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カフェをめぐる物語(1)

サバを読む

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世間の学校は、春休みに入った。春樹さんの小学校も、高校もだ。

真央と未来が、毎日喜んで仕事に入ってくれるようになった。

そして、四月が近づいて御芳山の桜処が目当ての観光客が増えている。
おかげさまでカフェもなかなか忙しい。


思えば・・四月の旅館で、こんな真面目な遊が邪魔なわけがない。いくら人手があっても足りないくらい忙しくなるはずなのに、・・あんなにあっさり私のお店に出してくれたのは、よほど兄弟子たちとぎくしゃくしていたか、それとも、遊をこのまま板場の世界に引き込むのは、板長さんや女将が躊躇するなにかがあったのか・・。


兄弟子さんたちとの仲をとりもってもらったり、なんらかの情けをかけてくれたのなら、遊は、その恩を返さなくちゃいけない。

とりあえずは、うちがお休みの時は、体力のゆるす限り花矢倉をお手伝いするように言わなくては。



「ねえ、遊って、健康保険どうしてるの?」
「えと、・・親のに入ってる。カードがあるよ。」
「あっそっか・・所得が高くないからいいのか。じゃあ、労災とか雇用保険どうしてた?」
「なにそれ?」
「・・そんなことだろうな・・ただの居候だったものね。・・これからは、どうする?」
「よくわかんないよ。何もしなくていいよ。」

「・・遊って、いつまでここにいるつもり?」
「えっ?」
「ずっといるなら、福利厚生考えないといかんなと思ってさ。」
「一応・・今のところはしばらくここに来たいと思ってるけど?」
「その答えは不安定だな・・・。仕方ない、今はバイトってことにしておこう。」

「今はって・・初めからバイトだったんじゃないの?」
「そうだけど・・遊も社会の仕組みを少し勉強しないといけないよ。もう、高校を卒業する歳なんだからね。」
「・・・。」
「バイトと正規雇用とは違うもの。ちゃんとしたお給料もらって、健康保険や年金や税金なんかを支払うんだよ?いずれ遊も一般社会に出るんだから。」
「やっぱりよくわかんないや・・・。」


遊にはそう言ったものの、福利厚生の知識が乏しいのは、マキノも同じだった。

会社にいたころは、お給料の明細など見てもよくわからなかったし、きちんと計算されて必要なものはすべて天引きされて自分の口座に振り込まれていた。
個人授業主として、従業員にはどんな手続きをしたらいいのか、ちゃんと調べなくては・・・。


「・・ノさん。マキノさん。」

「ん?」

一人で考えていたら、遊から話しかけられていることに気がつかなかった。

「あのね。」
「なによ?」
「オレ、イズミさんが一人の時、手伝ってたでしょう?」
「うん。その節は助かりました。」
「あのときオレ、マキノさんから聞かれて、十八って言ったでしょ?」
「・・!?」
「本当は、来月十八歳。今17歳。真央ちゃん未来ちゃんと同じ、高校二年・・高校に行ってればだけどね。」

「ええ?えええーーーーっ?」
「なんでそんなに驚くの・・。」
「だーって・・。」
「さっき、高校卒業する歳って、マキノさん言ったから、訂正しとかなきゃって・・。」
「・・なんでそんなこと言ったのよ。」
「いやその・・なんかの心理が働いて・・。」

「・・なんかの心理って・・・。」


さっきまで考えていたことが、一変した。
これは・・・責任が重大になった気がする。
高校二年・・まだ社会に出るまで、あと一年あるとは・・。


マキノは、まだ遊のことを誤解していたことに気が付いた。
「高校を辞めて、家出をしたが、親に認められて自立している。」
自立していないと分かっていたのに、まだ勝手に勘違いしていた。

たったの一か月のサバ読みだったが、自分が保護者的な立場になったという意識が一気に降りかかってきた。
・・確か、ご両親は遊が御芳の旅館で住み込みをしていることを知っているとは言っていたが。それはきっとご両親の意図ではないはずだ。

