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起[転]承乱結Λ
16話 鞘を間違える。
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コンクラーヴェに伴う詩編聖堂への閉居まで、残り一週間程となった。
聖堂閉居となれば、選挙権を持つ諸侯と大司教は、聖堂内に閉じ込められてしまう。当然ながら、外部とのEPR通信も制限される。
俗世の雑事は、それまでに済ませておく必要があった。
トールが生き残るにはアレクサンデル枢機卿を教皇選挙で勝たせる必要がある。
そのための方策は幾つか考えてあるのだが、何れを選択するかの決断は未だ下していない。
現時点で最も有力と思える選択肢は、彼と領邦にとって――ともすれば帝国にとってすら大きな転換点となる為である。
「――来たようです」
ロベニカは、些か剣呑な様子で賓客の到来を告げた。
歓迎する意思があまり無い事を示しているのだろう。
「はい。では、お通しして下さい」
トールが領事館の職員に告げる。
外交上、ホテルのスイートルームというわけにもいかず、領事館の応接室で迎える事となった。
同席するのは、ロベニカのみである。
本来ならば帝都に駐在する領事も同席すべきであろうが、トジバトルへの勲章親授式リハーサルと称し、ジャンヌ達に連れ出してもらっていた。
接見の内容を共有するほどには、まだ領事に信を置いていなかったのである。
領事館の職員に案内され入って来たのは、オソロセア領邦ベルニク駐在領事、ドミトリ・ルカショフであった。
「ようこそ」
トールは席を立ち、歓迎の意を示した。
「――お招き頂き、感謝致します」
相手の予期せぬ歓待ぶりに、ドミトリの応えは、少しばかり引き気味なものとなった。
彼としては、不本意な対面であっただろう。
尻の裏まで調べ上げた後に、己が関わった企みを潰したトール・ベルニクと対峙する予定であったのだ。
「いえいえ。こちらこそ来て頂いて――とても嬉しいですよ」
本心からそう感じていたため、トールは朗らかに答えた。
テルミナ達から、G.O.Dの一件について報告を受け、すぐにでも接見の用意をと要望したのである。
トールは、重要な決断を下す前に、幾つかの情報を必要としていた。
彼が治めるベルニクには数々の弱点があるのだが、諜報機関の未整備ぶりもその一つである。
家令セバスの記憶にも残る思想統制時代への行き過ぎた反省は、憲兵隊のみならず安全保障の根幹たる諜報機関の弱体化をも促した。
後に、憲兵司令部特務課より抜擢されたテルミナ・ニクシー少尉らによって、精緻な諜報網が構築される事になるのだが――。
ともあれ、現時点において、トールは信用できる諜報網を持っていない。
「色々と教えて頂きたいと思っていたんですよ」
「――色々――ですか」
対面するソファに腰かけながら、向かいに座る若者を見やった。
件の大司教を介して、テルミナ・ニクシーから連絡があったのは二日前の事である。
――至急、うちの大将と会ってくれ。会わねーと、淫乱娘の話しをオヤジに言いつけっから。
愚にもつかぬ脅し文句であったのだが、ドミトリは接見に応じると即答した。
監視対象の周囲と計画に無い接触をした事実が、上司とロスチスラフ侯に伝わる可能性を警戒したのである。
こうなっては、実のある接触を図った方が、自身の保身に繋がると考えたのだ。
経緯は伏せた上で、トールと接見する許可は得ている。
「私のような浅薄者が閣下に教えるなど、身に過ぎた役回りかと」
「いやぁ、ドミトリさん」
トールは困った表情を浮かべている。
事実、彼は困っていた。
「ロスチスラフ侯の大嫌いな方と、ボクは敵対する事になりそうなんですよ」
――憧れの人だったんだけど……。
◇
トールは教理局から戻った夜に、テルミナから洗いざらい話しを聞いている。
帝都叛乱という不穏な内容が含まれるため、全てを報告すべきとテルミナは判断したのだ。
マリの件も気になるトールであったが、そちらは本人が話すまで暫し待つことにした。
道化の居場所には、見当が付いていた為でもある。
それよりも、問題なのは――、
――帝都での叛乱なんて無かったよね……。
報告を受け、最初にトールが感じた疑問であった。
とはいえ、ドミトリという男の立場上、安易な嘘を言うとも思えない。
ならば、彼の愛した書物には無かったが、そのような計画もあるのであろう、と考えた。
自身が道化に襲われた件は、筋書を変えた為であるという解釈は成り立つ。
本来ならばバスカヴィ宇宙港で暗殺されていた男なのだ。
果たして、帝都の叛乱もその延長線上にあるのだろうか?
