいから。」
世間に対してか誰に対してか、くっくっと皮肉っぽく笑いながら谷あいの暗い参道を歩く。
ところどころ石灯籠にあかりが灯っていた。
「ろうそくかな?」
一つ一つ灯すのは、ご苦労さまなことだなぁと思ったら、よく見ると電球だった。
「火を使うのは安全性に問題ありだから。神社の守りをするのも年寄りばかりだし、足腰が弱ってきて、何かにつけて簡単に簡単にできるようになってきてるんだよ。」
この登り道をお年寄りが歩くのかぁ・・軽自動車なら走れそうな広さはあるが、思ったよりきつい。
「はぁ、はぁ、・・息があがるね。」
「うん。ゆっくり行こう。」
ある程度行くとだんだん勾配がゆるくなってきたので息を整える。
ようやく鳥居までたどり着いた。春樹さんは無造作にそれをくぐりマキノもそれに従った。
砂利を敷いた小さな境内をザクザクと歩く。
拝殿の少し手前の手水舎に寄って、手と口を清め、そのまま進むと、拝殿の反対側に休憩所があった。
その横でおじいちゃんが3人集まって、薪をくべて、火に当たっていた。
「あと20秒で年が替わるよ。」
と声をかけられた。
「いい時間に来たね。」
春樹さんは、腕時計の小さなライトをつけてマキノに見せた。
プッ プッ プッ ピー・・・
「おめでとうございます。」
「おめでとうございます。」
その場にいた人たちと口々に挨拶を交わす。
「おお。誰かと思ったら春ちゃんか。おめでとう。」
「本年もよろしくお願いします。」
「奥さん連れて来てくれたのかい。」
「はい。この奥さんが来てみたいって言い出したんですよ。」
「こんばんは。おめでとうございます。」
「へぇあらあら可愛いらしいお嫁さん、おめでとう。よろしくね。近ごろはここまで登って来れる人も少なくなってるから、嬉しいねぇ。」
「じゃ、ちょっとお参りしてきます。」
「ああ行っておいで。わたしらもあとからお参りするよ。」
春樹さんは、石の階段を5段ほど登って、賽銭箱にちゃりんとお金を投げ込み、鈴をがらがらと鳴らした。
マキノもそれに倣う。
「二礼二拍手一礼。」
マキノに教えるように、口にしてから、2回礼をして、ぱんぱん と手を叩いて、一礼をした。
マキノも、ぱんぱん。と真似をした。
・・今年もいい一年になりますように。
本殿の階段を降りると、おじいちゃん達がおつまみとお神酒が載ったお盆を差し出してくれた。春樹さんはお神酒の盃を一つとって「いただきます。」と、すぐにクイッとあおった。
マキノが、春樹さん車で来てるのに飲んだ!!と思って、少し躊躇していると「甘酒もあるよ?」と言ってくれたのでそれをいただいた。
それは、しょうがの効いた優しい甘さの、懐かしい味だった。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
まったく。マキノはいつも、寝付きの良さだけは素晴らしいのだ・・。
午前0時に近所の神社に行きたいと言い出していたが、本当に起きていられるのか?と春樹は怪しんでいた。
そばを食べた後も、執念深く台所を磨いていたので、この調子なら起きていられるか?とも思ったが、「掃除ももういい加減にしたら」と声をかけると、ようやく折り合いをつけたらしく「今年一年の仕事はこれでおしまい!」と宣言して風呂へと向かった。
しばらくすると、頬をピンクにしてTVをつけて見るともなく見ていた自分の横に、ほこほこと温かい体で座りに来た。
そして、じっとしたなと思ったとたんコックリコックリやりはじめた。・・。
・・本当に、子どもみたいなヤツだ・・。
先日から、マキノが自分に対して気を遣っているのを春樹は知っていた。
掃除をしている時に正月の話をしていて急に黙り込んだ。たぶんあのとき、ちょっとした一言でオレの過去のことを想像してしまったのだろうと思う。古傷でもえぐってしまったと思ったか。
