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相部屋

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 気がつくと、見知らぬ白い天井が目に入ってきた。
 少し顔を傾けると、母親が、涙を浮かべ、

「気がついた? 気分はどう?」

 と心配そうに尋ねて来た。
 
 声を出そうとするが、何か口元に取り付けられていてうまくしゃべれない。
 状況がよく分からず、顔を動かして周囲を見渡し、そして意識を失う前の状況を思い出して、ようやくここが病院の一室らしいことを悟った。

 口元に取り付けられているのは、多分人工呼吸器か何かだ。
 俺は母親を安心させるように、少し笑顔で頷いて見せた。
 
 すると母も笑顔になって、

「ちょっと待っててね……」

 とだけ言い残してその場を離れた。そしてすぐに、

「……先生、息子が目を覚ましました」

 という声が聞こえてきた。

 改めて自分の体に意識を集中させると、腕には点滴の管が刺さっている。
 もう少し大きく視線を動かしてみると、心電図みたいなものも見えた。 
 この様子に、俺は結構本格的に病人扱いされているような気がした。
 
 そしてまだ若い男の先生がやってきて、聴診器を当てたり、触診をしたりしていた。
 人工呼吸器をはずされて、名前などのいくつかの質問をされ、それに答えると、

「もう大丈夫ですね、意識は完全に戻っているようです。良かったですね」

 と告げて、母親からお礼をされていた。
 そして別の看護師さんから呼ばれて、慌ただしくその場を離れていった

 後で聞いた話では、同窓会から帰ってきた母が、寝室で痙攣している俺を見つけ、その手に殺虫剤入りの点鼻薬が握られているのを見て全てを悟り、救急車を呼んでくれたということだ。

 ということは……病院の先生とかに、間違って殺虫剤を鼻に噴射したこと、ばれてしまったのか……。

 母によれば、現在の時刻は昼の十二時を過ぎているということだった。
 単純計算で十二時間以上昏倒していたことになる。

 そしてこの部屋は救急外来処置室で、すぐに処置が必要であったり、容態が急変する可能性がある患者が搬送されてくるということだった。

 その後、少し落ちついたところで、担当となったらしい先程の若い先生(男)から今回の症状について説明を受けた。

 なんでも、俺の場合『アナフィラキシーショック』になってしまったようで、先生から

「もう一度同じ事をしてしまうと、今度こそ助からないかもしれない」

 って脅されてしまった。
 まあ、もう二度と殺虫剤を鼻に噴射することはないと思うけど……。

 この救急外来処置室、かなり広い部屋で、カーテンで仕切られただけでいくつもベッドが存在し、通常はそれぞれ緊急治療が行われているのだが、この時はちょっと空いていた。

 俺は一番端の区画で、この後一般の病室に移ってもらうと説明を聞いていたのだが、その時、部屋の奥の方から女性の看護師さん達の

「ねえ、聞いた? 園芸用の殺虫剤、鼻から吸って死にかけた男子高校生がいるんですって」
「えー、ウソでしょ? 本当に? 何考えているのかしら、最近の男の子は……」

 って、笑いながら話している声が奥から聞こえてきて……相当ショックを受けてしまった。

 精神的には落ち込んでいたが、肉体的には、多少フラフラするものの、歩いて移動できるぐらいにはなっていた。

 とはいえ、一時意識不明の重体に陥っていたので、大事を取ってしばらく入院することとなった。

 ところが……この病院、今現在入院患者が満杯に近く、相部屋になってしまうという。
 それだけなら別段珍しくもないのだが、なんと女の子と一緒の部屋になるというではないか!

 正直、えっと思ったのだが……あの殺虫剤でもがき苦しんでいたときの妄想? が本当になりそうで……なぜかちょっと喜んでしまう。

 妄想の中では、自分が救急搬送された原因をバカ正直に話して呆れられてしまったが、別にそんなこと言わなければいいだけだ。

 うーん、どんな女の子と相部屋になるのかな……。
 向こうは、男である俺が相部屋になる事を了承してくれたらしいが……そんな奇跡ってあるんだな。

 ちょっとワクワク、ちょっとドキドキしながらその部屋に、母親と共に

「失礼します……」

 と言って入っていったのだが……。

 いた! 目鼻立ちのぱっちりした、可愛らしい女の子がっ!
 ……ただし、五歳ぐらいの。

 俺を見て、ちょっと照れたような笑みを浮かべて

「こんにちはーっ」

 と元気よく挨拶してくれた。

 まあ、確かに女の子には違いないけど……やっぱり、妄想みたいにうまくいかないモノだなって、苦笑してしまった。

 この子は『ひな』っていう名前で、あめ玉を喉に詰まらせて救急搬送されたという。
 うーん、入院に至った理由まで可愛らしい。

 どうも、この部屋は小児用、つまり『子供のための入院部屋』ということで……十六歳の俺も、まだ『子供』っていう扱いらしい。

 ひなの母親も付き添いで一緒に居たのだが、俺の母親と

「しばらく、よろしくお願いします」

 みたいな挨拶をしていた。

 ひなちゃん、ほんの五分で俺に懐いてくれて……俺のことを『おにーちゃん』と呼んでくれるようになった。

 うん、かわいい。もう十年もすれば、きっと綺麗な少女に育っているだろう。
 その時は、俺は二十六歳。まだちょっと犯罪だな……そんなよからぬ妄想を抱いているときに、入り口の扉がガラガラと開き、その方向を見て、思わず固まってしまった。

 ピンクの検査着を来た、俺と同い年ぐらいの、小柄で華奢な美少女。
 肩までの長さの、綺麗な黒髪。
 瞳は大きく、二重瞼、ちょっとハーフっぽく見える端正な顔の作り。
 小顔で、細身。
 まるでアイドルのように可愛らしく、俺の目には映った。

 色白で、やや顔色が優れないように見えるが、それがかえって儚(はかな)さというか、繊細さというか、ガラス細工のような可憐な雰囲気を醸し出していた。
 
 彼女は、俺の方を見て、きょとんとした表情になっている。

「ひとみおねーちゃん、このおにーちゃんがさっき先生が言ってた男の子だよーっ!」

 ひなちゃんが、なぜか自慢げに俺の事を紹介してくれた。

「えっ、あ、あの……男の子って、あなた……ですか?」

「え、あ、はいっ……って、まさか君もこの部屋?」

「は、はい、そうです……」

 なんかお互い、ものすごく焦っている。

 どうやら彼女、ここが子供用の部屋だから、もっと幼い男の子が来ると想像していたようだ。

 俺も、女の子が二人居るとは聞いていなかったし……なんかこの病院、そういう方面に対する気配りは皆無のようだ。

 まあ、ベッドにはそれぞれカーテンが付いていて、簡易的に個室にはなるようだが……それにしても、この状況は……。

 俺が戸惑っていると、彼女はにっこりと笑顔になって、

「2,3日だと思いますけど、よろしくお願いしますね」

 と挨拶してくれた。

 そのとびきり可愛い笑顔に、俺もつられて

「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」

 と笑顔でお辞儀して返した。

 そして彼女は一番奥のベッドに、ちょっとフラフラしながら歩いて行ったのだが、その時、

「……なんか、ラノベみたい」

 と一言つぶやいたのを、俺は聞き逃さなかった。
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