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プロローグ
傷ついた心を癒すために
しおりを挟むもう何もかも、どうでもよくなった。
高校三年の夏、初めてできた恋人に裏切られた。秘密の恋だった。告白したのも僕からだったし、向こうは大人だからきっと本気じゃなかったんだと思う。そのせいでゲイバレした僕はクラスでいじめにあい、ハブられ、学校に行くのもしんどくなって、夏休みに入ってから自主退学をした。もう誰も信じられない。生きる気力もなくなった。別にいじめにあったことはどうでもいい。バレたらこうなるだろうなってことは想像できていたことだし。
それよりも、大好きだった人に見放されたことが、辛かった。高二の夏から一年間付き合って、脆く崩れ去った僕の恋。本当に、大好きだった。あの人もたくさん好きをくれて、たくさん愛してくれていた。そう、思っていたのに。あんなふうに簡単に裏切られるなんて、思ってもみなかったんだ。それがとにかく、本当につらくて。
部屋に閉じ籠もって、一歩も外に出られない。出たくない。そんな日々が一ヶ月を過ぎようとしていた、ある日。
不思議と死ぬことだけは考えなかったのが、不幸中の幸いか。ある昼食の時に母が、テーブルに頬杖をついて僕を見つめながら言った。
「ねえ優理、フランスに行ってみない?」
「え、フランス?」
その表情は穏やかで、口元に浮かべた笑みを見ればどう考えても、ネガティブな提案ではなさそうだった。
「気分転換、みたいなさ? おじいちゃんも会いたがってたし」
「いいけど……お父さん忙しいのに休み取れるの?」
「ううん、行くのは優理一人で」
「え、ええっ?」
わけがわからなくて困惑し、僕の箸からそうめんが、つゆの入った器に滑り落ちる。
「環境が変われば、見えるものも変わるっていうでしょ? 海外に行けば尚更ね」
「そう、かもだけど」
「狭い日本にいるより広い世界に飛び出してみたほうが、もしかしたら新しい何かが見つかるかもしれないよ」
「でも……」
日本で生まれて日本で育った。父と母は忙しい人だから、海外旅行には連れて行ってもらったことが無い。父の母国であるフランスでさえも。それなのに、僕一人でフランスに行くなんて……そんなの、不安でしかないのに。
戸惑いで完全に食欲を失った僕を見て、母は静かに、箸を握ったままの僕の腕に触れた。
「お母さんね、優理には笑っててほしいんだ」
優しく穏やかな目が、僕を見つめてくる。
「だって、優理の笑顔は最高に可愛いもん! みんなを幸せにする笑顔だよ」
「そんな、おおげさだよ……」
「大袈裟なんかじゃない。お母さんは本気でそう思ってる」
真っ直ぐに見つめる母の瞳が、嘘を言っていないことを証明する。そして僕の腕に触れた母の手に少しの力が籠ると、怒気を含んだのを抑え込むような声に変わった。
「お母さんだって本当は学校に乗り込んで、優理を苦しめた奴ら一人残らずぶん殴ってぶちのめしてやりたいところだけど、そういうわけにもいかないからさ」
苦く笑うその表情は硬く、怒りと悲しみに満ちている。
それを解消して仕切り直すように一息吐き出すと、母は再び笑顔を作って、握っていた僕の腕を擦った。
「素敵な出会いは、いつ、どこに転がってるかわからないものよ。結婚に興味のなかった私がこうしてオリヴィエに出会って、人生変わったんだもん。あなたも私たちのもとに生まれてきてくれた。優理はこぉんなに可愛いんだもん。フランスに行ったらモテモテだぞ~」
「そうかな」
お茶目な言い方をして頬を突いてくる母。この笑顔には、きっと不思議な力があるのかもしれない。不安と戸惑いに満ちていた僕の心も少しほどけて、霧が晴れていくような気持になる。
僕が薄く笑みを浮かべたら、母も安心したように微笑んで、突いてきた頬を優しく撫でてくれた。
「向こうでいい人に出会えるよ、きっと。あなたを大事にしてくれる人と会えたら、ちゃんと教えてね? そしたら私もすっ飛んで会いに行くから」
「うん」
そこから母の行動は早かった。八月の末に僕が十八の誕生日を迎えるとすぐ、ビザを申請してくれた。父はおじいちゃんに連絡をして、僕が滞在することの了承を得てくれた。おじいちゃんも、僕が行くのを楽しみにしてくれているみたい。
いったいフランスで、どんな出会いが待っているんだろう。
出発の日が近づくにつれて僕は、不安を上回ってワクワクする気持ちでいっぱいになっていた。
どうかこの苦しさを癒して忘れられるくらいの生活に、なりますように……
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