黒猫、とんぱらり

猫屋ちゃき

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探し物 参

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 朝のHRがはじまる前の教室。
 安眠が得られず寝不足気味の小夏は、スマホを片手にあくびを噛み殺していた。
 昨夜は変な夢を見たからか、体が妙に怠いのだ。目覚めてからも頭がしゃっきりせず、あくびが止まらない。

「小夏、おはよう。なにしてるの?」
「あ、おはよう。クマをね、縫いたいと思って型紙とか縫い方とかいろいろ調べてたの」

 スマホから視線をあげると、由里香が小夏の席まで来ていた。電車通学の由里香は、いつもチャイムが鳴る五分前くらいになってようやく登校してくる。

「クマ? テディベア?」
「ううん。キーホルダーにできるくらいの大きさ」
「キーホルダー? なになに? 好きな人にあげるの?」

 小夏がスマホで「クマ 作り方」で検索して見つけた画像を見せると、由里香は突然色めき立った。
 どうやら小夏が好きな人にあげるものを作ると思ったらしい。
 好きな人などいないし、由里香が思っている小夏の好きな人というのは善之助のことだ。
 和服に銀縁眼鏡の胡散臭いおっさん・善之助にクマを贈る予定などないんだけど……と考えてから、小夏は首を振った。

「話せば長くなるけど、そういうんじゃないの。もっと深刻」
「深刻? クマが? またあとで聞かせてよね。それとね、クマの型紙なら部室にあったと思う」

 予鈴が鳴ったため、由里香は自分の席へと戻っていった。
 結局、誤解は解けていないことに気がついたが、小夏はもう眠たくて仕方がなくて、そんなことはどうだってよかった。
(型紙があるなら、もういいか)
 そんなふうに気が緩んでしまったため、その後の記憶は曖昧だった。
 授業中、小夏はとてつもない睡魔に襲われたのだ。半徹して挑んだ試験中のほうがよほどマシだと思うくらい、その睡魔は強烈だった。
 小夏は元々授業中に居眠りが多い生徒だ。苦手な化学や数学の授業では特にそれがひどい。
 その日はわりと好きなはずの古典や世界史の授業中にもこっくりこっくりと船を漕ぐ始末で、はっきり言えば目をきちんと開けていられた時間はほとんどない。
 幸いと言ってはなんだが、小夏の今の席は教卓からあまり見えない位置のため、居眠りを咎められることもなかった。
 一応授業中は起きていなければならないという意識のある小夏は、目を開けていようとかなり踏ん張っていた。そうしている間は夢を見る――いや、見せられる余裕もなかったのだが、やがて力尽きるとダメだった。

 ドボンとまるで深い水に突き落とされるように、小夏は夢の中へ引きずり込まれた。
 夢の世界は、前の晩に見た見知らぬ道と同じ景色だった。
 だが、前回のように幽霊の女の子が辿った道を同じ目線で追体験させられるのとは違っていた。
 目の前の景色は動かず、まるで一枚絵のようだった。そして、遠くからなにかの声が少しずつ少しずつ近づいてくるように聞こえていた。
「…………んクマさんクマさんクマさんクマさん、いないのクマさん、クマさん、クマさんクマさん、クマさん」
 だんだんと近づいてきた声は、しまいには耳元に張り付くような距離で聞こえてくるようになった。
 ホラー映画の演出のように、途中で少女の声から低いしわがれた声に変わるといったことはない。可愛らしい子供の声で、いつまでもいつまでも「クマさん」と繰り返すのだ。
 それには小夏もたまらず逃れようとするが、意識以外はその夢の世界にないため、耳を塞ぐことすらできなかった。
 こういった夢から抜け出すのは、潜っていた水中から水上に向かうようにすればいい――三度目の体験でそれを小夏は心得ていたが、どうにもうるさくてそれができなかった。
 もしかしたら、こうして夢の世界にいつまでも繋ぎとめておくためにそういった方法をとっているのかもしれなかったが、小夏としてはあと何秒もそれには耐えられなかった。
 だから、小夏は叫んでいた。

「うるさーい! クマクマうるさーい!!」

 その声は、授業中の教室に響き渡るほどの声だった。
 おまけに、体の自由を取り戻した反動で、小夏はガタッと椅子から立ち上がってしまっていた。
 
「……」

 四方から突き刺さるようなクラスメートや教師の視線。
 それを全身に受けて、小夏は自分のしでかしたことを自覚した。

「先生、うるさくないぞ。それにビザンツ帝国の話をしてて、クマなんて言ってないからな」
「……そ、そうですね。うるさいのは、わたしです……」

 世界史の担当教師は、ひょうきんで生徒からも人気がある。その教師が、かわいこぶるように頬をふくらませて言ったおかげで、教室にはドッと笑いが起きる。
 恥ずかしさのあまり小夏は真っ赤になっていたが、その笑いに乗じて椅子に座りなおすことができたのだった。



