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起転[承]乱結Λ
3話 厄介な女。
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「何だか久しぶりに帰った気がしますよ」
月面基地から屋敷に戻ったトールを、セバス以下使用人達が総出で迎えている。
その中には、女男爵メイドとなったマリの姿もあった。
新帝都フェリクスでの祝賀会までは同行していたが、トールだけはオリヴィア宮に長逗留となり、マリ達は先に屋敷へ戻っていたのだ。
「事実、久しぶりなので御座います。坊ちゃ――いえ、トール様」
「言われてみれば、そうですね。ふぅ、まずは秘密の地下――」
「坊ちゃま!」
「トール様!」
セバスとマリが同時に、トールの言葉を遮った。
異端審問のリスクは大幅に軽減しているが、あの部屋を知る人間は少ない方が良いだろう。
アレクサンデル教皇との関係性だけでは乗り切れない事態に陥る可能性を秘めているからだ。
「ささ、まずはお食事を――と申し上げたいところなのですが――」
セバスが申し訳なそうな表情で告げる。
「お客様がお待ちでございます」
「へえ?」
ロベニカから連絡が無かったので公務以外という事になる。
それでいて通さざるを得ない相手となると――、
――でも、ボクって友達がいないしなぁ。
などと、トールは些か寂しい事実を思い起こす。
現在、あえて友人めいた存在を挙げるなら、ロスチスラフという事になるのだろう。
多くの味方、そして敵を得たが、未だトールには友と呼ぶべき存在が居ない。
「誰ですか?」
トールの問いに、セバスは応えた。
「カサンドラ様でございます。マリに――あわわ――マリ殿に案内して頂きますので――」
誰だったかな、とトールは思ったが、尋ねる事もなくマリの後に続いた。
◇
私事で利用する応接室は少女を映し出す照射映像で埋め尽くされていた。何れも美しい良家の子女であり尚且つピュアオビタルである。
少なくともテルミナやイヴァンナのような女は居ない。
「昨今の閣下は引く手数多で御座いますから――オホホ」
我が事のように誇らし気に告げたのは、国務相リストフの妻カサンドラ・ビッテラウフである。
夫と共に他領邦を飛び回り、社交界にも明るく豊富な人脈を持っている。
トールが遊び歩いて政務を顧みなかった頃から縁談話を持って来ていたらしい。
領邦の為という側面もあろうが、元来が世話好きなのだろう。
「へえ、そうなんですか――あ、ありがとう、マリ」
興味を示さぬトールと、上機嫌なカサンドラの前に、マリが茶を置いてゆく。
マリは軽く頭を下げた後に壁際へと控え、エロスレーダーを張り巡らせた。
ゆえに、いかなる情動の揺れも見逃さない。
「ええ、もう、あらゆる御方から、結構なお話しが舞い込んでおりますの」
「――なるほど」
ベルニク領邦は、新生派オビタル帝国においてもはや辺境ではない。
領邦の地政学的価値は著しく向上しており、移民流入による人口増と合わせ、長らく停滞していた経済の躍動を予感させる。
トール自身への評価も一変していた。
伯爵に叙され、女帝ウルドからの信任が厚いことも周知の事実である。
また、廷臣として政権中枢に在る訳ではないが、ウルドに是が非でもと請われ、帝国史において稀にしか設置されぬ官位を拝命していた。
その官位は、令外官――つまりは法制度上に無い臨時の役職であり事が起きない限りは領邦統治に専念できる。
無論、事が起きれば、大変な重責を担う羽目にはなるのだが――。
ともあれ、トール・ベルニクは、妙齢の娘を持つ良家にしてみれば、恰好の獲物としての条件が揃っていたのである。
「僭越ながら、閣下――。領邦領主が妻を娶り、側室を置き、数多の子を成すのは義務で御座いましょう」
領邦領主は完全なる世襲制度である。