つきあっていた恋人が死んで、突然いなくなってしまった・・そのことは確かに、19歳の自分にとって受け入れがたい事だったし、30歳になった自分が振り返るにも、ちと重い過去だ。
当時しばらくは殻に閉じこもりもしたし、普通に生活できるようになっても現実を生きていないというか、意識が宙に浮いているようだったと思う。
恋愛することを拒否していたわけでもないが本能的に避けていたかもしれない。
自分には結婚なんて無理だと思っていた時期もあった。
・・たぶん、忘れることはない。
事実は変わらないのに、時間とともに美化されて、シノブと一緒にいて楽しく幸せだった時間は神聖なものになって、それにつながっている寂しさや悲しさ悔しさを思い出せば、苦しいと思う。傷が癒えて元気になっても、その時の痛みは心が覚えているものだ。
でも、時間ってのは、ありがたくもあり非情でもある・・。
今は、シノブとの共通の友人と会う機会があっても、過去の話も普通にすることができる。時間のおかげで少しずつ記憶が遠くなり、口にしてしまえば少しずつタブーではなくなっていく。
・・忘れる必要もないと思う。
過去があって、今の自分が形作られてきた。だから、それも、オレの一部だ。
それがあったから、今、大事にしなくちゃいけないものがわかる。
もともと、マキノには過去の話を事細かに説明するつもりなんてなかった。
こんな苦い気持ちなんか共有してもらう必要はない。一生、黙って自分一人で抱えつづける。それでいい。
マキノは、自分の肩にもたれて少し口を開けフワフワと眠っている・・。
「湯冷めするよ。」
そっと囁いてみたが、反応がない。このまま本気で寝る気だろうか・・。
春樹は、力が抜けて少し重くなっているマキノの頭を、一旦肩から外した。
ソファーの背にもたれさせておいて、素早く毛布を取ってきてかぶせた。
神社へと出かけるまで・・まだあと半時間は寝かせておけるかなぁ。
自分は薄いインスタントコーヒーをいれて、もう一度マキノの横に座り、同じ毛布に入って肩を抱いた。
マキノはわずかに目を開け、少し手を動かして何か言いたげにしたが、自分にもたれるようにポジションを少し調整して、またすうっと目を閉じた。
マキノの頭に顔を寄せてみる。シャンプーの匂いがする。洗った髪はほぼ乾いたようだ。
・・出会えてよかった・・思う。
この時代に生まれて、この年齢で、このタイミングで、この場所で、マキノに会えて。
・・・人を好きになれたこと。その相手からも好きになってもらえたこと。
そしてこうやってずっと一緒にいられるようになったこと。
これってどんな奇跡なんだろう・・。
自分の右肩を枕がわりにしてもたれているマキノを、ななめ上の角度から眺める。
思っていたよりまつ毛が長い。そして、上唇がちょんととがって見えて、それが愛しいと思った。
ふいに、胸に何かがこみ上げてきてマキノを力いっぱい抱きしめたくなった。
・・が、その衝動は押さえた。
右手をぐっと握りしめて、そのあと手のひらをゆっくり開いて力を抜く。
もうすこし寝かせておいてやろう。
マキノが起きたら、やりたいことをやらせてやろう。
まだつまらない気を遣っていたら、バカだなぁと言ってやりたい。
・・コーヒーをすすって、TVを眺める。
歌番組はもうすぐ終わるようだ。
あと10分で起こしてみて、それで起きなかったらそのままベッドに運ぼうか。
・・・そろそろ出かける時間だよ。・・と小さく声をかけると、さっきは反応しなかったのに、どんなスイッチが入るのかわからないが、今度はすぐにぱちりと眼をさまし、バタバタと上着を着込んで出かける用意をした。
マキノは、神社へと続く陰気くさい暗い山道をおもしろがり、ハァハァ息をあげながらも嬉しそうに歩く。
何の変哲もない小さな神社と、いつもやっていたしきたり通りの参拝をも、めずらしそうに楽しんでいる。宮当番の年寄りたちはマキノが来たことをとても喜んだ。
そういえば、年が替わる瞬間は年寄りたちとおめでとうを言いあっただけで、2人では挨拶をしなかったな・・。