「……もう許せん」
 
 その後は、教師がさらりと授業に戻ったために、誰も小夏を見ていなかった。そして、そのまま何事もなく午前中の授業は終わり昼休みを迎えたのだが、小夏はぷりぷりといきり立っていた。

「小夏、さっきのあれ、なんだったの?」

 猛然と机に向かう小夏の元へ、笑いを隠しきれていない由里香がやってきた。友達である手前、笑わずにいてやりたいと思ったのだが、やはり授業中の居眠りと寝言は笑わずにはいられなかったのだ。

「いや、ちょっと夢を見てね……」
「それ型紙? そういえばさっきも朝も、クマがどうこうって言ってたけど」
「それがさ、夢に幽霊が出てきてクマクマうるさいんだ。だから、クマ作って渡せば黙ってくれるかなって」
「幽霊?」

 小夏はまた笑い出しそうになっている由里香にムッとした。ムッとしつつも、この大変さを少しでも理解してもらいたいと、昨日の出来事をかいつまんで話した。
 善之助の家の前で幽霊の女の子を見たこと。幽霊とはわからずに声をかけてしまったこと。探し物をしているようだったから、手伝うと言ってしまったこと。そのせいで、変な夢を見せられていること。
 話していて、我がことながら嘘くさいと小夏は思っていた。そして、善之助の言うとおり安請け合いが招いたことだと痛感した。

「それ、完璧に取り憑かれてるんじゃない? こわー。本当に取り憑かれるとかあるんだー」
「や、やっぱり取り憑かれてるんだよね……と、とりあえず、クマ縫うよ!」

 笑い飛ばさせるかと思いきや、由里香は本気で怖がる様子を見せた。そうやって怖がられると、それまで気にしていなかった小夏も、なんだか怖いような気になっていった。
 だが、怖がっていても仕方がないからせっせとクマの型紙を作る。

「クマ、急いで作らないとね」
「うん。部活の間に縫い終わりたいなって思ってる」
「もし、クマ一匹で納得してもらえなかったら……?」
「……明日縫うの手伝って」

 遅れてやってきた恐怖と眠気と闘いながら、小夏はひたすらに型紙をひいていった。ネットで見つけたフリーの型紙を印刷すればいい話なのだが、印刷するには放課後まで待たなければならない。それまでの時間が惜しくて、ネットで見つけた型紙をいらないプリントの裏に書き写しているのだ。
 それから小夏は、目の下にメンソールのリップクリームを塗ったり手の甲をつねったりと苦心し、なんとか五限と六限の授業をやり過ごした。
 そして放課後になると、型紙とおりに布を切り出して、せっせと縫って綿を詰めていった。この部活の間に縫い終わるのだと鬼気迫る様子で縫っているのを見て、由里香をはじめとする仲の良い部員たちがそれを手伝った。
 由里香のアイデアで、クマの腕は動くように縫い付けられた。左右の腕のつけ根をボタンで繋ぐと、動くようにできるのだ。
 
「これでクマのぬいぐるみの縫い方はマスターしたんだから、次は好きな人に作ってあげなよ」
「え、あ、うん。……じゃあ、幽霊のところに行ってくる」

 ワイワイと一緒に縫ううちに昼休みに小夏の話を聞いて感じた恐怖のことなど忘れてしまったらしく、由里香はそんなことを小夏に耳打ちした。これはおそらく自分も村瀬に作って渡したいということなのだろう。善之助に縫ってやるのはやぶさかではないが、おっさんがクマをもらって喜ぶ図が浮かばなかった。
 それになにより、今は幽霊のことが一番だ。今夜も安眠を妨害されるなど真っ平だし、明日の授業中も睡魔との闘いだなんて言語道断だ。
 小夏は由里香たちに手を振って部室を出ると、早足で学校を出た。
 いつもなら、こうして学校を出て歩くのは善之助の家へ行くためだ。そこでおやつをもらって、善之助ととりとめもない話をするためだ。だから、いつもはこの道のりが楽しい。
 今は、正直足が重かった。本当なら行きたくない。行かずに済むならそうしたい。
 だが、今日行って解決しなければ、善之助の家に安心して行くことすらできない。
 だから、小夏は覚悟を決めて一歩一歩進んでいった。



