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織田信秀の葬儀にて。
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天文二十一年三月三日。
織田弾正忠信秀が病いにて亡くなった。
葬儀は当日の内に万松寺で僧侶三百人を呼び集めて盛大に行われた。
葬儀には織田家一門衆や家臣団、尾張国内の有力国衆が出席し、喪主は信秀の嫡男信長が務める事になった。
この時、信長は十八歳で、一門衆や家臣団、国衆や領民達からは『織田のうつけ殿』などと呼ばれていた。
葬儀は始まろうとしていたが、喪主である信長の姿が何処にもなかった。
まさかの遅参である。
これには信長に心を寄せていた数少ない一門衆や家臣団、国衆も呆れてしまっていた。
「平手殿。信長様は未だに参られぬのでござるか」
信長の傅役の平手政秀に嫌味ったらしく言うのは、信長の実弟信行(信勝)の家老柴田勝家だ。
政秀は困りきった顔で、
「申し訳ござらん。未だ御出でにならぬのでござる。今暫くお待ち願いたい」
一門衆や家臣団、国衆達に頻りに頭を下げて詫びている。
しかし、
「信長が来ぬのなら、喪主は信行に交代して葬儀を行いましょう」
信長と信行の母にして、亡き信秀の妻の土田御前(本名不明)が喪主の交代を言い出したのだ。
これには政秀が慌てに慌てた。
「あ、いや、御方様。今暫くお待ち下さいますようお願い申し上げます」
「ならぬ。喪主すらも務まらぬ『うつけ』などを待つ事は出来ぬ。信行。其方が喪主を務めなさい」
鶴の一声ではないが、土田御前の言葉に信行は大きく頷いた。
「あいや、暫く」
喪主を信行に代えようとした時、土田御前に異を唱える者が現れた。
それは織田一門衆にて信長の従弟、大岩織田家の嫡男慎之輔信政だった。
この時、信政は十五歳。
父親の織田安房守信重の共をして叔父信秀の葬儀に参列していたのだが、
「信長殿を喪主にと申されたるは、亡き信秀叔父上にございますぞ。如何に叔母上と言えども叔父上のご遺言に従えぬと申されるは些か分を弁えぬ所業にござろう。此処は信長殿のご到着をお待ちになられるのが尤なる事と心得申す。各々方、この儀や如何に」
信政の筋の通った、道理を説いた物言いに参列者達から賛同する声が次々にあがった。
「お、己れ。たかが分家の小倅の分際で賢しら顔に妾に意見致すか」
土田御前は激昂して信政を罵るが、それは悪手であった。
何故なら信政の父安房守信重は信秀の兄にあたるので、分家筋と言えども、家格は一門衆の中でもかなり上に位置していた。何よりも信秀と共に戦場を駆け回る事数十年、挙げた首級は数知れず、その戦さ働きは織田家一門衆随一の猛将としてその名が高い。そんな信重が我が子たる信政を罵った土田御前に怒りを覚えぬ筈もない。
「たかが分家と申されたようじゃが、それは聞き捨てならぬ」
静かな威圧をこめて言い放つと、土田御前は小さく悲鳴をあげて腰を抜かしてしまったようだ。
「どうやら其処元は何やら心得違いをしておるようじゃな。織田家の嫡男は信長であり、信行は信長の家臣となる身。それを己れの主人となる信長を差し置いて喪主にしようなどと不埒千万。お控えなされい」
静かだが、その声には誰も反論できぬ恐ろしき迫力があった。
皆々一様に黙り込み、俯いている。
「平手殿。信長殿はまだかな」
「は、ははっ。今暫くお…ん?」
「お待ち下さいませ」と言おうとした平手政秀は、廊下から聞こえるドタドタとした足音に気付いた。
当然、信政も気付いたし、葬儀の参列者達も気付いた。
「信長殿のご到着のようでござるな」
平手政秀や信長に心寄せる家臣団は目に見えて安堵したようだが、
「な、な、何と!?」
座敷に入ってきた信長の身なりに驚きと困惑と嘲笑する響めきが起きた。
信長は、紺色の膝切り単衣に帯の代わりに荒縄を締め、腰には瓢箪や布袋を下げ、二尺八寸の太刀を佩き、一尺八寸の脇差を差していた。足には草鞋を履いている。
まさに『うつけ』と呼ぶに相応しい身なりであった。
その中にあって、信政だけが信長に対して平伏していた。
織田家の嫡男にして当主たる信長へ平伏するのは分家として当たり前の事だからだ。
信長は座敷をぐるりと見回して信政に目を留めたようだったがそれも一瞬。信秀の遺体が入った棺桶と位牌の前に立ったその時、
「戯けめが」
一言呟くと、抹香を一握り掴むと位牌に向けて投げつけた。
人間、あまりにも驚きが強かった場合には声も出なくなるものだ。
その奇行に誰一人として言葉を発する事が出来なかった。
ただ一人、信政を除いて。
位牌を睨み付けていた信長が座敷から出て行こうとしたのへ、
「信長殿。お待ち下され」
と待ったをかけた。
信長は足を止めて信政を見た。
信政は平伏して言った。
「心中お察し申し上げまする」
と。
その言葉を誰もが哀悼の意を述べているのだと思ったのだが、信長は少し目を瞠った。
「で、あるか」
それだけを返して本当に座敷から出て行った。
残された一門衆や家臣団、国衆は口を開けて呆然としている。
信政は顔には出さないが、心の中で感動していた。
歴史書で有名な『抹香投げつけ事件』をこの目で見る事ができたからだ。
