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起転承[乱]結Λ
44話 元気に逃げよう!
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女帝ウルドとの謁見後、ベルニクの屋敷に戻った元禁衛府長官フィリップ・ノルドマンは再びの旅支度を整えていた。
「お父様、僕の準備は終わりました」
鞄を一つだけ抱える息子を見たフィリップは、伯爵家の令息も随分と身軽になったものだと寂寥感が胸をよぎった。
「ふむ、私も終わった」
不肖の娘クリスは、未だにインフィニティ・モルディブから戻ってこない。
派手なギャンブルに興じていたかと思えば、今は元海賊の秘書めいた仕事を任されているらしい。
随分と張り切っている様子だったが、フィリップとしては複雑な思いがある。
──娘は、いったいどうなってしまうのか……。
妃候補でないかという世間の声に押され、トールの嫁になどと夢想する日もあるのだが──。
「お邪魔しますぜ。フィリップ伯」
一寸先も分からぬノルドマン家の行く末にフィリップが思いを馳せていたところへ、威勢よく扉を開けてトジバトル・ドルゴルが入って来た。
「おお、トジバトル殿──」
レオンが剣技を習っている手前もあり、トジバトルとは食事を共にする日もある。
だが、彼と共に入ってきた人々に対しては複雑な思いがあった。
「──と、皆さんは?」
「旅の仲間が増えたと、ご報告に上がった次第でして」
レギオン総督の座を追われたコルネリウス、ルキウスの娘アドリア・クィンクティ、そして元奴隷のサラ──いわゆる蛮族三人組であった。
中でもアドリアは奴隷船グレートホープ号の船附神官だった女である。
割り切れぬ思いがあるのは当然だろう。
「少しばかり帝都を見物したくなりましてな。わははは」
息子に叛乱を起こされ落ち延びた身の上で、コルネリウスは何の悩みも無さそうな笑声を上げた。
「──ホントに──厚かましいとは思うんですが──すみません」
他方のアドリアは申し訳なさそうな表情で何度も頭を下げている。
「トール伯とセバス様のご厚意で私まで──。しっかりと学びたいと思います!」
サラは屋敷の使用人となる事を希望したが、家令セバスからまずはフェリクスに住むある人物を訪ねるよう言われたのだ。
──"サラ殿、ベルニクにはベルニクの作法があるのです。"
──"つきましてはミセス・ドルンの元で学ばれるのが宜しいでしょう。"
──"邦都で教室を開いておられたのですが、最近フェリクスへ越されたと聞きました。"
「トール伯から、そろそろ外を見せた方が良いと言われましてね」
「は、はぁ──なるほど」
蛮族共に何を見せるのか──という反感も湧いたが、直ぐに思いを改めて自身の矮小な考えをフィリップは振り払った。
──トール伯は無駄な事をされない御方だ。
ノルドマン一家を食客としたのも後に利用する為であり、実際にこれから利用されるべく再び帝都へ向かうのだ。
──蛮族──彼等にも何某かの役割を想定しておられるのだろう……。
「そういえば、トール伯から何か連絡はありましたかな?」
「いえ、ありませんな」
トジバトルにも、メディアで報道されている以上の情報は無い。
「まあ、あの御仁の事ですから、どこかの星系で元気にドンパチしとるんでしょう」
◇
トール率いる一万隻のベルニク艦隊は、本隊から第五戦隊までの戦隊単位で編成されていた。
ジャンヌ・バルバストル大佐の預かる第五戦隊は、強襲突入艦及び戦闘艇のみで構成されており最も機動力に優れている。
「あの別動隊は、実に嫌な動きをしていますね」
ブリッジに映る戦況図を見据えるフランチェスカ・フィオーレ准将は、人差し指で唇の下を抑えながら呟いた。
「そうですな──当代殿が殊の外にお怒りでしょう」
「別動隊を率いているのは白の強襲突入艦ですね。となると、噂のジャンヌ・バルバストル中佐──いえ今は大佐だったかしら」
「白き悪魔の揚陸戦における鬼神ぶりは耳にしておりますが、艦隊運用もなかなかどうして侮れません」
ベルニク艦隊はトールの思惑通り絶賛逃走中である。
ゲオルクポータルを出たアラゴン艦隊へ一矢も放つ事なく、回頭してサヴォイア領邦に面するポータル方向へ進んでいた。
クラウディオ・アラゴンとしては当てが外れた状態なのである。
ベルニク艦隊はこのまま逃げ帰るのではないか──との読みが、クラウディオや側近達にも当然ながら浮かんだ。
「逃げるなら逃げるに任せ、我等はゲオルクに築城するのが勝ち筋に思えます。とはいえ、あの別動隊の動きは当代殿の性格からすると許し難いでしょうね」
