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84.二月のブラウニー
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節分が終われば、ジャパニーズカントリーなルポのカフェも町の色と同じようにバレンタイン色に染まって行く。
カフェでは、最近コーヒーを注文してくれるお客様に小さなブラウニーをつけるサービスをしていた。
ティーンの女子スタッフ達も、なんとなく浮き足立った気分になっていてて、学校から駅までの道、今日のふたりの話題がそれだった。
「未来。バレンタインの予定は?」
「マフラーか、ベストか、手袋か、帽子とか・・編んでる子いるじゃない?」
「うんいるね。未来もできるじゃん。」
「でも、手作りの物ってさ・・なんかやぼったくなると思わない?よっぽど上手じゃないと。」
「そう?好きな人が作ってくれたってだけでいいんじゃないの?」
「いや・・・自分でつけるならまだしも・・完成度が低すぎると思う・・。」
「未来は、目指すものが高すぎるんだよ。プレゼントは横に置いといて、私が聞きたいのは当日の予定よ。」
「あ・・うん。今年は土曜日だしね。映画見に行く予定。」
「いいなぁ・・・。」
「真央はバイトでしょ。デートみたいなもんじゃないの。」
「それはぁ・・・まったくぜんぜん、違うでしょうよ・・・。」
「遊にチョコはあげないの?」
「あげる。」
「お・・?」
「もちろん、カフェの全員に。ヒロトさんや、春樹さんにも。」
「なぁんだ。・・ちなみにわたしは、配らないよ。」
「いいんじゃない。未来は。直也だけで。」
「みんなにとか言わずに、もう告っちゃえばいいんだよ。」
「それができりゃあ苦労はしない。」
「でもさ・・・・もう、あんまり、時間ないよ?」
「わかってるよ・・。一応、考えてはいるんだって。」
真央にとって、遊と腕を組んで歩いたことは、自分的に大きなアクションだった。
だがそれ以後は、何事もなかったようにふるまうことに成功してしまっていた。
遊の態度も、今までと変わらない。
あの時・・・遊は、何か言いたげな顔をした。
・・何を言おうとしたんだろう。
意外な行動をした私に、「なんだぁ?」とか、その程度で特に意味はなかったかもしれない。
でも、言葉にならなかったのは、何か感じたからかな?
その後、私が今までと同じだから、そのまま流してしまったか。分かった上で、私の調子に合わせてくれているのか。
・・・考えすぎだな。
にぶくて、能天気で、単純で、複雑な事を考えない、あの遊が、そこまで私を意識しているわけがない。
あの日のことを覚えているのは私だけ。
私にとっては特別な一日で、あったことをひとつひとつたどって何度も繰り返し思い返すから、私の記憶だけ鮮明でも、同じ一日を共有したはずの遊の記憶は、ただの一日としてどんどん薄れていっているはずなのだ・・・。
3月1日が高校の卒業式・・・。
私は、3月の半ばには、学校のそばの部屋に引っ越しをする。
新しい生活が、やりたいことが、待ってる。
・・・。
両親から一人暮らしの許しを得られたことは、とてもうれしかった。
母さんと一緒に部屋を探して、自分の新しい生活を想像する。
ワンルームの小さな部屋だけど、自炊をして、掃除をして、バイトをして・・学校までは自転車で通う。入学したら、新しい友達はすぐできるんだろうか・・。不安と期待が入り混じる。
最寄りの駅までに着いた二人は、定期をピッとかざし改札を通り抜けた。
慣れたこの電車での通学も、もうわずかで終わりだ。
学校からどれぐらいの早さで歩けば何分の電車に乗れるのか、急行か普通かも、時刻表など見なくても、体感として電車のダイヤは体にしみついている。
電車に乗り込むと、空いている席はいくつかあったが、2人は立ったまま電車の扉にもたれた。
