マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~

Repos

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御芳にて

迷子の中学生

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 厨房に入り浸ったおかげで、マキノはだんだん厨房の主である板長と仲良しになった。
 マキノが、厨房の隅のシンクでヤカンを洗っていると、板長の高野が近づいてきて、銀色の包み紙にくるまれたピンポン玉ぐらいのまん丸いものを「あげる」と言うように手渡してきた。にぃっと笑ってドヤ顔だ。くんくんと嗅ぐとチョコレートの香りがする。

「ありがとうございます。チョコですか?外国のかな?」
「そう。リンツ。スイスだっけ。でも日本で買えるから。一応これは僕の私物だからね。」
 マキノは一旦仕事の手を止めてチョコの包み紙をはずした。一口で食べるには大きすぎたが、貴重な高級チョコなので、ここは少し時間をいただいて少しずつかじってはゆっくりと口どけを楽しんだ。
「おいしいです~。」
「そりゃそうでしょう。」
「甘いものって、人を幸せにしますよね・・。今度板長さんがお菓子作って失敗作が出たら、食べさせてください。」
「失敗はしないよ。一番よくできたのを試食させてあげるさ。」

 板長は弟子たちの間で「オヤジ」と呼ばれていた。50から60ぐらいか・・ほんとうに自分たちのお父さんぐらいの年ではないかと思う。弟子たちはマキノと同世代かそれ以下の若い子が4人だ。
 一見、やんちゃで軽そうに見える男の子たちだが、「板場さん」という職業をかっこいいと思っているのか、仕事に対してはとても真剣だ。早朝から忙しいときも、夜遅くなったりして体がきつくて辛いときでも、弱音を吐いたりはしない。
 親元から離れて寮に住んで、厳格な上下関係の中で、精一杯虚勢を張って認められようと努力している。
 ただのおじさんに見える板長をことのほか尊敬していて、彼らの間には信頼や見えないつながりがあり、一人一人が誇りを持っている。マキノはそれが少しうらやましく感じた。
 脆く崩れそうな不安定な時代の男の子たちを、留められる力が、オヤジさんにはあるのかもしれない。


 最初の条件では、「仕事の終わりは夜8時で」と女将さんは確かに言ったと思うのだが、実際は九時半・十時になることがほとんどだった。
 マキノが接客の責任を持たされることはないので、シビアに時間通りにあがっても誰も何も言わないのだが、一人暮らしの自由と、まかないがあるという魅力のせいで、仲居さんとほぼ同じような時間までつきあってしまう。そのうち開き直って仕事終わりに大浴場で泳いだりして楽しんだ。

 四月は本当に日々花矢倉旅館漬けにはなっていたが、マキノは一線を引いて一日が終わると必ず家に帰るようにしていた。この場にいると仕事をしてしまう。何となくだが個人的な生活と仕事との境目がなくなってしまうのは好ましくない気がした。

 観光客の多い桜の時期が終わり、当初の約束の一か月が過ぎたが、五月の連休に入ってもまだ忙しく、女将さんからもう少し手伝ってほしいと言われ半月延長した後、みんなから惜しまれながら旅館のバイトはとりあえず終了した。
 忙しさに目を回している女将さんや従業員のみんなが気の毒で、勤め始めてから終了まで、マキノはたった3日しか休みをとらなかった。いただいたお給料には、あきらかに上乗せのボーナスが加算されていた。一日三食を旅館で食べさせてもらっていたし、お風呂もいただいて、作務衣はずっと借りていたから、衣食住全部賄えていた。こんなふうに働けば給料まるまる貯蓄できるわけだ・・そこだけを考えるなら実は効率よかった。

 女将さんが、土曜日や忙しいときだけでもと求愛しくれるのが嬉しかったのだが、「どうしてもという時には連絡してくださいね。」と、少しもったいぶってみた。
 自分にはやりたい事があるんだから、自分の時間を安売りしてはいけないと自分に言い聞かせる。得ることは多かったけれど、私の求める場所はここじゃない。



 旅館の仕事から卒業することができたので、次は、季節労働ではない普通のバイトを探すことにした。前回は求人誌で探したが、新しい出会いを求めて今度はハローワークの求人情報から探す。
 隣の町のルミエールというケーキ屋さんを見つけだし面接を申し込んだ。面接はあっさり合格。学生の頃の就活とは大違いだ。
 そのお店は、県内では、ルミエールのモンブランが絶品だと評判で、遠くからわざわざ買い求めに来る人もいる。都市部でもないのにシーズンには行列もできる人気店だった。

 仕事は朝六時から製造に入り、十一時頃から午後4時頃まで、その店頭の一角にあるカフェコーナーに入る。仕事上がりの時間が早いので、夕方は比較的時間のゆとりがある。そして土・日曜日は学生バイトさんが来ることになっているから、マキノは普通のサラリーマンみたいに月曜日~金曜日の五日出勤だ。
 このバイトも旅館と同様、マキノは、すべてを吸収するつもりで製造の仕事に臨むことにした。
スイーツを学ぶのはとても楽しいし充実している。
 旅館と違って定時に決まった帰宅することができ、時間を確保できるようになった。これこそが、カフェを開くための何かをする貴重な時間になるとマキノは考えていた。