ジャンヌ率いる第五戦隊は、アラゴン艦隊の矢面に入り嫌がらせのような砲撃をした後、機動力を活かして速やかに射程圏外へと立ち去っていく。
尚且つ小憎いほどに砲撃精度が高い為、ある程度の損耗も受けるのだ。
大兵力を率いるクラウディオとしては追いたくなる。忌々しい虫けらを取るに足らない存在として叩き潰し、その立場を分からせてやりたくなるのだ。
「どう考えても、罠へ誘導されているように思えますな」
「ええ」
だが、遠距離索敵の結果によれば他に敵艦隊の気配はない。クラウディオが躍起になって追う一万のベルニク艦隊のみなのである。
「頼みの綱であるロスチスラフ侯も、今は大軍を動かせないでしょうし……」
オソロセア領邦に対してはファーレン選帝侯が威力偵察を活発化させている。
「──ですが、やはり追うべきではありません」
と、熟慮の末にフランチェスカ・フィオーレ准将は結論を下した。追って来るよう挑発する寡兵は必ず先に罠を配しているのが定石である。
「当代殿へ?」
「ええ、具申します」
そう告げた主人に対し、アルジェントは肩をすくめて見せた。
確固たる罠の証拠でもない限り、追うなというフランチェスカの意見が、虫けら潰しに滾るクラウディオに採用される可能性は低いだろう。
──ま、いざとなれば、お嬢だけを連れて逃げればいいのさ。
副官アルジェントの忠誠は、幼馴染の「もののふ」だけに捧げられていた。
◇
クルノフ領邦には、三つのポータルが存在する。
ゲオルクポータル ⇔ アラゴン領邦。
アントンポータル ⇔ マクギガン領邦。
ヨハンポータル ⇔ サヴォイア領邦。
星系内の周回軌道としては最も外周に位置するのがヨハンポータルである。
「今のところ全て順調ですね」
「はい。順調に──逃げております」
逃走するベルニク艦隊の進行方向はヨハンポータル方面である。
「カトンボ役は、八時間毎に交代させて下さいね」
名称の由来は誰にも分からないが、第五戦隊が現在担っている役割を、トールはカトンボと命名していた。
「皆さんの元気と健康が一番大切です」
「承知しております」
──けど、あそこまで損耗を少なく出来るのは、ジャンヌ大佐だけだろうな。
トールの正直な思いとしては、ずっと彼女に頼りたいところだったが、いかなる猛将でも人の体力には限界がある。
「ボク等は五日間、ひたすら逃げ続けるわけですからね!」
なお、逃げ続けるその先にヨハンポータルが存在するのは、星系の周回軌道と時節が生んだ偶然に過ぎない。
トール・ベルニクは逃げ帰るつもりなど毛頭なかったのだ──。
「お父様、僕の準備は終わりました」
鞄を一つだけ抱える息子を見たフィリップは、伯爵家の令息も随分と身軽になったものだと寂寥感が胸をよぎった。
「ふむ、私も終わった」
不肖の娘クリスは、未だにインフィニティ・モルディブから戻ってこない。
派手なギャンブルに興じていたかと思えば、今は元海賊の秘書めいた仕事を任されているらしい。
随分と張り切っている様子だったが、フィリップとしては複雑な思いがある。
──娘は、いったいどうなってしまうのか……。
妃候補でないかという世間の声に押され、トールの嫁になどと夢想する日もあるのだが──。
「お邪魔しますぜ。フィリップ伯」
一寸先も分からぬノルドマン家の行く末にフィリップが思いを馳せていたところへ、威勢よく扉を開けてトジバトル・ドルゴルが入って来た。
「おお、トジバトル殿──」
レオンが剣技を習っている手前もあり、トジバトルとは食事を共にする日もある。
だが、彼と共に入ってきた人々に対しては複雑な思いがあった。
「──と、皆さんは?」
「旅の仲間が増えたと、ご報告に上がった次第でして」
レギオン総督の座を追われたコルネリウス、ルキウスの娘アドリア・クィンクティ、そして元奴隷のサラ──いわゆる蛮族三人組であった。
中でもアドリアは奴隷船グレートホープ号の船附神官だった女である。
割り切れぬ思いがあるのは当然だろう。
「少しばかり帝都を見物したくなりましてな。わははは」
息子に叛乱を起こされ落ち延びた身の上で、コルネリウスは何の悩みも無さそうな笑声を上げた。
「──ホントに──厚かましいとは思うんですが──すみません」
他方のアドリアは申し訳なさそうな表情で何度も頭を下げている。
「トール伯とセバス様のご厚意で私まで──。しっかりと学びたいと思います!」
サラは屋敷の使用人となる事を希望したが、家令セバスからまずはフェリクスに住むある人物を訪ねるよう言われたのだ。
──"サラ殿、ベルニクにはベルニクの作法があるのです。"
──"つきましてはミセス・ドルンの元で学ばれるのが宜しいでしょう。"
──"邦都で教室を開いておられたのですが、最近フェリクスへ越されたと聞きました。"