「ねえ未来。ひとり暮らしはじめたら、私の部屋に泊まりにおいでよ。」
「いいねいいね。私も真央んとこ行きたいと思ってたんだ。」
「オムライス、作ったげるよ。」
「あー。またかー。できればオムライス以外がいいな。」
「なんでよぅ。」
「おいしいけどさ・・真央いつもオムライスなんだもん。さすがに飽きたわ。」
「そうぉ?」
・・・。
遊の学校は、同じ関西だけど近くない。生活圏がまったく違う。
同じバイト先とか、買い物で偶然出会うってことはまずないと思う。
まだ先の話だけれど、専門学校を出たら、遊が実家に帰ることはあるんだろうか。
そうなってしまったらもう、永遠に会えないかも・・。
「はぁ・・・。」
「真央・・・さっきからため息ばっかだよ?」
「そうだっけ?・・うん・・バレンタインが悪いのかもね。」
「そうか・・遊のこと考えてるな。」
未来にそう言われて、真央は渋い顔をした。
ホントにもう時間がない。
つながっていたい・・・。
どんな細い糸でもいい。
遊にとって、少しだけでいいから特別な自分になりたい。
やっぱり、伝えよう。
笑い飛ばされたら、いやだ。・・悲しい思い出にするのは、いやだ。
ううん。もう、笑われてもいいや。
このまま伝えなかったら、きっと死ぬほど後悔する。
そう思う。
「頑張る!」
真央の声に、未来がびくっとした。
おっと、すこし力みすぎたかな。
「真央ったら。突然びっくりするじゃない。」
「ずっと考えてるの。もう時間がない。そればっか考えてる。」
「・・・何をがんばるの?・・もしかして。」
「うん。・・・頑張る。頑張るしかないよな・・って。」
「おお・・・おっと・・」
その時電車ががたんと揺れて、揺れた拍子に未来が真央の肩につかまった。
未来は、真央の耳のそばで
「うむ・・ガンバレ。」
未来と小さめの声で言った。
「わたしはいつも、真央の幸せを祈ってるよ。」
「アリガト。」
真央も小さな声でそう答えた。
― ― ― ― ― ― ― ―
カフェの2月13日金曜日の夕方。
朝10時の常連さん、ご近所のおじいちゃんが大きな白菜を2個くれた。
「佐々木さん、ありがとう。明日も来てくれる?」
「朝の休憩に、来るよ。」
「明日はチョコの日だから、愛情プラスしないといけないですね。白菜2個分の。」
「白菜2個分もチョコレート食べれんなぁ。ひゃひゃひゃ。」
「やぁ・・佐々木さんてば、重量換算するとは・・侮れませんね。」
佐々木のおじいちゃんは嬉しそうに笑いながら帰って行った。
マキノは去年春樹さんにチョコらしいものをプレゼントしていない。
5時を過ぎると春樹さんが帰って来たので、声をかけた。
「おかえり。春樹さんって、あんまり甘いもの食べないよね。」
「そうだね、ビターなナイスガイだからね。いらっしゃいませ。」
「春ちゃんおかえり。」
夕方5時前から休憩しに来てくれたのは近所の工場で仕事をしている広瀬のおじさん。
春樹さんの知り合いだ。
「ビターなって・・何それ。形式的な事は好きじゃないけど、何かプレゼントしよっかなって思ったのに。春樹さん今、欲しいものある?」
「うーん。欲しいもの?・・今のところ何もないなあ。愛だけで充分。」
そう言って、カウンターのお客さんの隣りに腰を掛けた。
「春ちゃんたち、仲いいねぇ。」
お客さんの前で、ぬけぬけと恥ずかしい事を言わないでほしいな。
「はいはい。欲しいものができたら自分で買えちゃう人だからね。30才悠々自適の春樹氏は。」
「なんだよ~。今の言いようは~。」
「まぁいいじゃん。」
マキノは、春樹さんの隣に座っているお客さんにコーヒーとブラウニーを出した。
「広瀬さん。おいしいか味見してみて。」
「うまいうまい。マキノちゃんの愛情が入ってるからね。」
「よかった。ふふん。今日焼いたブラウニーで、白菜くれた佐々木さんと、お客さんへの感謝とみんなへの義理を配ろうっと。白菜分は生クリームといちごかな。」
