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7.白黒つけるぜ

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 俺には現役競走馬時代にジンクスがあった。レース前に変な歌詞の曲を聴くと、調子が外れて負けた。
 だから、当時の厩舎では、『ピエールとカトリーヌ』みたいなコミックソングなんぞまず流さないような、オシャレな選曲のFMラジオ局の番組を流してもらっていた。しかし、J・ガイルズ・バンドの曲『堕ちた天使(Centerfold)』が流れた時は、俺は気まずくなった。なぜなら、この曲は主人公の憧れだった元クラスメイトの女子が雑誌のヌードモデルになっていた…という内容の歌詞だからだ。まあ、今の俺なら、昔の対戦相手の女子に種付けするのは一向に構わないがな。〈レディ〉、俺ならお前を…いや、やめとく。
 そういえば、加藤登紀子の『百万本のバラ』だとか、椎名林檎の『歌舞伎町の女王』だとかの歌詞は、フィクションとして魅力的だと俺は思うが、そんなフィクションの歌詞とは対照的なのが、ディープ・パープルの『Smoke on the Water』だ。音楽業界には私小説めいた内容の歌詞が色々とあるけど、『Smoke on the Water』は全くのノンフィクションだ。そういう内容の歌詞の曲が世界的名曲になるのだから、結局は、そんなに歌詞は重要でもないのだろうか? 身も蓋もないぜ。

 それはさておき。

 俺と同じ親父から産まれた同期馬に、〈黒豆〉という奴がいる。もちろん、競走馬としての本名は別にあるが、あいつの担当調教師の某氏が当歳馬とねっこだった頃のあいつの黒々とした毛艶の良さを見て、こんなかわいらしい愛称を名付けたのだ。成長して、俺と大差ないゴツい体格になったあいつにはそぐわないあだ名だが、あいつのファンたちは親しみを込めてそう呼んでいる。
 あいつが黒々とした馬体なのに対して、俺はかなり早い時期から毛色が白っぽくなっている芦毛だ。囲碁だ。いや、オセロだ。表裏一体ゆえの同族嫌悪。〈黒豆〉と〈大福〉。俺らを揶揄する奴らよ、お前らのヘソで沸かした茶はうまいか?
 ヘソといえば、三国志の董卓のヘソにロウソク。何だか、微妙に下品な扱いだな。多分、董卓の死体は全裸で何もかも丸出しだったハズだ。まあ、下品な暴君だったし。多分、色々な意味でデカかっただろう。
 董卓も裸、呂布も裸、俺たち馬も素っ裸。俺たちは裸一貫でのし上がる。

 俺が生まれた年に、その人は亡くなった。
 キング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソン。
 もし俺が人間として生まれていれば、マイケルみたいなミュージシャンを目指していただろう。しかし、幸か不幸か俺は馬だ。
「先生、俺の目標はマイケル・ジャクソンです」
「マイケル? シンボリルドルフみたいな昔の名馬でなくて?」
「俺はルドルフよりもマイケルの方が良いです」
「ルドルフにマイケル…その名前の組み合わせは、何となく引っかかるものがあるが…?」
 当時の担当調教師〈先生〉は、怪訝そうに首を傾げた。そりゃそうだ。馬がマイケル・ジャクソンのような人間のエンターテイナーを目標とするなんて、一体何の冗談かと思うのも仕方ない。
 厩舎内では、クイーンの『地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)』が流れている。〈先生〉は言う。
「どこかで聞いた話だけど、この曲は元々、メンバーがマイケルに提供するために書いたそうだね。だけど、マイケル自身がメンバーに『あなた方ご自身がるべきです』と訴えて、クイーンのメンバーたち自身の曲にして売れたらしい」
「やはり、マイケルは慧眼けいがんだ。俺がマイケルなら、この曲をクイーンのカバーとしてります。マイケルは、YMOの曲をエリック・クラプトンと同じくカバーしていたし」
「私も昔、家内と一緒にクイーンのコンサートを観に行った事があります」
「え? おっちゃん、すごい!」
 若い頃の〈おっちゃん〉は、後の奥さん〈おばちゃん〉と一緒にクイーンのライヴを観に行った。俺が生まれるよりもずっと昔だ。
 俺にとって「ブライアン」といえば、ナリタブライアンでもサニーブライアンでもなく、クイーンのブライアン・メイだった。

 マイケル・ジャクソンやフレディ・マーキュリーのようなエンターテイナーに、スーパースターになりたい。それで俺は走った。

 しかし…またやらかした。
 あるゲームに俺がモデルのキャラクターが出てくる影響で、俺の人気は現役時代よりも今の方が確実にあるが、それで増えた見学客の皆様の目の前で「カバレロドラド快便ショー」をやらかしてしまった。お客の目の前にケツを向け、ぶりぶり。
 その時は色々な意味でスッキリしたんだ。問題は、見学時間が終わり、体の手入れをされて馬房へやに戻されてからだ。そう、思いっきり自己嫌悪。俺は人でなしならぬ「馬でなし」だ。俺が人間だったら、確実に人間としての尊厳をドブに捨てている。まさしく「四面楚歌」と書いて「ピエールとカトリーヌ」と呼ぶ状況だ。
 実際の俺も、問題のゲームの中の俺も、〈カバレロドラド〉というキャラクターを演じているのだ。何だか、昔のヤク中のロックスターがこれ見よがしに乱暴狼藉を演じていたように。俺は「走るキース・ムーン」か? どうせならば、キース・リチャーズに例えられる方が良いが。
「〽芸のた~めな~ら~、スタッフも泣~か~すぅ~♪」
 …我ながらアホだ。寝る。どうせ現役時代だって、衆人環視の中、パドックで出し放題だったのだし。