 今後の方針と計画を練ったり、自宅を整えたり。畑と花壇をいじったり。食事のことをしたり掃除をしたり。メニューの研究や雑貨や間取りどんな改装をするのか、慣れない事なので調べながら少しずつ考る。
 飲食店として許可をとるための要項を保健所でもらってきた。
 中古の厨房機器や大きな冷蔵庫はどこで調達できるのか。トイレもきれいにしなくてはお客様を呼べない。この次は大工仕事してくれる工務店を探さなくてはいけない。
 何をするにもお金だ。補助金や融資の制度のことも調べなくては。

 することや考えることはたくさんあって、少しずつでもそれが身になっているとは思うのだが、マキノは、テンション高く走り続けた四月と違って具体的な目標が見えなくなっていた。
  ああでもないこうでもないと考えてばかりで、何も進まないまま時間だけ過ぎていくのはもったいなく思うが、気持ちの整理ができていないように思う。次は、何をすればいいのか。何か間違えていないだろうか。足りないものは?本当にこのまま進んでいいのか・・。自分が何を怖れているのかわからない。

 行動を起こすための時が熟すまで、しばらくは元気とお金を貯める。
 今は、それしかないのかもしれない。
 そういうことにしよう。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 七月の末。うだるような暑さの日が続く。夏場のケーキ屋さんはあまり忙しくはない。
 バイトから帰ってくる夕方には、試しで作りかけた畑のハーブたちの元気がなくなっていて、朝夕の水やりが日課になっていた。
 台所のエアコンを強にして、さて夕ご飯の支度をばとお米を洗ってスイッチを入れ、ゴボウのささがきをしている時だった。
 サクラから電話がかかって来た。
「マキノひさしぶり。元気にしてる?突然なんだけど、私の従妹の女の子、保護してくれないかな。」
 久しぶりの電話だというのに安否の挨拶もなければ、早口で焦りを含んだ声だ。話の内容も唐突過ぎる。
「なんなの?突然・・。」
「夏休みに私の従妹がO市のおばさんちに一か月遊びにくることになっててね、私が駅に迎えに行ってたの。それがさ、時間になっても改札から出てこなくて。電話しても通じないしどうしようってさわいでて、やっと電話がかかって来たと思ったらどこをどう間違えたのか御芳方面行きの電車に乗っちゃってて・・。もう終点の近くまで行ってるみたいなの。」
「・・場所が、とんでもなくぜんっぜん違うじゃない。」
「もともと方向音痴で、ときどきやらかしていたのよ。中学生にもなったし最近は問題起こさなかったし、本人が大丈夫って言ったもんだから。信用しちゃって・・。」
「まぁわかった。もうすぐ終点って?迎えに行けばいいのね。見つけたらまた連絡するよ。名前と特徴は?」
「中学2年生。身長は150cmぐらい。オレンジ色のリュック背負っててショートカット、前村リョウっていうの。わたしも今からそっちに向かって走るわ。」
「了解。」
「ありがとうね。助かる。マキノが御芳方面にいるって奇跡だと思ったよ。」

 サクラの言ったO市からここまで車なら1時間余りかかる。電車はどんなルートで間違えたのか想像つかないが、御芳線だけでも50分かかるのに随分長時間迷っていることになる。さぞ不安だったろう。

 車を走らせて十五分後。マキノが改札へ行くと、サクラが言っていたとおりの女の子がちんまりとベンチに座っていた。
 マキノはそっと声をかけた。
「前村リョウちゃん?」
「・・はい。」
「サクラさんから電話もらって迎えに来たよ。」
「・・はい。」

 表情の動きが少ない子だな。心細そうにしているかと思ったけど、そうでもないようだ。
「夕ご飯まだよね?」
「・・はい。」
「わたし、菅原マキノっていうの。サクラさんの元同僚。サクラさんもこちらに向かってるから、とりあえずうちまで来る?まずは連絡入れるね。」
「・・はい。」

「サクラちゃん、リョウちゃん捕獲。ミッション完了。」
「ありがとう!!」
「途中まで送ってもいいんだけど、私さっきご飯作りかけてたから、リョウちゃんにうちで何か食べてもらってもいいですかね。」
「いいの?わるいねえ。」
 サクラとの通話を切ると、リョウちゃんも話を聞いていたらしく、ぼそりと声を発した。
「おなかは空いてないです。」
「何か食べたの?」
「チョコバー。」

うーん・・。遠慮のつもりなのか?世話になるのが嫌なのか・・。
「前村リョウちゃん。」
「・・はい。」

「ごはんは、ちゃんと食べたほうがいいですよ。チョコバーじゃなく。」
「・・・。」

リョウちゃんは返事をしなかった。

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