マキノは自分で吐いた毒を笑いでごまかした。
今日は夕方からのシフトは未来だ。
カランカランとお客さんが入ってきたので、「いらっしゃいませー。」とマキノと未来と春樹さんが声をそろえた。
お客さんは、3人。40から50ぐらいのおばさん達。
「今日の日替わりのランチ、残ってる?」と、指を3本立てて尋ねてきた。
「少し時間がかかるけど、3人分できますよ。」
「じゃあお願い。」
「かしこまりましたー。」
未来がおしぼりとおひやをトレイに載せて席へと運んで行って、マキノは油に火をつけてプレートに生野菜を盛り付けはじめた。
15穀米と、すでに下味をつけて焼いてある小さめのチキンに、甘辛いたれをからめた照り焼き。そしてサラダ、フルーツはネーブル。コーンスープ。最後に油で揚げるのはアジのから揚げ。
「春樹さんもおなか減ってるでしょ?一緒に作っちゃっていい?」
「うむ。」
作業をしながらあれこれと考える。
明日は土曜日なので、美緒が来るのかな?まだ連絡はない。
パティシエさんは何かするのかなぁ。
真央と未来と有希は、本命チョコとか、どうするんだろう・・。
未来ちゃんが、今や恋する乙女になってるのがわかる。ちゃんとそう見える。
以前春樹さんは、真央ちゃんは遊を好きかも・・というようなことを言ったけれども、マキノにはそれはわからなかった。
真央は、カフェのスタッフに対して仲間意識があって、誰に対しても気配りできて公平で、それでいて自分の領分は守って自分なりの道を歩んでいるように見える。そう見えるけれど・・。それとこれはべつなのかな。
有希からは、まったくそういう気配はない。これはカフェに持ち込んでいないだけかもしれない。
アジのから揚げをじゅわんと油に沈めた。
じゅわわ・・と勢いよく泡が出て次第におさまって行く。
コーンのスープも照り焼きもすぐに温まった。
美緒ちゃんは、ヒロト一筋ってのもわかるし、ヒロトが美緒ちゃんをとても大事に思ってるのもわかる。
遊は・・・どうなんだろ?あの年頃にしては、女子に対して興味が薄いように見える。
主婦の方々は、・・マキノには皆さんご夫婦仲良しに見えた。
「ランチあがったよー。」
マキノが声をかけて、未来がそれを運んで行く。
春樹さんの分は、マキノがカウンター越しに出した。
「明日、春樹さんの好きなもの作ってあげるよ。何がいい?」
「ええとね・・・とろろめし。いただきまーす。」
「わかった。・・それだけでいいの?」
「希望はそれだけ。何でもいいよ。」
「和食か・・・じゃあ豪華に、よさそうなお刺身でも買ってこようかな。」
「いいね。」
「あと・・何か、あったかい汁物をするね。」
「うん。」
春樹とマキノの会話を横で聞いていた広瀬さんが
「春ちゃんは、若いのに和食がいいのか。」
と口を出した。
「とろろが食べたかっただけですよ。マキノが和に
揃えようとしてるけど、普段はがっつり系がいいかな。」
「春ちゃんは、若いなぁ。」
「広瀬さんていくつでしたっけ?」
「45。」
「えー、そんなに見えなかった。若いですよ。」
他愛ない話をしているとドルルルとマキノのバイクの音がして遊が帰ってきた。
入口の前には置かずそのまま裏庭へ停めに行った気配だ。
「さて、ブラウニーうまかったよ。ごちそうさん。」
広瀬さんは立ち上がり勘定を済ませて出て行った。
「ありがとうございましたー。」
春樹とマキノが後ろ姿に声をかける。
しばらくして入れ違いに遊が入ってきた。
「ただいま~。手が、指が死ぬー。」
「おかえり。グローブが安物なんじゃないの?」
「そうなんだよ。もうちょっとだからこのまま行くけど。」
「道は?凍ってなかった?」
「うん。大丈夫。」
「遊も食べる?ごはんするよ。」
「いいの?食べる。はらへったー。」
遊はそう言って、さっきまで広瀬さんが座っていた春樹の隣りに座った。