お参りした帰りは、たったお猪口一杯のお神酒を飲んだことを指摘して、マキノがS4を運転して帰ってきた。
きっちりすることはいいことだな。教師としてはその心意気は見習わなくちゃいけない。
マキノと春樹の新しい一年は、穏やかに平和に始まった。
「あらーきれい。立派ねぇ。」
「でしょう?」
「さすがヒロト君ね。マキノちゃん、明日は春ちゃんと一緒にお雑煮食べにくるのでしょ。」
元旦の朝は、去年まで春樹がそうしていたように、お兄さんの家族とともに新年をお祝いするのだ。
「はい。ありがとうございます。春樹さんから聞いてました。毎年おじゃましてたって。」
「そうなのよ。どうぞいらっしゃい。毎年おせちは達彦さんと私と共同で作るのよ。」
「わぁいいですね。いつも思うけど達彦さんって、できる人ですよねぇ。」
「そう、悔しいぐらいにね。おおむねありがたいけどね。」
「何時ぐらいに伺ったらいいですか?」
「10時頃かな。遅い?」
「いえいえ。元旦ぐらいゆっくりで。じゃあ明日また。イズミさ・・お姉さん、よいお年を。」
「ええ。よいお年を。」
ヒロトに連絡すると、どのお客様も早々に引き取りに来て、仕事のカタはすべてついていた。
「ちゃんと片付けときますから大丈夫ですよ。」
「工房も大丈夫かな?」
「施錠したし、ガスも水道も止めたし、凍結の心配がないように水も抜いたし・・大丈夫です。責任持てます。」
「うん、ありがとう。じゃあ気をつけて帰って。ゆっくり休んでね。美緒ちゃんによろしく。さっきも言ったけどよいお年を。」
「はい、ありがとうございます。また来年4日からよろしくお願いします。」
マキノは、自宅に戻ってまたお掃除の続きをしながら夕食の用意だ。
大晦日の夕ご飯は、ニシンの甘露煮が載った年越しそば。茹で卵と小口ネギとかまぼこ、おぼろを載せてみた。おそばだけでは寂しいので、だし巻卵も焼いて、残りごはんでおむすびを作った。
春樹さんから、あと台所だけでいいと言われただけのに、冷蔵庫の中や食品庫と食器棚の整理までしているとなかなか進まず、あちこちゴソゴソと掃除をしていた。
リビングも、寝室もすっきりしているのに、台所だけ終わらないっ・・と焦っていると、春樹さんが笑い出した。
「もう諦めたら?何を極めようとしているのか知らないけど、いつもどおりで充分だよ。」
それもそうか・・と思って、早めにお風呂もすませて、何もすることがなくなったので、リビングでTVを見ながらくつろいでいると、いつものくせでだんだん眠くなってきた。
「神社・・本当に行くの?」と聞かれたような気がするが、頭の中では「行く。がんばる。」という意思を表明したかったのだが返事できたかどうか記憶がはっきりしない。
いつの間にか毛布がかぶせられていて、春樹さんの胸にもたれてしばらく眠ったようだった。
頭を撫でられていたような感覚がかすかにあった。
春樹さんに起こされて神社へと、向かう。
近所ではあるが、車で駐車場まで行って、そこから歩いてお詣りをする。
春樹さんがマキノの手を取った。
手袋は履いていなかったが、あったかいダウンを着ているから寒くはなかった。
どこか遠くでゴーンという音がする。
除夜の鐘が鳴り始めたようだ。
「初めてのデートの時も、手をつないだね。」
マキノが言うと、春樹さんは、何も言わずにあの時と同じようにつないだままの手を自分のポケットに突っ込んだ。
「でもオレ、近所では面が割れてるから。」
「春樹さんの職業って、公衆の面前で手をつなぐのには向いてないかもね。」
「オレが気にしなくても、気にする人がいるらしいから。」
世間に対してか誰に対してか、くっくっと皮肉っぽく笑いながら谷あいの暗い参道を歩く。
ところどころ石灯籠にあかりが灯っていた。
「ろうそくかな?」
一つ一つ灯すのは、ご苦労さまなことだなぁと思ったら、よく見ると電球だった。
