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予兆
しおりを挟むアルデンヌ王国で異変の予兆が起きたのは、セシリアが国を出てすぐのことだった。
セシリアを連れた一団が隣国との国境地点で王女を引き渡し、セシリアがバラゾア帝国に足を踏み入れたその日の夜。
アルデンヌ王国全域で雨が降った。
天から降り注がれる雨は災害に繋がるような激しいものではなく、なんてことない天気の崩れだった。
しとしとと降り続ける雨を気にする者など誰もいない。
けれど、それが三日続き、五日続いた時、人々はようやくいつもと様子が違うことに気付く。
随分と続く雨だと思い始めた頃、六日目にしてようやく雨が止んだ。
止んでしまえばもう雨が降ったことなど誰も気に留めない。
せいぜい農民達が長雨だったと世間話に使うくらいだ。
だから、それが異変の一部に過ぎないことに気付く者など誰もいない。
まるでこの地に住まう聖なるものが、いなくなった王女を惜しんで泣いているようだと――気付く者など誰もいなかった。
◇
バラゾア帝国の宮殿内にある、セシリアの居住スペース。
心休まるはずのその場所で、セシリアは侍女のカーラからお小言を並べられている最中だった。
「姫様の行動力はとても素晴らしいことだと思いますけどね」
普段は人当たりの良い、柔らかな印象を与えるカーラが、ぷりぷりと怒りながらティーカップにお茶を注ぐ。
「ですが、危険な場所に自ら伴わなくても良いと思うのです」
僭越ながら! と言ってカップをテーブルに置く。
音こそ立てないものの、カーラの感情を表しているかのように水面が揺れていた。
目を吊り上げるカーラを前にして、セシリアは困ったように微笑む。
セシリアからの提案を受け、次の視察にセシリアも同行して良いと許可が下りて以来、カーラは御立腹だった。
「なぜ姫様が視察に赴かなければならないのでしょう?」
セシリアが外出することを不思議がっていたカーラに、目のことは伏せて自分から願い出たのだと告げると、カーラの顔はますます険しくなった。
謁見の間に刺客が現れた時、その場所にいて壁際で待機していたカーラは、今まで経験したことのない緊迫感に心底驚いたようだ。
離宮という安全で閉鎖された場所にいた時には感じたことのない命の危機に、カーラは恐怖心を抱き、そして何としてでもセシリアを守らなければと決意を固めたらしい。
それなのに、セシリア自らジルバートについて回ると決めたことが、カーラには信じられないようだった。
「護衛の兵が同行するから大丈夫よ。それに、危険だと感じるようであれば貴方は宮殿に残っていてくれて構わないから」
「何をおっしゃいますか! もちろんお供させていただきますよ! 私は、今、姫様の心配をしているのです!」
くわっ! と目を見開いたカーラがいきり立つ。
「もし姫様に何かあれば、私だけでなく貴方様のお父上だって悲しまれますよ!」
「――ごめんなさい。ちゃんと、分かっているわ」
アルデンヌ王国の王女であるセシリアが害されれば、父やカーラが悲しむだけでなく、両国の外交に影響を与えることも。
「でもね、軽はずみに提案したわけではないの。何が起きても対処できるよう、きちんと準備しているわ」
セシリアの言葉に反応して、精霊達が飛び回る。
『ああ! 新しい技だって習得したしな』
『たくさん練習したし、バッチリだよ!』
『任せて……』
嬉しそうな三人に、セシリアはトンと手を動かして返す。
ジルバートを守るため力を貸してほしいと告げた時、セシリアからのお願いに精霊達は喜んで応えてくれた。
それからは、機会を見つけては四人で話し合って色々試している。
セシリアは確かな手応えを感じていた。
「カーラ。心配してくれてありがとう。危険な目に合わないよう、気を付けると約束するわ」
いくら精霊達がついているからといって、軽はずみな行動を取るつもりはない。
でも、それでも危険が迫ってきた時は、その時は――
(私達が、皆を守ってみせるわ)
来たる視察に向けて、セシリアは決意を固めた。
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