「帰って来たばかりのところ恐縮ですが、遊さん、遊さん。お願いがあります。」
「なんすかぁ。・・さんづけとは、嫌な予感。」
「すこぶる個人的な事情ではありますが、わたくし明日、早引けさせていただいてよろしいでしょうか?」
「えー・・・。なんだよ、バレンタインでデートとか?」
「デートはしないけど、ダーリンのために和食を用意したいからちょっと早めに帰りたいんだ。遊自身が個人的な事情があるって言うんならそちらを優先してくださって結構ですけど?」
「んだよー・・。オレに個人的なバレンタインの事情があるわけないじゃないか。」
「個人的な事情あるんですか?ないんですか?だめなんですか?」
「はいはいわかりましたよ。いいですよ。どうぞさっさと帰って下さい。」
「じゃあ遊、夕ご飯バイトちゃんとヒロト達の分もまかない夕ご飯作ってあげてよ。」
「いいっすよ。あ、でも・・」
「なあに?」
「ヒロトは夕方から買い出しに行くと思う。夜は仕込みに帰ってくるって、昨日そんなこと言ってたけど。」
「あっそう。じゃあ、バイトちゃんは・・明日誰だっけ?真央ちゃんか。2人でお留守番たのむ。」
「うん。わかった。」
― ― ― ― ― ― ― ―
未来はラインで真央に必死でコメントを送った。
『真央!真央!明日チャンスだよ!』
『何?どしたのどしたの?』
『明日夕方、マキノさんが早引けする!』
『・・ってことは?』
『遊は、カフェでバイトさんと二人でお留守番!』
『なんだと・・』
『バイトさん、こくはくのちゃーんす!』
『・・・』
『・・?』
『ヒロトさんが戻ってくるんじゃないの?』
『ヒロトさんは美緒さん送って行くから遅いんだってさ。』
『まじですか・・・。』
『・・・真央。』
『はひ?』
『がんばれ。』
『・・・。』
『真央、息してるの?』
『かろうじて。』
『健闘を祈る。』
『・・・・はひ。』
カフェでは、最近コーヒーを注文してくれるお客様に小さなブラウニーをつけるサービスをしていた。
ティーンの女子スタッフ達も、なんとなく浮き足立った気分になっていてて、学校から駅までの道、今日のふたりの話題がそれだった。
「未来。バレンタインの予定は?」
「マフラーか、ベストか、手袋か、帽子とか・・編んでる子いるじゃない?」
「うんいるね。未来もできるじゃん。」
「でも、手作りの物ってさ・・なんかやぼったくなると思わない?よっぽど上手じゃないと。」
「そう?好きな人が作ってくれたってだけでいいんじゃないの?」
「いや・・・自分でつけるならまだしも・・完成度が低すぎると思う・・。」
「未来は、目指すものが高すぎるんだよ。プレゼントは横に置いといて、私が聞きたいのは当日の予定よ。」
「あ・・うん。今年は土曜日だしね。映画見に行く予定。」
「いいなぁ・・・。」
「真央はバイトでしょ。デートみたいなもんじゃないの。」
「それはぁ・・・まったくぜんぜん、違うでしょうよ・・・。」
「遊にチョコはあげないの?」
「あげる。」
「お・・?」
「もちろん、カフェの全員に。ヒロトさんや、春樹さんにも。」
「なぁんだ。・・ちなみにわたしは、配らないよ。」
「いいんじゃない。未来は。直也だけで。」
「みんなにとか言わずに、もう告っちゃえばいいんだよ。」
「それができりゃあ苦労はしない。」
「でもさ・・・・もう、あんまり、時間ないよ?」
「わかってるよ・・。一応、考えてはいるんだって。」
真央にとって、遊と腕を組んで歩いたことは、自分的に大きなアクションだった。
だがそれ以後は、何事もなかったようにふるまうことに成功してしまっていた。
遊の態度も、今までと変わらない。
あの時・・・遊は、何か言いたげな顔をした。
・・何を言おうとしたんだろう。
意外な行動をした私に、「なんだぁ?」とか、その程度で特に意味はなかったかもしれない。
でも、言葉にならなかったのは、何か感じたからかな?
