恋愛栽培 ―A Perfect Sky ―

明智紫苑

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本編

花川加奈子の衝撃

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 妖しく猛り狂う炎が映える。
 花川加奈子はなかわ かなこはある夜、臨場感溢れる夢を見た。それはまるで戦国時代が舞台の時代劇のようだった。夜空に映える炎が美しく、官能的ですらある。加奈子は炎のゆらめきに心が騒ぐ。
 どこかの軍勢が敵陣営を攻めているが、その軍勢ののぼりには、黒い3つの三角形が描かれている。戦国時代の小田原北条ほうじょう氏の家紋だ。
 その戦場で、特に奮闘している武将がいた。北条軍の敵側だった彼は満身創痍で槍を振るって、次々と敵をやっつけているが、ついには力尽きて死んでしまった。
 その瞬間、その男と加奈子の目が合った。
 加奈子は思う。あの真剣な眼差し、どこかで見たような気がする。懐かしいような。
 加奈子が住んでいる街は昔、合戦があったという。戦国時代に小田原北条氏と戦って滅ぼされた大名…多分、夢の中の武将は、この大名に仕えた忠臣だ。
 しかし、おそらくは教科書に載るような有名人とはほど遠いだろう。何しろ歴史は勝者が語るもの、なんていうくらいだから。

 冬の朝、加奈子は顔を洗い、化粧水を使い、クリームを塗った。化粧水はシンプルに、資生堂の「肌水」。クリームはこれまた庶民の美容の味方、ニベアの「青缶」。しかし、それ以上の事はしない。ファンデーションを塗ると、気のせいか息苦しくなるし、たまに片方のまぶたが腫れるので、普段は化粧をほとんどしない。せいぜい、日焼け止めのクリームを塗り、色付きのリップクリームを塗るくらいだ。
 それに、仕事場は家から歩いて数分のところにあるし、社長夫婦は彼女の父の生前の友人だったのだから、わざわざもっともらしい化粧をしてもしょうがない。彼女はフォーマルな場でも必要最低限の化粧しかしない。
 加奈子は弁当をリュックサックにしまい、財布や携帯電話などを入れたショルダーバッグを斜めにかけて、リュックを背負った。ガスの元栓がキチンと閉まっているかを確認し、出勤した。
 ちゃんと戸締まりしたのを確認し、加奈子は徒歩で会社に向かった。彼女は最近、自転車を盗まれてしまったので被害届を出したが、盗難車は見つからないままだ。だからと言って、新しい自転車を買うのも面倒なので、やむを得ず徒歩通勤だ。
「まあ、ちょうどいい運動にはなるよね」
 彼女は負け惜しみを言う。

「加奈ちゃん、お疲れ様」
「は~い」
 午後6時。帰宅の時間だ。もうすぐ冬至だから、この時間はすでに暗い。
 加奈子は「紅葉山もみじやま不動産」の社長と副社長…紅葉山のおじさんとおばさんに挨拶し、帰宅した。子供の頃から世話になっているこの夫婦のおかげで、彼女は就職浪人にならずに済んだのだ。とは言え、たまたま前にいた女性事務員が寿退職したのだが。
 今の日本は就職難だが、ランクの高い大学の学生たちも色々と苦労している。加奈子の母校よりランクの高い大学に通っている従弟も、今のご時世では就職活動に難航しそうだ。
 小学生の頃から成績が良く名門校に進学した幼馴染も、今の職場に就職出来なかったら大学院に進学するつもりだったと語っていたが、就職出来ない代わりの「妥協案」が大学院進学だとは、三流女子大をかろうじて卒業出来た加奈子とは出来が違い過ぎる。
 加奈子は、仏壇と人形たちしか待っていない自宅に戻った。犬や猫などのペットもいない。
 彼女はもうすぐ23歳の若さで「一国一城の主」だ。小学校時代に母親を、高校卒業直前(しかも、大学入試に合格した直後)に父親を亡くして、大学在学中に祖父を、就職してからすぐに祖母を亡くしたので、この一軒家は加奈子のものになった(ちなみに彼女が自転車を盗まれたのは、祖母の葬式の直後だったので、余計に精神的なダメージが大きかった)。すでに家のローン返済は終わっているのだし、気楽と言えば気楽だろう。
 そんな「城」の玄関に、何やら怪しい箱がポンと置かれていた。「花川加奈子様」と宛名がある。彼女は携帯電話で警察に連絡しようとしたが、何とバッテリーが切れていた。
 仕方なく、彼女はドアの鍵を開けて、箱を持って家に入った。家には固定電話があるのだから、それで警察に連絡すればいい。
 しかし、どうしても気になる。この箱の大きさは、何だかクリスマスケーキかバースデーケーキを連想させる。彼女は明日、駅前のホテルのケーキバイキングで、親友たちと一緒に「女子会」をするのだが、それは彼女自身の誕生日パーティーでもあるのだ。
 加奈子は、よせばいいのに、箱を開けた。
「キャー!?」
 中には、人の頭蓋骨が丸ごと入っていた。彼女はそのまま失神した。