たまのおらぬ極楽など、地獄と変わらぬ」
 俺の隣に細川忠興ほそかわ ただおきがいる。
 ここは春の菜の花畑、どこまでも続く。のどかな暖かさが俺たちを包むが、忠興は不満げに首を傾げる。要するに、この人の生前の妻である珠さん、つまりはいわゆる細川ガラシャとの再会が出来ないので、忠興自身は面白くないのだ。
「あんたの奥さんはキリスト教の天国に行ったんだろ? 確かに、仏教の極楽にはいないのかもしれないし、地獄にもいないのだろう」
 忠興は俺をにらむ。怖い野郎だぜ。
 それはさておき、本当に宗教ごとに「天国」や「地獄」はあるのか? ましてや、死んだ無神論者はどこに行くのか?
 俺は別に無神論者という訳ではないが、少なくとも無宗教ではある。ならば、今の俺がいるここは何なのだろうか?
 天国ならば、もしかするとマイケル・ジャクソンやフレディ・マーキュリーがいるかもしれない。
「よう、ドラド」
「え…親父?」
 俺の親父が誰かを乗せてこちらに来た。その誰かが言う。
「ほほう、君が名高きカバレロドラド君か? 私は田文。俗に孟嘗君もうしょうくんと呼ばれる者だ」
「え? あなたがあの有名な孟嘗君?」
 意外な大物の出現に、さすがの細川忠興も目を剥く。
「これからレースがあるけど、君も参加しないか?」

 俺は忠興を騎手にして、レースに臨む。孟嘗君を乗せた親父だけではない。あの〈黒豆〉までいるのだ。負けてられない。
「あれは…?」
 俺の父方の祖父〈黒いじいちゃん〉と母方の祖父〈白いじいちゃん〉が並んで歩いている。黒いじいちゃんは廉頗れん ぱを乗せ、白いじいちゃんは藺相如りん しょうじょを乗せている。二重の「刎頸の交わり」だ。
 さらに、若い牝馬おんなの匂いがする。あの女、〈レディ〉だ。
 ゲートが開く。ああ、ほんの2、3秒だって無駄には出来ない芝2400メートル。栗毛の逃げ馬が先頭を行く。俺の仕掛けどころはまだだ。
「よう、大福野郎」
「何だ、豆公」
〈黒豆〉が俺の隣にいる。相変わらずむかつく野郎だ。
「暴君兄貴がいなくて良かったな? お前はあのひとにちぎられずに済んだぜ」
「お前もな」
 そこに〈レディ〉がタックルを仕掛けてきたが、俺の方が体格が良い分、あちらが弾き返された。
「お先に」
 俺は脚を早め、前に行く。何頭か抜き去り、あの栗毛の逃げ馬に迫る。
「えっ…?」
 親父が孟嘗君を乗せて、俺と栗毛野郎を抜き去り、ゴールイン。黒いじいちゃん似の毛色を目にして、俺は愕然とした。

「はっはっ! お前らよくやってくれたな」
 黒いじいちゃんが笑う。白いじいちゃん、親父、他のみんな。呉越同舟が破顔一笑になる。レース後のパーティー、廉頗将軍は骨付き肉にかぶりつき、ビールジョッキを掲げる。
 忠興は眉をひそめて、夕日を見つめる。俺はこの人を黙って見つめる。何の言葉もかけられない。

 夢の世界の大海から、現世の海岸に意識が運ばれる。

 何だか楽しい夢だった。ただ、あの細川忠興は不満気なままだったけど、俺にはどうする事も出来ない。忠興はガラシャのゆるしを得たかったのかもしれないが、それこそ、神のみぞ知る、だな。
 師匠が走るから、師走。俺の現役時代の〈先生〉もあちこち走ってるんだろう。我らの牧場も、年末らしい慌ただしさだ。俺が〈おっちゃん〉に会えるのも、来年の種付けシーズン以降だ。みんな忙しいんだ。
 さて、有馬記念は馬界の紅白歌合戦だ。俺も一応は、3歳で有馬記念で優勝した天才少年だったのだ。その年の紅白歌合戦で紅白どちらが優勝したかは覚えていないが、人間界には紅白ならぬ白黒ハッキリさせたがる連中が少なからずいる。でも、俺は思う。音楽は十人十色だろ? 人それぞれ、好きな音楽を聴いて楽しめば良いじゃないの?
 もうすぐ、年が明ける。俺はこれから、どれほど新しい年を迎える事が出来るのだろうか?
 そう、良いお年を。
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