――最近思うんだけど「巨乳戦記」って、あまり物事の裏が書かれてなかったな。
モブ領主が殺された理由、道化が女帝を殺害した理由、ベネディクトゥス星系で叛乱が起きた理由――。
何れも表層的な説明はあった。
モブ領主は無能ゆえ、女帝は非道ゆえ、ベネディクトゥスの叛乱は異端審問により取り潰されたベルツ家の恨み――。
群雄割拠を華としたい戦記物の序盤としては、必要十分な説明であったのかもしれない。
だが、実際には、モブ領主の暗殺は、オリヴァー達の謀略の一環であった。
ベルツ家の恨みとて、観戦武官の記録を併読しなければ、異端審問の理由に至らない。
ならば、女帝殺害にも何か裏があるのではないか?
そのように思考を進めていくと、トールとしては望ましくないある結論に行きつくほか無かったのである。
「へえ、そこまで影響力があるんですか?」
「元々が有力諸侯ですからな。その上、陛下が――その――」
ドミトリは思わせぶりに語尾を濁した。
「分かります」
――警備責任者まで子飼いなのか……。
――となると、やはり道化さんは、あそこに居るんだろうなぁ。
「噂レベルであれば、他にも色々と御座います」
いつになく多弁となっているドミトリは、唇の端を舐めて潤す。
直接に言葉を交わして初めて分かった事がある。
トール・ベルニクという男は、実に物を教えてやりたくなる相手であった。
無知こそ無垢なり――というわけでもあるまいが、スポンジのように吸収されていく様が、どうにも小気味よいのである。
――ロスチスラフ侯 が警戒し、味方に取り込もうとし始めた理由も分かるな。
――ともあれ、両刀ずれの誹謗であれば、幾らでもくれてやれば良かろう。
仕える主人の政敵なのである。
知りたいというならば、己が知る限りは教えてやろうという気にもなっていた。
「過去の宰相ご逝去についても――」
みなまで言わずとも、内容は理解できる。
女帝ウルドの宰相が三人続けて怪死した件であった。
――陛下が関与したと書いてあったけど、これも少し違うのかもね……。
考えてもみれば、即位したての歳若い女帝がやりきれる謀略では無い。
少なくとも、手練れの協力者がいなければ不可能であったろう。
ここまで話したところで、ドミトリは最後の秘儀を明かすか否かで迷った。
あまりに大きすぎる内容であったからだ。
だが、トール・ベルニクを、オソロセア陣営に取り込むダメ押しになろうとも考えた。
あるいは、それは言い訳に過ぎず、この男の反応を確かめたいという、愚かな我欲であったのかもしれない。
「ウォルデン公爵家ご当主の奥方――つまりは、陛下の母君を、ご存じでしょうか?」
「ええと――すみません。誰でしたっけ?」
問われたロベニカは小声で、シャーロット母后ですよ、と囁く。
「そう、シャーロット様です。尊崇する偉大なる母后ですが、周囲を楽しませるためか、時として軽率な振りをされる事がございます」
ドミトリが皮肉な笑みを浮かべた。
「そのせいかも――いや、そのせいでしょうな――ウォルデン産の鞘と、グリフィス産の鞘を間違えた事もあると聞き及んでおります。随分と、歳若い鞘であったようですが――」
事実であれば、確かに軽率が過ぎただろう。
聖堂閉居となれば、選挙権を持つ諸侯と大司教は、聖堂内に閉じ込められてしまう。当然ながら、外部とのEPR通信も制限される。
俗世の雑事は、それまでに済ませておく必要があった。
トールが生き残るにはアレクサンデル枢機卿を教皇選挙で勝たせる必要がある。
そのための方策は幾つか考えてあるのだが、何れを選択するかの決断は未だ下していない。
現時点で最も有力と思える選択肢は、彼と領邦にとって――ともすれば帝国にとってすら大きな転換点となる為である。
「――来たようです」
ロベニカは、些か剣呑な様子で賓客の到来を告げた。