「火を使うのは安全性に問題ありだから。神社の守りをするのも年寄りばかりだし、足腰が弱ってきて、何かにつけて簡単に簡単にできるようになってきてるんだよ。」
この登り道をお年寄りが歩くのかぁ・・軽自動車なら走れそうな広さはあるが、思ったよりきつい。
「はぁ、はぁ、・・息があがるね。」
「うん。ゆっくり行こう。」
ある程度行くとだんだん勾配がゆるくなってきたので息を整える。
ようやく鳥居までたどり着いた。春樹さんは無造作にそれをくぐりマキノもそれに従った。
砂利を敷いた小さな境内をザクザクと歩く。
拝殿の少し手前の手水舎に寄って、手と口を清め、そのまま進むと、拝殿の反対側に休憩所があった。
その横でおじいちゃんが3人集まって、薪をくべて、火に当たっていた。
「あと20秒で年が替わるよ。」
と声をかけられた。
「いい時間に来たね。」
春樹さんは、腕時計の小さなライトをつけてマキノに見せた。
プッ プッ プッ ピー・・・
「おめでとうございます。」
「おめでとうございます。」
その場にいた人たちと口々に挨拶を交わす。
「おお。誰かと思ったら春ちゃんか。おめでとう。」
「本年もよろしくお願いします。」
「奥さん連れて来てくれたのかい。」
「はい。この奥さんが来てみたいって言い出したんですよ。」
「こんばんは。おめでとうございます。」
「へぇあらあら可愛いらしいお嫁さん、おめでとう。よろしくね。近ごろはここまで登って来れる人も少なくなってるから、嬉しいねぇ。」
「じゃ、ちょっとお参りしてきます。」
「ああ行っておいで。わたしらもあとからお参りするよ。」
春樹さんは、石の階段を5段ほど登って、賽銭箱にちゃりんとお金を投げ込み、鈴をがらがらと鳴らした。
マキノもそれに倣う。
「二礼二拍手一礼。」
マキノに教えるように、口にしてから、2回礼をして、ぱんぱん と手を叩いて、一礼をした。
マキノも、ぱんぱん。と真似をした。
・・今年もいい一年になりますように。
本殿の階段を降りると、おじいちゃん達がおつまみとお神酒が載ったお盆を差し出してくれた。春樹さんはお神酒の盃を一つとって「いただきます。」と、すぐにクイッとあおった。
マキノが、春樹さん車で来てるのに飲んだ!!と思って、少し躊躇していると「甘酒もあるよ?」と言ってくれたのでそれをいただいた。
それは、しょうがの効いた優しい甘さの、懐かしい味だった。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
まったく。マキノはいつも、寝付きの良さだけは素晴らしいのだ・・。
午前0時に近所の神社に行きたいと言い出していたが、本当に起きていられるのか?と春樹は怪しんでいた。
そばを食べた後も、執念深く台所を磨いていたので、この調子なら起きていられるか?とも思ったが、「掃除ももういい加減にしたら」と声をかけると、ようやく折り合いをつけたらしく「今年一年の仕事はこれでおしまい!」と宣言して風呂へと向かった。
しばらくすると、頬をピンクにしてTVをつけて見るともなく見ていた自分の横に、ほこほこと温かい体で座りに来た。
そして、じっとしたなと思ったとたんコックリコックリやりはじめた。・・。
・・本当に、子どもみたいなヤツだ・・。
先日から、マキノが自分に対して気を遣っているのを春樹は知っていた。
掃除をしている時に正月の話をしていて急に黙り込んだ。たぶんあのとき、ちょっとした一言でオレの過去のことを想像してしまったのだろうと思う。古傷でもえぐってしまったと思ったか。
つきあっていた恋人が死んで、突然いなくなってしまった・・そのことは確かに、19歳の自分にとって受け入れがたい事だったし、30歳になった自分が振り返るにも、ちと重い過去だ。
当時しばらくは殻に閉じこもりもしたし、普通に生活できるようになっても現実を生きていないというか、意識が宙に浮いているようだったと思う。
恋愛することを拒否していたわけでもないが本能的に避けていたかもしれない。
