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フィレンツェのほうへ
フィレンツェのほうへ 2.
しおりを挟むそう、どうであれ、最初は——けれども、最初というのは、どの事柄についてなのかという疑問を思い浮かべてしまうのだけれども——そう、どうであれ最初に魅了されたのは——魅了される、どちらのほうに? 件の極めて残忍な〈怪物〉に? あるいは花(と毒薬と権謀術数)の都に?——どちらにしても、最初に異常心理殺人鬼を追いかけるフィレンツェ旅行に魅了され、旅の計画を立てるという想像をすることになったのは、つまり、この春の人事異動のせいなのだった。
いつもと同じ(ような)事務的な処理の繰り返しを繰り返し反復し、つのる疲労感をうんざりしながらもやり過ごし——仕事なので別にそれでもかまわない訳なのだが——それでも、いつの間にか気持まで——心でも内面でも精神でも、なんと呼んでもかまわなのだが——すりきれて稀薄になってしまう。それで、部屋に帰っても食事の準備をする気力さえなくて、会社が退けると友達を誘い、昨日とは違うお店を巡って夕食を摂るのがほとんど日課になっていたのだけれど、何軒も何軒も他の料理店を試してみたのは、未知の刺激よりも、むしろ漠然とながら——後から考えると——なじみ深さを感じる場所、もしくは誰かを探していたような気がする。
なじみ深い、そう、たとえば自分の身体のにおいのように——自分では分からない体臭と、お気に入りのオーデコロンとか精油が混ざりあい、体温であたためられたにおい。髪や肌や寝具に染みついたにおい——なじみ深くて、幼いころの記憶をよみがえらせ、懐かしさと安らぎにうっとりさせるようななにか……。
どうであれ、あたしは——その日はひとりだった——初めて訪れた中二階の狭苦しいトラットリアで、随分と長いこと疎遠になっていた昔の遊び仲間に再会したのだった。親しくしていた当時は彼もあたしもアメリカの作家、トマス・ハリスが誕生させた〈怪物〉である精神科医のハンニバル〈カニバル〉レクター博士に夢中だったし、友達たちも巻きこんで映画の鑑賞会まで開いていたし——誰の部屋だったか覚えてもいないなんて——、また、現在のあたしたちの双方が、博士を主役にして新しく制作されたフィレンツェが舞台のテレビドラマについて、熱っぽく語りあいたい願望を抑えていた——「自分の意見よりも、人の話に興味深げに耳を傾けるのが、会話上手の秘訣です」(『ティファニーのテーブルマナー』より)——うえに、その友人はすでに、映画とドラマの撮影現場を印した手書きのフィレンツェの地図を携えていたので、そんな訳で、あたしたちは、あらためてドクター・レクターの物語の続きを描き続けることになった。
—•—•—•—•—•—•—
あたしたちは、サンタ・クローチェ教会の礼拝堂で修復作業をするその人に、ふと気づいたのかもしれない。あたしたにはうんざりしていて、そう、観光客の行列と排気ガスにうんざりしていて、
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