子を多く為す事で、ロスチスラフのような簒奪者の出現を防ぐ。オリヴァーがいらぬ野心を育てた一因には、先代エルヴィンの子息がトールのみであった点もあろう。
他方、領邦を統べる帝国は世襲の愚を犯さず、選帝侯による選挙制度を採用しているが、女帝の権力が弱体化するという欠点があった。
人が人を治めるとは、かくも厄介な話なのである。
「いやぁ、でも、ボクは――」
「閣下ッ」
「は、はひっ」
カサンドラの厳しい声音に思わずトールは居住まいを正した。
「今日しかない。今宵しかない――そういう思いで参りました」
「え?」
「明日には、悪徳りょう――いえ、口が過ぎましたわ――オソロセア領邦へ発たれると聞き及んでおります」
ようやく屋敷に戻ったトールであるが、彼女の言う通りの予定なのである。
オソロセアにて、ロスチスラフと共に、グノーシス船団国からの客人と密議があった。
とはいえ、表の用向きは、オソロセアの至宝――は父の自称であるが、彼女達を交えた親善行事となっている。
ドミトリと約した、三人娘との食事会であった。
「ロスチスラフ侯の娘様方は銀冠を戴いておりません。その上に、侯自身の出自も怪しい成り上がり者でございます。不忠不孝の悪徳領主であると、もっぱらの噂ですわ」
話すうちに興が乗って来たらしく、カサンドラは言いたい放題となった。
「そのような外道の娘に、閣下が奪われてはベルニクの一大事と思い――」
「カサンドラさん」
ぼんやりと聞き流していたトールであるが、ひとつの照射映像に気付き、口調を改めた。
「彼女をご存じなのですか?」
「――え、あら――ご興味が?」
カサンドラは喜色を浮かべたが、一方マリの瞳は、ひたりと細くなる。
「そうですね――」
彼女との接点も気になったが、縁談話となった経緯に興味が湧いた。
「――知っている人なんです」
クリスティーナ・ノルドマン。
プロヴァンス女子修道院のクリスにして、禁衛府長官フィリップの娘が写っている。
親娘で旧帝都に暮らすはずであるが、トールとの縁談話が出て来たという事は、エヴァンと決裂しているのだろう。
エゼキエル宇宙港では、エヴァンの指示に従っておらず、それが原因で追放された可能性もある。
「どこに居るんですか?」
「少々お待ち下さいましね――ノルドマン家は――あら――」
照射モニタで調べ始めたカサンドラだが、途中で深刻な表情を浮かべる。
「――まあ、何て事――女神よ――」
悲痛な声を上げ、何処かより取り出したチーフで目元を拭いた。
「廷臣を辞し、ウォルデン領邦にある別荘で暮らしておられたのです」
爵位はあれど、領地を持たぬ宮廷貴族である。
帝都を出た後は、仮の住まいで今後の方策を検討していたのだろう。
「私と夫がウォルデン領邦を訪れた際、ちょうどノルドマン家の方々は、ベルニクへと旅立たれるところでしたの。そこで縁談話も出まして――」
「太陽系に来るつもりだったんですか?」
「ベルニク殿を頼る、と。今にして思えば、私どもが同行すれば良かったのですわ」
ウォルデン領邦とは既に国交を断絶しており、外交官以外の往来は容易な事では無い。
「じゃあ、ここに居るんですね」
クリス――というより、父のフィリップ・ノルドマンには会っておきたいとトールは思った。
旧帝都についてトールが知らぬ情報を握っているかもしれないし、娘の誘拐を指示した男として、挨拶ぐらいはしておいた方が良いだろう。
「いいえ、閣下」
カサンドラが力なく首を振った。
「皆様方の乗った旅客船が、蛮族に襲われたようですわ――」
恐らく密入国に等しい旅程となったのだろう。
警護が甘くなる為、グノーシス船団国からすると絶好の獲物となる。
「え、それじゃ――」
言いかけて、トールは途中で口をつぐんだ。
ノルドマン家は宇宙の藻屑となったか、グノーシス船団国にて奴隷となっているのだ。
「――女神に祈るほかありませんわね」
そう言って彼女は、ラムダの印を結んだ後、健気にも再び自らの務めに戻った。