自分には結婚なんて無理だと思っていた時期もあった。
・・たぶん、忘れることはない。
事実は変わらないのに、時間とともに美化されて、シノブと一緒にいて楽しく幸せだった時間は神聖なものになって、それにつながっている寂しさや悲しさ悔しさを思い出せば、苦しいと思う。傷が癒えて元気になっても、その時の痛みは心が覚えているものだ。
でも、時間ってのは、ありがたくもあり非情でもある・・。
今は、シノブとの共通の友人と会う機会があっても、過去の話も普通にすることができる。時間のおかげで少しずつ記憶が遠くなり、口にしてしまえば少しずつタブーではなくなっていく。
・・忘れる必要もないと思う。
過去があって、今の自分が形作られてきた。だから、それも、オレの一部だ。
それがあったから、今、大事にしなくちゃいけないものがわかる。
もともと、マキノには過去の話を事細かに説明するつもりなんてなかった。
こんな苦い気持ちなんか共有してもらう必要はない。一生、黙って自分一人で抱えつづける。それでいい。
マキノは、自分の肩にもたれて少し口を開けフワフワと眠っている・・。
「湯冷めするよ。」
そっと囁いてみたが、反応がない。このまま本気で寝る気だろうか・・。
春樹は、力が抜けて少し重くなっているマキノの頭を、一旦肩から外した。
ソファーの背にもたれさせておいて、素早く毛布を取ってきてかぶせた。
神社へと出かけるまで・・まだあと半時間は寝かせておけるかなぁ。
自分は薄いインスタントコーヒーをいれて、もう一度マキノの横に座り、同じ毛布に入って肩を抱いた。
マキノはわずかに目を開け、少し手を動かして何か言いたげにしたが、自分にもたれるようにポジションを少し調整して、またすうっと目を閉じた。
マキノの頭に顔を寄せてみる。シャンプーの匂いがする。洗った髪はほぼ乾いたようだ。
・・出会えてよかった・・思う。
この時代に生まれて、この年齢で、このタイミングで、この場所で、マキノに会えて。
・・・人を好きになれたこと。その相手からも好きになってもらえたこと。
そしてこうやってずっと一緒にいられるようになったこと。
これってどんな奇跡なんだろう・・。
自分の右肩を枕がわりにしてもたれているマキノを、ななめ上の角度から眺める。
思っていたよりまつ毛が長い。そして、上唇がちょんととがって見えて、それが愛しいと思った。
ふいに、胸に何かがこみ上げてきてマキノを力いっぱい抱きしめたくなった。
・・が、その衝動は押さえた。
右手をぐっと握りしめて、そのあと手のひらをゆっくり開いて力を抜く。
もうすこし寝かせておいてやろう。
マキノが起きたら、やりたいことをやらせてやろう。
まだつまらない気を遣っていたら、バカだなぁと言ってやりたい。
・・コーヒーをすすって、TVを眺める。
歌番組はもうすぐ終わるようだ。
あと10分で起こしてみて、それで起きなかったらそのままベッドに運ぼうか。
・・・そろそろ出かける時間だよ。・・と小さく声をかけると、さっきは反応しなかったのに、どんなスイッチが入るのかわからないが、今度はすぐにぱちりと眼をさまし、バタバタと上着を着込んで出かける用意をした。
マキノは、神社へと続く陰気くさい暗い山道をおもしろがり、ハァハァ息をあげながらも嬉しそうに歩く。
何の変哲もない小さな神社と、いつもやっていたしきたり通りの参拝をも、めずらしそうに楽しんでいる。宮当番の年寄りたちはマキノが来たことをとても喜んだ。
そういえば、年が替わる瞬間は年寄りたちとおめでとうを言いあっただけで、2人では挨拶をしなかったな・・。
お参りした帰りは、たったお猪口一杯のお神酒を飲んだことを指摘して、マキノがS4を運転して帰ってきた。
きっちりすることはいいことだな。教師としてはその心意気は見習わなくちゃいけない。
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