その後、私が今までと同じだから、そのまま流してしまったか。分かった上で、私の調子に合わせてくれているのか。
・・・考えすぎだな。
にぶくて、能天気で、単純で、複雑な事を考えない、あの遊が、そこまで私を意識しているわけがない。
あの日のことを覚えているのは私だけ。
私にとっては特別な一日で、あったことをひとつひとつたどって何度も繰り返し思い返すから、私の記憶だけ鮮明でも、同じ一日を共有したはずの遊の記憶は、ただの一日としてどんどん薄れていっているはずなのだ・・・。
3月1日が高校の卒業式・・・。
私は、3月の半ばには、学校のそばの部屋に引っ越しをする。
新しい生活が、やりたいことが、待ってる。
・・・。
両親から一人暮らしの許しを得られたことは、とてもうれしかった。
母さんと一緒に部屋を探して、自分の新しい生活を想像する。
ワンルームの小さな部屋だけど、自炊をして、掃除をして、バイトをして・・学校までは自転車で通う。入学したら、新しい友達はすぐできるんだろうか・・。不安と期待が入り混じる。
最寄りの駅までに着いた二人は、定期をピッとかざし改札を通り抜けた。
慣れたこの電車での通学も、もうわずかで終わりだ。
学校からどれぐらいの早さで歩けば何分の電車に乗れるのか、急行か普通かも、時刻表など見なくても、体感として電車のダイヤは体にしみついている。
電車に乗り込むと、空いている席はいくつかあったが、2人は立ったまま電車の扉にもたれた。
「ねえ未来。ひとり暮らしはじめたら、私の部屋に泊まりにおいでよ。」
「いいねいいね。私も真央んとこ行きたいと思ってたんだ。」
「オムライス、作ったげるよ。」
「あー。またかー。できればオムライス以外がいいな。」
「なんでよぅ。」
「おいしいけどさ・・真央いつもオムライスなんだもん。さすがに飽きたわ。」
「そうぉ?」
・・・。
遊の学校は、同じ関西だけど近くない。生活圏がまったく違う。
同じバイト先とか、買い物で偶然出会うってことはまずないと思う。
まだ先の話だけれど、専門学校を出たら、遊が実家に帰ることはあるんだろうか。
そうなってしまったらもう、永遠に会えないかも・・。
「はぁ・・・。」
「真央・・・さっきからため息ばっかだよ?」
「そうだっけ?・・うん・・バレンタインが悪いのかもね。」
「そうか・・遊のこと考えてるな。」
未来にそう言われて、真央は渋い顔をした。
ホントにもう時間がない。
つながっていたい・・・。
どんな細い糸でもいい。
遊にとって、少しだけでいいから特別な自分になりたい。
やっぱり、伝えよう。
笑い飛ばされたら、いやだ。・・悲しい思い出にするのは、いやだ。
ううん。もう、笑われてもいいや。
このまま伝えなかったら、きっと死ぬほど後悔する。
そう思う。
「頑張る!」
真央の声に、未来がびくっとした。
おっと、すこし力みすぎたかな。
「真央ったら。突然びっくりするじゃない。」
「ずっと考えてるの。もう時間がない。そればっか考えてる。」
「・・・何をがんばるの?・・もしかして。」
「うん。・・・頑張る。頑張るしかないよな・・って。」
「おお・・・おっと・・」
その時電車ががたんと揺れて、揺れた拍子に未来が真央の肩につかまった。
未来は、真央の耳のそばで
「うむ・・ガンバレ。」
未来と小さめの声で言った。
「わたしはいつも、真央の幸せを祈ってるよ。」
「アリガト。」
真央も小さな声でそう答えた。
― ― ― ― ― ― ― ―
カフェの2月13日金曜日の夕方。
朝10時の常連さん、ご近所のおじいちゃんが大きな白菜を2個くれた。
「佐々木さん、ありがとう。明日も来てくれる?」
「朝の休憩に、来るよ。」
「明日はチョコの日だから、愛情プラスしないといけないですね。白菜2個分の。」
「白菜2個分もチョコレート食べれんなぁ。ひゃひゃひゃ。」
「やぁ・・佐々木さんてば、重量換算するとは・・侮れませんね。」
佐々木のおじいちゃんは嬉しそうに笑いながら帰って行った。