「水を与えよ」
 誰かが言う。
「水を与えよ」
 どうやら、どこかの老人の声らしい。少なくとも、加奈子の祖父の声ではない。加奈子は目を覚ました。

 加奈子は夢のお告げ(?)に従った。祖父は生前、熱帯魚を飼うのが趣味だった。その祖父が亡くなってからは、魚たちは祖父の熱帯魚仲間に譲ったが、いくつかの水槽は残されている。
 彼女は、一番小さな水槽に水を溜め、問題の頭蓋骨を沈めた。
 加奈子は2階の自室に戻り、パソコンに向かう。彼女は今、小説を書いている。近所に住む従弟の恋人も愛称の「サユ」名義でケータイ小説を書いているが、加奈子が目指すのはズバリ、本格的な作家だ。すでにブログでいくつかの小説を書いているし、普段のブログ記事自体が、本格的なエッセイに近づけるように意識して書いているものだ。
 そして彼女は、小説新人賞に応募するための作品を書いている。その前にもいくつかの新人賞に応募したが、一次選考止まりがいくつかある。今度こそは、二次選考を突破したいと思っている。
 しかし…問題の頭蓋骨。こんな時に、警察の人が事情聴取にやって来たらどうしよう? 加奈子は焦る。無実の罪で捕まりたくない。どんな客が来ようとも、絶対秘密!
 時はもう12月。来年まで1か月しかない。加奈子は今年の大掃除はどうしようか悩む。祖母が亡くなってからは、彼女一人だけ。仕方ないから、いつもの掃除程度で済ますかと思っている。蛍光灯の取り替えは脚立を使うが、高所恐怖症の彼女にとっては拷問だ。
 人の骨を見るのは、祖母の火葬以来。ましてや、直に触ったのは初めて。こんな「初めて」なんて経験したくない。

 初めての経験。加奈子は「初体験」という言葉で、ある美人漫画家を思い出した。その女性漫画家がある雑誌のインタビューで「処女自慢女ムカつく」と発言したのに、加奈子は腹を立てた。彼女は恋人いない歴=年齢の処女だが、そもそも、ネット上でも実生活でも、彼女は「非モテ」は自称しても「処女自慢」などはしていない。
 問題の美人漫画家(しかもかなりの高学歴の「才色兼備」)は、華麗な男性遍歴を赤裸々にネタにして売れっ子漫画家になっているが、加奈子が思うに、どこかの女の「処女自慢」などよりも、この女性漫画家のモテ自慢の方がよっぽど不愉快だった。どうせ、漫画家としてのランクや実力なんて大した事がないのに。加奈子は問題の漫画家を冷ややかに見ていた。
 加奈子は思う。むしろ、小説家としてのデビュー作を通じて、母親の再婚相手からの性的虐待の被害を公表した別の女性漫画家こそが、真に「処女自慢女」に「ムカつく」資格や正当性があるのだ。少なくとも、自分の意思で好き放題に男を食いまくった女が今さら処女をねたむのは馬鹿馬鹿しい。
 それはさておき、明日、12月10日は加奈子の誕生日だ。明日は彼女の数少ない友達が祝ってくれる。普段はオシャレとはほど遠い彼女も、さすがにそれなりの格好で出かけたいと意気込む。
 普段の加奈子は、自分の服より人形の服に金をかけている。これでは、いわゆる「女子力」に問題があると世間では言われそうだが、そもそも加奈子には「女子力」の定義が分からない。
 彼女はクローゼットを開け、明日の誕生日パーティー用の服を選んだ。
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