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「はい。では、お通しして下さい」
トールが領事館の職員に告げる。
外交上、ホテルのスイートルームというわけにもいかず、領事館の応接室で迎える事となった。
同席するのは、ロベニカのみである。
本来ならば帝都に駐在する領事も同席すべきであろうが、トジバトルへの勲章親授式リハーサルと称し、ジャンヌ達に連れ出してもらっていた。
接見の内容を共有するほどには、まだ領事に信を置いていなかったのである。
領事館の職員に案内され入って来たのは、オソロセア領邦ベルニク駐在領事、ドミトリ・ルカショフであった。
「ようこそ」
トールは席を立ち、歓迎の意を示した。
「――お招き頂き、感謝致します」
相手の予期せぬ歓待ぶりに、ドミトリの応えは、少しばかり引き気味なものとなった。
彼としては、不本意な対面であっただろう。
尻の裏まで調べ上げた後に、己が関わった企みを潰したトール・ベルニクと対峙する予定であったのだ。
「いえいえ。こちらこそ来て頂いて――とても嬉しいですよ」
本心からそう感じていたため、トールは朗らかに答えた。
テルミナ達から、G.O.Dの一件について報告を受け、すぐにでも接見の用意をと要望したのである。
トールは、重要な決断を下す前に、幾つかの情報を必要としていた。
彼が治めるベルニクには数々の弱点があるのだが、諜報機関の未整備ぶりもその一つである。
家令セバスの記憶にも残る思想統制時代への行き過ぎた反省は、憲兵隊のみならず安全保障の根幹たる諜報機関の弱体化をも促した。
後に、憲兵司令部特務課より抜擢されたテルミナ・ニクシー少尉らによって、精緻な諜報網が構築される事になるのだが――。
ともあれ、現時点において、トールは信用できる諜報網を持っていない。
「色々と教えて頂きたいと思っていたんですよ」
「――色々――ですか」
対面するソファに腰かけながら、向かいに座る若者を見やった。
件の大司教を介して、テルミナ・ニクシーから連絡があったのは二日前の事である。
――至急、うちの大将と会ってくれ。会わねーと、淫乱娘の話しをオヤジに言いつけっから。
愚にもつかぬ脅し文句であったのだが、ドミトリは接見に応じると即答した。
監視対象の周囲と計画に無い接触をした事実が、上司とロスチスラフ侯に伝わる可能性を警戒したのである。
こうなっては、実のある接触を図った方が、自身の保身に繋がると考えたのだ。
経緯は伏せた上で、トールと接見する許可は得ている。
「私のような浅薄者が閣下に教えるなど、身に過ぎた役回りかと」
「いやぁ、ドミトリさん」
トールは困った表情を浮かべている。
事実、彼は困っていた。
「ロスチスラフ侯の大嫌いな方と、ボクは敵対する事になりそうなんですよ」
――憧れの人だったんだけど……。
◇
トールは教理局から戻った夜に、テルミナから洗いざらい話しを聞いている。
帝都叛乱という不穏な内容が含まれるため、全てを報告すべきとテルミナは判断したのだ。
マリの件も気になるトールであったが、そちらは本人が話すまで暫し待つことにした。
道化の居場所には、見当が付いていた為でもある。
それよりも、問題なのは――、
――帝都での叛乱なんて無かったよね……。
報告を受け、最初にトールが感じた疑問であった。
とはいえ、ドミトリという男の立場上、安易な嘘を言うとも思えない。
ならば、彼の愛した書物には無かったが、そのような計画もあるのであろう、と考えた。
自身が道化に襲われた件は、筋書を変えた為であるという解釈は成り立つ。
本来ならばバスカヴィ宇宙港で暗殺されていた男なのだ。
果たして、帝都の叛乱もその延長線上にあるのだろうか?