マキノは去年春樹さんにチョコらしいものをプレゼントしていない。
5時を過ぎると春樹さんが帰って来たので、声をかけた。
「おかえり。春樹さんって、あんまり甘いもの食べないよね。」
「そうだね、ビターなナイスガイだからね。いらっしゃいませ。」
「春ちゃんおかえり。」
夕方5時前から休憩しに来てくれたのは近所の工場で仕事をしている広瀬のおじさん。
春樹さんの知り合いだ。
「ビターなって・・何それ。形式的な事は好きじゃないけど、何かプレゼントしよっかなって思ったのに。春樹さん今、欲しいものある?」
「うーん。欲しいもの?・・今のところ何もないなあ。愛だけで充分。」
そう言って、カウンターのお客さんの隣りに腰を掛けた。
「春ちゃんたち、仲いいねぇ。」
お客さんの前で、ぬけぬけと恥ずかしい事を言わないでほしいな。
「はいはい。欲しいものができたら自分で買えちゃう人だからね。30才悠々自適の春樹氏は。」
「なんだよ~。今の言いようは~。」
「まぁいいじゃん。」
マキノは、春樹さんの隣に座っているお客さんにコーヒーとブラウニーを出した。
「広瀬さん。おいしいか味見してみて。」
「うまいうまい。マキノちゃんの愛情が入ってるからね。」
「よかった。ふふん。今日焼いたブラウニーで、白菜くれた佐々木さんと、お客さんへの感謝とみんなへの義理を配ろうっと。白菜分は生クリームといちごかな。」
マキノは自分で吐いた毒を笑いでごまかした。
今日は夕方からのシフトは未来だ。
カランカランとお客さんが入ってきたので、「いらっしゃいませー。」とマキノと未来と春樹さんが声をそろえた。
お客さんは、3人。40から50ぐらいのおばさん達。
「今日の日替わりのランチ、残ってる?」と、指を3本立てて尋ねてきた。
「少し時間がかかるけど、3人分できますよ。」
「じゃあお願い。」
「かしこまりましたー。」
未来がおしぼりとおひやをトレイに載せて席へと運んで行って、マキノは油に火をつけてプレートに生野菜を盛り付けはじめた。
15穀米と、すでに下味をつけて焼いてある小さめのチキンに、甘辛いたれをからめた照り焼き。そしてサラダ、フルーツはネーブル。コーンスープ。最後に油で揚げるのはアジのから揚げ。
「春樹さんもおなか減ってるでしょ?一緒に作っちゃっていい?」
「うむ。」
作業をしながらあれこれと考える。
明日は土曜日なので、美緒が来るのかな?まだ連絡はない。
パティシエさんは何かするのかなぁ。
真央と未来と有希は、本命チョコとか、どうするんだろう・・。
未来ちゃんが、今や恋する乙女になってるのがわかる。ちゃんとそう見える。
以前春樹さんは、真央ちゃんは遊を好きかも・・というようなことを言ったけれども、マキノにはそれはわからなかった。
真央は、カフェのスタッフに対して仲間意識があって、誰に対しても気配りできて公平で、それでいて自分の領分は守って自分なりの道を歩んでいるように見える。そう見えるけれど・・。それとこれはべつなのかな。
有希からは、まったくそういう気配はない。これはカフェに持ち込んでいないだけかもしれない。
アジのから揚げをじゅわんと油に沈めた。
じゅわわ・・と勢いよく泡が出て次第におさまって行く。
コーンのスープも照り焼きもすぐに温まった。
美緒ちゃんは、ヒロト一筋ってのもわかるし、ヒロトが美緒ちゃんをとても大事に思ってるのもわかる。
遊は・・・どうなんだろ?あの年頃にしては、女子に対して興味が薄いように見える。
主婦の方々は、・・マキノには皆さんご夫婦仲良しに見えた。
「ランチあがったよー。」
マキノが声をかけて、未来がそれを運んで行く。
春樹さんの分は、マキノがカウンター越しに出した。
「明日、春樹さんの好きなもの作ってあげるよ。何がいい?」
「ええとね・・・とろろめし。いただきまーす。」
「わかった。・・それだけでいいの?」
「希望はそれだけ。何でもいいよ。」
