冬の雲

犬束

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冬の雲

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 夜来の雨は朝のうちに上がったけれど、灰色の雲が低くたれて、薄日も射さなかった。明け方だか夕方だか判らないような、曖昧な明かりが辺りを罩めている。
 仕事は休みだし、部屋にいてもひまで退屈だから、お午過ぎには町なかに出て見たものの、どこへ行くと云うあてもない。
 気を変えようと思いたち、お濠の散歩道を歩き廻った。枯葉の散らかる細い道の片側に森がかぶさっていて、立ち樹のくすんだ緑は霧を振りかけたように、あわい光を湛えて滲んでいた。
 暫く佇んで見惚れていると、にわかに人のなつかしさが胸にたかまって来た。ぼんやり見開いた両眼に涙が膨らんだ。何と云う事もなく、淋しくて堪らない。葉擦れの音が聴こえる。湿っぽい風が頬や鼻を冷たくする。
 こんなに頼りない気持に陥ってしまうのは、天候と空腹の所為せいだと決めつけて、私はこの先の高台にある小さいレストランへ急いだ。
 登り坂を曲がりかけたら、いきなりオリーブグリーンのコートに身を包んだ男が現れた。見覚えのある男で、吃驚びっくりした拍子に何もないところで蹴躓けつまずいた。
「やあ」と彼はあっさりした声で云った。「久し振りだね」
 中学の頃同級生だった高木に違いないのだか、噂によれば、彼は卒業して間もなくオートバイで派手に転び、死んだ筈である。
「元気だったの」と私が尋ねると、それを遮るように、「元気なわけないじゃん。だって、即死だもん」と高木は上ずった調子で云い、どうしてだか得意そうな顔をした。
「やっぱり死んでたか」
「葬式に来なかったでしょう」
「あれから、もう何年になるか知ら」
「お前は来んかった、葬式」
 責められるのは腹立たしいけれども、あんまり親しくなかったとか、随分後で知ったからなどと説き伏せるのは無理な相手なので、「ごめんね」と素直に謝ったところ、高木は増長した様子で、
「いいよ、気にするなよ」と云った。
 癪に触る性格や突慳貧つっけんどんな口の利き方は、昔のままである。死人のくせに、年相応に老けているのが可笑しかった。
 私は高木に聞いて見た。
「あの世へ行ったら、有名人に会えたりするのかな」
「勿論。こないだハウンド・ドッグ・テイラーと会ったよ」
「凄いじゃんか」
「好きだったでしょう」
「よく覚えてるねえ。サイン貰ってよ。あと、リー・マーヴィンも」
「お前なあ」
「でも高木、英語喋れたっけ」
「これだから素人は困る」
「ふかしこいてんじゃねえの」
「本当だよ。他にも面白い事はいっぱいあるけど、一寸ちょっとばらせないね」
 曇空には相変らず濁った雲が動いていた。森を渡る風が烈しくなり、樹の葉をざわざわ鳴らす度に、雨の匂いがした。
 高木は風の行方を追うような眼をして、
「さっきさあ」と云った。「商店街の裏を歩いていたら、お爺さんが向こう向きに立っててさあ。擦れ違いざま、くるって振り返ったんだわ」
「爺さんが」
「うん。そしたら、歯ブラシを咥えた口の端に白い泡が垂れとった」
 取りとめのない話に飽きもせず、何かかにか云い交わしているうちに、段々打ち解けて来て、楽しい気持になった。
「いい加減寒いし、あったかい物でも飲むか食べるかしに行こう。香典のかわりに奢るよ」と誘って見たら、
「やったあ」と高木が乗り出した。「実は上のレストランでカルヴァドスをひっかけたばっかりなんだけどね」
 そうして高木はかすれたような口笛を吹きながら、すぐに坂を降り始めた。
 私も上機嫌で一緒に歩き出したが、高木は死んでしまったので、もう彼に会う機会はないだろうと思うと、居堪れないような気がした。
                     
             〈 了 〉





              
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