「トール伯から、そろそろ外を見せた方が良いと言われましてね」
「は、はぁ──なるほど」
蛮族共に何を見せるのか──という反感も湧いたが、直ぐに思いを改めて自身の矮小な考えをフィリップは振り払った。
──トール伯は無駄な事をされない御方だ。
ノルドマン一家を食客としたのも後に利用する為であり、実際にこれから利用されるべく再び帝都へ向かうのだ。
──蛮族──彼等にも何某かの役割を想定しておられるのだろう……。
「そういえば、トール伯から何か連絡はありましたかな?」
「いえ、ありませんな」
トジバトルにも、メディアで報道されている以上の情報は無い。
「まあ、あの御仁の事ですから、どこかの星系で元気にドンパチしとるんでしょう」
◇
トール率いる一万隻のベルニク艦隊は、本隊から第五戦隊までの戦隊単位で編成されていた。
ジャンヌ・バルバストル大佐の預かる第五戦隊は、強襲突入艦及び戦闘艇のみで構成されており最も機動力に優れている。
「あの別動隊は、実に嫌な動きをしていますね」
ブリッジに映る戦況図を見据えるフランチェスカ・フィオーレ准将は、人差し指で唇の下を抑えながら呟いた。
「そうですな──当代殿が殊の外にお怒りでしょう」
「別動隊を率いているのは白の強襲突入艦ですね。となると、噂のジャンヌ・バルバストル中佐──いえ今は大佐だったかしら」
「白き悪魔の揚陸戦における鬼神ぶりは耳にしておりますが、艦隊運用もなかなかどうして侮れません」
ベルニク艦隊はトールの思惑通り絶賛逃走中である。
ゲオルクポータルを出たアラゴン艦隊へ一矢も放つ事なく、回頭してサヴォイア領邦に面するポータル方向へ進んでいた。
クラウディオ・アラゴンとしては当てが外れた状態なのである。
ベルニク艦隊はこのまま逃げ帰るのではないか──との読みが、クラウディオや側近達にも当然ながら浮かんだ。
「逃げるなら逃げるに任せ、我等はゲオルクに築城するのが勝ち筋に思えます。とはいえ、あの別動隊の動きは当代殿の性格からすると許し難いでしょうね」
ジャンヌ率いる第五戦隊は、アラゴン艦隊の矢面に入り嫌がらせのような砲撃をした後、機動力を活かして速やかに射程圏外へと立ち去っていく。
尚且つ小憎いほどに砲撃精度が高い為、ある程度の損耗も受けるのだ。
大兵力を率いるクラウディオとしては追いたくなる。忌々しい虫けらを取るに足らない存在として叩き潰し、その立場を分からせてやりたくなるのだ。
「どう考えても、罠へ誘導されているように思えますな」
「ええ」
だが、遠距離索敵の結果によれば他に敵艦隊の気配はない。クラウディオが躍起になって追う一万のベルニク艦隊のみなのである。
「頼みの綱であるロスチスラフ侯も、今は大軍を動かせないでしょうし……」
オソロセア領邦に対してはファーレン選帝侯が威力偵察を活発化させている。
「──ですが、やはり追うべきではありません」
と、熟慮の末にフランチェスカ・フィオーレ准将は結論を下した。追って来るよう挑発する寡兵は必ず先に罠を配しているのが定石である。
「当代殿へ?」
「ええ、具申します」
そう告げた主人に対し、アルジェントは肩をすくめて見せた。
確固たる罠の証拠でもない限り、追うなというフランチェスカの意見が、虫けら潰しに滾るクラウディオに採用される可能性は低いだろう。
──ま、いざとなれば、お嬢だけを連れて逃げればいいのさ。
副官アルジェントの忠誠は、幼馴染の「もののふ」だけに捧げられていた。
◇
クルノフ領邦には、三つのポータルが存在する。
ゲオルクポータル ⇔ アラゴン領邦。
アントンポータル ⇔ マクギガン領邦。
ヨハンポータル ⇔ サヴォイア領邦。
星系内の周回軌道としては最も外周に位置するのがヨハンポータルである。
「今のところ全て順調ですね」
「はい。順調に──逃げております」
逃走するベルニク艦隊の進行方向はヨハンポータル方面である。
「カトンボ役は、八時間毎に交代させて下さいね」
名称の由来は誰にも分からないが、第五戦隊が現在担っている役割を、トールはカトンボと命名していた。
「皆さんの元気と健康が一番大切です」
「承知しております」
──けど、あそこまで損耗を少なく出来るのは、ジャンヌ大佐だけだろうな。
トールの正直な思いとしては、ずっと彼女に頼りたいところだったが、いかなる猛将でも人の体力には限界がある。
「ボク等は五日間、ひたすら逃げ続けるわけですからね!」
なお、逃げ続けるその先にヨハンポータルが存在するのは、星系の周回軌道と時節が生んだ偶然に過ぎない。
トール・ベルニクは逃げ帰るつもりなど毛頭なかったのだ──。
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