「それはそれとしまして閣下、こちらのお嬢様など――」
カサンドラ・ビッテラウフは、なかなかに厄介な女なのである。
月面基地から屋敷に戻ったトールを、セバス以下使用人達が総出で迎えている。
その中には、女男爵メイドとなったマリの姿もあった。
新帝都フェリクスでの祝賀会までは同行していたが、トールだけはオリヴィア宮に長逗留となり、マリ達は先に屋敷へ戻っていたのだ。
「事実、久しぶりなので御座います。坊ちゃ――いえ、トール様」
「言われてみれば、そうですね。ふぅ、まずは秘密の地下――」
「坊ちゃま!」
「トール様!」
セバスとマリが同時に、トールの言葉を遮った。
異端審問のリスクは大幅に軽減しているが、あの部屋を知る人間は少ない方が良いだろう。
アレクサンデル教皇との関係性だけでは乗り切れない事態に陥る可能性を秘めているからだ。
「ささ、まずはお食事を――と申し上げたいところなのですが――」
セバスが申し訳なそうな表情で告げる。
「お客様がお待ちでございます」
「へえ?」
ロベニカから連絡が無かったので公務以外という事になる。
それでいて通さざるを得ない相手となると――、
――でも、ボクって友達がいないしなぁ。
などと、トールは些か寂しい事実を思い起こす。
現在、あえて友人めいた存在を挙げるなら、ロスチスラフという事になるのだろう。
多くの味方、そして敵を得たが、未だトールには友と呼ぶべき存在が居ない。
「誰ですか?」
トールの問いに、セバスは応えた。
「カサンドラ様でございます。マリに――あわわ――マリ殿に案内して頂きますので――」
誰だったかな、とトールは思ったが、尋ねる事もなくマリの後に続いた。
◇
私事で利用する応接室は少女を映し出す照射映像で埋め尽くされていた。何れも美しい良家の子女であり尚且つピュアオビタルである。
少なくともテルミナやイヴァンナのような女は居ない。
「昨今の閣下は引く手数多で御座いますから――オホホ」
我が事のように誇らし気に告げたのは、国務相リストフの妻カサンドラ・ビッテラウフである。
夫と共に他領邦を飛び回り、社交界にも明るく豊富な人脈を持っている。
トールが遊び歩いて政務を顧みなかった頃から縁談話を持って来ていたらしい。
領邦の為という側面もあろうが、元来が世話好きなのだろう。
「へえ、そうなんですか――あ、ありがとう、マリ」
興味を示さぬトールと、上機嫌なカサンドラの前に、マリが茶を置いてゆく。
マリは軽く頭を下げた後に壁際へと控え、エロスレーダーを張り巡らせた。
ゆえに、いかなる情動の揺れも見逃さない。
「ええ、もう、あらゆる御方から、結構なお話しが舞い込んでおりますの」
「――なるほど」
ベルニク領邦は、新生派オビタル帝国においてもはや辺境ではない。
領邦の地政学的価値は著しく向上しており、移民流入による人口増と合わせ、長らく停滞していた経済の躍動を予感させる。
トール自身への評価も一変していた。
伯爵に叙され、女帝ウルドからの信任が厚いことも周知の事実である。
また、廷臣として政権中枢に在る訳ではないが、ウルドに是が非でもと請われ、帝国史において稀にしか設置されぬ官位を拝命していた。
その官位は、令外官――つまりは法制度上に無い臨時の役職であり事が起きない限りは領邦統治に専念できる。
無論、事が起きれば、大変な重責を担う羽目にはなるのだが――。
ともあれ、トール・ベルニクは、妙齢の娘を持つ良家にしてみれば、恰好の獲物としての条件が揃っていたのである。
「僭越ながら、閣下――。領邦領主が妻を娶り、側室を置き、数多の子を成すのは義務で御座いましょう」
領邦領主は完全なる世襲制度である。
子を多く為す事で、ロスチスラフのような簒奪者の出現を防ぐ。オリヴァーがいらぬ野心を育てた一因には、先代エルヴィンの子息がトールのみであった点もあろう。
他方、領邦を統べる帝国は世襲の愚を犯さず、選帝侯による選挙制度を採用しているが、女帝の権力が弱体化するという欠点があった。
