金糸雀ーカナリアー

なつき

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第一章

2.夢のあとさき

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 彼女の声が聞けない時間は、さしずめ拷問だ。

 「この書類、昼までに作り直せ。分析データをもっと詳細な物に変えろ。このレベルじゃ次のコンペは通らん」

 「はっ、はい!すぐ作り直します!」

 クライアントからの電話に対応しながら、部下に指示を出し、仕事を進めていく。会社での時間は、さながら戦場のような緊張感が張り詰め、慌ただしく過ぎていく。

 (夏妃……)

 少しだけ気を抜ける喫煙室で、紫煙を燻らしながら思う名前。源氏名しか知らない彼女。【楽園】以外では、話す事すら叶わない俺の想い人。

 (ああ、声が聴きたい)

 忙しない日常の中で、彼女の声だけが俺を癒してくれる。彼女を手に入れられたらどんなに幸せだろう。そんな事を思いながら、煙草を灰皿に押し付け、オフィスへと戻る。そうやって、ようやく仕事を片付けて、泥のように眠る。それが俺の日常……。

 **********
 
 ーーーー暗い。寒い。何も無い。

 夢だと、すぐに気づく。いつもの、夢。

 「親の七光りの癖に」「偉そうに」「若造が」「社長の息子じゃなきゃ誰が相手なんか」「コネで重役についてるくせに」

 最初は遠く、段々はっきり近付いて来る嘲笑。響く沢山の声は、耳を塞いでもなお止まない。

 「うるさ、い。うるさい、うるさい、うるさい、うるさいうるさいいぃぃぃぃ!!!!」

 叫んだその瞬間、視界がパッと開けた。荒い息を吐き、額を伝う汗を拭う。目に映るのは、見慣れた天井。ここは、住み慣れた俺の家。俺の部屋。

 「……っ」

 舌打ちして、ベッドサイドに置いた煙草に手を伸ばす。ジッポーで煙草に火をつけて紫煙を燻らし、深呼吸する。

 (大、丈…夫。夢……だ。現実じゃ、ない。しっかり…しろ!)

 毎日のように見る夢。時には仮面のように笑顔を貼り付けた見知らぬ連中に取り囲まれ、逃げ出せずに押し潰される事もある。小さな頃からずっと変わらず、こんな不気味で嫌な夢ばかり見る。かかりつけの医師は、不安が夢になって出るのだろうと言っていた。結局、俺自身の心の問題なのだ。

 ふぅ~っと大きな溜め息を吐き、ベッドサイドに置いたままの携帯電話に手を伸ばした。

 「こんばんは。夏妃はいますか?」

 『波越様、こんばんは。夏妃ですね。おりますよ。このままお繋ぎしますか?』

 「ああ。頼む」

 暫く保留音が流れた後、ガチャリと回線が繋がる。

 『こんばんは、波越さん』

 「ああ。こんばんは、夏妃」

 まだ夢現な感覚の中、彼女の声が優しく響く。

 (ああ。今日も話せた)

 彼女と繋がれる今を幸せに思う。一日の内で一番幸せな時間だ。

 「今、何してた?」

 『今ですか?えっと、本、読んでました』

 「へぇ。何読んでたの?」

 『例のシリーズ。【婚約編】の最初の方です』

 「お、あれかぁ。いいよね、あの辺。サスペンスより恋愛色が濃くなって」

 彼女が読んでいると言った本は、俺もお気に入りのシリーズ小説だ。元々、彼女と親しくなるきっかけになった本でもある。女子高生が一人旅をして、旅先で事件に巻き込まれる。そこで出会った男性達と、様々な恋模様を繰り広げ、ヒロインは成長していく。やがて一人の男性と愛し合い、結婚を誓い合うが、男性側の母親に結婚を反対されてしまう。そこからが【婚約編】の始まり。ハラハラドキドキの展開に胸躍らせながら、相変わらず事件にも巻き込まれ、さあどうなる、というのが毎回楽しみなシリーズなのだ。

 『いいですよね!何回読んでも飽きないんですよ~』

 彼女の弾んだ声に、俺まで楽しくなってくる。彼女とのこういう会話が、俺にとっては何よりの癒しだ。こうしている間は、会社の重役として必要な客先との駆け引きも、会社で周囲から寄せられるプレッシャーも感じない。ただの〝俺〟でいられる。それが何より嬉しい。

 一通り何でもないやり取りを楽しんだ後、頃合いを見計らって口を開く。

 「夏妃、今夜も、いい?」

 『……はい』

 恥ずかしそうに返って来た声を嬉しく思いながら、いつものように【行為】を始めた。

 『……あ、んっ……』

 甘美な夢に身を浸して、甘い声をあげる彼女との【行為】にふける。受話器の向こう側で、彼女は一体どんな表情をしているのだろう。羞恥に染まった声を聴きながら、想像を巡らせる。その度に心臓が高鳴り、俺の芯が熱くなる。

 「ああ夏妃、いいよ、すごくいい」

 『んっ、あっ、私も!あっ、ああんっ!』

 あられもない声が耳に響く。蕩けるようなその声が、俺の熱を更に増していく。

 直接肌の触れ合いがある訳じゃない。彼女の声を聴きながら、彼女を思うがまま滅茶苦茶にするのを想像する。ただそれだけで、もうどうしようもないくらい興奮して、何度も何度もしたくなる。繰り返し繰り返すその甘い夢の中で、気が付けばいつの間にか朝を迎える。そうやっていつの間にか、本物の〝現実〟へと戻る。時間は有限で、残酷だ。
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