――最近思うんだけど「巨乳戦記」って、あまり物事の裏が書かれてなかったな。
モブ領主が殺された理由、道化が女帝を殺害した理由、ベネディクトゥス星系で叛乱が起きた理由――。
何れも表層的な説明はあった。
モブ領主は無能ゆえ、女帝は非道ゆえ、ベネディクトゥスの叛乱は異端審問により取り潰されたベルツ家の恨み――。
群雄割拠を華としたい戦記物の序盤としては、必要十分な説明であったのかもしれない。
だが、実際には、モブ領主の暗殺は、オリヴァー達の謀略の一環であった。
ベルツ家の恨みとて、観戦武官の記録を併読しなければ、異端審問の理由に至らない。
ならば、女帝殺害にも何か裏があるのではないか?
そのように思考を進めていくと、トールとしては望ましくないある結論に行きつくほか無かったのである。
「へえ、そこまで影響力があるんですか?」
「元々が有力諸侯ですからな。その上、陛下が――その――」
ドミトリは思わせぶりに語尾を濁した。
「分かります」
――警備責任者まで子飼いなのか……。
――となると、やはり道化さんは、あそこに居るんだろうなぁ。
「噂レベルであれば、他にも色々と御座います」
いつになく多弁となっているドミトリは、唇の端を舐めて潤す。
直接に言葉を交わして初めて分かった事がある。
トール・ベルニクという男は、実に物を教えてやりたくなる相手であった。
無知こそ無垢なり――というわけでもあるまいが、スポンジのように吸収されていく様が、どうにも小気味よいのである。
――ロスチスラフ侯 が警戒し、味方に取り込もうとし始めた理由も分かるな。
――ともあれ、両刀ずれの誹謗であれば、幾らでもくれてやれば良かろう。
仕える主人の政敵なのである。
知りたいというならば、己が知る限りは教えてやろうという気にもなっていた。
「過去の宰相ご逝去についても――」
みなまで言わずとも、内容は理解できる。
女帝ウルドの宰相が三人続けて怪死した件であった。
――陛下が関与したと書いてあったけど、これも少し違うのかもね……。
考えてもみれば、即位したての歳若い女帝がやりきれる謀略では無い。
少なくとも、手練れの協力者がいなければ不可能であったろう。
ここまで話したところで、ドミトリは最後の秘儀を明かすか否かで迷った。
あまりに大きすぎる内容であったからだ。
だが、トール・ベルニクを、オソロセア陣営に取り込むダメ押しになろうとも考えた。
あるいは、それは言い訳に過ぎず、この男の反応を確かめたいという、愚かな我欲であったのかもしれない。
「ウォルデン公爵家ご当主の奥方――つまりは、陛下の母君を、ご存じでしょうか?」
「ええと――すみません。誰でしたっけ?」
問われたロベニカは小声で、シャーロット母后ですよ、と囁く。
「そう、シャーロット様です。尊崇する偉大なる母后ですが、周囲を楽しませるためか、時として軽率な振りをされる事がございます」
ドミトリが皮肉な笑みを浮かべた。
「そのせいかも――いや、そのせいでしょうな――ウォルデン産の鞘と、グリフィス産の鞘を間違えた事もあると聞き及んでおります。随分と、歳若い鞘であったようですが――」
事実であれば、確かに軽率が過ぎただろう。
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