これは・・一度じっくりと話し合っておかなくちゃいけないな・・。


「遊くん・・・。何事も詐称というのはよくありません。」
「は・・はい。」
「私も、まだ仕事が始まったばかりで、人を雇うことの勉強ができていませんでした。」
「はい・・なんだか改まってますね。」

「そうです。改まりました。ちょっとね、君のことを、ゆっくり聞かせていただきますよ。」
「はぁ・・はい。」




◇ ◇ ◇ ◇ ◇


遊は一人っ子で、父親は学校の先生なのだそうだ。
家出したというのは本当のようだ。黙ってこっそり出たのではなく、母親とうまくいかず飛び出てきたそうだ。

「高校は、どうしたの?」
「黙って行かなくなっただけ。そのあと親がどうしたのかは、知らない。」
「もったいないと思った事はないの?」
「今は、そういうことを考えたくない。」

「遊も勉強すればできると思うけどな。」
「今更できるって言われても、本当にできるとは限らないしね。」
「できなくたって、チャレンジしたってのは残るよ。」
「そんなの、したくないんだよ。せっかくぜーんぶ投げ捨てて逃げてきたんだから、帰らないからね。」

「ふうん。」

遅まきながら、遊から、実家のことを履歴書として連絡先もちゃんと聞き出した。本人は家族のことは話したがらないし、接触されるのも拒んでいる。

しかし、遊本人の希望は一旦無視して、未成年者を預かる仮の保護者として、ご両親と話をしておくことにしたのだ。


花矢倉の女将さんと板長さんの前で、「自分で生活できた上で、仕事に来てください。」と、啖呵を切ったことを思い出す。それは他人に甘えてもいいと思われては困るという事を言いたかっただけで、決して突き放そうと思ったわけではない。


遊本人も、無自覚で自分のことを半人前だと思っているのだろうと思う。
「誰かに依存しないと生活できない。」と言われて黙り込んだのだから、わかっているのだ。
半分子ども。そこは高校生なんだから仕方ない。

でも、できることは多い。ポテンシャルも高い。ルックスもいい。
能力的には、自立できるだけの実力はありそうだ。

でもでも、・・精神的には、まだ頼りない。


「遊は・・やっぱりまず、稼がないといけないね。」
「え?」
「花矢倉のお家賃でしょ。原付バイクでしょ。それからね、車の免許も取らないとね。」
「あ・・そうか・・。」
「複合的に役に立ってくれるようになったら、お給料アップできるよ。」
「ほんと?」
「うん。だって、配達してくれるなら、また違う種類の仕事もできるでしょ。」
「そうか・・。」

「仕事の用事なら、私の車に乗るのは許すよ。欲しければ車も買えば?」
「おお、いいなぁ。法律的には来月免許がとれるのか・・。」

「ふっ、当分先だけどね・・君の安月給じゃ。」
「むぅ、期待させないでよ・・。」




「ところでさ、遊は、この店で夜も営業するのってどう思う?」

一緒にいる時間が長いので、いろいろと話しかけてしまうのだ。

「時間が長くなるってこと?マキノさんが辛くないならいいんじゃないの?。」
「メニューはどう思う?」
「居酒屋みたいにしても、おもしろいと思うけどな。」
「ほぉ。そうだね。」
「でもそうなると、時間が本気できついね。旅館の仕事はお昼休みがあるけど、ここはモーニングから深夜までずっとオフなしになっちゃうから。」
「うむ・・」

「一人で抱え込みすぎだと思うな。マキノさんは。」
「・・・・。」

なんか、意外と遊は冷静に分析して、的確な意見をくれることがある。
良い相談相手だと思うことがある反面、上から言われると、ムッとする。



ある日、遊が、カレンダーの〇の印を指して質問をしてきた。
「ところでマキノさん。明日のこの丸は何?」
ハッ・・・・。
遊には・・・まだ言っていなかった。

「それはだね・・・、それは・・・ええと・・・それは、気にしなくていいのです。」



そうなのだ。

明日はとうとう、春樹さんとお出かけなのだ・・・。

マキノは、怪訝な顔をした遊に、本当のことは言えず、無理矢理話を終わらせてしまった。
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