(さあて。これから忙しくなるぞ)
微かに浮かべる笑みの下で来るべき日のために備えをしておかなければならない。
(俺は歴史の中に生きている)
織田弾正忠信秀が病いにて亡くなった。
葬儀は当日の内に万松寺で僧侶三百人を呼び集めて盛大に行われた。
葬儀には織田家一門衆や家臣団、尾張国内の有力国衆が出席し、喪主は信秀の嫡男信長が務める事になった。
この時、信長は十八歳で、一門衆や家臣団、国衆や領民達からは『織田のうつけ殿』などと呼ばれていた。
葬儀は始まろうとしていたが、喪主である信長の姿が何処にもなかった。
まさかの遅参である。
これには信長に心を寄せていた数少ない一門衆や家臣団、国衆も呆れてしまっていた。
「平手殿。信長様は未だに参られぬのでござるか」
信長の傅役の平手政秀に嫌味ったらしく言うのは、信長の実弟信行(信勝)の家老柴田勝家だ。
政秀は困りきった顔で、
「申し訳ござらん。未だ御出でにならぬのでござる。今暫くお待ち願いたい」
一門衆や家臣団、国衆達に頻りに頭を下げて詫びている。
しかし、
「信長が来ぬのなら、喪主は信行に交代して葬儀を行いましょう」
信長と信行の母にして、亡き信秀の妻の土田御前(本名不明)が喪主の交代を言い出したのだ。
これには政秀が慌てに慌てた。
「あ、いや、御方様。今暫くお待ち下さいますようお願い申し上げます」
「ならぬ。喪主すらも務まらぬ『うつけ』などを待つ事は出来ぬ。信行。其方が喪主を務めなさい」
鶴の一声ではないが、土田御前の言葉に信行は大きく頷いた。
「あいや、暫く」
喪主を信行に代えようとした時、土田御前に異を唱える者が現れた。
それは織田一門衆にて信長の従弟、大岩織田家の嫡男慎之輔信政だった。
この時、信政は十五歳。
父親の織田安房守信重の共をして叔父信秀の葬儀に参列していたのだが、
「信長殿を喪主にと申されたるは、亡き信秀叔父上にございますぞ。如何に叔母上と言えども叔父上のご遺言に従えぬと申されるは些か分を弁えぬ所業にござろう。此処は信長殿のご到着をお待ちになられるのが尤なる事と心得申す。各々方、この儀や如何に」
信政の筋の通った、道理を説いた物言いに参列者達から賛同する声が次々にあがった。
「お、己れ。たかが分家の小倅の分際で賢しら顔に妾に意見致すか」
土田御前は激昂して信政を罵るが、それは悪手であった。
何故なら信政の父安房守信重は信秀の兄にあたるので、分家筋と言えども、家格は一門衆の中でもかなり上に位置していた。何よりも信秀と共に戦場を駆け回る事数十年、挙げた首級は数知れず、その戦さ働きは織田家一門衆随一の猛将としてその名が高い。そんな信重が我が子たる信政を罵った土田御前に怒りを覚えぬ筈もない。
「たかが分家と申されたようじゃが、それは聞き捨てならぬ」
静かな威圧をこめて言い放つと、土田御前は小さく悲鳴をあげて腰を抜かしてしまったようだ。
「どうやら其処元は何やら心得違いをしておるようじゃな。織田家の嫡男は信長であり、信行は信長の家臣となる身。それを己れの主人となる信長を差し置いて喪主にしようなどと不埒千万。お控えなされい」
静かだが、その声には誰も反論できぬ恐ろしき迫力があった。
皆々一様に黙り込み、俯いている。
「平手殿。信長殿はまだかな」
「は、ははっ。今暫くお…ん?」
「お待ち下さいませ」と言おうとした平手政秀は、廊下から聞こえるドタドタとした足音に気付いた。
当然、信政も気付いたし、葬儀の参列者達も気付いた。
「信長殿のご到着のようでござるな」
平手政秀や信長に心寄せる家臣団は目に見えて安堵したようだが、
「な、な、何と!?」
座敷に入ってきた信長の身なりに驚きと困惑と嘲笑する響めきが起きた。
信長は、紺色の膝切り単衣に帯の代わりに荒縄を締め、腰には瓢箪や布袋を下げ、二尺八寸の太刀を佩き、一尺八寸の脇差を差していた。足には草鞋を履いている。
まさに『うつけ』と呼ぶに相応しい身なりであった。
その中にあって、信政だけが信長に対して平伏していた。
織田家の嫡男にして当主たる信長へ平伏するのは分家として当たり前の事だからだ。
信長は座敷をぐるりと見回して信政に目を留めたようだったがそれも一瞬。信秀の遺体が入った棺桶と位牌の前に立ったその時、
「戯けめが」
一言呟くと、抹香を一握り掴むと位牌に向けて投げつけた。
人間、あまりにも驚きが強かった場合には声も出なくなるものだ。
その奇行に誰一人として言葉を発する事が出来なかった。
ただ一人、信政を除いて。
位牌を睨み付けていた信長が座敷から出て行こうとしたのへ、
「信長殿。お待ち下され」
と待ったをかけた。
信長は足を止めて信政を見た。
信政は平伏して言った。
「心中お察し申し上げまする」
と。
その言葉を誰もが哀悼の意を述べているのだと思ったのだが、信長は少し目を瞠った。
「で、あるか」
それだけを返して本当に座敷から出て行った。
残された一門衆や家臣団、国衆は口を開けて呆然としている。
信政は顔には出さないが、心の中で感動していた。
歴史書で有名な『抹香投げつけ事件』をこの目で見る事ができたからだ。
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