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第7章 青い空の下で
しおりを挟む七月下旬、コンクール県大会当日。朝の空気はすでに夏の強い日差しを含み、空はどこまでも高く、青く澄み渡っていた。まさに「青い空の下」での決戦日和だ。
早朝に学校に集合した青空学園吹奏楽部のメンバーは、少し眠そうな目をこすりながらも、その表情には抑えきれない興奮と緊張が浮かんでいた。バスに楽器と共に乗り込み、会場となる県立音楽ホールへと向かう。車内では、おしゃべりをして気を紛らわす者、黙って音楽を聴き込む者、窓の外をぼんやり眺める者と様々だったが、誰もが胸の奥に静かな闘志を燃やしているのが伝わってきた。
陽菜も窓の外を流れる景色を見ながら、イヤホンで自由曲の音源を繰り返し聴いていた。隣の席には美咲が座っている。
「陽菜、緊張してる?」
美咲が小声で尋ねる。
「うん、すごく……。でも、なんだかワクワクもしてる」
「わかる。私も、心臓が口から出そうだけど、早く演奏したい気持ちもあるんだ」
二人は顔を見合わせ、ぎこちなく笑い合った。これまでの厳しい練習の日々が、走馬灯のように頭をよぎる。
バスが会場に到着すると、そこはすでに戦場のような熱気に包まれていた。色とりどりのユニフォームや制服に身を包んだ他校の生徒たちが行き交い、楽器ケースを抱えて足早に移動している。ロビーに響く様々な楽器の音出しの音、ざわめき、そして独特の緊張感が、否が応でも本番が近いことを実感させた。
1.コンクール会場の緊張
指定された控室に入ると、青空学園の部員たちもすぐに楽器の準備を始めた。あちこちで小さな音出しの音が響き、普段は賑やかな部員たちも口数は少なく、真剣な表情で自分の楽器と向き合っている。
水城は、壁に向かって一人、黙々とマウスピースの手入れをしていた。その横顔は普段通りの涼しげな表情を装っているが、指先がわずかに震えているのを陽菜は見逃さなかった。彼女もまた、この大舞台に緊張しているのだ。
霧島は、控室の隅で目を閉じ、静かに呼吸を整えていた。彼の周りだけ、空気が違うように感じられる。一切の乱れを許さない、研ぎ澄まされた集中力。しかし、以前のような刺々しい孤高の雰囲気ではなく、静かな闘志と、どこか達観したような落ち着きが感じられた。
陽菜は自分のトランペットを丁寧に組み立てながら、深呼吸を繰り返す。心臓がドキドキと大きく脈打っている。けれど、不思議と嫌な緊張感ではなかった。隣で音を出している仲間たちの存在、そして霧島と水城の存在が、陽菜の心を支えてくれていた。
「陽菜、がんばってね! 最高の演奏しよう!」
クラリネットの準備を終えた美咲が、力強く陽菜の肩を叩いた。
「うん! 美咲もね!」
陽菜は笑顔で応え、マウスピースを唇に当てる。大丈夫、やってきたことを信じよう。
顧問の高田が時計を確認し、低い声で指示を出す。
「よし、時間だ。あと15分でステージ裏へ移動する。楽器を持って、静かに整列!」
その声に、控室の空気がぐっと引き締まった。いよいよだ。
2.舞台袖――三人の約束
いよいよ青空学園の出番が近づき、ステージ裏に並ぶ部員たち。広い会場からは他校の演奏が聞こえてきて、客席の拍手やざわめきが一層プレッシャーを高める。
霧島と水城はソロパートを任されている。そんな二人が並んでいるのを見て、陽菜は胸がいっぱいになる。
星見が丘で何度も音を合わせた。今度はこの大舞台で、三人は同じ曲を奏でる――合奏全体の中で、それぞれの役割を果たしながら。
(大丈夫、私たちは一人じゃない……)
陽菜がそっと声をかける。
「水城さん……霧島、せん……ううん、蓮さん……」
二人が陽菜の方を向く。その瞳には、緊張と共に、強い決意の色が宿っていた。
「緊張、してる?」
陽菜が尋ねると、水城はふっと息を吐き、少しだけ口元を緩めた。
「……当たり前でしょ。でもね、不思議と怖くはないわ。だって……」
彼女は陽菜と霧島を交互に見て、続けた。