「……いた」
 
 伏せ猫屋がある通りにやってくると、赤いランドセルがその日も低い位置に見えた。あの女の子がかがんで探し物をしている姿だ。
(先に振り返られたら、負けだ)
 直感的にそう思って、小夏は気配を殺して近づいていった。なんとなく、そう思ったのだ。きっと、小夏が近づくよりも先に向こうが気がつけば、またうるさくクマクマ言うのだろう。
 そんなことを考えると、無性に腹が立ってきた。親切心で声をかけたのに、安眠妨害した挙句、授業中に恥をかかせなくたってよかったじゃないかと。
 小夏はひたひたと、だが早足で女の子に近づいていく。本当は走っていってしまいたいところをグッとこらえて。手にはじんわりと汗をかき、体が揺れているのではないかと錯覚するほど鼓動が早かった。

「――!!」

 あと一歩まで近づいたところで、突然ギュンっと女の子が高速で小夏のほうを振り返った。振り返ったという表現では穏やかすぎる。正確には、のだ。
 女の子が口を開こうとしたのと、小夏が手に持っていたクマを女の子に突き出したのは、ほぼ同時だった。

「あげる!」

 気合で負けてはいけないと、小夏は腹の底から叫んだ。
 手にしているのは手作りのクマのキーホルダー。ランドセルにつけるならと、頭の部分にポールチェーンを通してある。小夏も小学生の頃、ポールチェーンの先にじゃらじゃらとお気に入りのものを通してランドセルから提げていたのだ。
 だから、そのときのことを思って作ったのだ。

「あなたの探し物は見つけてあげられてないけど、あんまり急かすから作ったよ。手作りなの。世界にひとつだけ」

 女の子は、まじまじとクマを見つめた。そして、そろそろと手を伸ばし、そっと握った。
 気に入ったのか、回転したときの半分くらいの速度で、首は元の通常の向きに戻っていった。
 改めてそんな姿を見せられて小夏はギョッとして叫びだしたかったが、女の子の顔に笑みが浮かんだのを見てこらえた。
 女の子は、小夏が作ったクマを見て笑っていた。それはそれは嬉しそうに。無邪気な、子供らしい笑顔だった。

「……ありがとう」
「え……」

 女の子は笑顔のまま、ぺこりと頭を下げると、走り去っていってしまった。遠ざかる背中は、ある程度行ったところで、まるで霧が風に吹かれて散るように見えなくなってしまった。

「……終わったの? ……やったー!」

 しばらくそこに立ち尽くしたままだった小夏は、じんわりと事態が飲み込めると、その場で大きく万歳をした。
 心が、体が軽くなったのだ。それは俗に言う、憑物が落ちたというものなのかもしれない。
 とにかく、どうやら心配事が解決したらしい小夏は、まるでスキップするような足取りで家へと向かって歩きだした。
 そして、そのままベッドへとダイブし、スマホが鳴っても眠り続けたのだった。
 


 縁側に腰かけた善之助は、小夏が来るのを待っていた。
 今日は特に来客の予定もないから来てもいいと連絡しておいたのに、それに対しての返信はなかった。だが、だからこそ心配で、つい待ってしまっていた。

「……来ない、な」
「可愛い可愛い小夏ちゃんのこと? あれ、振られちゃった?」

 昨日の今日で、もしやなにかをあったのではないかと考える善之助の横で、唐澤が呑気にお茶を啜りながらニヤニヤしていた。

「振られてない。そもそも、そういうんじゃない。小娘と私がいくつ離れてると思うんだ?」
「あ、もしかして干支同じ?」
「干支が同じとか言うな! 確かに、ひと回り違うな……」

 別段若くいたいという願望はないが、改めて小夏との年齢差を考えて善之助はやや落ち込んだ。年の差恋愛がどうとか、唐澤が言っているくだらないこととはまるで無関係の理由で。
 ついうっかりそのまま、過ぎ去った青春の日々に思いを馳せそうになってしまったが、すんでのところで我に帰った。

「そういう話をしているんじゃないんだ。昨日、幽霊に軽率にも声をかけたらしくてな、それで面倒なことに巻き込まれてるんじゃないかと思ったんだ」
「へぇ。すごい子なんだねぇ」

 眉間に深い皺を作る善之助と、それをヘラヘラと見つめる唐澤。
 二人のおっさんに到来を待ちわびられた小夏は結局、その日は伏せ猫屋に現れなかった。
 しかも夜遅くまで眠りこけていたために善之助からのメールに返事をしなかったため、後日たっぷり怒られることになったのだった。
 
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