人が人を治めるとは、かくも厄介な話なのである。
「いやぁ、でも、ボクは――」
「閣下ッ」
「は、はひっ」
カサンドラの厳しい声音に思わずトールは居住まいを正した。
「今日しかない。今宵しかない――そういう思いで参りました」
「え?」
「明日には、悪徳りょう――いえ、口が過ぎましたわ――オソロセア領邦へ発たれると聞き及んでおります」
ようやく屋敷に戻ったトールであるが、彼女の言う通りの予定なのである。
オソロセアにて、ロスチスラフと共に、グノーシス船団国からの客人と密議があった。
とはいえ、表の用向きは、オソロセアの至宝――は父の自称であるが、彼女達を交えた親善行事となっている。
ドミトリと約した、三人娘との食事会であった。
「ロスチスラフ侯の娘様方は銀冠を戴いておりません。その上に、侯自身の出自も怪しい成り上がり者でございます。不忠不孝の悪徳領主であると、もっぱらの噂ですわ」
話すうちに興が乗って来たらしく、カサンドラは言いたい放題となった。
「そのような外道の娘に、閣下が奪われてはベルニクの一大事と思い――」
「カサンドラさん」
ぼんやりと聞き流していたトールであるが、ひとつの照射映像に気付き、口調を改めた。
「彼女をご存じなのですか?」
「――え、あら――ご興味が?」
カサンドラは喜色を浮かべたが、一方マリの瞳は、ひたりと細くなる。
「そうですね――」
彼女との接点も気になったが、縁談話となった経緯に興味が湧いた。
「――知っている人なんです」
クリスティーナ・ノルドマン。
プロヴァンス女子修道院のクリスにして、禁衛府長官フィリップの娘が写っている。
親娘で旧帝都に暮らすはずであるが、トールとの縁談話が出て来たという事は、エヴァンと決裂しているのだろう。
エゼキエル宇宙港では、エヴァンの指示に従っておらず、それが原因で追放された可能性もある。
「どこに居るんですか?」
「少々お待ち下さいましね――ノルドマン家は――あら――」
照射モニタで調べ始めたカサンドラだが、途中で深刻な表情を浮かべる。
「――まあ、何て事――女神よ――」
悲痛な声を上げ、何処かより取り出したチーフで目元を拭いた。
「廷臣を辞し、ウォルデン領邦にある別荘で暮らしておられたのです」
爵位はあれど、領地を持たぬ宮廷貴族である。
帝都を出た後は、仮の住まいで今後の方策を検討していたのだろう。
「私と夫がウォルデン領邦を訪れた際、ちょうどノルドマン家の方々は、ベルニクへと旅立たれるところでしたの。そこで縁談話も出まして――」
「太陽系に来るつもりだったんですか?」
「ベルニク殿を頼る、と。今にして思えば、私どもが同行すれば良かったのですわ」
ウォルデン領邦とは既に国交を断絶しており、外交官以外の往来は容易な事では無い。
「じゃあ、ここに居るんですね」
クリス――というより、父のフィリップ・ノルドマンには会っておきたいとトールは思った。
旧帝都についてトールが知らぬ情報を握っているかもしれないし、娘の誘拐を指示した男として、挨拶ぐらいはしておいた方が良いだろう。
「いいえ、閣下」
カサンドラが力なく首を振った。
「皆様方の乗った旅客船が、蛮族に襲われたようですわ――」
恐らく密入国に等しい旅程となったのだろう。
警護が甘くなる為、グノーシス船団国からすると絶好の獲物となる。
「え、それじゃ――」
言いかけて、トールは途中で口をつぐんだ。
ノルドマン家は宇宙の藻屑となったか、グノーシス船団国にて奴隷となっているのだ。
「――女神に祈るほかありませんわね」
そう言って彼女は、ラムダの印を結んだ後、健気にも再び自らの務めに戻った。
「それはそれとしまして閣下、こちらのお嬢様など――」
カサンドラ・ビッテラウフは、なかなかに厄介な女なのである。
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