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第二章 鶉のアントレ Les cailles rôties

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 どうやって自分の屋根裏部屋まで戻って来たのか、記憶は曖昧だった。心の中は高揚感や困惑や、猜疑心で混沌としていた。

 彼は、どうして、あんなことを、僕にしたんだろう。

 僕は、白熱灯の下で、鏡台コワッフーズの鏡面を覗きこむ自分の顔を発見した。おおよそ美しいとは言えない顔立ちを。眼は大きすぎるし、鼻は短すぎるし、口脣は厚すぎる。特に眼尻の下がった眠そうな上まぶた。どこか一つでも、ちょっとはシュッとしてたらいいのに。例えば、田坂佳思けいしみたいに。
 でも彼は、中国服の衿マンダリン・カラーのピジャマがとても似合うと言ってくれた。社交辞令だとしても。

 いつまで鏡を眺めていても仕方がないので、寝台に入ったが、操り人形になったみたいに、まるで自分の意思とは無関係に躰が動いている感じがする。

 横になっても頭が冴えて、正確には混乱は鎮まらなくて、眠くなるどころじゃなかった。寝返りをうつと、不意にバニラとサンダルウッドの深い匂い——おそらくFLORISのオードトワレ『SANTAL』——が柔らかく立ちこめた。
 ナオキ先生と対面させようと、彼が後ろから寄り添ったときに、うつったとしか考えられない。普段の彼がトワレをつけているなんて気がつかなかったから、不思議な感じがする。
 SANTALの東洋的な官能性は抑えられ、もっと優しくて、懐かしくて、うっとりする穏やかな香りに変質していた。
 彼の手が僕の肩を掴んだときの、指先に込められた力。ふれあったときの感触を、口脣が思い出す。
 眼を閉じて、あの場面を甦らせる。

 それにしても、どんなつもりで、僕にあんなことをしたんだろう。

 子爵ヴァルモンになって、恋愛ごっこを仕掛けるつもりなのか。相手役に選ばれたからには、コミックスのセシルみたいに、彼をかわして、追わせる演技を求められているのか。
 それとも、まさか、誠実な恋人シェリィである騎士ダンスニーのつもりなのか。
 ナオキ先生は参謀の役まわりか。
 疑いがふくらみ、彼らを警戒してしまわなくもない。

 他の要素も、僕をもやもやとさせる要因となった。それは、彼に執着するのは、要するにその経歴や容姿(美しい顔のつくりと身長の高さ)に惹かれているだけで、似たような条件の人物なら、交換可能なんじゃないかと、自分でも自信が持てないのだ。
 
 だけど、彼みたいなひとが、彼以外に存在するはずがない。

 次に対面したら、どんな表情かおをすればいいのか分からない。決まりが悪くて、しばらくは会いたくない。そのくせ、今すぐ会いたい。
 すぐにでもそばへ駆けつけたい。

 結局のところ、彼の口づけは僕を得意げにして、幸福で満たし、満たしながらも、そのローズ色の中に悪意めいた黒色ノアールのインクが一滴垂らされるのもまた、否めなかった。

 ぐるぐると葛藤した末に、明け方になって、小鳥のさえずりを耳にしながら、ようやくうつらうつらしはじめた。カーテン越しに、朝の光が部屋を侵食しつつあった。夢うつつに、扉を叩く音を聞いた気がした。
 頭を持ち上げて、薄眼でそちらを見るともなしに見ると、扉の下の隙間から、白っぽい封筒のような手紙のような紙切れが差し込まれた。



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