「和食か・・・じゃあ豪華に、よさそうなお刺身でも買ってこようかな。」
「いいね。」
「あと・・何か、あったかい汁物をするね。」
「うん。」
春樹とマキノの会話を横で聞いていた広瀬さんが
「春ちゃんは、若いのに和食がいいのか。」
と口を出した。
「とろろが食べたかっただけですよ。マキノが和に
揃えようとしてるけど、普段はがっつり系がいいかな。」
「春ちゃんは、若いなぁ。」
「広瀬さんていくつでしたっけ?」
「45。」
「えー、そんなに見えなかった。若いですよ。」
他愛ない話をしているとドルルルとマキノのバイクの音がして遊が帰ってきた。
入口の前には置かずそのまま裏庭へ停めに行った気配だ。
「さて、ブラウニーうまかったよ。ごちそうさん。」
広瀬さんは立ち上がり勘定を済ませて出て行った。
「ありがとうございましたー。」
春樹とマキノが後ろ姿に声をかける。
しばらくして入れ違いに遊が入ってきた。
「ただいま~。手が、指が死ぬー。」
「おかえり。グローブが安物なんじゃないの?」
「そうなんだよ。もうちょっとだからこのまま行くけど。」
「道は?凍ってなかった?」
「うん。大丈夫。」
「遊も食べる?ごはんするよ。」
「いいの?食べる。はらへったー。」
遊はそう言って、さっきまで広瀬さんが座っていた春樹の隣りに座った。
「帰って来たばかりのところ恐縮ですが、遊さん、遊さん。お願いがあります。」
「なんすかぁ。・・さんづけとは、嫌な予感。」
「すこぶる個人的な事情ではありますが、わたくし明日、早引けさせていただいてよろしいでしょうか?」
「えー・・・。なんだよ、バレンタインでデートとか?」
「デートはしないけど、ダーリンのために和食を用意したいからちょっと早めに帰りたいんだ。遊自身が個人的な事情があるって言うんならそちらを優先してくださって結構ですけど?」
「んだよー・・。オレに個人的なバレンタインの事情があるわけないじゃないか。」
「個人的な事情あるんですか?ないんですか?だめなんですか?」
「はいはいわかりましたよ。いいですよ。どうぞさっさと帰って下さい。」
「じゃあ遊、夕ご飯バイトちゃんとヒロト達の分もまかない夕ご飯作ってあげてよ。」
「いいっすよ。あ、でも・・」
「なあに?」
「ヒロトは夕方から買い出しに行くと思う。夜は仕込みに帰ってくるって、昨日そんなこと言ってたけど。」
「あっそう。じゃあ、バイトちゃんは・・明日誰だっけ?真央ちゃんか。2人でお留守番たのむ。」
「うん。わかった。」
― ― ― ― ― ― ― ―
未来はラインで真央に必死でコメントを送った。
『真央!真央!明日チャンスだよ!』
『何?どしたのどしたの?』
『明日夕方、マキノさんが早引けする!』
『・・ってことは?』
『遊は、カフェでバイトさんと二人でお留守番!』
『なんだと・・』
『バイトさん、こくはくのちゃーんす!』
『・・・』
『・・?』
『ヒロトさんが戻ってくるんじゃないの?』
『ヒロトさんは美緒さん送って行くから遅いんだってさ。』
『まじですか・・・。』
『・・・真央。』
『はひ?』
『がんばれ。』
『・・・。』
『真央、息してるの?』
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ある日、龍二の周囲に仕事仲間の女性が現れ、霧弥は初めて嫉妬を自覚する。自分の感情を否定しようとしても、触れた手の温もりや視線の距離が、心を正直にさせる。日常の中で少しずつ近づく二人の距離は、言葉ではなく、ささやかな仕草や沈黙に宿る。
そして夜――霧弥の小さな煙草屋で、龍二は初めて自分の想いを口にし、霧弥は返事として告白する。互いの手の温もりと目の奥の真剣さが、これまで言葉にできなかった気持ちを伝える瞬間。静かな日常の向こうに、確かな愛が芽吹く。
小さな煙草屋に灯る、柔らかく温かな恋の物語。
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