「あなたたちが、隣にいるから」
その素直な言葉に、陽菜の胸が熱くなる。霧島も、静かに頷いた。
「……ああ。俺も、まあ……悪くない気分だ。一人で立つ舞台より、ずっといい」
彼は少し照れたように視線を逸らし、「だから、足を引っ張るなよ。……二人とも」と付け加えた。
三人はアイコンタクトを交わし、拳を軽く突き合わせた。
あの嫌がらせのことも、水城の孤独も、霧島の冷たさも、すべて乗り越えるために今日まで走ってきた――そんな思いが彼らを結びつける。
「次、青空学園高等学校吹奏楽部の皆さん、ステージへどうぞ」
場内アナウンスが聞こえ、一気に緊張が高まる。
3.青い空の音色
ステージに足を踏み入れると、眩しいライトと大きな観客席の光景が目に飛び込む。指揮台の前に並んだ部員たちが、各々譜面台を整え、顧問の高田が指揮棒を構える。
最初の曲は、静かな序奏から始まる。木管が繊細なハーモニーを紡ぎ、打楽器がほんの小さなリズムで支える。
やがて、トランペットセクションの出番がやってくる。水城の完璧な高音がクリアに響き渡り、客席からかすかな感嘆の息が漏れる。
続く霧島のソロは、完璧だけではなく、どこか懐かしさを宿したように優しさを含んでいる。以前の冷たい孤高の音色にはない、しっとりとした温度を感じる。
(霧島先輩、本当に変わったんだな)
その二つのソロが重なり合う瞬間、陽菜は自分の伴奏ラインに一層心を込める。三人で夜に星見が丘で合わせた感覚を、今ここで再現するように――。
穏やかで、どこか切なくて、それでいて力強いハーモニーがステージを包む。
ラストの盛り上がりでは、打楽器や木管、金管が一体となって曲をフィナーレへ運ぶ。トランペットパートの高らかなファンファーレに合わせ、最後の一音が響き渡ったとき、大きな拍手が会場を満たす。
4.終わった瞬間
指揮棒が下ろされ、会場からの拍手が熱を帯びる。客席を見渡すと、保護者たちや他校の生徒たちが立ち上がりかけているのが分かる。
霧島は無表情のまま静かにトランペットを下げ、水城はほんのわずかに涙を浮かべていた。陽菜は大きく息を吸い、胸がじんと温かくなるのを感じる。
ステージ袖へ戻る途中、三人は自然と視線を交わした。言葉はいらない。それぞれが最高の演奏を出し切った実感があった。
5.結果発表と新たな一歩
他校の演奏を聴きながら待つこと数時間。最終的に、青空学園は金賞を獲得し、次の地区大会へ進めることが決まる。部員たちは歓声を上げ、喜びを分かち合う。
霧島も水城も、さすがに嬉しそうに微笑み、陽菜は嬉し涙を隠せない。
「私……こんなに嬉しいなんて思わなかった」
水城がポツリとつぶやく。
「完璧に吹ききるより、みんなと心を合わせて作り上げる音楽のほうが、ずっと楽しいって……変ね、私」
「変じゃないよ。私も、同じ気持ち」
陽菜はそう言って、そっと笑いかける。霧島は照れたように目をそらしたが、どこか誇らしげだ。
帰りのバスの中、部員たちがわいわい盛り上がる中、三人は隣り合わせの席に座るわけでもない。それでも、たまに視線が重なると、互いに微笑み合う――そんな暗黙の絆が芽生えていた。
(まだ先は長い。関東大会、そしてその先の全国へ……。もっともっと、私たちの音を響かせたい。星見が丘で見つけた“一人では出せない音色”を、もっと大きく育てていけばいいんだ)
車窓から見える夏の夕空は、まるで祝福するかのように眩しい青さを湛えている。
陽菜はトランペットのケースをぎゅっと抱きしめ、これからの道のりを思い描く。霧島や水城とともに、どこまで高い空へ上っていけるのか――想像するだけで胸が高鳴った。
こうして、青空学園吹奏楽部の初陣とも言える県大会は大成功のうちに幕を閉じる。
互いに反発しあいながらも、星見が丘での秘密のレッスンによって紡がれた三人の音――それは確かに、多くの観客の心に届いたのだ。
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